だれにも言えない話



60 【 紙オムツ

 3年前にリフォームしたダイニングキッチンの隣りの一室を、昨年リフォームした。築40年の8畳間で、床下はもちろん天井にも断熱材はなく、冬は押し入れや畳のすき間から冷たい風が吹き込み、ガラス1枚の窓に近づくと冷気が感じられる部屋だった。

 大工の副棟梁に「部屋中に風が吹き込むんですが」と言うと、「それなら家が長持ちしますよ」だ…。妙に納得。

 念願かなって、冬も快適に使えるように息子夫婦にリフォームの相談をした。これから長く使うことになる息子夫婦たちの意見も取り入れるのは当然だ。

 彼らは、
 「窓はベッドの高さに合わせて、寝ていても外が見え、しかも布団が落ちないように」
 「押入れはクローゼットに、紙オムツを入れるスペースも十分に」
 「台所仕事をしながらベッドの様子がよく見えるように、ダイニングとの間の扉は全開式に」
等々、これで、(昨年)初夏に産まれる予定の孫の準備に間に合った…、と思った。

 ところが、ベッドとは「介護ベッド」のことで、紙オムツは「大人用」のものらしい。ご配慮は有り難いけれども、まだまだ働く65歳。当分、孫の遊び場に使ってください。



59 【 日 本 酒 】

 法事や祝儀の際に使われる定番が日本酒2升入りの箱だ。しかし、まったく酒が飲めない家庭に大量の「上棟祝い」や、火事で類焼して家が無いのに、よりによって大量の「近火見舞い」の日本酒が届けられたこともあった。

 20年ほど前のご法事の席で、あるご親戚の方が挨拶をして日本酒2升の箱を横にし、その上に御仏前などの包み物を乗せてご主人に差し出した。ここまでは他の人と同じだ。
 ところが、ご主人は「これはどうも」と言って、箱の横っ腹を軽々と片手でヒョイと持ち上げて床の間に置いた。その場の誰も気づかなかったようだった〈ところが家政婦は見ていた…〉。
 何という恐るべき握力だ。これは箱に入れた「水カステラ」をドッコイショと持ち上げる笑い話と真逆ではないか(落語『禁酒番屋』)。

 あとでご主人に聞いたら、「イヤー気づかれましたか、あれは日本酒がたまってしまうから、特に親しい親戚同士で、お互いに空箱を持っていくことにしたんですよ、それだと見た目もいいしね。今度はドッコイショと上手に運びますよ」



58 【 中央沈黙講習会 】

 「あなたは一体どういう方ですか?」と、まったく変な言い方で問ったときに、
 「私はすっかりお念仏にハマってしまいました」という答えが返ってきた。

 4月、同朋会館での研修の2日目に、両堂の晨朝にお参りした。阿弥陀堂が終わって、御影堂に移ったところで考えた。いつもはやや後ろで参拝者がほぼ全員見渡せる場所に座るのだが、たまには一番前に座ろうと。

 それも、御影の真正面ではなく、ご門首が座られる向畳(むこうじょう)の真後ろにと思ったが、その席にはすでに男性が座っていらっしゃった。仕方なくその男性の右隣にピッタリと座ってご出仕を待つ。(以下 
Kさんという)

 ご門首がご出仕されるところで驚いた。ほとんどの参拝者が(たぶん)、ご門首のお顔をよく見ようと背伸びまでして見ているのに、Kさんは、やや頭を下げて着座までお迎えする。暢裕鍵役ご出仕の時も、さらにお二人の退出の時も同様だ。

 正信偈が始まると、緑色の『大谷派声明集上』を開いて一緒に唱和する。(その本は8,000円くらいするんですよ) それも、声が大きからず小さからず、堂衆の声明より先んずることなく遅れることなく、じつに見事な「同朋唱和」だ。繰り読みの和讃もしっかりと対応している。

 『御文』拝聴の作法も完璧。ご門首が仏供(仏飯)をそなえられ、合掌礼拝される時に、Kさんの「ナマンダブツ ナマンダブツ」のお念仏が実にさわやかだ。たとえそこに100人いても、Kさんのお念仏は一際清々しく堂内に響くことだろう。


