2006年8月 
今 日 も  お 守 で す ね 】 

 
  
「ピンポーン、○○銀行でございます」
「ハーイ」と私。
「あっ、今日はお留守ですね。また、奥様のいらっしゃるときに参ります」
「ちょっと待った、住職がいるのに、『お留守ですね』はないでしょう」
「失礼しました。それでは、この積立金のこと、わかりますか?」
「わかりません」
「やっぱり、あとで参ります」
「はい、失礼しました」。

 銀行のことは苦手だ。カードといえば、診察券と時代遅れのテレフォンカードの使い方がわかるくらい。でも、ゼロ金利政策について、政府と業界に言いたいことは山ほどあるつもりだ。

 郵便局は「貯金」、銀行は「預金」という。「たくわえる」「あずける」という趣旨の違いだろうが、個人にとってさほど意味はない。
 一方、「預金」は二つのことばが一つになったもの。すなわち、客の立場では「預け金」であるし、銀行の立場では「預かり金」。要するに、方向の違いによって呼び方が違ってくる。その二つの立場を一緒にして「よきん」と読むようになったのは近年のことだ。

 「仏を念ずるのか、仏に念じられているのか」
「亡き人を念ずるのか、亡き人に念じられているのか」。
言葉は同じようでも、その方向の違いによって意味も違ってくる。仏法は、いつも「私」のことを言い当てられるのであって、「私以外の他人」のことを論評したのではない。

 「あなた自身がお留守になってますね」
と、銀行員が教えてくれたのかな。 まったく失礼しました。


                     
          
                                         2006年5月 
どっち が  き ? 】 

 
  
 月参りにうかがうと、いろいろと得(徳?)がある。そのひとつに、生まれたばかりの赤ちゃんに触れること。

 「わーっ、お寺さまに抱いてもらって、この子幸せだねー」。
そんなことはありません。だって、私のギョロ目が怖くて、顔が引きつっているじゃありませんか。

 その赤ちゃんも、少し大きくなると第一の試練が待ち構えている。
「ねえ、ねえ、パパとママと、どっちが好き?」。
 あらためて聞かなくて、圧倒的にママに軍配が上がるのは明らかだが、親であれば一度は聞いてみたい一言。ところが、3歳ともなれば、これは過酷な選択だ。困ってしまう。「どっちが?」という質問に、「どっちも」と答える機転はまだないからだ。

 こんな笑い話がある。小さい子に留守番を頼んで母親が出かけた。心配なので外出先から声を変えて自宅に電話をかける。
 「もしもし、お母さんいる?」
子どもは答えた。
「お母さん、いらなーい」
 と。言い間違えたのかもしれないが、お母さんも安心できない。

 刺身とツマ、寿司とガリ、柿の種とピーナッツ。どちらか食べないというのは個人の自由だが、定番の組み合わせには、ちゃんと制菌作用、口直し、辛さをおさえるという理由があるらしい。それにも増して、お互いの存在を見事に引き立たせている。

 「生と死」。これだけは一方だけを選択したいもの。残念ながら、これはワンセット、表裏一体のものだ。でも考えてみれば、老・病・死があるからこそ、今この瞬間の「いのち」が一層輝いてみえる。
 赤ちゃんのかわいさも、「老」に裏打ちされている かわいさだ。

                     

                                        2006年3月 
ガ リ レ オ の 】 

 
  
 「フレミングの左手・右手の法則」を、中学の頃、試験のために一夜漬けでおぼえたことがある。磁界と電流と何かの方向がなんやら、かんやら…。

 一夜漬けだから、試験の翌日にはすっかり忘れてしまった。でも、それを知らないからといって、今まで生活に支障をきたしたことはまったくなかった。

 そういえば、物の落下する距離は、時間の2乗に比例するということもあった。確か「4.9t2乗」という計算式だ。

 でも、それがどうしたというのだ。落ちれば痛い。落とせば壊れるだけのことだ。

 子どものころ、学校から帰り、薄暗くなるまで遊びほうけた時間がとてつもなく長く楽しかった。一ヵ月以上の夏休みなんか、半年以上の休みにも感じた。それが今ではどうだろう。一ヵ月が一週間、一年が三ヵ月程度にしか感じない。

 そのことをテレビで心理学者が解説していた。
「6歳の子どもの一年は、その子どもの全生涯の6分の1もの年月であるのに対し、60歳の1年は、60分の1でしかない。だから短く感じるのです」と。

 言い方を変えれば、年齢に比例して加速しているのだ。損だ得だ、苦だ楽だと言っているうちに、初めはゆるやかに、いつの間にかとてつもない速さで坂道をころがり落ちていく。しかも悪いことには落ち着く地点も時期も定まってはいない。

 「人生は、以外に短いものだよ」と、ガリレオの発見が教えてくれている。

   

                     
                                        2005年12月 
ザ・ ア ニ ス ト  

 新飯田中学校閉校式で
  
 新飯田出身の若手ピアニスト,、小杉真二さんの手をさわらせてもらった。鍵盤の50pも上から強烈に打ち下ろしても、つき指しないのだから、さぞやタコだらけのいかつい指かと思ったら、意に反して細くやわらかだった。

