法 話  悪戦苦闘記



2000年1月、47歳になって間もない安穏な生活が、突然一変した。
何が一変したかというと、
父の突然の入院によって、法話をしなければならなくなったのだ。
(父は、その後退院することはなかった)
 

【名ばかり住職時代】
その10年前、37歳の歳に住職を交代した。交代したといっても、組会や法中寺院の行事には
住職として出席するものの、等運寺内ではあまり変化はなかったのだ。
なぜかというと
親子二人で勤めるときは、前住職が導師をするということになったからだ。
「そうか・・・、やっぱり親父が子供のカバン持ちじゃ恰好がつかんからナー」と、マンザラでもなさそうだった。
そこで、父は言った。「ところで、法話は誰がする?」

「当然、導師だよ。 カバン持ちが導師を差し置いて法話なんて、それこそ恰好が悪い!」
「えっ、そうか・・・・。仕方ないな」  (  ヤッター  0(^0^)0   )
 
てなわけで、さらに10年、父の法話を聞いているふりをしながら
「冷えたビールを早くのみたいな・・・」などと、心ここに在らずの状態だった。


【ある出来事】
父の入院から死後数か月、その時々に思いつくまま(適当に)話していたが、あるひと言で
「これではいけない」と思い直す出来事があった。
四十九陰法要で法話をして、その後のお斎の席で、その家の40歳代の長男がビールをつぎながら言った。
「今日はどうもありがとうございました」  (いえいえ)
「ところで今日のお話は、初七日のお話と同じでしたね。まあ、同じお話を何回聞いてもいいんですけど…」 
(エッ、それは失礼)

また、
年下の「同朋会推進員」から聞かされた話がある。奥さんの実家の遠縁のお通夜に出席したら、
同じ村の住人と思われる人たちに混ざって後ろの席に座っていた。地元のご住職が法話を始めると
後ろの席同士の話し声が聞こえた。「アチャー、またおんなじ話らっやー」と。
この話をしてくれた彼も2年前に若くして急逝したが、実は遠まわしに私に言ってくれたのだろうと思っている。

私の耳に入ってこないだけで、ほかにもあったかもしれない。それから簡単なメモを残すようにした。
ワープロからパソコンにかえてからはエクセルを使うようになる。

【年月日、地区名、喪主、フリガナ、仏事名、法話のメモ、葬儀会館名、司会者名、伴僧名】

すると、日付順を名前順に変更するだけで、その家で話したことがいっぺんにわかる。これは便利だ。


【便利さ 故に…】
1年、2年は問題なかった。それが3年、5年経ってくると予期しない問題がおこってきた。

まず、地元の仏事では必ず同じような顔ぶれが並ぶのだ。
田舎だから、実際の親戚ではないけれども、「となり親類」とか「親戚づきあい」とか、5代前のバアちゃんの実家だなど。
ということは、その家の本家、分家はどこか? 親戚として誰が来るのかを考えて
エクセルでメモを調べなければならない。 (/_;)

それから、お通夜の法話がもっと大変。
この地域は、お通夜の出席人数はご親戚の多寡にかかわらず、だいたい100人〜150人くらい。
するとその内の4割〜6割、場合によっては8割が地元の人だと思っていい。
ならば、喪主が違っても、お通夜会場には年に何回も会っている人がいるということだ。

そんなことが気になり始めると、だんだんと深みにはまっていく。この会場は遠く離れたところだし、
地元の人はいない。この家族の前では話したことはない。これなら何でもOKかと思ったら、
坊守(妻)が居た。これがクセモノ・・・。
以前、ご法事の後法話をすると、さすが人前でもあるので神妙に聞いていた。10数分後、話に一段落がついて
坊守が「これで終わり (^-^)v 」と思ったところに、私が「ところで、お経の中にこんな話が・・・」と言うと、
坊守の肩が「ガクッ」となったのを目の端で見た。この話なら何分、この話を付け加えるともう何分と読まれているのだ。

だから、お通夜に出発する前に、今晩はこういう話をと決めていても、横の坊守を忘れていたり、
司会者が同じだったので、お勤めの最中に違う話を考えていたこともある。

また、
数年前まである葬儀会館の進行役をしていた女性が言った。
「よかったー、今日の法話は○○寺さまで」 「そんないい話、したかな?」
「そうじゃなくて、いつも15分以内に終わるじゃないですかー。今日も13分」 「アッ、時間の事ね」
「ほかのご住職はどうなの?」
「いつも40分もお話しされる方がいらっしゃるんですよ。話の最後のところが決まらないというか、
同じようなことの繰り返しで、それだけで倍の時間になっちゃうんです。それも、いつもいつも同じ話を」

「どんなお話しされてるの? 参考までに」
「実は聞いていないんです。いつもお話が始まると耳をふさいでますから」 「アッ、そう」


【その方向】
同じ人が一人でもいれば、同じ話をしないことを信条にしていたけれども、
近ごろ、その方向は違っているのではないかと思っている。


【本当の名人は】
ある友人が言った。「父はお通夜ではいつも同じ話なんです。それも一言一句たがわずに」
その友人の父親を存じ上げていますし、お通夜の法話を何回か聞かせていただきました。確かに数年を経ても
同じお話しでしたが、周りで「アチャー」というため息声を聞いたことはなく、「いつもいいお話しだね」という
感想が聞こえるし、私も新たな感動で聞かせていただいている。

ようするに、目新しい噺ではなくて、話の内容が人の胸を打つかどうかなのですね。

(続)