 2日目の晨朝参拝で、どうしてもそのことが気になって再び同じ場所に座ったら、やはりその場所に座っていた。(正確にいうと、御影堂では、その方の指定席を空けて、私が先に隣に座ったていたのだが)
お互いに黙礼してお勤めが始まった。昨日と同様に何もかも完璧だ。しかも再び素晴らしいお念仏。やはり、たまたま京都に旅行に来てというわけではなかったと確信した。

 晨朝が終わって広縁までで出てから声をかけた、
「あなたは一体どういう方ですか?」と。
毎日、中京区から自転車で晨朝と、午後の「しんらん交流館」の法話を聴聞しにくるという方でした。(50歳前後?)
 そこで長い時間話し込んで(同朋会館の朝食が片付けられていました)、私が翌5月と、6月にも来ることを伝えると、しっかり待っていてくれました。


 5月の晨朝には、同朋会館の宿泊者が「子ども奉仕団事前研修会」と、外泊の「中央声明講習会」の面々がお参りでした。皆さん一応間衣・輪袈裟です。
 いつものように(今回は3日間)、Kさんの爽やかなお念仏とともにお念仏を称え、御影堂門から六畳通りまで話ながら行くと、「あの『中央チンモク講習会』の方たちは・・・」ということばが。
「何です、そのチンモクって?」 「あの講習会に来ている人たちは、お念仏の声を出したいのだけれども、必死にこらえているようです。だからお念仏の声を出さないための講習会なのではないですか」

 「ああ、『中央声明講習会』ではなく、『中央沈黙講習会』ですか、ナルホド」
二人で大笑いしたけれども、宗門の僧侶、しかも高度な声明(?)を学ぶ方たちがこれでは大変なことだと思った。
 そのことを憂いているご門徒が、毎朝参拝していらっしゃることを伝えたい。
称名とは聞名、我が声でお念仏を称え、その声を如来の呼びかけとして 我が耳で聞くことなのだ。心しなければならない。

    
みほとけの み名を称える我が声は わが声ながら尊とかりけり (甲斐和里子)



57 【 弥次喜多 道中 】

 京都・東本願寺の同朋会館で2泊3日の研修会に出かけることになった。東三条駅から教務所の職員と2人、ほかの参加者は長岡駅と柏崎駅で合流する(予定だった)。

 8時09分発の特急に乗り遅れないように30分も前に駅に到着、担当の職員も20分前に現れた。3番線2号車の列車表示札の前で、京都に着いてからの日程の再確認。まだ15分ほど時間があったので、他の研修会の課題にまで話は及んだ。

 ところが、話の途中でその職員が腕時計をのぞきこんだ。
「人が三条教区の大事を話しているのに、いかにも話を打ち切ろうとする態度は、たいへん失礼なヤツだ」と思ったら、彼は叫んだ「あー!」 「どうしたの?」
「今、8時19分です」 「それが?」 「10分も前に特急が行っちゃったー」。

 2人が熱っぽく話している間に、大音量のアナウンスの中、目の前に特急列車が停まり、そして出発してしまったことを、まったく気が付かなかったのだ。
 教務所の黒いクラウンで京都まですっ飛ばして何とか間に合ったものの、とんだ弥次・喜多道中だ。

 車を京都で売り飛ばして、その金で一杯飲んで、悠々と汽車で帰ろうという画期的な提案はあっさり拒否された。



56 【 救急車 】

 2回目の救急車だった。初体験は付き添い乗車で、見るもの聞くものが珍しく、子どものような自分が可笑しかった。

 中でも運転席越しに見える景色は爽快だ。サイレンに気づいて道路わきに退避する車、交差点に青信号で入ったのに急停車。「この葵の紋どころが目に入らぬかー」と、天下御免の一本道だ。

 ところが、患者として乗っているのは全く面白くない。無線で「はいはい、患者は70歳ほどの男性、あれ65くらいかな?」(そんなに歳とってないヮ)。「1.5リットル ほどの吐血確認」(ゲッ)。「少しモウロウとしています」(普段からボーとしてます)。
 ストレッチャーごと乗せられたので、揺れるやら狭いやらで散々だった。

 同乗して心配顔でいる長男に、こっちに来いと合図。さては最後の遺言かと耳を近づける長男に、「救急車のベッドより、敷布団と掛布団のある棺桶の方が寝心地がよさそうだ」と言ったら、こんな時に冗談は言うなと叱られた。心配するなという親心が分からないのか。