 一流ピアニストの指とは、強靭かつしなやかで、かくも洗練されているものかと感動した。この指は生まれつきではなく、多くの練習の結果だろう。

 毎日8時間以上も練習する一流のバイオリストの指先にもタコがないそうだ。弦の一点を押さえること以外に余計な力が入るからタコができるのだという。その点、版画家、ソバ打ち、マッサージ師など、手をつかう職人も同じだといわれる。手のタコがなくならないうちは、まだまだ半人前ということらしい。

 何度法話を聞いても、寺から出ると忘れてしまうという方がいらっしゃる。それもまだいい方、話を聞くのと忘れるのと同時進行もある。ちょうどカゴで水をすくうようなものだ。
 蓮如上人は、カゴで水がすくえなければ、カゴ(私)を水(仏法)にひたしておけとおっしゃった。そうすれば、カゴにいつも水が留まっているからだ。

 私たちが、余計な力の証明であるタコ(我執・自力)を頼みとしているうちは、仏法がわからないということだろう。でも、その努力ダコすらあるのか、たれ流しのカゴでも何とかすくい取ろうとしているのかと私自身に問われれば、タコができる以前の問題だった。


     
※ 小杉さんは、ピアノを始めたのが等運寺のピアノ教室でした。ということは、
         私(住職)は、小杉さんのピアノ教室の先輩ということになる。 複雑な思いが…。

   

                     

                                        2005年11月の2 
の 関 係  
  
「おーい、帰ったよー」
 「おまえさん、また飲んできたのかい」
「何言ってんでぇ、亭主が働いて、飲んできて何が悪い。一本つけろィ」
 「ハイハイ」
「なんかツマミはないか。今朝のおしんこがあったろ」
 「食っちゃった」
「納豆が半分あったな」
 「食っちゃった」
「女は、いただきましたというもんだ」
 「ハイハイ」
「あれは…」
 「いただきました」
「まだなんにもいってないだろ、しかしお前はよくいただくやつだな」

「そうだ、まだ横丁のおでん屋があいていたから、なんか買って来い」
 「ハイハイ」
「オイオイ、おしろい塗ってどうすんだ、芝居に行くわけじゃないんだから。髪直してどうすんだよ、お前にゃ頭なんかなくったっていいんだよ。手と足だけあって、オレの世話だけしてりゃいいんだ。さっさと行ってこい!」

「…しかし、ああ言ったものの、この前も言われたよな。あんたのおかみさん、器量よしでやりくり上手、あんたには勿体ない人だよって。実はオレには過ぎたかみさんだと思っているんだよな」
(後ろを振り返り)
「あれーッ、お前まだそこにいたのォ」(落語より)
 
 『夫婦とは空気みたいなもの。生きとし生けるものは空気や水、光が無くては生きていけません。それは、夫婦とて同じでしょう。空気と思えるほどに必要な関係ということです』と、27年前にご夫人を亡くした方がおっしゃった。

 あとから出るのは、バカのチエと、ネコのキンタ○と、円生師匠も言っていた。今言えないから、みんなが苦労しているんです。

    
※ 『夫婦とは… 』知人の寺のホームページにあった言葉です。 
                     
                                        2005年11月 
刑制度と 戦争と  
  
 
 杉浦法務大臣が、一昨夜、就任後の記者会見で、「私の心の問題、宗教観や哲学の問題で、死刑執行命令書にはサインしない」と表明した。

 首相からの注意で、その後、
「他人の命を奪うということは、理由のいかんを問わす、許すべからざるだという気持ちが根底にある。殺人を犯した人でも、一人の人間であることに変わりはない」
と言い換えたものの、死刑制度について、疑問をもっていることがうかがえる。杉浦大臣は、浄土真宗の門徒だと聞く。

 15年前、法務大臣になった左藤 恵さんは、真宗大谷派の僧侶だった。この方も、みずからの信念によって死刑命令書にサインを拒否してきた。1日に23人の執行命令書に、景気よくサインした大臣もいたのに、左藤大臣就任の前後、3年4ヵ月は、戦後死刑史上かつてない死刑執行ゼロが続いた。

 東本願寺も、昨年9月に、
『一人ひとりの人間が、いのちの尊厳において見出される社会の実現を願う教団として、どこまでも加害者の償いが可能となり、被害者にとっても、その苦悩から解放される新たな関係を生み出していくことを願って…』
 と、死刑制度廃止の声明を発表している。

 首相の「ご注意」は、法を執行すべき者が、みずからの信念・宗教観にとらわれることなく、刑事訴訟法(※)を守るべきだという意味だろう。
 これはもっともだ。けれども、私は、反論がとりあえず二つある。

 @1998年に国連人権規約委員会から日本政府に対して、日本の死刑制度の運用が規約に違反するとの勧告がなされている。国連自由権規約は、日本が批准した条約であり、法律に優位する国内法的効力を持つものだ。
 すなわち、現在の日本における死刑の執行は、国際法に違反する違法の疑いが極めて強く、法を誠実に執行する義務を負う法務大臣としては、死刑執行を差し控える義務がある。

