開拓の歴史 屈の歴史 】               2015年12月

 

 先月の『新潟日報』に、北海道新千歳空港に掲げられているプロ野球北海道日本ハムファイターズの巨大バナー広告「北海道は、開拓者の大地だ」が、先住民族の権利を害し不適切な表現として指摘(「北海道アイヌ協会」)され、球団側は、「スポーツにおいてチャレンジし、道を切り開くという意味で使った」が、配慮を欠いていたとして即刻撤去した。

 江戸時代以降に本格化した『北海道開拓』は、アイヌ民族にとっては「先住の土地から追われた負の歴史」だ。本土の和人にとっては「開拓」でも、アイヌにとっては虐殺と追放の歴史だった。こうした歴史を踏まえた配慮が、特に北海道に拠点を置く日本ハムファイターズには必要となる。

 同じような事例に、白人による「アメリカ開拓」がある。フロンティア・スピリットのもとに行われた「開拓」で、500万人とも600万人ともいわれるアメリカの先住民は直接・間接的に虐殺され、中南米では白人が持ち込んだ天然痘、チフス、インフルエンザなどの病原菌のため、免疫力のない先住民の95%以上が死滅したといわれている。オーストラリアにおいては先住民狩りを「スポーツ」としていた。

 琉球王国として450年間栄えた沖縄は、薩摩藩の武力侵攻、明治政府の武力的威圧によって、日本の「植民地」にされ「防波堤」とされた歴史がある。その負の歴史を踏まえ、沖縄に更なる犠牲を強いてはならない。

                   (寄稿 同朋会推進員Y)




 ンタル世界 】               2015年11月
 

 NHK連続テレビ小説『あさが来た』でお馴染みの両替商は、大名でさえ頭の上がらぬ数10万両を扱う大富豪の代表格だった。

 江戸時代、庶民はさまざまなランキングを相撲の番付表風にして楽しんでいた。その中に『諸商売人出世競相撲』という、儲かる商売の番付表が残っている。

 当時の最高位の大関が両替屋と米屋。関脇が造酒屋と唐物屋。小結が材木屋と炭屋とある。別格で、行司が飛脚屋。勧進元が呉服屋。差添人がひがき舩屋(廻船業)だ。

 その番付表の前頭筆頭に、古手(古着)屋、五枚目に質屋の名がある。利益率は低いけれども、それだけ多くの人に利用されたということだ。かなりの一般庶民は、古手屋に夏物を返して冬物を借り、質屋には冬物を質入れして夏物を質受けするという離れ業が当たり前となっていた。要するに必要な時だけ手元にあればいいという「レンタル」感覚だ。

 今日レンタル品目はあらゆる分野に及んでいる。ベビー用品から介護用品。一緒に映画を見てお茶を飲んだりするレンタル彼氏。驚くことに、期間10年の「レンタル墓」というものもあった。まさに「揺り籠から墓場まで」。

 子どもや物を授かるというと聞こえはいいが、自分の手に入ったとたんに自分の所有物となる。預かりものといただけば、いずれお返しするものとして大切にする。この身体も仏さまからの預かりもの。




          【 先人への感謝 誠とり 】               2015年9月

 

 280有余年、風雪に耐えてきた旧本堂内部の柱には、目の高さのところに薄っすらと線が引かれていた。近所の子どもたちが背くらべをしていたわけではない。中之口川が破堤した時の水の痕跡だと聞いた。

 記録によると、中之口川は1778年から1836年の59年間に9回、新飯田地内で破堤している。それも5年間に3回、4年間に3回、2ヵ月に2回など、頻繁にあった。(新飯田の歴史参照
 水害はそれだけで終わらない。汚染された井戸水のため、コレラ、赤痢、チフスによるケタはずれの病死者が寺の過去帳に残されている。

 明治期の度重なる請願と難工事のすえに、1931年「大河津分水」が完成し運用されてからは、大規模な破堤・越水はなく、その後の大型排水ポンプの開発とが相まって、近郷は格段に住みよい地となった。

「現在の日本の繁栄はと平和は、国難の時に殉じられた尊い犠牲のうえに成り立っていることを忘れることなく、感謝の誠を捧げなければ…」とは、聞こえがいい。
 しかし、戦没者は誤った国策による「犠牲者」であって、「謝罪」という言葉しかありえない。「感謝の誠」ではなく「感謝という偽り」だ。

 分水建設に奔走し、また事故で命を落とされた方々に、それこそ感謝の誠を捧げたい。同時に、二度と戦争による犠牲者をうみ出してはならないと願う。




          【 十七条法と 高天狗 】               2015年8月


 

 違憲か、それとも解釈変更が憲法の範囲内かの論議のなか、あらためて初めての日本国憲法といわれる『十七条憲法』を読んでみた。
 確認できたことは、そのほとんどの条文が、国司や政府高官、一般官吏の饗応や賄賂を戒めたり、権限の乱用や独断を禁ずる「行政組織法」の性格が強いということだった。

 それは、国民を律する憲法ではなくて、官僚に対する道徳的な規範が示されている。その点、多数派による権力行使に歯止めをかけるという現憲法の「立憲主義」と軌を一にしている。
 その第十条には「自分は必ず聖人で、相手が必ず愚かだというわけではない。皆ともに凡夫(ただひと)なのだ」
@とある。

 今年もペルセウス座流星群が、お盆の13日未明に多数見えると予告されている。その流星だが、古代インドのウルカーという流星の名前が「天狗」と翻訳されて、いつしか慢心の権化「天狗」となったといわれる。これが転じて「天狗になる」「鼻が高い」とは、他人と比較して思い上がる煩悩のことを言う。

「我々が提出する法律についての説明は全く正しいと思いますよ、私は総理大臣なんですから」との発言はまさしく、自身が凡夫(ぼんぶ)であることを忘れた「鼻高天狗」そのものだ。
 第十条の最後には「こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかと恐れなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい」
Aと、聖徳太子は戒めておられる。

  @ 我必非聖 彼必非愚 共是凡夫耳   
  A 是以彼人雖瞋 還恐我失 我獨雖得 従衆同擧




から線 】               2015年5月

 

 小型無人ヘリ「ドローン」なるものが首相官邸の屋上で発見されひと騒動になった。折も折、私のいとこが還暦のお祝いに子どもからプレゼントされた「ドローン」で撮影した自宅の写真を見たばかりだった。(さてはこいつが犯人か?)

 ひところ、自宅の航空写真を1万数千円で売る商売が盛んで、この辺でも結構売れたようだ。決して見ることのできないアングルからの写真は、見慣れた光景でも不思議な感じがする。

 古くから斜め上から見た俯瞰図(鳥瞰図)は、それらを支配下に置いたような一種の満足感を覚えるものだ。それでは庶民の現実が見えないと、下から見上げる仰瞰図(虫瞰図)でなければという提案もあった。

 「粛々と進める…」という言葉が「上から目線」だと沖縄県知事が猛反発した。『国会会議録』を検索すると、この5年で総理や閣僚が「粛々と…」を数百回も多用している。本来の「ひっそりと」というより、「冷静、不動、問答無用」という血の通っていない官僚言葉として使われているようだ。 
 人の苦しみを、自分の苦しみとして同悲・同苦するのが自他平等の仏であり、他人の苦しみを踏み台にして利益を求めるのが人間の常である。




【 いまこそ教教育 】               2015年3月

 

 
学校給食で、合掌して「いただきます」は、仏教徒ではないからさせないで欲しいという抗議があって、よくテレビドラマで見られるように、全員でお辞儀をして「いただきます」としている学校が増えているとか…。
 実に噴飯ものです。各自が親から教えてもらって、いつも家でしている通りでいいのです。

 戦後生れの日本人は、公教育の場では日本史の一部としての宗教を学んでも、その教義について学ぶことはありませんでした。
 それは、宗教に優劣をつけないためというより、明治新政府がつくりだした新宗教『国家神道』を義務付け、宗教を国民統制の道具として政治利用した過去の過ちを、二度と繰り返してはならないという反省があるからだと思います。だから、公教育の場では、明確に宗教教育と活動を法律で禁止しています。

 いま、日本国籍をもつ人だけでもさまざまな宗教・宗派があって、外国籍の人たちの流入や国際結婚によって多くの宗教が私たちの周りにあります。宗教を政治利用して盲目的に扇動させられないために、今こそ学校で各宗教の基本を学ぶ機会が求められています。

 宗教は本来、人が何を「宗」(中心、根本の教え)として生きるかということですから、それを信ずる人には優劣もなく、お互いに尊ばれなければなりません。イスラム教徒の大多数は平和を願っている人たちでしょう。


 ※ 『朝日新聞』のコラム(別頁に全文転載)を読んで考えさせられました。



【 人の迷惑みず 】               2014年12月ー2

 

 
ナッツ提供の仕方が悪いと激怒して、離陸直前の自社の旅客機を引き帰させ、乗務員を降ろしたという前代未聞の珍事があった。以来「ナッツ副社長」と呼ばれることになったモンスター上司は、財閥グループのわがままなお嬢様だったという。

 歳を重ねていくと、人間は角がとれて丸くなると言われているが、それはカン違いだと聞かされた。たとえば、4角形の角をとると8角形になるし、8角形の角をとると16角形になる。ようするに角がとれて少しは丸くなったような気がするけれども、よくよく見れば角が増えただけのこと、わがままで気難しい年寄りになっただけなのだ。

 論語に『子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩』とある。孔子自身はそうかもしれない。多少自虐的かもしれないが、私たちは逆に読まなければならない。            すなわち、「15歳になる前に学問の道をあきらめ、30歳でも芯が抜けたフラフラ人間、40歳で戸惑う毎日、50歳になってもわが力だけを頼みとし、60歳では人の言うことを一切聞かなくなり、70歳になると人の迷惑を顧みずやりたい放題に行動する」 と。

 お念仏の教えをいただくと、角が無くなるのではない。角がとんでもない数に増えていた我が身の姿に気づかされ、確かにその通りでございましたと南無阿弥陀仏。その「気づき」が大事なポイントとなる。

※ 「六十而耳順」… 60歳になって人の言葉がすなおに聞かれ、
  「七十而従心所欲、不踰矩」… 70歳になると思うままにふるまっても
   道をはずれないようになった。



所 感 … 3者3様 】                      2014年12月
  【お母さんは ぼくのです】 (坊守)
   (12月開催 「教区坊守会研修会」の おすそ分け)

   お母さんは、ぼくのことをいつも
   「宝や、宝や」といいます。
   夜は、寝るときに
   童話を読み聞かせてくれます。
   でも、話が終わる前に
   お母さんは寝てしまいます。
   お母さんは、ぼくの宝です。

 この詩を聞いて、ステキな詩だなと思いました。こんなふうにつながり合える関係って、私には無かったように思います。いつも世間体を気にしてばかり、ちょっとでも、世の中のものさしから外れると、イライラ、カリカリ、オロオロしている自分でした。この詩を聞かせてくださった方がこんな言葉も、

   いまが、一番いいとき
   いまが、一番大事なところ
   ここが、一番いいとき
   ここが、一番大事なところ

 もしかしたら、わたしの聞き間違えたところもあるかもしれません。でも、この言葉はどちらも、過去でも未来でもなく、いま(現在)なんだよ、比べる何ものでもなく、わたし自身のことなんだよ、そう教えて下さっていると感じました。

   
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【エリーと坊守】 
(住職)
 
  (上記の 「坊守研修会」 出席者名簿を見て


 三条教区の坊守研修会で70名を超す参加があり、そうそうたるメンバーがお揃いでした。

 19日NHKの朝ドラ『マッサン』で、鴨井の大将が亡き妻との約束を告白し、確執のあった息子・英一郎と心を通わせる感動的な場面がありました。直後の番組『あさイチ』で、有働アナウンサーは「大将の奥さんエリーといい、男性は女性が支えているんですね」と、涙涙のご様子でした。

 坊守会のその後の座談会では(住職の悪口で?)おおいに盛り上がったようですが、いざ寺に帰ればいつものように住職を支えるつつましい坊守に戻ることでしょう。
                


   
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【勝他・利養・名聞】(当院 … 三条教区独自の言葉、次期住職のこと)
   
