【  】                          (1994年9月


 
今年も、夏休みに2泊3日と、1泊2日の『子ども会』を、妙高高原で過ごした。
 そのなかで、唯一の寺の行事らしいものは朝夕30分ずつの「おつとめ・法話または仏典童話」と「食前食後のことば」だけ。

 「もっと宗教色を濃く…」との声もあるがへたをすると、逆に速効性の毒薬にもなりかねない。あわてなくてもいい…。

 というのも、30年前の小学生だったころ父が演じた『鬼子母神』という幻灯劇を、1回見ただけなのに、今ごろになって鮮明に思い出すことがある。他人の赤ん坊をさらって喰うことによって、自分の1000人の赤ん坊を育てる鬼のような母が、お釈迦さまによって回心(えしん)される物語は、教科書にはない恐ろしくも、奇妙な物語としてよく覚えている。

 その物語の鬼子母神こそ『自己中心的な私の姿』を教えるものだと気付いたのは、恥ずかしいことに、つい最近のことだった。

 子どもたちが何10年後かに、自分のいのちも、他のすべてのいのちも尊ぶことのできる人間になるための『超遅効性の妙薬』(よき仏縁)となる可能性があるならば、来年も『子ども会』を続けなければならない。

                                          


                                             (1994年8月
 【 真宗の 】              


 お盆の由来は、『盂蘭盆経』にある。永い修行をようやく成し遂げた目蓮尊者が、その神通力で亡き母の居場所をさがしたところ、なんとその愛する母が、餓鬼道におちて苦しんでいた。

 目蓮は驚き悲しんで、水や食べ物を母に届ける。ところが、餓鬼となった母が手を出そうとすると食べ物はことごとく炎となってしまい、とうとう母を救うことはできなかったという……。

 目蓮の故事と同様に、私たちが考える『先祖供養』は、亡き人にごちそうを供え、冥福を祈り、思い出話などをするという一つの形式がある。極端にいえば、形式だけの供養は、自分の亡き人を思う心に一時的なおさまりをつけるためで、自己満足に過ぎない。あろうことか「家内安全・商売繁盛」までお願いするのは論外だ。

 真宗門徒においては、この世に生をうけた不思議さに感動し、このいのちを尊び、大切に生きようとする。亡き人をよきご縁とし、仏法を讃嘆供養することが、真の供養だと、お釈迦さまは、落胆する目蓮に教えられている。

                                         


                                      (1994年3月
 【 すません… 】              


 近ごろ、会話のなかで、やたらと「すみません」ということばを聞く。人を呼ぶにも「すみません」店でラ−メンを注文するにも「すみません」。要するに、謝罪するのではなく、たいして意味なく使われ、日本人の謙虚さともいえる。

 しかし、外国ではこれは通用しない。実際、外国で青信号の横断歩道をわたっている人をはねたにもかかわらず、その人の具合を見るわけでもなく、ヤジ馬に自分の正当性をさかんにアピ−ルしている運転手を見た。「オレは悪くない。コイツが馬鹿なことに、車の前を歩いたんだ」と。

 もし被害者が日本人で、うっかり「すみません(迷惑かけて)」と言ってしまおうものなら、悪くもないのに、後の裁判では必ず負けてしまう。

 ところが「すみません」とは、「未不済度」という仏教用語。まだ仏さまに救われていない未済度(みさいど)のこの身であるから、今生きている間に、仏に済度されなければならないという意味だ。

 本来の意味でこの「すみません」を使いたい。そのためには、仏法聴聞しかないと教えられ
ている。

                                        


                                           (1993年12月) 
 【  】              


 「おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたもう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちを、といきかんがためなり……。」(歎異抄 第二章)

 今から700数10年前、関東の門徒衆が京都の親鸞聖人のもとへ、それこそ命がけで念仏の教えを請うた有名な一節だ。

 時を経、このたび寝台車で京都への優雅な旅も、そのこころざしには変わりはない。(特集次頁
 皆それぞれに、期待と新たな出あいを求めて上山研修にのぞんだ。いわゆる、ためになる「おみやげ」を持ち帰ろうと……。