 A2001年から2003年にかけて、小泉首相の3回の靖国神社の参拝行為に対して、今年9月30日、大阪高等裁判所が、「国が靖国神社を特別に支援しているかのような印象を与え、特定宗教を助長するような効果があった」と判断し、「憲法20条3項の定める政教分離原則に違反して違憲である」との判断を示した。
 ところが、他人には法を守れと言いながら、首相自身は「私の心情で参拝しているのであって、判決には納得できない」と、司法の判断を遵守する意思が全くない。


 靖国参拝は、一般人のを参拝を否定するのではない。国が特定宗教に関わった戦前の反省から、特に憲法20条が定められているからだ。

 また、今回の自民党の憲法改正案、特に戦争放棄を謳った第9条改悪には、私は絶対反対する。     (11月2日) 

   
※ 第475条 第2項「死刑の執行は、判決確定の日から6カ月以内にしなければならない」(要約)
         

                       
                                        2005年9月 
老の日に  (2) 
 
 
 今年も、各地でお年寄りのご苦労をたたえた敬老会が催された。お疲れさまでした。

 ずっと以前見た生命保険のチラシに、生涯プランが書いてあった。「3歳幼稚園、7歳小学校、12歳中学、15歳高校、18歳大学、22歳就職、28歳結婚、30歳長男誕生、33歳長男幼稚園……、58歳長男結婚、60歳定年、その後趣味をもち余生を送る」。

 複雑な思いがする。予定はそうであっても、ほとんどの人が計算どおりの人生を送ることはできはしない。近ごろは、就職して結婚し、子どもが誕生するなんてことは「超 ラッキー!」の部類に入る。

 逆に、ひとつの失敗もなく理想どおりなればなるほど、それを失うときの苦しみで、生涯戦々恐々としなければならない。これは「天人の五衰」として『涅槃経』で教えられている。

 先達は、人生は長さや太さではなく、深さだと教えられた。失敗を繰り返し、挫折し、裏切り裏切られ、時にはウソもつかなければならなかった。そんな自分を反省し懺悔することのできる身となったことが尊い。

 曲がり角だらけの人生だったからこそ「今日の一日の幸」を喜ぶことができる。お年寄りの後姿がそんなことを教えてくれる。

      
 ※ 「天人の五衰」 : 天人の死に際して現れるという五種の衰えの相のこと。 
                        人間にくらべ寿命が長い分、死への恐怖がはるかに大きい。
                       
 
                                        2005年8月 
ことの こころ 】 
 
 
 「私(住職)の本業は、法事や葬儀ではありません」と言ったら、またまたひんしゅくを買った。言葉はていねいに選ばなければいけないと反省。ただ、いま生きている人が大事だと言いたかっただけ…。

 先日、ある方のご葬儀があった。いつもどおり、葬儀の主人公は亡き方という演出がされていたが、あくまでも仏事の主人公は、亡き方と縁ある生きている方々だ。だからといって、いい加減ではなく、懇ろにお勤めをし、精一杯の法話をさせていただき、勧められるまま、お酒もたくさんいただいた。

 その葬儀で、ご長男は喪主挨拶でこうおっしゃった。
「60歳で蜘蛛膜下出血に倒れた父を、21年間ひと時も離れず介護してくれたお袋に、ひたすら感謝するばかりです。もし、いつかお袋が病気になったときは、何をおいても看病させてもらうつもりです」。
 そして、母親の方に向き直り、「お袋、ありがとう」と、深く頭を下げました。

 そのあとで、私は母親にこう言った。
「あの一言で21年間のご苦労が吹っ飛びましたね」と。
 疲労の極限であるはずのその母親の笑顔は、21年間の苦労が、むしろ21年間の「よろこび」に転じた一言だったことを物語っていた。

 まことの心が母親に届いたのだ。まことの心は、苦労をよろこびに転ずる力がある。まことの心(真理、法、如来)に出遇い得た者は、その境遇に変わりないけれども、その境遇のままですくわれる(安心、往生)ものだ。南無阿弥陀仏とは、まことの心。

                       

                                        2005年5月No.3 
月忌りの目的 3  (長男の場合??)】 
 
 
 先月の初旬、所用で京都に出かけ、長男のアパートに泊めてもらいました。

 朝、アパート所有者のおばさんに出会い、あいさつをしました。ありきたりの会話のあと、おばさんは長男にこう言いました。

「あんたナー、ほんまにええお坊さんになっておくれやす。
 勉強なんか、あんなもんちっともせーへんでもええわー。ええ声でお経を読んで、習字が上手、これが一番立派なお坊さんやー。
ええか、お経と習字だけきばってカンバリやす!」

 長男は、諾とも否ともなく、にこやかに応対していました。

 このおばさんの「はげましの言葉」の感想を、ついに聞かないまま新潟に帰りましたが、あえて聞く必要もなかったと思っています。
                                  (住)
                       