(あるお通夜の出来事)

 ある通夜でのこと、会場入口でスタンバイしていた時、住職が「最近家では酒を飲んでいないだろう」と突然小声で話し始めた。還暦も過ぎたので健康にも気を遣っているということであろうか。
 私はムッとして、思わず「でも代わりに間食が増えたよね」と強い口調で返した。その瞬間、傍にいた会場係が一斉にこちらを向いた。「あっ、しまった!」
 その後、法話の『勝他・利養・名聞』のくだりで、先ほどの事を思い出し、ハッとした。私が「しまった」と思ったのは、その場にそぐわない言動をした瞬間を他人に見られたからではないか。これは世間の評判に こだわること(名聞)に他ならない。
 私が強い口調で返したのは、私の方が広い視野をもって健康に気をつけていると誇ろうとしたからではないか。これは他よりも勝れようと求めること(勝他)に他ならない。
あぁ、なんと私は煩悩の根の深い人間なのかと。ナマンダブ、ナマンダブ




の 本 質 】                      2014年11月

 
 
 ある中学3年生が、高校入試の面接試験を受けることになった。初めての経験だから、数日前から不安な日々を過ごした。試験当日、いかにも厳格そうな面接官を前に、緊張は最高潮に達していた。 

 試験官が中学生にとんでもない質問をぶつけてきた。「君、人間の本質とは何だと思いますか?」と。
 少年は頭が真っ白になった。でも、何か答えなければならないという思いだけは何とかあった。そしたら朝出がけに、彼のじいちゃんが、孫のあまりに不安そうな様子を見て、かけてくれた言葉を思い出した。
 「試験官といっても、人間しょせん『色と欲』だ。心配しないで行って来い」

 そこで彼は言った。「はい、人間の本質は『色と欲』です」。面接会場は、一瞬しーんと静まりかえり、その次に大爆笑がおこった。その答えが影響したのかどうかわからないが、彼は見事合格したとのことだった。(NHKラジオより)

 政治資金の問題で国会がにぎやかだ。そもそも選挙費用にしても給与・活動費・人件費も、税金から支給されているのに、何にお金が必要なのかわからない。
 餓鬼には、大別して「無財餓鬼」と「多財餓鬼」とがある。十分な財産があっても、さらに欲しがるのが多財餓鬼だ。まさしく少年の答えは、現代の、いや人間の本質を言い当てたものだった




ここを去ること からず 】                      2014年9月

 
  テニスの全米オープンで錦織選手がアジア人男子初の決勝に進出した。普段テニスに興味がなくても、ストローク戦で世界ランク1位を翻弄する様は、鳥肌が立つ思いだった。
 錦織選手は突然現れた天才ではなく、小学校1年からテニスを始め、13歳でアメリカにテニス留学し、多くの苦難と努力の結果だった。

 6年後の東京オリンピックを目指して、既に何年も前から各競技でジュニア世代の育成が始まっている。世界のトップアスリートを目指すならまずジュニアから。もはや3歳からだともいわれている。

 スポーツに限らずどんなことでも、一段ずつステップアップしていけば、いつかは必ず頂上にたどり着くはずだと努力することはすばらしい。けれども、我が力のみを信じ頼りとする努力主義と、如来のはたらきに安んじて努力することとは違っている。努力主義の先には苦しみと絶望が待っている。

 仏でないのを凡夫といい、凡夫でないのを仏という。本来相容れない両者には『西方十万億仏国土』という途方もない隔たりがあるとされる一方、『阿弥陀仏ここを去ること遠からず』(実は、阿弥陀さまはあなたのほんのお近くにいらっしゃるのですよ)とある。 
 私たちには無限の階段を昇ことはできないしその要もない。阿弥陀仏のはたらきは、そのままの身、凡夫の身の上にこそはたらいてくださるのだ。




創造力から想像力の時代へ 】                          2014年8月

 

 自分で運転しなくても走る「自動運転車」が数年後に投入されるという。エアバッグ、自動追尾システム、自動ブレーキなど、革新的技術だ。   
 人まねではなく、モノづくりの創造力が企業の命運を決する。3D立体テレビに、超緻密な画像の4Kテレビ…。しかし、すさまじい高機能にテレビ局の番組制作がまったく対応できていない。仮にできたとしても、3Dや4Kテレビでクイズ番組やお笑いワイドショーなんか見る気しないが。

 よく葬儀で亡くなった方の年齢を「行年」「享年」と書かれているが、真宗では「寿算」と書く。
     行年 … 生まれたときから死ぬまでの年数
     享年 … 天から享(う)けた年数
     寿算(じゅさん) … 寿(いのち)そのものを数える
  だから年齢は「数え年」。母親の胎内にいる期間も「いのち」として加算するという仏教的な考えがある。

 世界の国の指導者がすべて女性になったら、戦争は激減するだろうといわれている。なぜなら、誕生の10ヵ月も前からいのちを感じ、産みの苦しみと誕生の喜びに誰よりも感動した母親が、わが子であれ他人子であれ、殺し殺されることに理屈抜きに耐えられないからだ。

 これからは、もう目新しいモノはいらない。私がここに人として生きていることのご縁を、不思議さを、またいのちの尊さを、深く思い忘れないという想像力が求められる時代を迎えている。


「数え年」・・もうひとつの考え方として、昔は「ゼロ」の概念が無く「1」がすべての始まりだから、生まれた日を1歳とし、元旦を迎えると一斉に1歳加算される数え方があります。



】                          2014年5月

  【奇跡の一本松】

 季節はずれだが年賀状の話。
現役時代から退職後20年近く、毎年500枚以上の年賀状を自慢の毛筆で書いてきた方が、奥さんが入院したのを機にやめてしまった。「なんてバカなことを続けてきたんだろう、もうやめた」と。

 個人で500枚以上という数は確かに多い。大部分は40年近く勤め、何回も転勤を繰り返した職場のすべての先輩、同僚、後輩。それに関係会社の友人知人。さらには再就職先の全社員だった。
 日本的慣例で500枚の年賀状のほとんどは返信がくる。その年賀状の厚みが、自慢であり、誇りであり、生きているという証でもあった。

 ところが奥さんの入院で、その価値観がひっくり返ってしまった。いかに生活のすべてを奥さんに頼り切っていたのか、また何の頼りにもならないものを頼りにしてきたのかを悟った。


    
他力とは 野中に立てる一つ松
              寄り触らぬを 他力とは言う 【道元】


 真宗の要のことばであり、曹洞宗の名僧もうなづいた「他力」とは、他人の力を頼ることではない。また誰の力も借りずに生きているということでもない。自分の思いの中だけで生きてきたことが破綻して、本当の願いに目覚めた言葉だと教えられている。

  
「他力とは 野中に立てし竹なれや よりさはらぬを他力とぞいふ」【良寛】
     という歌もあります。



でガエル現象 】                          2014年3月

 熱いお湯にカエルを入れると、驚いて飛び出して事なきを得るが、常温の水にカエルを入れて少しずつ温度を上げていくと、カエルは温度の変化に気づかず、やがて気がついた時にはそのお湯から抜け出せなくなって、ついには茹であがって死んでしまうという現象のことをいう。

 カエルには、いつでも逃げるチャンスや能力もあり、それを阻むものは何一つなかったのだけれども、気がついた時にはもはや手遅れだったということだ。
 もちろん現実にはあり得ないことだが、心理学というより、いち早く世界のニーズと変化に対応するための経営者セミナーなどで多く使われているたとえ話だ。

 山本周五郎、藤沢周平、山崎豊子、宮城谷昌光などの全作品を、40年も繰り返して読んできた。円生、米長、志ん朝の落語のCDはどれほど繰り返し聴いただろう。『風の谷のナウシカ』(全七巻)などは、同じ作品なのに、読むたびに新たな発見と感動があるのは何故だろう。日々私は変化しているということだ(あえて進化とは言わない)。

 急な変化よりも、ゆるやかな変化に対応することは難しい。毎日の生活の「慣れ」が本当に大切なものを見失わせていることに気づかなければならない。蓮如上人は「人は慣れると、手ですることを足でするようになる」とおっしゃった。





【 史を繰り返させてはならない】                 2013年12月

「ナイショね」「えっ、何が」「ナイショ」「どうして」「それもナイショ」。         
 こんなわけのわからない『特定秘密保護法』が、選挙で一度も国民に問うことなく強行採決された。ついでに過去何回も廃案となった『共謀罪』までもが検討中という。               
 東京オリンピックを控えて、国民を守るために必要な法律というけれども、その名のもとに市民活動や言論・報道まで抑圧してきた歴史が日本にはある。

 先の大戦は言うに及ばず。大臣があれほど「教育現場で強制することはない」と言い切った『国旗・国歌法』も、通達に従わない教職員が多数処分されたことを黙認してきた。やむを得ず「くちパク」している側も、その口元を監視する側も、ともに個人の思想信条など関係のない被抑圧者だといえる。 

 「ナイショ」(内緒)の語源は「内証」という仏教用語で、仏や菩薩が心の内で仏教の真理を悟るという意味がある。その尊い悟りを「ナイショ」にしておいたのではまったく意味がなくなってしまう。  
 真理によって、初めて人間として歩む道が明らかになり、仏道を歩む人間がいることによって、初めて仏教の真理が明かされるのだから…。

 中国4000年の歴史は、王朝の成立、権力集中、役人の腐敗、民衆の困窮、弾圧、反乱、王朝の崩壊。この繰り返しで、その都度100万人単位の人々が犠牲となっている。              
 日本は二度と歴史を繰り返させてはならない。私たちには、まだこの悪法廃止への「選挙権」がある。




【 相対足の世界 】                    2013年11月

 西洋小話である…。ある街に、非常に仲の悪い2軒のパン屋さんがいた。あるとき、王様がひとりのパン屋さんに言った。
「お前の欲しいものを、何でも欲しいだけやろう」 そのパン屋は大喜びした。
「本当ですか?」
「もちろん本当だ。ただし、もうひとりのパン屋にはお前と同じものを倍やろうと思うが、何が欲しい」

 そのパン屋は困ってしまう。いくら自分が欲しいものをもらっても、仲の悪いパン屋がその倍もらうというのではまったくおもしろくない。そこで考えに考えたすえに王様に願った。
「王様、私の片目をつぶしてください」と。

 いくら幸せであっても、人が自分より幸せだと思っただけで不幸になり、たとえ片目がつぶされ不幸になったとしても、人が自分以上に不幸になることで満足できるという極端な話だ。

 私たちは、常に他と比べることによって価値が決まる「相対満足の世界」を一喜一憂しながら生きている。 それに対して仏法をいただくと、他人と比較する必要もなく、私の「存在」そのものがすでに尊いという、いわば「自体満足の世界」が開かれてくる。
「いのち」の尊さに深くうなずいて念仏申し、念仏申すことで「いのち」の尊さに感動する。そういう念仏生活を真宗門徒たちは送ってきた。




【 天下三不意 】                    2013年9月

 『平家物語 巻一』には、白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話がある。世にいう「天下三不如意」。この三つ以外のものであれば、何でも思い通りになると豪語するほど絶対的な権力者だった。

 その京都の観光地・嵐山で、台風18号による豪雨の浸水被害があった。被害は京都だけではなかったけれども、特にそこが気になったのは、修学旅行で記念写真を撮った川べりでもあったし、なにより夏休みで帰省している二男のアパートが近くにあるからだ。 「一階だから、もしかして床上まで水がきているかも」と言いながら、「ま、あさって帰ればわかるさ」と、のんびりしたもの。

 オリンピック誘致の最終プレゼンで、阿倍首相は原発汚染水問題を「状況はコントロール下にある」「港湾内に完全にブロックされている」と、力強く安全宣言し、これがひとつのポイントとなったといわれている。しかし現実は「コントロールできていない」(東電)といい、湾を仕切っているシルトフェンスは「魚をブロック」しているだけにすぎない。

