新飯田 小学校
「鼓笛隊」物語

ない、ない、ない、の三重苦。 それでも鼓笛隊を たちあげた先生と親たちの物語 …


           創立90周年、301人で初の鼓笛行進(古町付近、1964年)

酒井先生は「創立90周年記念」の文字の、「創」の字の下。プラカードを持つ左は本名君、右は池田君、その旗の後、リーダーは斎藤君です。 恥ずかしながら、その後ろの大太鼓は私(住職)です。


【突然の指名】
「やりましょう。あなたが担当してください」と言われ、思わず「えっ!」と絶句した。昭和38年、東京オリンピックの前年、新飯田小学校に「鼓笛隊」を結成することになり、着任したばかりの酒井正二先生(村松町)は、佐藤教頭先生から突然の指名を受けた。
 当時、市内の小学校には「鼓笛隊」という完全な先例がなかった。経験もない、楽器(太鼓)もない、金もない。まさにゼロからのスタートだった。

【金はまかせろ】
 先生の戸惑いをよそに、PТAの親たちが即座に行動を起こした。子どもたちのために、楽器をそろえなければならない。今まで漫然と行っていた年2回の「廃品回収」に、はっきりとした目的ができた。母ちゃん集めて、父ちゃん運ぶ…。鉄類、ビン、紙、ボロ布、当時は相当いい値で売れたものの、所詮廃品でしかない。それでは量で勝負、今までにない善意の大山がグラウンドに出現した。

【指導に四苦八苦】
 太鼓の練習は、初めの数回だけは楽器店の専門家を招いて指導してもらった。黒板に余るほどの大きな紙にリズム音符を書いて、リズムとりの練習だ。ステイックを支給されたものの太鼓がないから、しばらくは机ばかりをたたいていた。   (後ろで 酒井先生も必死に 机をたたいていた)
 先生は結婚3年目の27歳。単身赴任の寂しさを、そのまま情熱にかえて、子どもたちの指導に打ち込んだ。 幸い、音楽で使用する楽器が、ハーモニカから縦笛に移行する時だった。4年生以上の161人あまりは縦笛を持っていたものの、「君が代行進曲」を完全に吹ける子は半分にも満たない。「ダメダー」、「デキネェー」という子には、「親が見ているから、姿勢をよくして吹いているマネをしなさい」と指導した。

【晴れ舞台】
 翌年の10月2日、国道で新飯田小の301人は、東京オリンピックの聖火を迎えたが、前奏も終わらないうちに、アッという間に走り去ってしまったのが妙に悲しかったという。

【よき伝統へ】
 こうして30年前、他校にさきがけて鼓笛隊がスタートした。 当時、宿直室で夜の飲酒は当然だった。特にこの時期、小中の先生方と保護者が入り乱れ、飲みっぷりはすさまじかったと聞く。
 目的より、そのプロセスのほうが結果的に大事だった。今は親となった当時の子どもたちは、その姿を見ていたことは間違いなく、それ以来、本音で語り合い、実際に汗を流して、学校への協力は惜しまないのが新飯田のよき伝統となっている。

【東京オリンピック ・聖火リレー】  写真をクリックすると、もう少し大きくなります。
   新飯田中学校の陸上部員
  オォー、白鳥先生ではないか!
 この頃の陸上部は特に強かった   聖火は、白根高校の陸上部員。
  バックには鼓笛隊
 「予定より遅れているから
 1500mを 5分のペースで走れ!」と
低学年や、長距離部員じゃない者には無理。  高校生は速かった。 女子部員はかなり離されました。保育園児も応援していました。