                                      2005年5月 No.2 
月忌りの目的 2  (坊守の場合) 】 
 

  
先代の住職が亡くなり、早いものでもうすぐ まる5年になります。

 それまで、本当に手が足りないときだけの「お手伝い」だったのが、自分でもなにもわからないままにほとんど毎日のように「月忌まいり」に出かけるようになっていました。

 善し悪しは、わからないけれど、私は、寺に生まれ、寺に嫁ぎました。それまでの職場も、寺関係でした。

 完全に治癒することのない病気をもらった私の「世間」は、本当に狭いものでした。そういう私のこころ「世間」を広くしてくれたのが、「月忌まいり」でした。

 各々のお宅に、それぞれ縁をいただく人々(親であったり、子であったり、つれあいであったり…)の月命日に、おまいりさせていただいています。最近、一緒に「お正信偈」をよんでくださる方が増えたことも小さな喜びです。

 おつとめの後、お茶をいただきながら、お話を伺うことにもひとつの意義を感じています。

 けれども、お留守のお宅で、お勤めさせていただくこともあります。私は、留守のお宅は、よりいっそう「ねんごろ」に、勤めさせていただくようにしています。

 何故なら、お留守でも、命日を忘れずに、お華とローソクを取りかえ、きれいにお内仏のお給仕をしてから出勤されるお姿が目に浮かぶからです。

 心はあっても、身は置けないという、現代社会の厳しさも感じる「月忌まいり」なのです。

                                              (坊守)
                       


                                            2005年5月 
あぁ 哀しき市民 】 
  
 
 
先月、新飯田のどなたかが1億円の宝くじが当たったという話を聞いた。よかったですね。

 お参りの後、お茶をいただきながら、もし自分が1億円の当選者だったらどうするかという話題になった。

 世界一周旅行するにも、その暇がない。車を、しかも黒い車を1年以上洗車したことがないくらいだから超高級車という趣味もない。お酒は焼酎で十分。借金はとりあえずない。ということは、今私に1億円あっても、つかうアテがない、有効につかいきれる器ではないということがわかった。

 落語にこんな話がある。

「ヤイ起きろ」
「アッ、おじさんこんにちわ」
「こんにちわじゃねえ。こんな真昼間に、いい若いもんがゴロゴロ昼寝してるヤツがいるか。性根いれて働け!」
「働いてどうするんです?」
「働いてウンともうけるんだ」「もうけてどうするんです?」
「ウンともうけりゃ、いずれ使用人を置いて、働かなくっても、毎日ゴロゴロと昼寝できる身分になれるからよ!」
「おじさん、わたしも働かずに毎日ゴロゴロと昼寝をしてるんですけど」
「ん?」。

人生の達観者か、単なるナマケ者なのか?

 養老孟司の本に、「人は数字を見ると思考が停止してしまう」とあった。
なるほど、目的のない平均蓄財額(あるいは貪欲)と、意味のない平均寿命(あるいは愚痴)に、自分は「中の上」程度ということで満足する現代人を、「プチ・ブルジョアジー」「あぁ哀しき小市民」と言った職場先輩が二十数年前にいた。

 今あらためてうなずける。他人との比較ではなくて、私の「生まれた意義」ということを考えてみたい。




                                             2005年4月 
月忌りの目的 】 
 
 寺に帰ってから21年、ずっと月忌参りをしている。

 先代からの伝統で、葬儀があっても、法事があっても何とか日をずらしてもらってでも続けてきた。思い違いで忘れることもあった。二日酔いでも、ギックリ腰でも、39度の熱があっても行くことにしている。約束だからだ。

 でも、そこに目的と意味がなくてはいけない。これはお互い様。

 1ヵ月に1度、その家の空気を吸い、一緒にお茶を飲み、家族の様子を聞き、失礼する。ついでにお内仏にお参りしてくる。悪いけど、ついでなのだ。

 亡き先祖の慰霊に行っているわけじゃない。「亡き人には、お供えより、お経が一番のごちそう」という方がいらっしゃるが、お経は亡くなった人のために説かれたものではない。

 私の目的は、そこのご家族に会いに行くのだ。いつもゆっくりお話を聞けないけれども、年12回おじゃますれば、感心するお話を聞かせてもらったり、「ちょっと聞きたいが…」と、質問されることもある。

 近年、日曜日や、時間指定の月忌参りが増えてきた。なかなか大変だがご要望には応えている。応えたからにはこちらからも条件を出すことにしている。

 「一緒にお正信偈を読みましょう」と。

それがきっかけとなって、そこに何が書かれているか、興味をもっていただきたいから。


                                        2005年3月 
念 〜 ン  ! 】 
 
 「バットを振り回す麻薬中毒患者に、警察官が逃げるまわる姿を、
 『国民を守るべき警察官が、真っ先に逃げるとはけしからーん』って…、言うじゃな〜い。  
 あとになって、しかもがっちりSPに守られている人は、何とでも言えるんですからー。
 残念ーン!」

 20年ほど前、2歳の長男をまん中に台所のテーブルに座っていた。
たぶん、「そもそも、女というものは、感情的で、冷静な判断が…。その点男は…」とでも言っていたのかもしれない。もし言っていないとしたら、思っていた。

 その時、とろ火にしておいた圧力釜のフタと中身が、大音響とともに吹き飛んだ。熱い煮物が天井まで達し、3人の上に落下した。
 私は自分の頭をかばい、巧みに避けた。そして瞬時に思った、
「やっぱり、男は冷静沈着だ」と。