 よく考えれば、人が完全にコントロールできるものはほとんどない。一番身近な妻や子、わが心や身体さえもままならぬこと、すでに先師は述べたもう。




【 守 範 囲 】                    2013年8月

 夏の高校野球、新潟大会の決勝戦がさきほど始まった。いかに若いといえども、炎天下で戦う選手は大変だろうなと思う。この一球、その一振りのためにずっと練習してきたのだ。お互いに条件は同じ、どちらもがんばれ。(4回裏、3対2)

 プロと違い、1回負ければそこで「夏」が終わる高校野球は、すべてが全力プレーだ。消化試合などない。内野を抜けるヒットに、届かないとわかっていてもダイビングキャッチを試みる。守備範囲などあってないようなものだから、ベースにくっついたままボールを待っているようでは、予想をこえた局面には対応できない。

 連続的に開催される第1回の真宗講座で、ほとんどの参加者が「初めて聞いた話なので、わからなかった」という感想だった。(さもありなんと思う)  
 ところがある方が、3回目を終えても「まったくわからん」「どこが?」「…とにかく全部」と、かたくなだった。「わからん」ことは良しとして、その言葉で終わってしまうことに考えさせられた。   

 60年も生きれば、それぞれの人生から学んだ確固たる信条や価値観が形成されてくる、それは貴重な財産ではある。反面、思考の守備範囲が形成される分、フットワークを悪くさせる。

 道元禅師は「仏法を習うというは自己を習うなり」といわれ、それに続き「自己を習うというは、自己を忘るるなり」と言われた。自分のものさしで測っている限り、仏法はいつまでたってもわかりようがない。自己体験というベースから離れることで、もう少し柔軟な思考が出来るかもしれない。




【 柿ーの黄金比 】                    2013年5月

 「柿の種」と「ピーナツ」の理想比は、6対4より7対3の方が人気があると新聞にあった。柿の種の辛さを抑えるピーナツが多過ぎると、その脂分がかえって災いするらしい。
            「アメとムチ」、すなわち「ほめる」と「叱る」の理想比は、7対3から8対2辺りともあった。叱り上手は人前で面罵して恥をかかせたりはしない。その塩梅が人づくりを左右する。叱る側の方の人格と技量が問われることだ。

 
 春休みに、長男と二男が帰省して、月忌参りや葬儀・法事を手伝ってくれた。何とも危なっかしい様子にハラハラし通しだったけれども、二人が帰った後の評価は意外に高いのにびっくりした。

 そういえば坊守(住職の妻)が法務に出始めたころに、ほめていただいた言葉を覚えている。「本当にお経の言葉が一言一言はっきりとして、丁寧に読んでいただきました」と。
 違う言い方で言えば「後ろで聞いていてハラハラするほど下手」だったけれども、ほめることで育てていただいたのだ。ありがたいお育ての言葉だった。

 坊守が法務に出る寺はきわめて少数派だが、それに触発されてか、ある友人の坊守さんも懸命にお経の練習をして月忌参りに出た。数日後、後ろでお参りしていたおじいちゃんが言った、「しっかしオメさん、お経が下手らねー」と。
 その一言で「私、お参り止めました」となった。こころないその一言で。




【 が先か 卵が先か 】                    2013年3月

 どちらが先にできたのかという有名な問題である。この因果性のジレンマは、昔の哲学者にとって、単に「ニワトリとタマゴ」にとどまらず、生命と世界全体がどのように始まったかという究極的な疑問にまでたどりつくものだった。

 神学の『旧約聖書』では、神は鳥を創造したと書いてあるが、卵については書かれていない。だから言葉通りの史実と解釈すれば、鶏が先になる。
 ダーウィンの「進化論」によると、DNAの変化、つまり突然変異は、妊娠中か卵の中でしかおこらないから、卵が先と考えられる。
 数学の「グレンジャー因果性」という解法によれば卵の数の情報からは鶏の数を予測できたが、鶏の数から卵の数を予測できる逆の関係はなかった。したがって卵が先と結論づけた。(当然、それぞれには反論がある)

 親鸞聖人があるとき門弟に問われた。
「夜が明けて日輪(太陽)がでるのか、日輪がでて夜が明けるのか」と。門弟は「夜が明けたから太陽がでるんでしょう(どちらにしても同じことだよ)」と答える。聖人は「そうではない。太陽が先だ」とおっしゃった。

 真宗独自のことば、「罪悪深重、煩悩熾盛の凡夫」などは、私のあさはかな身から自発的にでることばでは決してない。私の無明を破る大いなるはたらきに出会ってこその自覚的なことばだ。大切な人を失った衝撃もまた、私の生きざまを問い直す「日輪」となる。

                    
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※ 「夜あけて日輪はいずや …、いかんがしると」『口伝鈔』聖典 P652



800年 再び 】                      2012年12月

 新聞に、『注釈がないとイラつくカタカナ語』の20傑が載っていた。下位から、20位マイルストーン、19位タスクフォース、18位セグメント。下位の言葉がこの調子だから、当然上位はチンプンカンプンだった。
 注目すべきは、これらの言葉の日本語解説が、平均3行も要したことだ。

 近年の若者が使う新語も、世相を反映している。「草食男子」の対語で「肉食女子」。「婚活」に「離活」(将来の離婚にむけての準備活動)。「5月病」ならぬ「12月病」、さらに「2月病」もある。
 新潟市の施設では、りゅーとぴあ、新潟テルサ、朱鷺メッセ、ビッグスワン。日頃お世話になっているエターナルホールにプロースト。もはや英語が使い尽くされて、新語、造語のオンパレードだ。

 「南無阿弥陀仏」はインド語の発音を漢字に置き換えたもの(音写という)。800年以上前に、法然上人や親鸞聖人のご教化によって広められるまでは、まったくの新語だった。それが生活の一部として行住坐臥に称えられるようになったから、解説などは全く不要だった。

 それがどうだろう。いま「南無阿弥陀仏」のたったひと言が、3行ほどの解説で済むだろうか。数時間の講義、数10冊の解説書を読んでもさらに謎が深まるばかり。それもそのはず、あんたなんかいてもいなくても、世の中はちっとも変わらないし、困らないよと言われれば腹が立つ。そんな完全な自己否定を認めないと、身にはつかない言葉だからだ。


 
※ 12月病 … クリスマス・イブの恋人のいない人のストレス
    2月病 … チョコレートがもらえないストレス
    エターナルホール … 地元の葬儀会館
    プロースト … 同じく新装開店の居酒屋




ジョン・レノンの 】                      2012年11月

 ジョン・レノンの名曲『イマジン』が、イギリスの葬式で使用が禁止になったと、先月報じられた。「想像してごらん、天国なんてないんだと…」  という冒頭の歌詞に、葬祭業者たちが聖職者に配慮して、曲の使用を自粛したらしい。

 仏教者としては思わず苦笑いだ。日本では、仏式での「慰霊祭」が多く行われている。死してなお御霊となって、どこかに存在し、その霊魂を慰めるためのお経であり、それこそが仏教者の仕事のように思われている。                
 けれども、仏教の基本は「縁起」の道理だ。すべてのものが無数のご縁によって、この瞬間を成り立たしめられている。逆に、そのご縁を一つずつ取り払っていけば、最後には何も残らない、つまり「無我」であると釈尊は説かれた。だから仏教においては「霊魂不滅」はありえず、仏教者が堂々と「慰霊法要」を勤めているニュースを見ると滅入ってくる。

 ジョンは思うに違いない、最後まで聴いてよと。 
 「想像してごらん、国境なんてないんだと、
  そんなに難しいことじゃない、殺したり死んだりする理由もなく、
  宗教さえもない。
  想像してごらん、すべての人々が平和な暮らしを送っていると。
  僕を空想家だと思うかも知れない。
  だけど、僕ひとりじゃないはずさ、
  いつの日か、きみも僕らに加われば、
  この世界は一つに結ばれるんだ…」

 龍樹菩薩は、「有る・無い」にとらわれ、そのために真理を見失い、苦しんでいる私たちのために、その迷いを打ち破ってくださったはずなのに。
                     (他のページに続きます)


 
 (hiroto1.seesaa.net/article/107787060.html から
           歌詞の和訳を転載させていただきました)




わけえば 】                      2012年9月

 尖閣諸島、竹島の領土をめぐる対立は、ますます深刻化してきた。それがもし政権維持と人気取りの具とされているとすれば、なお迷惑な話だ。

「宇宙からは国境は見えませんでした」という、日本人宇宙飛行士の毛利 衛さんの発言は、当時、本人がびっくりするほどの反響があった。なるほど、国境線は、地図上に引かれるのであって、実際にその線は見ることは出来ない。

 けれども、実際は見えないはずの国境線が宇宙からは見えたという。乱開発のメキシコと森林保護のグアテマラ国境。武器や麻薬の持ち込みを監視するため夜間照明が延々と続くインドとパキスタン国境。街のネオンが煌々と輝く韓国と漆黒の闇の北朝鮮国境など。ナスカの地上絵や万里の長城でさえ見えないのに、それらをはるかに超えたおろかな人間の成せる業だ。

 地球上の資源や富は、一枚の毛布で大勢の人たちが寒さをしのいでいる姿にたとえられる。力のある者が毛布を引っぱって温まると、反対側の多くの人たちが凍えてしまう。

 相田みつをさんの「わけ合えば」という詩をふと思い出した。

  
うばい合えば足らぬ  わけ合えばあまる
  うばい合えばあらそい わけ合えばやすらぎ
  うばい合えばにくしみ わけ合えばよろこび
  うばい合えば不満   わけ合えば感謝
  うばい合えば戦争   わけ合えば平和
  うばい合えば地獄   わけ合えば極楽




スゲェー 】                      2012年8月

「もしかして…」。法事の席で隣に座った方から声をかけられた。高校一年の同級生で、実に42年ぶりだった。「こんなふうに再会するとは、世間は狭いよね」と。

 世間が狭いと思うのは、四畳半で暮らしている者同士が「やあ、また会ったね」といっているようなものであって、自分の経験と行動範囲内だけしか見えていないからだ。そんな狭いものではない。
 実は「世」とは、世代というから時間のことをいい、「間」は、空間的広がりのことをいう。そう考えると、宇宙の無限に続く時間と空間の中で、「いま、ここで、しかも人として」よくぞ出会ったものだと、まさに感動すべきことだ。

 2001年5月場所、横綱・貴乃花が、右ひざの大けがをしながら武蔵丸との優勝決定戦に勝ち、小泉首相が表彰式で叫んだ「感動したー」は、当時の流行語大賞になった。でもそれは、感動ではなく、「感激した」というべきだった。感激してもろ手を挙げている反対側には、必ず悔し涙にくれている者がいる。そのことが見えていないのだ。

 「感動」は、勝者も敗者もない。自分の存在が無きに等しいほどの壮大なスケールで展開される自然の営み、いのちの世界。そこに心が揺り動かされずにはおれない。そのいのちの世界に、「凄いなー」という感動の叫びが「南無阿弥陀仏」のお念仏。
 中・高校生風に言えば「超スゲェー」となるのかも。




【 倒 更 新 】                      2012年5月

 寒冷地、あるいは高地のエゾマツ、スギ、ブナなどの自然林の環境はきわめて過酷だ。親木が無数の種子を落としても、笹などの下草の陰になって太陽光が日が当たらずに生育は難しい。また、地面には暗色雪腐病菌という菌がいて、これに感染すると、子はほとんどが死滅してしまうという。

 ところが、幸運にもたまたま朽ちた倒木の上に落ちた種子は、その温かみに守られ、数10pの高さの差で太陽光を浴びることができ、しかも倒木の上にはこの菌はいない。さらに、表面に生えた苔の湿気で夏の乾燥にも耐えられ、倒木の養分を供給源として育つことができる。 

 やがて、苗の環境づくりと養分としての役割を終えた倒木は朽ちてなくなるけれども、ちょうど相撲取りが四股を踏んだような形で、倒木をかかえこんでいた空間がポッカリ空いた「根上がり」という形状が残される。これをを「倒木更新」という。

 1本の木は、決してただの1本の木ではない。天地自然のあらゆる営みの大地に、親木からいのちをもらって、倒木に育てられ、倒木のいのちを取り込んでいく。
 しかも、その恩を決してわすれない証拠として、「根上がり」という形状で表現している。その形は、木が合掌しているように見える。