  最終日、本山の朝の法話で、布教使から、
「あなた方は、なにかしらのおみやげを持って帰えられるだろうが、親鸞聖人へのおみやげとして何を持ってこられましたか?」
 と問われ、思わず下をむいてしまった。


 酒は寝台車の中で飲んでしまったし、それらしいものといえば、食い残しのサキイカが少しあるだけ。さあ、こまった。

 ところが布教使いわく、親鸞聖人への唯一のおみやげは、
「おかげさまで、この私がようやく念仏申す身となりました。ありがとうございました」
 この一言しかないということだった。


 ぐうの音も出なかった。今度こそ同じメンバーで、聖人へのおみやげを持って上山したいものだ。

                                         


                                           (1993年11月
 【  】              


 九月下旬、長岡市で『橋のない川』原作者の住井すゑさんの記念講演があった。91歳のご高齢にもかかわらず、メモなし休憩なしで2時間40分、世の中の矛盾・不平等を力強く訴える姿に2000余人の聴衆の一人として、深い感銘を受けてきた。

 初めに『日本国憲法』の話をされた……。


日本は100ヵ条をこえる憲法と、それに付随する無数の法律を持ちながら、なかなか世の中はよくならない。それどころか、法律を最も守らねばならぬ人たちの犯罪が、後を絶たないではないか。

 南洋に浮かぶある国では、子供でも全文を暗記できる憲法があるという。それは、〔嘘をつくな〕〔盗むな〕〔殺すな〕の、たったの3ヵ条。それでも犯罪らしい犯罪もなく、国が立派に治まっているという。

 でも、今の日本はたった3ヵ条でも覚え実行できない人がいるだろうから、ただ
ウソをつくな」この『一ヵ条の憲法』以外は、とりあえず必要ない……」と。

 確かに法律をつくればつくるほどモラル(倫理・道徳)が失われていくような気がする。一人ひとりが良心に従って生きることができれば、その『一ヵ条の憲法』も、いらないのかもしれない。

 『良心』いわば、自らの心の底から「本当にそれでよいのか、恥ずかしくはないか」と、問いかける声、それを真宗門徒は、内なる法蔵菩薩の声としていただいてきた歴史がある。

                                       


                                           (1993年8月
 【  の 日 に 】              


 新飯田中学校ボランティア委員会の企画による、運動会への案内状が、先日父と母にも届いた。開催日である敬老の日にちなんで、地区内高齢者全員へ手書きの励ましをこめた案内だ。その気持ちも文章も実にさわやか。まだ老人ではないと言いながら、早速礼状を書いている姿はうれしそうだった。

 ところで『敬老の日』とは、単に外見上の『老人』を敬う日なのか? とするならば、人一倍年をとっていても、なお権力・金銭・名誉に血まなこになっている老人がもしいたとしたら、それでも敬うことができるだろうか?

 そうではない。『老』は、単なる『老人』の意味ではないようだ。老境・老巧・老練という言葉があるように、永年の経験と失敗の中で、今まで自分が追い求めていたものは、人間の煩悩の仕業であり、死ぬまで尽きることのないものという智慧をたまわった人。そんな人こそ敬われ、慰労される日なのだろう。

  しかも、その人を智慧ある者と(真宗では念仏者)見出す人たちがいて、はじめて智慧者が智慧者となるということがある。

 『敬老の日』とは、その人が生涯をかけてどんな智慧と徳をたまわったのかを学ぶ『若者の日』でもある。こころしなければならない。

                                          


                                      (1993年3月
 【  】              


 先月、年間200万人の観光客が訪れるという、亜熱帯の島沖縄へ、教区内の若手僧侶20人ほどで訪れた。サンゴ礁のリ−フに砕ける白い波は、私たちを夢の世界へと誘う。幸せそうな新婚カップルも多かった。

 ところが、私たちが主に訪れたのは、沖縄住民が、なかば日本軍に集団自決を強いられた、チビチリ洞窟などの洞窟だった。もちろん、駐車場も案内板もない。

 現地の反戦活動家に導かれて、270メ−トルの洞窟の奥深く入りこみ、全員が明かりを消して数分間、地下水のしたたる漆黒(しっこく)の闇の中にたたずんでいると、ある名状しがたい思いが全身をしめつけてくる。


