新飯田小学校「青い目の人形」物語
 
(その歴史と埋もれた真相をたずねる)


新飯田小学校の PTA役員だった時(2003年度)に、「PTAだより」で特集した記事です。
この「特集」を組みたいと思ったのは、珍しい人形の紹介もさることながら、
ある新聞記事をきっかけにして、全国的に広がっていった人形廃棄事件には、
国民を巧みに操作しようとする国家の意思がはたらいていることを
明らかにしておかなければならないと思ったからです。。

人形の処分は、必ずしも子どもたちや教職員の意思によるものではありません。

この事件は、「靖国神社問題」の背景にある思惑と、無縁ではありません。
もちろん「イラク派兵問題」と、
その後に起こりうる政府の言動にも惑わされないようにする必要があると思います。

  ジョアンちゃん
横にすると目をつぶりますが、もう「ママー」という声は出なくなりました。

【人形保存の真相】(主題)

 新飯田小学校に「青い目の人形」があることは、新聞紙上で何回か取り上げられたり、校長室の前に展示されていますので、地区内のかなりの方がご存知だと思います。
 戦時中、敵国の人形だとされ、全国12,792体の青い目の人形の、約98%が焼棄されたにもかかわらず、新飯田小学校に残されていることは、単なる偶然だったのでしょうか。

 私たち教養部では、当時の異常な状況下においても、時流に流されず、「非国民」呼ばわりされるのを覚悟で人形を守り通した先達の歴史を掘り起こし、記録として残さずには人形の価値は半減すると考えました。

 「絆」(PTAだより)担当となってから、今年度のテーマとして調べてきました。しかし、結果としてはわかりませんでした。

 ただし、「伝聞」としては残されていました。人形到着時(昭和2年)小学生だった方、全国的に人形が処分されたころ(昭和18年)小学生だった方の、また当時の教職員の構成と遺族の証言からの推測、また現在残されている史料などから、証拠はありませんが、現時点では真相に限りなく近い「伝聞」として記録しておくことが大事だと思いました。


【人形贈呈の経緯】(史実)

 1927(昭和2)年、カリフォルニアでの日本人移民排斥運動を知った親日家の米国人実業家、シドニー・ルイス・ギューリック氏が、「世界の平和は子どもから」の理念を掲げ、全米の教会、学校、PTAなどに人形贈呈を呼びかけました。

 その結果、260万人もの人々の協力を得て、12,792体の人形(英語では、Friendship Doll)が、日本の「ひな祭り」に合わせて小学校や幼稚園に贈られました。

 新飯田小学校のジョアン(Joan)ちゃんは、イリノイ州シャンペーンIllinois  Champaign. シカゴの南南西120qにある学園都市)から贈られました。

 同年のクリスマスに人形 受領校の児童が一人一銭を出して、各県一体ずつ、計58体の「答礼人形」がアメリカに贈られました。

 数が少なかったのは、量より質を重視して、美術的かつ大型(約76p)の高級人形を製作した結果、アメリカの人形1体が3ドルに対して、一五〇ドル(当時の小学校教員の月給約9ヵ月分)したそうです。

 新潟県からの答礼人形「新潟雪子」は、コロラド州デンバー市の図書館に現在も保存されています。


【戦争突入】(報道)

 日米の人形交換の願いもむなしく、戦争が始まってしまいました。それでも全国の学校では人形を大切にし、「ひな祭り」には一緒に飾られたという記録があります。

 戦争中の1943(昭和18)年、ある東北の郡教育会で、青い目の人形の処置について話題になりました。そして、5年生以上の児童に人形の取り扱いについてアンケートをとった結果が、2月19日付のM新聞に掲載されます。

 いわゆる「時代の迎合記事」ですが、アンケート結果と文部省の課長の談話が下記のように報告されています。


「仮面の親善使、青い眼をした人形 憎い敵だ許さんぞ」

 …約15年前日米親善のふれこみで米国からわが国の各小学校へ一体づゝ寄贈になった「青い眼をした眠り人形」は今にして思へば恐ろしい仮面の親善使であった…。人形の処置の答案をとった。
 (初等科5年生以上 特修科まで)

   破 壊     ・・・・・・   89名
   焼いてしまへ  ・・・・・・  133名
   送り返せ    ・・・・・・   44名
   目のつく処へ置いて毎日いぢめる・・31名
   海へ捨てろ   ・・・・・・・・ 33名
   白旗を肩にかけて飾っておく・・・・ 5名
   米国のスパイと思って気をつけよ・・ 1名


 なほ郡教では郡下の人形を一場所へ集め機会ある毎に児童らに見せて敵愾心を植ゑつける方法をとる計画である。


【 文部省国民教育局●●総務課長 談】

 全国各国民学校に青い眼の人形が飾られているとは思ひません。……しかしもし飾ってあるところがあるならば速に引つこめて、こはすなり、焼くなり、海へ棄てるなりすることには賛成である。常識から考へて米英打倒のこの戦争が始つたと同時にそんなものは引つこめてしまふのが当然だらう。この人形の処置について児童に■答を求めるなどといふことは面白いこゝろみである。                                                          ( M 新聞より)