 地上に生命誕生以来、親は懸命に子を守り、子はその恩を忘れるはずもなかった。「お陰さまでした。有難うございました」という心を、形にすれば合掌、言葉にすれば「南無阿弥陀仏」。




【 いのちがえない時代 】                      2012年3月
 
 昨年の3月11日、寺報165号の編集をようやく終えて印刷を始めた時だった。いきなりグラっときた。しかも揺れが経験したことがないほど長かった。 あれから1年。死者および不明者が19,130人。原発の事故も加わって避難者が343,935人にのぼっている。
 一口に2万人、34万人といっても、ひとりのいのちの尊厳、いのちの歴史、いのちの繋がりに感動がないままでは、単なる無機質な数の加算にすぎない。

 灰谷健次郎の小説にこんな話がある。地方から出てきた女の子が、職がなくひとり下宿で餓死して、1週間目に見つかった。その新聞記事を読んだ人が「かわいそうに」と言ったら、そばで聞いていた同郷の青年が猛烈に怒って言う。「かわいそうに」というやつがいちばん冷淡だ。その子は飢えで死んだのではない、「かわいそうに」と、それだけで忘れてしまう無関心に殺されたのだ、と。

 末法の世は、五つの汚れに満ちた世の中といわれる。その五濁を代表するものが命濁。私の身に受けているいのちに、深いよろこびを見いだすことができないのだから、「いわんや他人をや」だ。        
 中越沖地震以来、ご自身の寺の本堂が傾いて使用不能にもかかわらず、東北の被災地のボランティア活動に取り組んでいる、そんな方から「春彼岸会」の法話に来ていただきます。




不思議だな 】                           2011年12月

 TPP参加の是非が論議されている。先月、野田首相がオバマ大統領にTPP参加を表明したとホワイトハウスが発表した。日本側は大慌てで、「そんなことは言ってない」と抗議すると、アメリカ側は「そのように理解した」だった。
 このような日米の「ことばの解釈の違い」はよくあった。その一因は、官僚用語の「検討させていただきます」は、日本では「まったく問題になりません。サヨナラ」の意味であるが、外国相手に、はっきり「ノー」と言わず「検討…」では、翻訳した上で解釈すると「了解しました。そのようにいたします」となるからだ。

 「不思議なり 世に生まれるも 今日あるも」
 「父に出会った母 母に出会った父 その両方に出会った僕」
「報恩」とは、恩に報いること。さらに恩を報せていただくこと。さらに「恩」という文字は「因」の下に「心」と書く。だから、私の「もと」をしらせていただく心だと教えていただいた。

 91年前に倉田百三の『出家とその弟子』が翻訳され、「南無阿弥陀仏」が、Save us Oh Amida Buddha(おお、阿弥陀仏、お救いください)とあり、米国仏教界の再三の抗議にも修正されなかった。仏教の英訳はキリスト教がベースとなり、キリスト教の日語訳は仏教がベースとなるから一層混乱の因となる。
 南無阿弥陀仏を、ワンダフル(Wonderful 不思議だなー)と英訳した人の試みに、思わず膝を打った。




ったいない】                           2011年11月

 9月26日、アフリカ人女性で初のノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさんが亡くなった。
 マータイさんは、「開発」の名のもとの環境破壊と、その恩恵からまったく無縁の貧困層を目の当たりにし、植樹を通じた環境保護活動と、女性の地位向上、貧困撲滅運動を展開し、その運動は国境を越えアフリカ各国に拡大した。

 そのマータイさんが、受賞の翌年に毎日新聞社の招聘により日本を訪れたときに、同社編集局長とのインタビューで「もったいない」という言葉を知る。
 「勿体」とは仏教用語で、すべての事物が私たちが考えているよりはるかに深く広い関係存在であって、単独で成り立ってはいない尊い存在(体)であるという仏教の考えがある、その尊厳と関係性の「体」を否定する言葉が「勿体」だ。
 マータイさんが提唱する「消費削減」「再使用」「再生利用」「物に対する敬意」を、一語であらわすその言葉に出会ってから、「MOTTAINAI」を世界共通の言葉として広めた人だった。

 南無阿弥陀仏の「南無」とは、「帰依せよ」という如来の勅命であるという。「したらどうですか」という軽いお勧めではなく、強いご命令だ。   その命令とは、私が主人公、私が主体だと思っているのは大変な思い違いであって、如来から回向されたいのちであることに「気づけよ」というご命令だ。

 「気づけよ」というご命令が「南無」ならば、「気づきました」というご返事もまた「南無」。「南無阿弥陀仏」のお念仏。勿体ない、かたじけない、有り難いも同義語だ。

reduce 抑制、 reuse 再使用、 recycle 再生利用、 respect 敬意



【 末法の代にこそ】                           2011年9月
 
 9月11日で、東日本大震災から半年、アメリカ同時多発テロ事件から10年になる。たった10年の間に、いろんなことがありすぎた。アフガニスタン戦争とイラク戦争が始まり、中東諸国では民主化のための血が流されている。新潟では、豪雨災害と地震災害が7年のうちに2回ずつあった。

 自然災害と人為災害が多発して、おまけに世界中が不景気とくれば、人心荒廃し、世紀初めにして世紀末現象を迎えたような感がある。

 お釈迦さまが入滅されて500年間を正法の時。(教えを説く者、行ずる者がいて、悟る者がいる)
 次の1,000年間を像法の時。(教えを説き行ずる人はいるが、悟る者がいない)
 次の10,000年間を末法の時。(教えを説く者はいるが、それを行じ悟る者がいない)と、三時に分けると、今年は末法の1,460年※。まだ8,540年は仏法の退廃期が続くことになる。

 これでは夢も希望もないじゃないかというと、そうではない。そもそも濁悪でない人間は一人もいないというのが浄土教の人間観であり、親鸞聖人が自身の身に引き当てられたことだ。
 お釈迦さまの人格的な残像が完全に消え、ご遺徳に頼る形式性が廃れた時。その末法の時代、世紀末こそに、生きてはたらく仏教が問われる。末法こそ仏教精神が、この身の上に明らかになる時だ。


※ 最澄 制作 『末法灯明記』 本文の前の親鸞の御自釈に、「如来涅槃の時代を勘うるに、
元仁元年に至るまで2183歳なり」(聖典P360)とあるが、計算違いで2173年であるという。
その説に従った。



【 二本目の 】                           2011年7月

 福島の原発事故で、指定区域内外の避難者は約12万人にのぼっている。ところで「欧州放射線リスク委員会」※は、福島原発事故の予想死亡者を40万人以上と発表した。これはとんでもない妄想の産物だとか、予測が甘すぎるとか、賛否両論がある。  

 それはともかくとして、同委員会は、はやくて3年後から甲状腺ガンや白血病患者が出始め、最初の10年で半数が、その後50年で残りの半数がガンを発症すると予測している。それも2百q圏内のことだ。

 自然災害ならば、この娑婆に生きている限り平等に受けなければならない。これは、いわゆる向こうからやってくる苦しみ。これに対して、十分な対策を講じておかなかったためにこうむる災害は、人間のつくり出す苦しみだ。向こうからやってくる災害に加えて、さらに被害を倍加させてしまう。

 お釈迦さまは「いまだ正しい教えを聞いたことがない人は、第一の矢を身体で受け苦しみ、さらに第二の矢を心で受け苦しむ」とおっしゃった。    身の苦しみは、災害、老い、病気など、人間である限り平等に受け、誰も避けることができない。しかし、心の苦しみは、自らがつくり出しそれによって自らが苦しめられる。これは避けることができる。
 汚染されているのは稲わらだけなのか。水はどうか。30qで大丈夫なのか…。国と電力会社は、不都合な情報ほど早く開示して、人間の力で避けることのできる二次災害だけは防いで欲しい。

※ 欧州放射線リスク委員会(ECRR)= ベルギー に本部を置き、国際連合や
                       いずれかの国の政府等とは関係ない私的団体。



【 拝啓 知事さま 】                           2011年5月

 「日本人のアイデンテティーは我欲、物欲、金銭欲だ…。この津波を利用して、一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」
 東北の地震と津波の後、その被害の全容すらわからない時に、あなたのこんな発言がありました。腹が立ちました。たとえば、そこに家族がいてもそう言えるんですか。選挙権がある東京都民が被災者でもそんな発言が出来るんですか。
 あれから2ヵ月になろうとしている今も、生きる望みを見つけることが出来ずにいる人たちに、また、心身ボロボロになって懸命に捜索を続けている自衛隊員、警察官にも同じことが言えますか。

 意味不明の和製英語を駆使する政治家が多くなりました。本来の意味でのアイデンティティーというなら、「私自身をその最たる見本とした人間の…」とおっしゃれば一言もありません。でも、残念なことに、あなたの言う「日本人」の中に、あなた自身は含まれていませんね。
 あなたは、アメリカのアイデンティティーは、「自由」、フランスは「自由、平等、博愛」だともおっしゃいました。それならば、あなたの言うアイデンティティーとは、極めて狭義の意味ですね。

 ならば、それと同列の意味合いで考えましょう。今の日本が日本たる所以は何かといえば、戦争で多くの血を流した結果得た民主国家と、戦争放棄の憲法を持っている国ということだと思います。
 もうひとつ、大事なことがあります …。(ほかの頁に続きます


【identity 】 環境や時間の経過にかかわらず変わらない自分。自己の存在証明。主体。



花の曜日】                           2011年3月

 『サタデー・ナイト・フィーバー』は、約30年前のジョン・トラボルタのデビュー映画だ。転じて、日本では土曜日の夜に、大いに飲み遊ぶという意味になった。その10年後には、週休2日制が公務員にも及び、「ハナキン」すなわち「花の金曜日」といわれるようになる。

 そのハナキンが、イスラム世界の独裁者には「恐怖の金曜日」となった。金曜日はイスラム教徒の休日。その「金曜礼拝」後、チュニジアを始めとして、湾岸・アラビア半島、東地中海、北アフリカの10数カ国に、反独裁・民主化・汚職・雇用不安へのデモが、またたく間に飛び火した。すさまじい広がりの要因は、インターネットの普及といわれている。         

 長い間、外の世界を知らされず、分断支配され、ひたすら独裁者を讃美し、貧困生活に忍従することが美徳と教育され続けてきた国々へ、急激に外気が入り連携が生まれた。独裁国家という真実の姿に気づいた国民の、この流れはもう止まらない。

 仏とは、慈悲と智慧の「はたらき」をあらわす動詞であって、単なる名詞ではないといわれる。智慧のはたらきを受けて、真実を見る眼をおおっていた障害が取り除かれ、ああそうだったか、なるほどと、今まで見えなかった真実が見え、 迷いを迷いと気づくるようになることだ。
 ネットも、使い方によっては人々を目覚めさせる智慧の「はたらき」となるが、悪知恵にかかると、大相撲八百長や、大学不正入試事件ともなりかねない。




尽きない欲望と の幸せと                2010年12月

 いよいよ来春5月に、親鸞聖人750回御遠忌という50年に一度の勝縁に、たくさんのご門徒衆とともに参拝させていただくことになった。 
 ところで、50年前の700回御遠忌で、味方村出身の曽我量深師の記念講演の題が、「信に死し、願に生きよ」だった。

 私が「これを中心に生きていくぞ」(欲望)というものは、到達したと思うところが、再び出発点となって、いつまでもこれでよしということがない。だから満足がない。信心をいただいてみると、私がいままで中心と思っていたものが崩れ、通用しなくなってしまう。それが「信に死し」。 
 そして「本願に生きよ」とは、如来の本願に目覚め、真の喜びをもって生きていこうということ。

 心臓病、癌、血圧の特効薬が見つかれば、人間は120歳くらいまで大丈夫といわれる。でも、完全な新薬が発見されたとしても、150歳、200歳というわけにはいかない。表だけで裏のない紙がないように、生死は不離一体のものだ。

 「生」の側から死を見ると、この世で一番忌み嫌われ、これほど恐ろしいものはなく、すべてが終わりという暗澹たる闇に思える。ひるがえって、「死」に立って「生」を見るならば、これほど光り輝く世界はない。ちょうど大病をわずらって、病室の窓から公園で遊ぶ子どもたちが輝いて見えるようなもの。「尽きない欲望を離れ、真の喜びに生きよ」というテーマは、今でも新鮮な輝きをもっている。