 しかし、熱い落下物がなくなったあと愕然とした。私は逃げ、妻は子どもにおおいかぶさり、煮物を頭と背中で受けていたのだった。

 だれしもその瞬間の行動に絶対はない。ちょうど砂利道にボールを転がすようなものだ。条件によってどんな方向へもはじけ飛ぶ。

 唯一無二、不偏、絶対の愛は、如来の大慈悲。逃げた警官も、それを批判する首相も、わが身大事な父親も、たまたま母の鑑となった母親も、凡夫(ただびと)だ。凡夫のままでよいと、凡夫であることが身にしみてこそ、如来の大悲が限りなく尊くありがたい。

  

ど ち ら が 】                               2004年12
 
 今年1年を、漢字一文字でいうと「災」となるのだそうです。特に、新潟県は、台風、洪水、地震のトリプルパンチでした。逆に、一英単語でいえば、ボランティア(volunteer)でしょうか。

 私は、一連の災害にあたっては、ほんの形ばかり足を運んだだけで、とうとう実際にお手伝いをすることはできませんでした。

 以前息子に、「今日こんなことがあった」と話し始めたら、言い訳する前に、こっぴどく叱られたことがありました。

 それはお参りで三条市内を車で走っていた時のことです。老年のおばあちゃんが自転車で、停車中の車を追い越そうとして並びかけました。運転手が急にドアを開けたら、おばあちゃんがドアに接触して自転車ごと転んでしまったのです。

 おばあちゃんは、何がおこったのかわからないまま起き上がろうとしますが、うまく起き上がれません。

 運転手の女性が、びっくりして降りてくると思ったら、開けたドアにいきなり後ろから接触されたものですから、どうやら自分が悪いとは考えなかったらしいのです。

 窓から首を出して、「被害者」として車のキズの有無を確認し、「この程度ならカンベンしてやろう」という顔で、倒れたおばあちゃんをにらみつけながら走り去っていきました。ほんの10秒ほどの出来事でした。

 私はその非常識な光景にあっけにとられながら、結局その車が走り去ったあと、ようやく起き上がり、恥ずかしさに痛さも忘れて歩き出すおばあちゃんをただ見送ったのでした。

 私は、当然運転手が助け起こすだろう、近くの人が手を貸すだろうと考えていました。また、反対車線からでも降りて行くべきか。また、法衣は脱いでいくべきか、加害者と間違われはしないかなどと考えていたのです。

 息子はその小賢しい分別をとがめたのです。
「とにかく降りて、そのおばあちゃんを助け起こすべきだ。何をしていたんだ」と。

 そのとおりでした。今回のボランティアとは異質ですが、常に私の行動は、「どちらが得か、楽か、汚いか…」と、そこから始まることをあらためて知らされた出来事でした。

      2004年12

ん 細 胞 】                               2004年12
 
 江戸末期、特別に日本滞在を許された外国人が、「信じられないことに、日本の家は木と紙とワラで出来ているので、とても寒さに耐えられない」と、本国に手紙を送ったという記録がある。

 その時代に限らず、人間は自然界のものを利用してきた。また、人間の都合のいいように山に穴をあけ、崩しては海を埋め立て、川をせき止め流れも変えてきた。

 いつしか地球上のすべては人間の支配下に置かれ、あとは微小ながん細胞とエイズウイルスさえ制御できれば、地球は完璧に人間のものだ。全世界が人間のために存在するように思えてきた。。

 阪神大震災の時に、テレビ局の記者が語った『イランの老人の話』を、今も忘れられない。この記者は10数年前に、数万人もの犠牲者をだしたイラン地震の被災地をも、たまたま取材した経験があった。

 そこに居合わせた老人に、
 「多くの人を殺した地震をどう思いますか?」とマイクを向けた。ところがその老人は、
 「地震は人も羊もだれ一人として殺してはいません。何万もの人と羊を殺したのは、人間がつくりあげたレンガと建物だった」
 と答えたという。

 このイランの老人のように、大自然に対してもっと謙虚になろう。私たちのいのちを育む大地に対して感謝の念を忘れると、人間は地球の共生者ではなく、地球環境をじわじわ破壊している悪性の「がん細胞」になってしまう。

      

【 娑 婆 を き る 】                               2004年11月

 
 40年前、第二室戸台風、三八豪雪、新潟地震と新潟を相次いで襲った災害が、今年は一度に来たかのようだ。

 果樹地帯の新飯田にとって、度重なる台風被害による減収は、ただでさえ後継者不足に悩む果樹農家にはダメージが大きすぎた。また7・13水害の復興(借金をともなう)がなされぬうちに、地震のダブルパンチに見舞われた方も多い。

 豪雪地帯の地震被害はさらに深刻だ。「一寸千貫」(一寸巾の柱は千貫の重さを支える)といっても、柱が真っ直ぐに立っていての話だ。傾いた家が雪解けのころにどうなっているかは明らかだ。今は、できる支援をそれぞれにさせていただくしかない。