55 【 クレーマー 】

 40年ほど前、北陸線で京都へ向かった。ところが途中の駅で「臨時停車いたします」のアナウンスがあった。
 20分後に「もうしばらくお待ちください」。車掌さんに苦情を言った人がいたのか、再度「事故処理を行っているためもうしばらく停車いたします」とアナウンス。

 近くの車両に車掌さんがいたら事情を聞いたり、発車見込みを聞けるけれども、少しずつ話が具体的になってきた。お昼にはまだ早かったけれどもこの機会にガサガサと駅弁を開ける音と、やり場のない憤懣の声が車内のあちらこちらで聞こえていた。

 ところが余程しつこいクレーマーがいるらしく少しキレた車掌さんの車内放送で、一瞬にして駅弁の音と怒りの声は消え失せた。
 「ただ今、この先の駅構内での人身事故処理のため停車しています。なにしろ400メートルにわたって肉片が飛び散りそれを警察官と駅員が拾い集めております…」。  それでも『牛肉のそぼろ煮弁当』は美味かった。


         ※ クレーマー:しつこく苦情や言いがかりをつける人


54 【 ファースト ペンギン 】

 本堂とお庫裏の間の中庭に、枯れかけた楓の根に沿って、キノコが大量に生えてきました。【写真】

 朝6時の梵鐘を撞きに来られた方お2人が「これはヒラタケに違いない」と採って行かれました。早速キノコ汁で食べるとおっしゃっていました。明朝、元気なお二人の顔を見たら、私も食べようと思います。

 そんな勇気と、多くの犠牲があって人類の発展があったのですね。
朝ドラ「あさが来た」で、ディーン・フジオカさんが言った「ファースト・ペンギン」を思い出しました。



 ※氷原に開いた穴の中に、 魚がいるのか獰猛な肉食獣がいるのかわからないのに、一番初めに飛び込 むペンギンのこと。 大きな危険と引き換えに、時に多大な利益を手にすることができる。


53 【 正 座 B 】

 苦手な僧侶にとって正座は永遠のテーマ。まずいかにして長く座り続けるか、この1つめのステップは簡単にクリア出来る。ただひたすら「ガマン」すればいいのだ。

 その後いかにしてスッと立ち上がり歩くことが出来るということは、慣れとか訓練すれば出来るというものではない。いわば天性のものだということをこの40年で悟った。その天性がないとどうするか。「ごまかし」しかない。

 額にツバをつける、頬のツボを押す、足の親指を組み替える・・・。要するに完全に足がしびれていても、立つ3分前に一時的にしびれがとれていればいい。あらゆる方法を試してようやく1時間半以上座っていてもスッと立つことが出来るコツを会得した。

 ところが、ある研修会で、本堂で正座を始めて15分、後ろから「お電話がかかっています」との小声が。「はい」とは言ったもののしびれて急に立つことは出来なかった。
 「次から電話がかかってくる3分前に知らせてください」


52 【 死 ん だ 魚 】

 二男が小学生のころ(回る)寿司屋さんに連れていくと、まず「納豆巻きをください」と注文する。それを食べ終わると「次も納豆巻きにしようかな」と。
 次は「もう一つ納豆巻きを」。最後に「シメはやっぱり納豆巻き。サビ抜きでね」と、1本指を立てての注文だ。

 「お客さん、納豆巻きは初めからワサビは入ってないんですけど」と言いたげな店員さん。初めて見る食べ物は、猫のようにクンクンと臭いを確かめ、それでもあやしいものは絶対に食べない超偏食者の彼が、京都の高校で寮生活をすることになった。

 朝夕と昼の弁当の3食は出されたものを食べるしかない。しばらくして偏食が心配で電話した。
「好き嫌いしないで食べているのか?」
「寮のおばさんが料理が上手で、弁当のご飯も超大盛りにしてくれる」
「それはよかった」
「でも、ときどき死んだ魚が出るんだ。それだけはちょっと…」
「えっ、死んだ魚?、・・・・・ 刺身と言え刺身と」