が 欲しい】                   2010年11月

 100円均一の店、高速道の売店、温泉宿のみやげ物売り場での行動パターンは、「何かいいものないかなー」と、売り場をひと回りして、まったく買うつもりのなかった品物を手に満足することだ。  普通、欲しいものがあって買い物に行くが、「何か欲しいものがないかな」という消費者は、裕福なのか、それとも貧困なのか…。

 スーパー、コンビニ商品の配置には、素人目にもかなり高度な心理学と生理学、調理の知識がうかがわれる。すなわち、入口から出口まで店内くまなく客さまに通ってもらう通路を設定し、右利きが多い日本人向けに、通路の右側に買ってもらいたい商品を置く。調理する順に肉、野菜等を置く。順路の中ほどに献立に困った人のために「2割引き商品」。レジ待ちのお子さまに、さりげなくお菓子やおもちゃを置く等々…。

 寺の研修会で、いつも一番前で聴聞している最長老の男性が、後ろの席を振り向いて大声で言った。「ふん、することもなし、行くところもなし、家におっても邪魔にされてる者ばっかりが、よーけい集まっとるわ」と。それは、歓迎の言葉でもあり、何かいいものがあるかもしれないという「百均店」をのぞく消費者心理をたしなめる言葉でもある。

 いかに辛辣な言葉であっても、発言したり文字にするということは逆に自らが問われることだ。法事で飲んで遅れて来て、研修会中ほとんど寝ていた住職だけが、質疑の時間に「はい」と質問したという。目的をもって参加するとはそういうことだと、思わず膝を打った。単なる知識は人間の表層でしかない。




き土産】                           2010年9月ー2
 
 夏の夜が涼しいことだけが取り柄のわが家でも、初めて、寝るときに5日間エアコンを使った(これはたぶん異常)。昨年までの20数年は、昼は暑くても、夜は網戸をぬける風が気持ちよくて、寒いときすらあった。今年は100年に1度、1000年に1度という暑さだった。問題は、来年以降も1000年に2度目、3度目の暑さが続く可能性が大いにあるということだ。 

 来年にも、夏の「暑い夜」が3倍に増加する。10年後、キリマンジェロの山頂から雪がなくなり、30年後の夏、北極海の氷がとけてなくなる。50年後、北海道が米作、東北・関東地方がミカン生産の適地となり、100年後、海の水位が1m上昇する…。 
 人類300万年の歴史の中の、たった200年で地球環境をメチャメチャにし、負の遺産を遺してしまった。まさに、百日の説法も屁一つ、百年の恋 屁一つだ。

 父に続いて、とうとう母を失くしてしまった。父の時は、「前住職がいなくなったとたんにダメになった」と言われないように、がむしゃらにやってきた(つもり…)。すなわち、宗派内の活動や行事、法務はもとより、境内と墓地の除草や清掃など。ところが、職責の違いと、父性・母性の違いというのか、母亡き後の思いは違った。

 母のように、人の話を真正面から聞き、人を信じ疑わず、人と比べず、今をよろこぶことができる。そういうことが、私には全く欠けていることに気がつかされた。はたして、正の置き土産か、負の置き土産か。それは、遺す側と、受け取る側の双方に責任がかかっている。




母は ただ ただ りがとうねと・・・】          2010年9月−1
 
 前坊守の葬儀には、たくさんの方々のご弔問をいただき、ありがとうございました。
 地区外の皆さまには電話連絡の方法をとりましたが、混乱して、結果的にお知らせ出来なかった方もございました。お詫び申しあげます。

 母は、真宗の寺に嫁ぎたかったと言っておりました。祖父が長岡の地に初めて寺地を定め、父親が他の寺々をまわって布教活動に専念していた、その熱き思いの創成期を知っていたことが、その願いの根底にあったに違いありません。
 嫁ぐなら、阿弥陀さまのお仕事をできるところを望んでいたようです。

 縁あって、都市ガスや上水道が完備している長岡市中心部から、杉っ葉で煮炊きし、川で洗濯するような田舎に嫁いできました。
 でも「なんで、こんなところに…」という不満顔は、見たことはありませんでした。きっと、地域の皆さま、義姉妹のお育てがすばらしかったのだと、本当に感謝しています。
 先々代坊守(アイ)が、裕福な庄屋の家から極貧の寺に嫁いで、初めて手にした鍬を、黙々と使っていた生きざまに出会ったことも、大きかったと思います。

母は、口がきけなくなる間際まで合掌して「ありがとうね」でした。



し ジャンケン】                   2010年8月

 
「ジャーンケーン ポン」。子ども会でよくやったジャンケンゲームだ。進行役が子ども数10人を相手に、まとめてジャンケンして、勝つか、あいこの子どもが勝ち残り、最後に一番強い者が決定する。

 勝負は時の運。年齢差も体力差もないはずだが、おかしいことに、80人ほどで何回やっても必ずベスト10は同じような顔ぶれだ。その理由は簡単。人数が多いことをいいことに、微妙に遅れて出す、いわゆる「後出しジャンケン」だった。その子どもらしい懸命さが、また一面かわいいと思った。 
「このお守りがあったから、その程度のケガで済んだのですよ」「そうなる運命だったのだからあきらめなさい」。これは運命論で片付けて責任を回避すること、いうなれば結果論。後からでは何とでも言える、後出しジャンケンみたいなものだ。

 私がここに生まれたのは運命なのか。また、私の下腹が出てきたのは運命なのか。否、縁あってここに生まれたということ以外に、私の命の具体的な事実は他にはなく、下腹が出たのは、この10数年来の生活習慣の結果なのだ。

仏教では、運命論ではなく宿業観に立つ。「宿」は自分の思いよりも深く根ざしている縁という意味がある。その縁を受けている身の事実に対しての責任感が「宿業観」。運命論が結論をいうならば、宿業観は責任感を持って人生を生きようとする出発点のこと。




の心】                   2010年5月
 
 「ウソついたよね」「つかないよ」「だってこの前そう言ったもん」「この前って、何年何月何日、何時何分何秒に?」「エッ…?」。子どものころ、こんなやりとりが流行った。言った言わない以前に、その正確な日と時刻が立証されなければ、ウソはなかったという子どもらしい屁理屈だ。    
  「ホントにあんた(嫁)は、ダメだね。5年前にも同じ失敗してるじゃないか」「お義母さんだって、10年前にしてるじゃないですか」「そんなの時効だよ」「いえ、ついこの前です」。これは嫁姑の世界。

 裁判員制度が始まって、常識的な市民感覚が取り入れられるようになった。また、凶悪事件の時効を廃止する改正法で、いわゆる「逃げ得は許されない」ということにもなった。  以前、テレビの『刑事コロンボ』を観ていると、犯人が「捕まれ」というより、「逃げ切って欲しい」という思いの方が多かった。自分の中に、人間に共通する魔性の心があるからかもしれない。

 おれの胸には、ああ二つの魂が住んでいて、それが互いに離れたがっている。一方のやつは逞(たくま)しい愛欲に燃え、絡み付く官能をもって現世に執着する。他のものは無理にも塵の世を離れて、崇高な先人の霊界へ昇ってゆく。
(ゲーテ 『ファウスト』)
  
 二つの魂とは、魔性の心と崇高な心。自我と無我。さらには私事と仏事。私中心にものを考え、私だけが正しく、二つの心は持ちあわせていないという者に対して、「あなたには煩悩がないとおっしゃるんですか、あやしいものですね」と、親鸞聖人はおっしゃる。

  ※ 【 歎異抄 第9章】 煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし(聖典 630頁)



の シュミレーション】                   2010年3月

 死のシュミレーション(疑似体験学習)が、アメリカのホスピスのスタッフに行われている。それを日本向けに改編して、直接、人の死に接する日本の看護師275名に「死の教育」として可能かどうか試された。
 死のシュミレーションとは、初めに15枚のカードを参加者に配り、空気や水など自然界で大切なもの3つ、仕事や趣味など活動で大切なもの4つ、お金や家など物品を4つ、子どもや兄弟など大切な人を4人、それぞれ書いてもらう。そこから一人ひとりが主人公になって疑似体験が始まる。

 司会が、「病院に行ったらガンかもしれないので検査をしますと言われました。あなたの大切な『物品』を書いた紙の中から2枚捨ててください」。「1週間後、検査結果を聞くため病院の玄関にいます。大切な『活動』を2枚捨ててください」。「ガンですが、治療すれば大丈夫ですよと言われます。大切な『人』の中から1人捨ててください…」。物語はどんどん進み、大切なものを書いた紙は残り少なくなっていく。 
  この疑似体験は、患者の喪失感を経験することによって、失うことの寂しさを共有することが出来るかもしれないが、一方的であることは否めない。

 「いま私にあるものを10数えて眠りにつく…」という言葉を新聞で読んだことがあった。すでに賜っているものを、あらためて数えあげてゆく。「目が見える、手がある。自由に呼吸をすることが出来る…」。 数え上げたらきりがない。捨てることよりも、数えてみることによって、感謝の念が生まれ、心豊かに眠りにつくことが出来るという。

  ※ ホスピス:末期癌(がん)患者など死期の近い病人を対象に、延命処置を行わず、身体的苦痛を和らげ、     精神的援助をして生を全うできるように医療を行う施設。



自身の業仕分け】                        2009年12月
 
今年の流行語大賞は「政権交代」になったとか。でも、年末に限っての流行語は「事業仕分け」だった。行政刷新会議による事業仕分けは、今まで雲の上であった予算配分を、国民の目にさらし、公共事業の無駄を世に問う画期的な試みだった。

 落語に、確かこんな噺があった。       
ケチな大店の主人が、店の経費を徹底的に削減したいと思った。ためしに、奉公人の半数にヒマを出してみると、商売は順調にいく。それでも無駄はないかと考えて、残りの奉公人もすべてヒマを出した。 それでも、夫婦だけで商売は成り立った。
 さらに無駄はないかと考えると、女房を持つこと自体が最たる無駄だと、これを離縁する。これでも何とか商売になった。ただ一人となった主人は、考えた。「もっと無駄なものはないか?」と。その結論は、「自分自身がいなければ無駄はなくなる…」だった。

 自分の意志や力で、思いもままに、自由に出来るものに何があるかと、自身の仕分けをしてみる。自身の願いや意志に反して、すべてが縁によって生じ、縁によって滅するものであり、最終的に自力無効のわが身であると知らされる。

 それでは、人生そのものが全く無意味であるかといえば、そうではない。さらに仕分けされた私を分析してみる。すると、無力に等しい私ではあるけれども、その私がいかに多くのものから助け支えられていたのかと目覚め、180度の転換がなされるとき、それを、親鸞聖人は「往生」とおっしゃった。

  往生というは、『大経』には「みな自然 虚無の身、無極の体を受けたり」
     とのたまえり (真宗聖典 P.323)



母親の能力】                      2009年11月の2)
  2009.9.30
 












































 9月30日、真宗本廟(東本願寺)の御影堂の屋根修復が終わり、親鸞聖人の御影が、6年ぶりに元に戻される「還座式」が執り行われました。
 全国から1万人を超えるご門徒が見守る中、輿に乗せられた御影が、雅楽を先頭に御影堂正面から入堂し、御厨子に安置されました。【写真】

 「還座式」の写真が大阪の『南御堂』紙に載っていました。それを見ていた坊守が、「ウチの子が写っている」と言います。「親バカもいいかげんに」と言いながらも、友人の大阪教務所長に電話して、写真原稿をメールで送ってもらいました。(もっと親バカ)

 デジカメ画像を拡大したら発見しました。関係学校(大谷高校)の代表として、次男が列に参加していたのです。(代表といっても、学業成績とはまったく関係ありません)
 それにしても、小さなモノクロ新聞写真から、わが子を発見する「母親」とは、恐ろしいものです。
 そういえば、50mほど離れたところに保育園があって、家の中から「ウチの子が泣いてる」と、長男の泣き声を聞きわけた能力もありました。