 表向きは、人形の取り扱いについて、@子どもたちへのアンケート、A学校としての人形処分の決定、B文部省関係者の賞讃の談話、という流れになっていますが、実際には、B、A、@と逆向きに圧力があって、子どもたちの意思が巧みに誘導された結果であることは容易に推測されます。


【人形焼却命令?】(粛清)

 また、同年6月9日付のY新聞にも、「米英撃滅敵愾心昂揚のため、アメリカ人形を焼棄」という記事もあります。
 これらの新聞記事の前後、アメリカ人形処分の嵐は全国的に広がりました。終戦までの間に、98%の人形が処分されたようです。軍部から全国各学校へ焼却命令が伝達(昭和20年?)されたという情報もありますが、その事実は確認できませんでした。

 当時の小学生の証言として、全校集会で校長先生の訓示のあと、児童一人一人が交代で竹棒で人形を打ち据えたとか、人形を校門に吊り下げておいて、用意してあった棒で叩いてから登下校し、その後焼却して川に流したなどの証言があります。

 全国に残っている「青い目の人形」の史料を見ますと、そのすべてが戦中、戦後「所在不明」となっており、人形が話題となった昭和40年代後半から50年代に、天井裏、物置などから相次いで発見されました。(200数十体)
 その内、処分されずに残された事情がわかっている人形は数体しかありません。

 また、事情がわからないにしても、発見された場所が、通常考えられない場所であることでも、人形を隠そうとしたことがわかります。


【新飯田小学校では】(証言)

 このような状況下で、新飯田小学校の対応はどうだったのでしょうか。新潟県内に贈呈された398体の内、現存する人形が13体(?)だけしかないことから、単に田舎だったから、全国的な人形処分の風潮が伝わらなかったということではなかったようです。

 調査をすすめる中で、人形が贈呈された当時1年生だった小林レヱさん(館)への取材ビデオに、
「枝村先生が、人形には罪はないのだからといって処分しなかったと聞いている」
 という、『小学校百周年記念誌』にはなかった言葉を発見しました。あらためて小林さんに確認したところ、20数年前に横山栄一さん(仲町・故人)からと聞いたという証言を得ました。


 多くの人形が処分された昭和18年の教職員は、本多佐市校長(金津村)、大野丁五教頭(下中村)、枝村義亮(仲町)、小林(清水)、荒木(児の木)、吉田、幸田の各先生でした。

 もちろん、そのころの時代状況では学校全体の責任が問われる重大事ですから、ひとりの教師の一存で決定できることではありません。校長先生以下、他の先生方も賛同された上のことでしょう。

 枝村義亮先生を知る70歳代、80歳代の数人に、「こんな証言があるのですが、ご存知ありませんか?」と聞いてみました。すると、
「人形を処分しなかった事情は知らないけれども、あの先生ならば、そのようなことを言われたに違いない」
「たぶん、間違いないでしょう」
 と、その話を否定される方は、 一人もいらっしゃいませんでした。


【枝村先生の 人となり】(信念)

 どんな先生だったのでしょう。たまたま、131号の『今でも忘れられない先生』で、山田栄一さん(新町)が枝村先生のことを語っていらっしゃいました。その取材をした時に、限りなく自己に厳しく、他に優しい先生という印象をもちました。

 教師になる前は、横浜で貿易商の仕事をしながら英語の勉強をされていました。身体をこわして新飯田に帰ってから新飯田小学校の先生になられたということです。

 英語力はかなりのものだったらしく、戦前戦後、新潟市の貿易会社からたびたび英語の翻訳や、英文書類の作成を依頼されていました。また勉強中に迷い込んだ虫は、殺さずに紙でそっと包み、翌朝窓からそっと放してあげるという心やさしい先生だったと聞いています。

 いわゆる日の丸・君が代に関しては、人一倍厳格な姿勢を貫かれていた先生であったことはよく知られています。かといって、80歳を過ぎてからも、毎晩英語の辞書を数ページ読んでから就寝するという習慣は変わらなかったということでした。

 一見、愛国者なのか米国通なのかわからないような方ですが、敵対国であっても、その国民や文化、人間の善意には罪はないという意思が貫かれているように受け取れました。


【語り継ごう!】(使命) 

国策と民衆の本意が必ずしも一致しないことは、いつの時代でもよくあることです。

 シドニー・ルイス・ギューリック氏の「世界の平和は子どもから」の理念で「青い目の人形」がアメリカから贈られ、それを歓迎し「答礼人形」を贈ったのは、日米政府レベルの事業ではなく、実質的に民間事業だったことを、取材の中であらためて知らされました。

 残念ながら伝聞と推測の域を出ないままの報告となりましたが、いずれにしても新飯田小学校の「青い目の人形」は、時代に臆せず、平和へのはっきりとした信念をもって残された人形であることを私たちの誇りとし、いつまでも「世界平和の使者」として語り継ぎたいと思います。

新飯田小学校のHPにも同じ記事があります。

実は、当寺のHP作成が短期間でなされたのは、同校の石黒美智子先生のご指導の賜物です。
生涯「師匠」とお呼びすることになってしまいました。(感謝!)


【取材・編集】 新飯田小学校PTA教養部                

【参考】「青い目の人形」青い目の人形アルバム刊行委員会
     「青い目の人形ものがたり」青い目の人形編集委員会
埼玉県平和資料館ホームページ
全国の小学校ホームページなど



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