 子どもの持っている百科事典によると、地球の内側は数千度のマグマが対流し、私たちが住んでいる地殻上層部は35qほどの厚さで、ちょうど卵の殻の上に住んでいるような状態らしい。動いているものの上にいれば、時おり表面が動いても不思議ではない。地球が回っていれば条件によって台風や豪雪があっても不思議ではない。

 この私にどんなことがあっても不思議ではない「娑婆」を生きている。娑婆とは 古代インド語(梵語)の「サーハ」という言葉を音写したもの。それを中国では「忍土」(耐え忍ばなければ生きていけない世界)と訳した。この世界が「娑婆」であると思い知らされたとき、浄土を願う心が生まれるのかもしれない。

   

れ で い い の か 】                    2004年9月 
    < 大阪拘置所 >
    

 毎日のように痛ましい事件が報道されている。なかでも、何の罪もなく、逃れる力をもたない幼児が被害者となるケースは言葉を失ってしまう。

 そんななか、付属池田小殺傷事件の宅間死刑囚の刑が、今日(9月14日)とつぜん執行された。異例の早さだ。最後まで謝罪の言葉はなかったようだ。最高刑である死刑が確定し、その執行がなされたことで、法的にはこれですべてが終ったことになるが…。

 否、現実は何ひとつ終ってはいない。むしろ「早く死刑にしてくれ」とうそぶいて、遺族の感情を逆なでし、遺族が救われるキーポイントすべてを抱え込んだまま逝ってしまったことは、あまりにも卑怯だ。あっけない結末は増幅された怨念だけが残ってしまう。

 理想論かもしれないが、犯した罪に対する量刑(むしろその後の過程)は、すべての人が納得するものでなければならない。子どもたちが帰るわけではないが、過去、未来、現在において、被害者と遺族、それに加害者さえも「救われ」なければならない。

「ふとんさま、ぞうきんさまもありがとう」(大阪拘置所死刑囚の辞世の句)と、狭い独房でお世話になったすべてのものに掌を合わせ、粛然と死刑台にむかった人があったと聞く。

 こんなすばらしい言葉を遺すまでに心境が到ることで、遺族と加害者ともに「救われる」ことがある。


 宅間死刑囚らの刑執行で声明送る 真宗大谷派、廃止求め首相に


 池田小児童殺傷事件の宅間守死刑囚ら2人の刑が14日に執行されたことを受け、真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)は16日、死刑執行の停止と死刑制度の廃止を求める声明を小泉純一郎首相に送った。
 声明は熊谷宗恵宗務総長名で出され、「いまだ反省の気持ちを表現するにいたらない人間であっても、かげがえのないいのちとして尊重する社会の実現を願う」などとしている。  
(京都新聞)                                                


     

【 遇 (ぐうえん) の 身 】                     2004年8月 
  
    【写真・新潟日報より】

 
 三条・見附・中之島を襲った7・13水害は、当面の被害はいうにおよばず、今後に及ぼす影響ははかり知れない。

 たまたま12日から15日まで県外に出張していたので、16日から長男の登山用リュックにペットボトルのお茶、インスタント味噌汁などを満載して、とりあえずご門徒さんのお見舞に伺った。

 道路上で身長を超えるほどの水位痕、目を覆うばかりの惨状に、少しばかりのお見舞い品など、何の足しにならないことが思い知らされた。どこに行っても、とりあえず必要なことは、泥をかき出し、泥に埋もれた家財道具を処分する「人手」だった。
 
 一ヵ所だけお手伝いすることもできず、わが身の無力さを知らされながら、お詫びし辞去したことであった。

 ところで、北米大陸のある種の松の木は、毎年大きな「松ぼっくり」を落としながらも、普段は一つも発芽しないという。けれども、落雷などの自然発火で森林火災にあった時、森林は全焼してしまうけれども、その「松ぼっくり」は、5〇〇度の高温で焼かれることで初めて発芽し、ついには元の森林を回復する、というテレビ番組を見たことがある。

 堤防決壊による水害は、単なる人知を超えた「天災」ではないが、「松ぼっくり」に負けない人間の「したたかさ」を願わずにおれない。私たちは、好まざるに老い、願わざるに病み、望まざるに死すという現実に出遇わなければならない『遇縁の身』と、仏は教えられている。

      

【 び っ く り 】                                  2004年5月

 大抵の日本人と同様、麺類が好きだ。背油入りこってりラーメンより、醤油と昆布だしのあっさりラーメンがいい。

 それよりも昼食はうどんを定番としている。うどんを茹でる時のポイントが「びっくり水」。麺の内外の温度差を調整するために「さし水」をするのだといわれている。

 4月は近年になく忙しい月だった。何があっても休むまいと決めた月忌まいりに、前からの約束事、法中寺院と18組の行事。家族の突然の病気に加え、かつてない葬儀の連続。同朋会も住職自身が欠席した。そういえば掲示板がまだ貼りっ放しだ。

 忙しい日常は、生き残りをかける民間企業はその比ではない。とにかく明日食うために突っ走るしかない。

 明日の夢のために頑張ることは極めて人間的だ。しかし、それが際限のない欲望を追い求め、逆にあのころは良かったと過去を懐かしむだけだったとしたら。それでは、たとえ数百年生きたところで、生涯、人として生まれた喜びに出あうことはできない。