弥陀さんは 留守】                        2009年11月



あわてない あわてない 一】                    2009年9月
  

 
昨日、民主党の鳩山政権が誕生した。戦後の、ほぼ一党独裁政治から、どのようにチェンジ出来るか、少なからず期待している。とはいっても、国の莫大な借金、業界とのしがらみ、諸外国との約束事など、70年以上にわたる負の遺産は、あまりにも大きく重い。

 新政権は「脱官僚依存政治」を実践するとしている。先月、高級官僚を題材とした小説を3冊読んだ。登場人物はともかく、そのおぞましい実態は、まんざら虚構ではないと思われた。 まさに、事務次官という最後のイスをめぐる「イス取りゲーム」だ。それも二、三期に一人。途中までゲームに勝ち残った者は、官製法人の理事長か、大企業の会長、社長に。早く脱落した者は、それでも不本意ながらも天下り先が約束されている。これは長年培われたキャリア官僚の特権意識と、本能というしかない。

 「有漏路より無漏路へ帰る ひと休み  雨降れば降れ 風吹けば吹け」(一休)

 有漏(うろ)とは「迷い」、無漏とは「悟り」のこと。この世は、迷いの世界からお浄土へ帰る途中で、一休みしているようなものだから、ありのまま、無理せずに、素直に生きよう、という意味か。この歌によって華叟禅師から「一休」の道号がつけられたといわれている。

 この歌を英訳、再び日本語訳したら「目的地がなければ迷うこともない」となったという。官僚の皆さん、イス争奪を目的とする迷いから解放され、国民のため、定年までゆっくりとお勤めください。アニメの一休さんも「あわてない、あわてない、一休み一休み」と。




る瀬 無い心 】                    2009年8月
   
 
「E=mc 」この5文字が、人類にとてつもない悲劇と、将来の繁栄の可能性をもたらす式となった。アインシュタインの「特殊相対性理論」だ。この理論から20世紀の原子力の時代が始まった。功罪相償うなのか、功罪相半ばするというべきか。
 氏は、戦前来日した際に、「仏とはどういうものか」とたずねられた。英仏語に堪能な大谷派の僧、近角常観 師は、おもむろに「姥捨て山」の話をされる。

 毎日の食料に事欠く寒村で、働けなくなった老母は、家族のために「そろそろ頼む」と申し出る。泣く泣くせがれは、老母を背負って山奥に向かうが、背中の母が、時おり枝を折っては道に捨てていることに気がついた。「覚悟をしているはずの母が、未練なことだ」と、せがれは、むしろ反感をもった。
 ところが、山奥に老母を置いて帰ろうとすると、老母は、「おまえが無事に帰れるように、枝を折って目印をつけておいたから、どうか迷わないで帰っておくれ」と合掌して言った。せがれは愕然とする…。

 母から願われているのに気がつかず、むしろ反感すらしている。それでも、母は願うことを止めるわけにはいかない。その母の「やるせない心」が「仏の心」だと近角師はおっしゃった。それを親鸞聖人は、正信偈に「大悲 倦きことなくて 常に我を照らしたもう」と述べられ、東井義雄氏は、「拝まない人も拝まれている。拝まない時も拝まれている」とおっしゃった。



うどんか ばか】                    2009年5月
   
 
糸魚川市の知人の、書家でもあった先々代ご住職が、そば屋さんに「店に何か書いてくれ」と頼まれ、墨痕あざやかに「優曇華 卒婆華」と書いた。
 ありがたいお経の言葉のようであるし、店主は感激した。ところが、どういう意味かさっぱりわからない。 「うどんか そばか」と読ませる。うどんは茹でるのに15分もかかるのに対し、そば粉十割のそばなら、ものの1分もかからない。準備の都合上、具を何にするかは後にして、まずうどんにするか、そばにするかを決めてくれという、そば屋にピッタリのシャレだ。

 ところで、優曇華は3000年に一度咲くといわれ、仏が世に出現することが稀有であるたとえとして、お経に引用されている。実は、優曇華は、いちじく(無花果)と同様に、花嚢の中の多数の花が実に見え、華は咲かないと思われている。外から見えないから、気が付かないのだ。
 法蔵菩薩は、地獄、餓鬼、畜生道を歩む人のない世界を願われ、その願いが成就して阿弥陀仏となられた。法蔵菩薩の「蔵」(akara)は、鉱脈・堆積という意味。いつの間にか地表に覆われ、外からは見えなくなってしまったが、地下の鉱脈として存在し続けているという意味の名だ。

 言い換えれば、私たちは生れながらにして三悪道を歩みたくないと願っていた。それが、生まれてからの刹那的な願い(得したい、勝ちたい…)のために、いつの間にか埋もれてしまった。しかし、その本来の願いが、厳然と鉱脈として私たちに存在していると、見てくださっている人を、法蔵菩薩という。



『おくりびと』はない】                    2009年3月
   

 
映画『おくりびと』が、アカデミー賞を受賞した。死そのものをタブー視する現実にあって、その仕事に携わる方々と、死にゆく人の尊厳を問い直すきっかけになる映画だと思う。(だが、映画を見るつもりはない)
 その評判に違和感があって、原作といわれる『納棺夫日記』(青木新門)を探し出して、あらためて読んでみた。15年前に妻が買ったものだ。 
 本は3章構成になっている。第1章は日記風で、映画の主要部分。第2章は、さまざまな死、すなわち水死、轢死、焼死…。きれいごとではない現実が書かれている。

 第3章では、多くの人の死に向き合った青木さんが、親鸞聖人の『教行信証』『和讃』、また『歎異抄』『御文』を多数引用し、生きとし生けるもの一切を救っていく如来に帰依せずにはおれないと述べられ、最後の2行が次の言葉で結ばれている。
   帰命無量寿如来  とわのいのちと
   南無不可思議光  ふしぎなひかりに帰依します

 青木新門さんは、最も重要な第3章をまるまるカットしたこの映画に、書籍名と著者名を出すことを拒否された。『納棺夫日記』は、純粋な信仰書であるのに対して、映画は人間ドラマ(『映画プログラム』より)になっているからだ。
 この本以上のものが映画にあるはずはない。あるとすれば、モッくん(本木雅弘さん)の迫真の演技か。これは、少し見たい気もする。




ゲーテッド タウンの 】                    2008年12月
   
 
アメリカの超高級住宅街をまねて、東京にもゲーテッドタウン(住宅街を塀で囲み、居住者以外は出入りできない街)ができたと新聞にあった。宅配便をよそおった凶悪事件があったばかりなので、関心をひかれるニュースだが、数千万円の年収でなければ、入居出来ないらしい。

 自らと家族が幸せになるために、懸命に働き、貯蓄をし、家を建てる。さらに、かけがえのない財産を守るために、ゲーテッドタウンは無理としても、塀を高くし、錠前を増やし、セコムに加入し、モニター付きドアホンも設置する。これで安心か。
 曇鸞大師は、この娑婆世界を生きる人間の相を「蚕繭の自ら縛る如く」といわれている。カイコがサナギになるときに、自分を守るために約1000m以上の糸を吐き出し、繭玉を作って閉じこもる。だが、10日もすれば成虫になれると思って安心した矢先に、熱湯に放り込まれては元も子もない。

 自分の思いだけの世界で、実は頼りにならないものを頼りとしている者に、仏は「哀れなるかな衆生よ」と呼びかけてくださっている。「回心というは、自力の心をひるがえし、捨つるをいうなり」と親鸞聖人がおっしゃるように、地位や財産を頼りにしているうちは、逆に心穏やかではいられない。それを離れ、頼りとせず、無条件に安んずる大地(浄土)を求めよとおっしゃる。「老病死」は、どんなセキュリティーシステムでも防ぐことは出来ない。




環する われら 】                           2008年11月
   

 原宿の若者に人気のあるといわれている麻生さん、その若者たちとの共通点が、なんと「マンガ好き」だった。先日のニュースでも、ベーゴマを器用に回してみせ、庶民派を大いにアピールされていた。

 コマ遊びは、奈良時代に中国から伝わった。純国産の「地球ゴマ」は、玩具でありながら、「遠心力応用科学教育玩具」として、高校・大学の教材でも活用されるコマとなった。やがてコマの原理は、一軸の遊びの世界から、三軸のジャイロスコープとなって、とんでもない方面に応用されてくる。船舶や航空機、ロケットやミサイルの自律航法、身近なものでは、カーナビやデジカメにも応用されている。

 だが、それは高速で回転し続けるからこそ、性能を発揮し、進むべき方向を指し示すのであって、生身の人間としては、それが出来ない。まさに、自転車は、走り続けなければ転んでしまうのだ。

 曇鸞大師は、この娑婆世界を生きる人間の相を「尺蠖循環する如く」といわれた。尺蠖とは尺取虫のこと。尺取虫が丸い器のふちに置かれると、内にも外にも出られなくなり、休むこともできずに死ぬまで回り続けることになるという。

 忙しいというと、いかにも充実しているようだが、「忙」の字は、心をなくす、つまり大事なことを忘れているということだ。安田理深先生は「忙しいというのは、怠けている証拠だ」とおっしゃった。




出来るか 】                           2008年9月


   
 
 連日、自民党総裁選のニュースでお祭り騒ぎ。現状の議席数では、総裁イコール総理。この困難な政局の中で、あえて貧乏くじを引く立候補者がいるのかと思ったら、5人もいらっしゃったのには驚いた。
 5人とも口をそろえた様に、まず景気回復という。この数年、「いざなぎ景気」を超える大企業の収益があったという。ところが、私たちにはその実感がない。当然だ。規制緩和による派遣社員などの多用によって人件費を削減すれば、大企業の収益は上がるが、逆に国民には消費能力がなくなる。素人目にもそう思える。

 お釈迦様在世時に、インドのマガタ国の王舎城に起こった悲劇がある。父を殺害した罪に苦しみ、病に臥せる国王阿闍世に対して、家臣達は、殺害の責任は父自身にあり、とにかく王は愁い悩む必要はないのだと慰めようとした。要するに、他に責任転嫁して、罪の意識から逃れさせようとするが、苦しみは消えない。

 ところが、仏陀を尊敬する名医・耆婆は「安くんぞ眠ることを得んや(安らかに眠ることができますか)」と問う。安穏に眠ることが出来ないのは、慙愧の心がある証拠であり、その心がこそが大事だ」と説く。責任回避から一転して、自己責任を認めることから阿闍世は救われていった。

 今、不安定な非正規雇用者が3割を超える現状に、為政者は、安らかに眠ることが出来るのだろうか。国家権力とは、国民に責任と義務を負わせることではなく、国民が安眠できる社会を、それこそ不眠不休ではたす責任能力ことだ。間違ってはいけない。




(ざんぎ)ありや なしや 】                   2008年8月


   

 平和に、話し合って分け合うことはない。とにかく、取るか取られるかだ。竹島のことではない。大学生による「ロボコン」、ロボットコンテストのこと。若者らしい奇抜な発想と技術の対決。子どもたちの理科離れが進み、国際競争力が落ちてきた技術立国日本の将来を見据えた企画だといえる。

 ところが、ある一戦を見て、興ざめしてしまった。妨害だけが目的の自動ロボットが出現し、不利と見るや、相手の獲得ポイントを減らす工作もする。想定外の作戦に、正統派のロボットが、その性能を発揮できないまま成すすべもなく敗退した。まさしく冷酷無比、残忍非道。競技ルールを研究し、そこに定めのないことは何でもOKというのは、大会の趣旨に合致しないし、見ている者に、やるせない思いを残す。

 ルールブックとは、人の守るべき最低限のルールが書いてあるのであって、それがすべてではない。「その金は、法にしたがって適正に処理しています」とか、法の網をくぐり抜けることに長じている人が得をする世の中というのは、いささか納得できない。少しの後ろめたさもなく「してやったり」と、ほくそ笑んでいるならば、「チクショウ」と言われるだろう。

 『涅槃経』に、「深く悔いの心をおこして、自ら罪をつくらず、他になさしめず、内に羞恥し、人に羞じ、天に羞じることを【慙愧】という。無慙愧は【人】とはいわない、【畜生】と名づける」とある。
  優秀な官僚を多数輩出しているその大学に、その能力を悪いことに使わないでと願わずにおれない。