相変わらず生魚が食べられないのは小学生時代のままだった。 生きている魚の方が食べにくいと思うけど。


51 【 注 射 嫌 い 】

 保育園の時、園児全員に予防注射があった。その時、3歳児ながら、ただ2人だけが、けなげにも自己判断でキッパリと注射を拒否(泣いて逃げ回り)したにもかかわらず、後日強制連行され、押さえつけられて注射されてしまった。そのことがトラウマとなってか、今でも注射針を見るとぞっとする。

 先日、久しぶりに点滴をしなければならない羽目になった。点滴20分後に「採血します。反対の腕を」。5分後に「別の検査で、もう1度採血を」。
 10分後に「今までの点滴は臨時のもので、針を抜きます。今度のが本当の点滴です」(腕に穴を開けるのなら、1つだけにしてもらえませんか)。

 その最後の点滴針の挿入が悲惨だった。40歳代とおぼしき男性が「はい痛いですよ」(若い看護師さんより何か安心感が 、でも普通は『チクッとしますよ』じゃないの)。
 「あれ? おかしいな、このへんのはずなんだけど」(イテテ本当だ、おいおい針刺してから血管を捜すなよ)。「仕方がないなあ、もう一遍やり直すか。ありゃりゃ、腕が血だらけだわ」(抜いたらすぐに押えなさいよ)。
 「おーっし、今度は一発で決まった」(ウッソー、一発じゃないだろ)。
 「痛かったですか?」 
 「いえ、全然」 (^_^;)


50 【 「 ワ ラ 」 を 飲 む 】

 先日の新聞に外国生活を経験した少年の投稿が載っていた。

 少しは英語の語学力(文法)に自信があったつもりだったが、英語圏ではない国で、同世代の少年らが他国語の英語を自由に話すが、その英語が聞き取れない、また自分の発音がまったく通じないということにショックを受けたとあった。
 少年は、その苦い経験から、受験英語ではなく会話中心の英語教育にすべきだと訴えていた。

 元高校英語教師だった方からこんな話を聞いたことがある。同僚の英語教師が初めて海外旅行に行った。もちろん「英文法」には自信があった。アメリカの航空機に搭乗し、のどが渇いたのでスチュワーデスを呼んで水を注文した。「ギブミー、ウオーター、プリーズ」と。

 すると「ホワッ?」と理解できない様子だ。何度も「ウオーター、ウオーター」と繰り返すが無駄だった。ところが隣に座っている外国人が「ワラ」を注文した。すると、スチュワーデスはにっこりと微笑んで水を持ってきた。それを見て、試しに「ワラ、プリーズ」と言ってみたら水が運ばれてきた。
 日本に帰って同僚の英語の先生に言った。「驚きました。水を英語ではワラって言うんですね」と。

 年号を暗記する、公式の解き方を習う、文法の決まりを覚える。これでは学習意欲も無くなるし、実際役にたたない。私たちは少し歳をとって、少し仏事の場数を踏んだだけで、仏法が分かっているつもりでいる。


49 【 セカンド オピニオン 】

 かかり付けのお医者さんの意見だけでなく、他のお医者さんの意見も聞いて納得の上で治療方法を判断することをいう。なかなか主治医との関係悪化を心配してセカンドオピニオンを求める人はまだ少数派だ。

 30年前、父と同世代の寺の総代さんが言った。
「オイ、当院。この前大変な発見をしたんだ」
「どんな」
「三条別院での研修会に誘われて行ったらいつもアンタのお父さんが話していることと、京都から来られた偉いご講師さんの話の内容とが全く同じだったんだ」
「同じようなこともあるでしょうね」
「イヤー、アンタのお父さんは、まんざら出まかせを言っていたわけじゃなかったんだなー。ほんとにビックリした」。

 以後その方は同朋会に入会し、寺の諸行事、研修会への参加はもちろん、本堂内の貸し出し文庫のほとんどを読破された。もしかして現住職が適当な出まかせを言っていないか、多くのご講師のお話を聞いてみるのも大事です


48 【 偽 黒 帯 】

 むかしブラジルに赴任したばかりの時、日本で知り合いだった開教師の先輩の寺を訪ねた。
 その人は大学卒業後に北欧で空手の指導をしていたという猛者だ。予想通り3年前から現地の青年たちに空手を教えていた。20歳前後の青年といっても、これが同じ日系人かというほど体格がいい。