 「人生の一大事。今この瞬間のいのちを喜ぶことのできる人間に生まれ変わってください」という「びっくり水」が、通夜や葬儀という仏縁で私たちに注がれている。

 我欲だけの願いと、阿弥陀さまの願い(本願)との温度差を調整する大事な「びっくり水」だ。
                                              

 

【 ようこそ うこそ 】                             (2004年3月)

    善知識にあうことも  おしうることもまたかたし
    よくきくこともかたければ  信ずることもなおかたし

 親鸞聖人の和讃(仏さまの、あるいは七高僧の徳をほめたたたえた詩)の一首です。「善知識」私の生きていく上での道しるべとなってくださる方(物)に出会えるか、否か。

 若い頃の私は、誰彼となく「でもね…」「しかし…」相手を攻撃して私の存在を認めさせようとしていた。その頃、私は病気をいただいた。今度は、「何故、私だけ…」と自分で自分を攻撃し始めた。持って行き場のない苛立ちで、落ち込んでいた。

 そんな頃、恩師の還暦を祝う会があり、出席することにした。先生の挨拶に、「ご遠方から、私のためにありがとうございます。ようこそ ようこそ・・・私も、緑内障、前立腺ガン、腰椎の圧迫骨折等いろいろといただいておりますが、こうして生かさせていただいております。とても有り難いことです」

 以前と全く変わらない表情、物腰に、私の全身から力が抜け、素直にうなずいている自分がそこにいた。

 そうしたら、世の中が、一変してしまった。私に出来る事をできるだけする。無理はしない。人の話が、行動が、みんな私の「善知識」となった。
                                      (坊守)
 


【 私の知識 】
 
 1月18日、午後9時ごろ友人からの突然の電話、
「今、先生の奥様からお電話があり、今日の夕方、先生がおなくなりになったそうです。」
とのこと。頭の中は、真っ白…。

 ゼミの同期で、「還暦祝い」「古希の祝い」といつも纏め役を引き受けてくれている藤井くんに連絡を取りたいとのこと、分かる範囲で、連絡をしてもらいたいとのこと、熱いものがこみ上げてくるのを感じながら、夜遅くまで何かに憑かれたように、電話をしました。

 最後に、先生のところに、お伺いしたのは1年と少し前、
「ようこそ、ようこそ」
 いつもの穏やかな表情が、今も、眼に焼き付いている。先生の自坊での勉強会には、2、3回しか伺えなかったが、いつもかわらず、
「ようこそ、ようこそ」。

 一度、息子と伺ったときに、大変、喜んでくださり、本堂のこと、戦時中のこと等、いろいろなお話をしてくださった。その時、
「私は、どなたが聞いても、うなずいて分かっていただけるような、平易な言葉で、仏法についてお話したいのです」
と言われた。その言葉が、今の私の支えになっている。

 2月12日お通夜、13日本葬と、住職の許しを得て、お手伝いに伺った。各地から集まった先生の教え子たち、人数は、少なかったけれど、別れる前に、先生がよく行かれたというレストランで、夕食をいただいた。

「先生のいない東京へは、もうこなくていい」
と、誰かが言った。 本当にそうだと思う。誰もが、無言のままうなずいた。
                                              (坊守) 
                                
                                                

      

【名ばかりの門徒  ばかりの僧侶】                  (2003年12月)

 「うちのお寺は、それはもう立派なんですよ。お堂は大きいし、お庭もきれい。檀家は1〇〇〇軒というけど、もっとあるらしいですよ」 「それはすごいですね」
「はい、ご院主さまなんか、お経の声はいいし、威厳があって、お衣の色からして位が高いんです」 「いやー、ほんとにすごいですね。(ウチと正反対だなァ)」
「でもね、たまに顔を合わせると寄付の話ばかりだし、酒の席は長いし、おっかなそうで話にくいんだよな」 「そうなんですかー。(自分のことを言われているみたい)」 
  
 いろんな席で、初対面の方から、その所属するお寺の話をお聞きすることがある。
残念ながらステータスシンボルとしての自慢話が一割弱、批判が三割、半ばあきらめ的な無関心が六割というところか。

 「ウチの住職こまったもんだ。あれ、何とかならないか」  これもよく聞かされる。
私も直接言われはしないが、たぶん陰では同じようなものだろう。

しかし、待ってください。お寺は住職のものではありません。1863年ゲティスバーグでの、リンカーン大統領の有名な演説を模すと、
「門徒の、門徒による、門徒のための寺」なのです。

 先月、門徒の方と参加した研修会での、ご講師の話が痛快でした。
「今の寺が悪いのは、住職が悪い。住職が悪いのは門徒が悪い。もっと、住職が勉強せざるを得ないように直接質問や疑問を投げかけなさい」と。

 内緒の話、「それでいいんですか? 親鸞聖人はどうおっしゃるんでしょうか?」
住職は、これが一番こたえる。
                                       
                                               


らず 】                           (2003年11月)

 
 この夏、境内のヘビの番人として3匹目の猫が加わった。
「秀吉」亡きあと、1歳違いの「淀君」、さらに「秀頼」ときたから、当然「千姫」と命名した。ヘビを駆逐する姿は実にたくましい。