んでくれて ありがとう 】                   2008年5月-2


   河合谷小学校最後の卒業式 
 
 3月の卒業式に、多くの子どもたちが、夢と希望をもって次のステップへと歩みだした。先月、朝日新聞の投稿欄で、こんな投稿があった。

 担任の先生が、卒業にあたって子どもに、ひと言手紙を書いて欲しいと頼んだ。母親は、いろいろと考えたあげく
「生まれてくれてありがとう」と書いた。
 卒業式の日、思いがけず娘からも手紙が渡された。先生が、親子それぞれに内緒にして依頼してあったのだ。娘からの手紙を開けると、思いがけない言葉が書いてあった。
「お母さん、生んでくれてありがとう」。
 その後の言葉が、どっとあふれた涙でにじんで読むことが出来なかった…。
(要旨)

 お互いに、言いたいことは山ほどあったはず。
「大人になったんだから、これからはお手伝いしてね」
「高校生になったんだから、お小遣いを増やして、携帯も買ってね」等々。
 けれども、ただひと言となると、そういうわけにはいかない。目先のことは抜きにして、これだけは言わずにいられないという言葉を探した結果が、
「生まれてくれてありがとう」
「生んでくれてありがとう」だった。 
  
 『南無阿弥陀仏』というお念仏の意味を、「いのちは絶対に尊い、ということにうなずいていきます」と了解される方がいらっしゃる。「このいのち、有ること難し、有り難し」といただけた究極的なひと言は、母娘のお念仏でもあった。





「禁の村」 の小学校 】                2008年5月




 
 
 4月20日付の朝日新聞の「縁」の欄に、私が卒業した小学校(石川県津幡町河合谷小学校)の閉校の記事が載っていました。
 その前に、やはり、ふるさとを離れた兄からと、私の長男から聞いていましたが、いざ、新聞を目にして、全身から湧き上がってくる感情を抑えることのできない自分に狼狽しながら、記事を切り取っているわたしでした。

 子供のころ、母から聞いた話ですので、正確ではないかも知れないのですが、もともと学業に対して、とても熱心な土地柄で、明治8年には小学校が創られ、25年には高等科も併設されたそうで、近隣でも珍しく、遠くから学校に通ってきていたそうです。

 しかし、大正時代になって、老朽化した校舎を建て替える45000円(当時)の予算は、村にはありませんでした。そこで、大正15年、学校建設のために、「酒を売らない。買わない。持ち込まない」という、「全戸禁酒」の取り決めをつくり、酒を飲んだつもりで、毎日一戸5銭以上貯金する「つもり貯金」始めました。
  そのため、村に8軒あった酒屋さんは、すべて自主廃業しました。5ヵ年計画で、見事、学校を改築することができたのだそうです。 

  その後も、よいことは続けようと、「禁酒の村」は、戦争が終わるころまでありました。
 私の母は、大正15年生まれで、「禁酒」をして建てた真新しい学校の入学、卒業生であることに、とても誇りをもっていました。
 実際、私が入学したころは、もう、とても古くなっていましたが、木造の廊下や柱がよく雑巾がけされていて、ピカピカだったことを覚えています。

 昭和46年、その校舎は取り壊され、鉄筋三階建てに再改築されました。でも、一時、300人いた児童も、13人に減少してしまいました。そこで、町議会は、児童減少と高額な耐震補強工事費を根拠に、廃校の方針を打ち出しました。

 特に思い入れのあるこの学校を存続させようと、住民から3000万円の寄附の申し出があったり、地元住民の5倍もの署名を集め、議会に直接請求しましたが、議会の方針をくつがえすことが出来ずに、3月に130年の歴史に幕を閉じました。
 私は、小学校、中学校の9年間、お世話になった木造校舎が、今でも鮮明に、浮かんできます。いつも、心のどこかで、「禁酒の村」の出身という誇りをもって生活している気がします。  【坊守】
         (ちなみに、寺報表紙の版画家・谷内正遠さんは、9年間、ご一緒した同級生です)


『新飯田保育園』も、「禁酒の村」にはかないませんが、昭和31年、地域の強い要望で、全くの素人保母さんが、地元の強力な支援を得て、大変な苦労して等運寺内に立ち上げた保育園が始まりです。安易な理由で、絶対に閉園にしてはいけません。 
 幸い、新飯田住民の意思は、「統合反対。新飯田保育園存続」と、圧倒的多数で決しました。子どもは、地区全体で見守り、育てるものです。お一人お一人が強い意志を持ってご支援ください。


                                 
生日 ご命日 】           2008年3月


 
 
 誕生日になると、また一つ歳をとってしまったと、憂鬱な気分になるが、子どものころは、プレゼントがもらえるかもしれないと、待ち遠しかったものだ。
 ところが、映画評論家の淀川長治(故人)さんは、誕生日は母親に感謝する日だという。

  【誕生日】
  私は 母と一緒に過ごします
  誕生日というのは
  自分が祝ったり
  祝われたりする日ではありません
  お母さんに 感謝する日です
  母と食事するなり
  いなければ お墓に行くなり
  母を考えて過ごす日です     (淀川長治)

 15年前、『真宗講座』を受講し、帰敬式(おかみそり)を受式して法名をいただいた方の中に、毎月の「月忌まいり」を、亡くなった親の命日から、自分の誕生日に変更して、住職と一緒に、お正信偈をお勤めている方がいらっしゃる。

 親の命日だと、ついつい追善供養のお念仏になってしまうからだという。「親の命日」を「私の誕生日」に替えることによって、私にまで至り届いたいのちの不思議と、ありがたさに感謝する「仏恩報謝のお念仏」を申したいという、すばらしい試みだ。

 誕生日と命日。正反対の言葉のようだが、その日を、私自身を見つめなおし感謝する機縁としての「いのちの日」という意味では、同義語だ。




 
見 酒 経 済 】           2007年12月


 

 石油価格が上がっただけで、あらゆる商品が値上がりし、それに敏感に反応して消費は冷え込んでいる。石油が足りなくなったのではなくて、サブプライム・ローン問題で、投機買いが一気に石油に転じたためだとか…。

 要するに、お金だけが頻繁に動くけれども、物が動くわけではない。一般人には実態がよくわからない。ちょうど落語の「花見酒」のようだ。

 熊さん八つぁんが、花見客相手に酒を売ってもうけようと、ありったけの金を出し合って酒を仕入れ、樽をかついで歩いているうちにのどが渇いた。酒は売り物なので、熊が金を八に渡して一杯飲んだ。八も熊にその金を渡して一杯飲んだ。その金で交互に飲んでいるうちに、樽はカラになってしまった。金を数えてみると、少し残しておいた金しかない。「おかしいじゃないか」「オレが金を払って飲んで、オマエが飲んで……、で売り切れた」「そんなら無駄がなくってよかった」というオチ。

 実は「花見酒」は実態のない経済ではない。りっぱに熊と八の「満足」という実態があり、投機買いにも一般消費者の「大迷惑」という実態がある。

  新飯田・円通庵の有願さんが亡くなって200年になる。有願さんは、人間が死んでから骨になるまでの相を「題九相図」に詠んだ奇僧だ。きっと死体が腐乱していく実態をじっと観察されたに違いない。ところが現代は、九相の実態を見ることはない。それどころか、政治も経済もすべて虚構のゲーム感覚だ。




 
過去 未来                        2007年11月


  日本海側から見た地図。
   下に佐渡島の一部が見える
 
 
 この春、あるご門徒の方から、越後の国の古地図「寛治の絵図」を寄贈していただいた。寛治3(1089)年7月、源義綱の家臣、佐々木三郎兵衛信慶の作図だ。その真偽の程は後述(別頁)することにして、見れば見るほどおもしろい古地図だ。

 弥彦山と角田山が半島となって、現在の新潟平野が海になっている。信濃川からの堆積物が積もって、海が沼となり、農民の築堤と排水のたゆまざる苦労の結果、1000年かけて肥沃な新潟平野が拓かれたのだ。過去の先人のご苦労がしのばれる。

 「過去・現在・未来」。昨日が過ぎて今日になり、そして明日になる。生活感覚と実際の時間からすれば、永遠の過去と永遠の未来の間の現在は、一瞬でしかなく、また不確かなものだ。いつも過去を懐かしんだり悔やんだり、また、まだ来ぬ未来を夢見ながら、浮き草のような生き方をしている私たちだ。

 ところが、仏教では「過去・未来・現在」と言い表わす。現在は、常に過去を背景として、未来を内容としている。私には常に現在しかない、永遠の今、「過去と未来の現在」を生きるといういただき方をすると、こういう順番となる。

 過去にも未来にも責任を持った現在の生き方問われている。100年後、地球温暖化によって1000年前の古地図と同じ地形になるかもしれない。
 と言いながら、先人への感謝の念をわすれ、無責任にも化石燃料を浪費している毎日だ。




 
何をったの? 】                          2007年9月
 

 
 
 3年ほど前、大先輩から、「【仏事】という言葉に、あえて言葉を付け加えると、どうなる?」と問われた。
「それは【仏教行事】じゃないんですか」と言うと、「それは違う、形はそのとおりだが、そのこころは【仏法大事】といただくんだ」とおっしゃった。

 なるほど、行事であるならば、親戚の法事に参加し、町内のお通夜に顔を出せば、それで義理は果たしたことになる。それでは、せっかくの仏事が意味を持たない。時間の無駄遣いだ。全く他人の仏事でも、それをご縁として、この私が仏法を聴聞させていただく場とするんだという姿勢、主体性が「仏法大事」といただくことなのだ。

 おばあちゃんがお孫さんと散歩をしていた。いきなり走り出した孫が転んで大声で泣きだした。その時私たちはどうするか? たぶん抱き起こしてオロオロするばかりだ。
 ところが、そのおばあちゃんは悠然と言った。「何を拾ったの?」。男の子は転んだまま思わずまわりを探して、小さな葉っぱを見つけた。「これ」とおばあちゃんに見せると、「そう、よかったね」。男の子は涙でクシャクシャな顔になりながら、ニッコリと笑った。

 「生老病死」は人間としてまぬがれることの出来ない苦しみだ。出来れば避けたい。けれども、その苦しみの中に意味を見い出すことが出来れば、苦しみが苦しみではなくなる。大切な人の「死」さえも、仏法大事といただくと、永遠のお別れではなく、新たな出会いの始まりと気づかされる。             (9月の2に関連記事)




法 大 事 】                       2007年9月の2

前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪らえ、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり。 
 
 14〇〇年前の中国の道 綽 禅師のお言葉です。

 道綽は、インド、中国の先師に、人間として生きるということはどういうことであるのかを懸命に尋ねられました。
 親鸞聖人が著書『教行信証』の最後の部分にその言葉を引用されたのは、同じ思いがあったからに違いありません。
 親鸞聖人は、自己を見失い苦悩する者が真に人間として生きる確かな道は、阿弥陀の本願を信じ、ただ念仏することのほかにはない。このことを親鸞は法然上人から教えられたのです。
 それはインド、中国、日本の七高僧(龍樹、天親、曇鸞、道 綽、善導、源信、法然)の歴史。仏法を依りどころとして生きることの大切さを呼びかけられ、導かれていった念仏の歴史でもあったのです。
 これは後の世を生きる私たちに対する親鸞自身の呼びかけであると言えます。

 「前に生まれん者は」を、「前にお浄土に生まれた者は」と読み替えてもいいと思います。
 私自身の本質は、楽したい、いい思いしたいというきわめて打算的なものですが、そんな私も、「それでよいのか、恥ずかしくはないのか、後悔しないか」という自戒の思いにかられることがあります。
 自分の力だけで生きていると思っている私からは、「有り難い、かたじけない、申し訳ない、もったいない」という思いは決して出てくるわけがありません。
 その私から時々そんな思いが出るということは、私に先立ってお浄土に諸仏として生まれた方からの「用らき」があるに違いありません。