 練習の見学をしたいというと、道着に着替えろという。帯はこれしかないと黒帯を渡された。
「あのー、白帯はないですか?」
「黒しかない」。
 紹介された(ポルトガル語)とたんに20人ほどの教え子たちに緊張感が走ったのがわかった。
「いま何て言ったんですか?」
「この日本から来た空手の先生は気が荒いから、たるんでいると殴られるぞと言った」
「バカな」。

 とりあえず、誰からも見えない一番後ろで見よう見まねで空手のお稽古だ。みんなの真似をして横に拳を突いたら本堂の柱に「ゴン」(イテー)。
「空手の先生」がひっくり返って悶絶している姿を真面目な生徒たちは誰も気づかなかった。



47 【 親 分 】

 ひと昔前、三条別院での会議が終わった後、ある男が大学時代の同級生と本寺小路で飲んでいた。大学の柔道部と剣道部の元主将同志だ。その友人は特攻帰りで、しかもかなりすごみのある面構えで有名だった。

 その店に「その筋」の若いモンが入ってきて、威勢のいいタンカを切って客を一瞬にして黙らせた(はずだった)。ところが意気揚々の若いモンに少しだけ聞こえるように男は友人に言った。
 「親分、この辺の若い奴らに一発あいさつしてもいいかね」
 「マー、この前みたいにあんまり荒っぽいことは止めとけや」。

 そのダミ声が聞こえたのか、その若いモンは「ちょっと便所へ」と言って、こそこそと奥に消えた。今度は便所の中にまで聞こえるように言った。
 「いまのヤロー、出てきたら半殺しにしてもいいですか」
 「手足の一本ぐらいにしとけや」。
店内はさらに静まりかえった。ところがその若いモンはなかなか出てこない。無理に扉をこじ開けたら、トイレの小さな窓から逃げてしまっていた。ある男と友人は子供向けの人形劇が得意だった。



46 【 幽 霊 船 】

 10年ほど前に等運寺の「サマータイム」を提案したことがある。すなわち希望があれば地区内に限って、月参りを午前5時〜7時に伺うというものだった。その時の申込者はたったお1人のみ、けれども涼しい時間に2人でお勤めするお正信偈は清々しかった。

 さらにもう数年前に、月参りのほかに「お盆参り」をしていた(今は8月も通常の月参りのみ)。お盆の朝の7時ころからお参りを始めないととても間に合わない。ところが、その時間の仏間は東京方面から帰省した家族がまだ雑魚寝している時間帯だ。
 おばあちゃんは大慌て、「ほら、オメ達起きれ〜」。そこで遠慮していたら遅れるばかりなので、「ハイハイごめんなさいね」と、頭をまたぎ足を踏みながらお内仏の前にたどりついて短めの読経。

 お勤めが終わって後ろを振り返ると、そのパターンは3つだ。
 @すべての布団や荷物、人間の気配さえも見事に消え失せている。
 Aまるでバミューダ・トライアングルの幽霊船のように、生活感をそのままに一瞬にして人間だけがいなくなっている。
 Bもっともお気の毒なのが、全員がタオルケットをかぶってただ息をひそめている。

 これがおかしいやら申し訳ないやら。




45 【 最後の車 】

 2台の車が直し直しで、ともに走行距離20万キロを越えた。いつもの15年サイクルで、とりあえず私が乗っている1台を買い替えることになった。いつもの通り仕事でも使える多用途車になるはずだった。

 ところが、坊守がこの時ばかりはと長男に言った。
「お父さんは30年間、乗りたい車をず〜っとがまんしていたんだから、今回だけはお父さんに好きな車を選ばせてあげてね」
「いいよ、好きな人と結婚できたんだから、これ以上は何も望まない」と私。
「また〜、そんな冗談言って」(そう冗談でした・・・)。

「あのね、お父さんの年齢から考えるとこれが最後に乗る車になるんだからね。自由に選ばせてあげてね」。

 この強烈な一言が決め手となって車選びをすることとなった。翌日から喜々としてディラー数社を回ってカタログを集め、試乗もさせてもらったけれども、どうも「最後の車だから」という言葉が気になって仕方がない。
 もっと正確に言えば、私の『最後の車』は黒いキャデラックか白のリンカーンだろう。しかも横になって楽々と。