 問題の猫が最年長のヨドギミ。何でそんなに自分勝手なんだ。
この2年間、ヘビがいても知らん顔。幼い猫の面倒はヒデヨリにまかせっきり。おまけに、彼らを威嚇しながら食事するとき以外は行方不明じゃないか。
 それに、抱いたり撫ぜたりすると、セクハラされたような目で見るのはやめてくれないか。抱かれるのも「人間への癒し」という猫の大事な仕事なんだぞ。

 2年前、腹をすかせた迷い猫の君を、老猫ヒデヨシがやさしく迎え入れてくれたあの「恩」を忘れたのか? 真夜中のケンカに助太刀をしてもらってあたり前、ネコ用電気コタツがあってあたり前。何もかもが「あたり前」のこととして感謝もしない。感謝どころかむしろ不満に思っているらしい。

 思えば、私たちが「今、ここに、こうして、生きている」ことは、私たちが望んだことでも、選びとった結果でもない。実に不可思議なことだ。
 不可思議なことだと気づき、感動することを「恩を知る」という。
 「恩」を知らないどら猫、実は、それは私の姿そのものだった。
『報恩講』におまいりください。
                                          

(2003年9月)

火の

 「昔、人間がまだ火のおこし方を知らない頃、一人の男が火のおこし方を発見しました。
その男は火の暖かさに喜び、その方法を皆に伝えようと旅に出ました。

 ひどい寒さに苦しむ村に行き、どのようにしたら火をおこせるかを教えました。まもなく村人は全員火をおこせるようになり、村中に火の暖かさと喜びがもたらされました。

 男は別の村に行き、同じように火のおこし方を教えました。しかしその村のリーダー達は火をおこすことがいかに大きな力を持つものかに気付き、その知識を自分たちだけのものにしようと決めました。

 そして火をおこすことを完全に覚えると、彼らは男を殺してしまいました。
 彼らはその罪を隠すため、その男のために大きな記念塔を建て、寒さから村を救ってくれたこの男の像を拝むように村人に言い渡しました。

 礼拝の仕方に関する規則が配られ、火をおこした男の話が書かれました。
 やがて村人はどのように礼拝すればよいのかを知りましたが、どのように火をおこすのかは誰も知らないままでした。

 寒さが村を襲うたび、村人は火を求め、リーダーのもとに走らなければなりませんでした」
                                         (バート・カカヤン)
                                                 



 (2003年8月)

戦後世代の争責任

  『…罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去の帰結にかかわっており、過去に対する責任を追わされているのです。
 過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な(過去の)行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです…』

 1985年5月8日、ウァイツゼッカー大統領が西ドイツ連邦議会で演説した。自国の戦争責任を認識し、戦争中の加害行為に目を閉ざさず心に刻むよう国民に訴え、犠牲者への謝罪の意をこめた『敗戦記念日追悼演説』は、世界中に深い感銘を与えた。

 この演説に先立つこと40年前、すでにドイツは戦前の国旗・国歌の廃止(歌詞の1番)、戦争協力した新聞・雑誌の廃刊、関係者の永久公職追放などと徹底してきた。これら、ドイツの戦争責任への深い認識は、曖昧な今の日本、とりわけ、歴史教科書を書き換えて、忌まわしい過去を消そうという戦争責任とよく比較されている。

 日本は戦後58年、戦後世代は生れる前のことだから「戦争責任」はないと思われるかもしれない。

 しかし、戦争を知らない者こそ、ドイツ大統領の言葉を重く受けとめなければならない。再び「新たな戦前」を迎えないために、むしろ戦後世代こそが自らの痛みとし、過去に関わる当事者であることの自覚が求められている。
                                          



                                        (2003年5月)
ネット  

 以前は「10年ひと昔」と言ったが、I T分野では「半年ひと昔」となった。
インターネットで全国紙、地方紙どころか、世界の有名新聞の主要記事を読むことができる。週刊誌の購読や、時刻表や電話帳、辞書類の検索など底が知れない。これでは数年を経ずしてペーパーレスの時代が来るかもしれない。

 ところが、便利なインターネットが予想のつかない使われ方をされるようになった。見ず知らずの自殺願望の人に呼びかけた「ネット心中」が社会問題となっている。

 「真に話し合える友人がいない」「誰も気にかけてくれない」「あと40年も、同じような生活をすると思うと耐えられない…」。
 トイレの中の孤独感とは違って、満員電車の中の孤独感、一日中メールを送り続ける孤独感は、一層孤独感がつのる。まさしく「現代病」だ。

 釈尊は、独生、独死、独去、独来(人間とは、ひとり生まれ、ひとり死し、ひとり去り、ひとり来るもの)と言われた。これは、誰も自分の人生を代わってくれないという人間存在の厳しさを表しているのであって、「見捨てられた存在」だということではない。

 なぜなら、私たちは自分以外のはたらき、すなわち「他力」の中で生かされている。生きるすべての環境が生まれる以前に整えられていたということを思いかえして欲しい。
 決して見捨てられた存在ではない。