 キリスト教の結婚式で「神と聖霊の名ももとに、死が二人を別つまで…」という言葉があります。「死」をもってすべてが終わり、バイバイでいいのでしょうか。

 大切な方の「死」さえも、そのことをご縁に仏法に出会い、生きることの意味を見い出すことができれば、悲しみが悲しみでなくなり、別れが、亡き方との新たな出会いの始まりといただけるのでしょう。

 悲しい思いをして、
「それで、何をひろった の?」
「人間いつかは死ぬんだなぁということに、初めて気がつきました」
「そう、よかったね」

 亡き人をご縁としての仏事が、「仏教行事」ではなく、「仏法大事」といただけると、ますますその「用らき」が私の上にはっきりしてくると思います。




 
あるものを える 】                          2007年8月

 
  
 「最後の、最後のお願いでございます。明日の投票日には、○○をよろしくお願いいたします」。選挙には大変関心があるものの、名前の連呼だけは耳障りなものだ。それは、耳を塞げば済む。 
 ところが、どんな高級ホテルよりもくつろげる場所、家族のよりどころとなる家が、ミシッ、ミシッときしむ音は、心を凍らせるような音だ。

 柏崎市には、親戚と友人が多い。たった一人の姉にやっと電話が通じた。姉は以外にも明るかった。
「大丈夫だよ。みんな無事だし、家も一応建っているし、電気もあるからね」。
 二日後は、
「自衛隊のお風呂は気持ちがいいよ。水は、お嫁さんのご両親が、山の自然水を大量に運んでくださるし、つくって来てくれる野菜の煮物がおいしいから、何だか【地震太り】してしまいそう」。

 「危険」という赤紙が貼られ、3年前の地震に続いて、家と家財が惨憺たる有様なのに、まるでピクニック先からの電話を聞いているようだった。

 私たちは、あれが欲しい、これも足りないと、ないものを数えあげ、得られない現実に落胆し、苦悩する。それでは、いつまでも救われることはない。 ないものを数えるのではなく、今あるものを数える。そこには常に感謝と満足がある。寺に嫁いだ姉の、何気ないことばに、大事なことを教えられた。

     
 《中越沖地震で被災された皆様には、心からお見舞い申しあげます》



  
兵 戈 (ひょうがむよう) 】                       2007年5月

 
  
 
 バージニア工科大学で起きた学生による銃乱射事件と、長崎市長銃撃事件は、世界を震撼させた。

 いうまでもなく、銃は、はじめから人を殺傷することを主目的としてつくられた道具だ。かんたんに銃が手に入ること以前に、武器の輸出が、一国の経済を支える陰の巨大産業となっていることにも問題がある。

 農業国であるはずのフランスが、世界第三位の武器輸出国であることはあまり知られていない。フォークランド紛争で、イギリス艦船がフランス製のミサイル「エグソセ」で撃沈され、フランスは対立する両国に武器を売る「死の商人」といわれた。

 永世中立国であり、国連本部がおかれているスイスは、第一次世界大戦までの300年間、傭兵の輸出が主要産業だった。雇われた兵士は、ヨーロッパ各国の戦場で50万人が戦死し、「血の輸出」といわれた。また1970年代までは、米国をしのぐハイテク兵器生産国だったことを知る人は多くない。

 武器はその規制方法ではなく、基本的に持たず造らないことだ。釈尊は「兵戈無用」(軍隊も兵器も用いることがない平和な世界を)と言われている。その願いは、300万人の血の代償として得た「憲法第9条」と、まったく同じ願いだ。

 世界に誇れる「第9条」を変えようとしている人たちがいる。戦争の悲しみがいまだ消えないというのに、「歴史に学ぶ」ということが出来ないのだろうか。



  
現代版 子母神 】                                     2007年3月

 
  
 先日、約1年ぶりに実家へ帰ってきました。言い訳の言葉は、山のようにでてきますが…。
週に1度の電話では、感じられなかったことを実感してきました。

 夜中の1時半過ぎでしょうか、母が起き上がり何かをしています。
「どうしたの?」って、声をかけると、わたしがわからないようで、
「鐘を撞いて、ごはんを炊かなければ…」と、言っています。「まだ、早いからね。もう少し、寝てからにしようね」
 5時過ぎまで、そんな状態、わかっているけど。  父に感謝! 感謝!

 その日は、主人に、急な仕事ができ、晩遅くまで帰れないという。迷っているわたしに、朝になり、わたしとわかった母が、
「智海ちゃん(二男)が、学校から帰る前に、帰りなさい。」という。
一緒に行った長男も、「僕が、もう一晩とまっていくから、あとの心配はいらないよ。智海のほうが、今は、大事だよ!」父も、当然、という顔をしている。

 たった半日の里帰りになってしまった。でも、二男の帰る20分前に、家に到着。
 玄関を開ける音に、大きな声で「おかえりなさい!」彼は、びっくりしたような、照れくさそうな、うれしそうな顔を見せてくれた。 認知症になっても、『母の心』を忘れない母に感謝! 感謝!                                     
                                            (坊)




                                          2007年3月 
回 ら な い 寿 】 

 
  
 「ひさしぶりに、みんなで寿司を食べにいこうか」 
 「エッ、それって回る寿司? それとも回らない方?」と、二男。
 「エー、つまり…回る方だ」
 「ワーィ、本物の寿司だァ」
 「?」。

 「晩ごはんは何?」
 「カレーだよ」
 「どんなカレー?」
 「エー、肉は豚のこま切れ、カレー粉は、ジャワとバーモントのミックスだ」
 「やったー、本物のカレーだァ」
 「エッ??」。

 彼にとって、回っている寿司と、固形のカレーが本物であって、にせものとは、スーパーのパック入りの寿司と、温めるだけのレトルトカレーだったらしい。我が家の、なんという貧困な食生活だ。

 中国の曇鸞大師の著書に「けい蛄は春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや」(『往生論註』)とある。けい蛄は蝉、朱陽の節とは夏のこと。夏に生まれ、夏しか知らないセミが、どうして夏を夏として認識できるのかという、おもしろい反語表現だ。 

 私たちは、自分が知りうる世界の中だけで、自己中心に物事を判断している。それを本物と思い込んでいるから、「迷いの世界」を生きていながら、そのことに気づかないし、自分の目で、自分をどれだけ見ようとも、自分の「まよい」に気づくことは難しい。

 「お浄土」という本物を知らされることによって、私たちがニセモノを本物と思いこんでいる「まよい」の姿が知らされる。
 かといって、一流の寿司屋のカウンターに、二男を座らせるつもりは…、全然ない。


                     
                                          2006年12月 
ゼ ロ ベ ー ス 】 

 
  
 
 この時期から3月の決算期にかけて、全国どこでも公共事業の最盛期だ。要するに予算を残さず消化して、翌年の予算獲得への実績づくりとも揶揄されることがある。

 いわゆる前年度をベースとして、新年度を考える手法は極めて合理的であり、どの機関、会社でも取り入れている。
 反面、庶民感覚でもわかるような不条理な問題も起こってくる。所轄部署の違いという理由で同じところを何回も掘り起こす重複工事。さらには、利用客が少なく大赤字が想定される新設空港、無意味で自然破壊を起こしかねないダム工事など。

 ある外食トップ産業になった創業者は、「ライバルは他社ではなく、昨日の我が社です」と言った。日々努力目標を掲げ、必死の努力をし、前日をベースとしてさらに積み上げる。それは悪いことではない。
 だが果てしない上積みは社員にはつらいことだ。昨日までを不変のベースにすれば、さらなる欲に苦しむことになる。ちょうど、のどの渇きに耐えかねて海水を飲むと、ますます乾きに苦しむのと似ている。

 「現在の自分」ほど頼りないものはない。健康、家族、財産、そして寿命。確実に私の手から離れていくものばかりを頼りとしている。
 ゼロベースの私、本当の私は、何を求め、何を喜びとするのか。そのことをあらためて考えさせられるのが「修正会」。日頃忘れていても、ふと考えさせられるように人間はなっている。それは阿弥陀さまの「はたらき」。


  
  【ゼロベース予算】 現行の事業・新規事業の別なく、すべての予算項目について既得権を認めず、
                 毎年ゼロを出発点として査定し予算を編成する方式。
                     

                                         2006年11月 
問 い 方 の 】 

 
  
 
 ある大手調味料メーカーの売り上げが年々下がってきた。社内の、とりわけ優秀な幹部社員が集まって、その対策会議を開いた。「どうすれば、売り上げを伸ばすことができるのか」と。

 あらゆる分野で検討された。新商品の開発が必要なのか。いや、テレビで大々的なコマーシャルを展開してはどうか。それとも、全国のスーパーで、いちばん目立つところに置いてもらうように、奨励金を奮発してはどうか…。

 いずれにしても、それらの経費は莫大であり、成否によっては会社の存立をゆるがしかねない大問題だった。

 行き詰まった会議の様子を聞いた部外者の女性社員がつぶやいた。「調味料容器の穴を大きくすれば、減るのが早いのに」と。穴の大きさにかかわらず、容器を振る回数は変わらないという女性の生活感覚だ。その一言で、全く経費をかけずに、売り上げが過去最高になったという。

 「問い」が間違っていたのだ。「どうすれば売り上げを伸ばすか」ではなく、「どうすれば多く消費してもらうか」だった。

 「どうすれば長生きできるのか」という「問い」では、満足できる結論も結果も、永遠に出るはずはない。「このいのちを、どのようにいただくことができるのか」。その「問い」が正しければ、おのずからその答えは定まってくる。

                     
                           
                                         2006年9月 
康な日を 三日ください 】 

 
  
 今年の夏は暑かった。読経の時、背中からの扇風機の風は、涙が出るほどありがたい。その置き場所と風量しだいで、よくロウソクが消えてしまう。

 「あっ、消えてしまいますね」と、扇風機をプッツン。「心頭滅却すれば火も自ら涼し」などと、恵林寺の快川和尚のようにはいかない。読経をやめて「ロウソクなんかどーでもいい、扇風機つけろ!」と言った住職がいらっしゃったとか。そこまで本音を言う勇気はないから、あきらめてひたすらガマンする。 

 蛍光灯は暗い部屋を照らすが、ロウソクの灯は、智慧の光明、心の「無明の闇を破す」という意味がある。真実の智慧に昏く、真実に背を向けて生きている私たちに、「目をそむけるな」という促しだ。私たちの最大の暗闇が「老・病・死」。できれば避けて通りたい。逃れられないのであれば、考えないようにしよう。けれども、だれもが近い将来、自分の責任でこの大問題を始末しなければならない。

 『病院の外に、健康な日を三日ください…』という日記(下記)を遺して、長い闘病生活の末に女子学生が亡くなった。
 人生の最大事である「死」をわが身にしっかりと受けとめることによって、本当の「生」が見え、「ありがとう」と結ぶことができたのだろう。 いままで暗闇としてきたことが、「いきいきと生きる」ための大切なキーとなることを気づかせてくれる光明が、ロウソクの灯だ。


病院の外に、健康な日を三日ください。

一日目、私は故郷に飛んで帰りましょう。
 そして、おじいちゃんの肩をたたいて、それから母 と台所に立ちましょう。
 おいしいサラダを作って、父にアツカンを一本つけ て、妹達と楽しい食卓を囲みましょう。

二日目、私は貴方の所へ飛んで行きたい。
 貴方と遊びたいなんて言いません。
 おへやを掃除してあげて、ワイシャツにアイロンを かけてあげて、おいしい料理を作ってあげたいの。
 そのかわり、お別れの時、やさしくキスしてネ。

三日目、わたしは一人ぼっちで思い出と遊びます。
 そして静かに一日が過ぎたら、三日間の健康ありが とう、と笑って永遠の眠りにつくでしょう。
                                    
  『若きいのちの日記』より (学陽書房)

 昭和38年(1963)年8月7日午前11時25分、阪大病院東館711号室で一人の女性が、母親に看取られて静かにこの世を去った。彼女の名前は大島みち子。享年21歳。病名は軟骨肉腫。
 彼女には、互いに「ミコ、マコ」と呼び合う恋人がいた。彼の名前は河野実(こうのまこと)、中央大学の学生である。この日は彼の22歳の誕生日の前日だった。 
『愛と死を見つめて』 として映画化される。