 ふつうの観光コ−スでは、各県ごとの出身兵士の慰霊の塔、牛島司令官の黎明(れいめい)の塔などだが、これらは沖縄戦最大の犠牲者だった沖縄住民が、ものの見事に切り落とされている。また、ひめゆりの塔は、周辺が土産物店、有料駐車場、団体客用レストランなどで完全に観光化され、沖縄戦をしのぶよすがは、すでにない。

 政府・県・本土遺族の建立した碑や塔の多くは、「平和に……」あるいは「安らかに眠ってください」とあった。これらは「反戦」への意志をも、共々に眠らせてしまう危険性が十分にある。内実をこめた沖縄県民のいう「反戦」と、単に「平和」という言葉は、むしろ反意語でなないのか。現に「平和」のための戦争すらある。

「弔う」(とむらう)とは、もともと「訪う」(とぶらう)と書いた。とすれば石灰岩に混ざって、収集しきれない遺骨の「反戦」という、声なき声をたずね問い聞くことが、本当の意味での「弔う」ということだと思い知らされた。

                                         


                                        (1990年12月
 【 立派な教師なくてよかった 】              


 2人の男の兄弟がいた。兄は秀才型である。弟は学習成績が中ほどより上位であった。2人は、家ではいつも比較されていた。弟は、父親から見くだされていた。兄は一流大学を出た。弟はどうにか高校を終らせた。荒れた高校生活で、親や高校の教師を悩ませた……。

 立派な父親や兄をもつことは、人的環境からすれば、すばらしいことである。しかし、わきから見てよい環境は、子どもにとって必ずしもよい環境とはいえない。この弟にとって彼の父親や兄は、よい人的環境ではなかった。

 教師も同じである。学生の時から成績のよい立派な人は、必ずしもよい生徒を育てる教師になるとは限らない。頭のよい立派な教師は、子どもの勉強のわからない苦しみがわからない。この子は、どうしてこんなことがわからないのか、不思議に思う。

「わからないので、わかるように教えてほしい」
 この子どもの気持ちがわからない。感度がよくない。共感性が低い……。

 まじめ一本やりの教師も、またしかり。私はこのどちらにもあてはまらないので、よかったと思ってホッとしている。

 共感性とは、やさしい思いやりである。思いやりとは、相手を思い、相手の立場に立って考えることである。

 子どもにとってよい環境とは、子どもに思いやりをかけてくれる人が、まわりにいてくれる状態にあることをいう。      
          (山田栄一著『じまんの教育』より・新飯田新町
 
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 こんな温かみのある言葉。仏教が現代に呼びかけている、失われた帰依処への回帰を、誠実に、敏感に、別の道からさぐり当てていくかのようだ。
 みほとけは、常に苦悩の凡夫とともにある。

                                          


                                      (1990年8月
 【 住職就任のご挨拶 】              


 去る6月3日、臨時責任役員会並びに総代会において、等運寺住職交代の議案が全会一致で議決されました。それにともない、京都・本願寺において、6月26日から3日間の住職修習を受講し、親鸞聖人ご命日の28日、等運寺住職の任命を受けてまいりました。

 まだ早いとの声も聞かれましたが、前々住職(智道)22歳、前住職(智教)31歳の就任を思えば、37歳の私など、遅すぎた感もございますが、むしろ、親の蔭で安穏と日暮ししている私への、如来と門徒の皆様方の愛の鞭と受けとらさせていただき、敢えて拝命いたしたことでございます。

 今後、葬式仏教という内外からのご批判を真摯に受けとめ、寺が本来の寺として回復するために、たとえ小さな一歩でも歩み続ける覚悟でございます。幸い、前住職の始めた「同朋会」と、越後とりわけ蒲原地方の篤信門徒という土徳がございますが、それに甘えず重責を全ういたしたく、皆様のご指導とご協力をお願い申しあげることでございます。

 来年、住職交代の儀式である「伝灯奉告法要」を厳修し、正式にご披露申しあげるつもりでございますが、とりあえず寺報をもってご報告させていただきます。

 最後に、月末で大変ご多忙のところ、門徒を代表して住職修習に同行いただきました、下町の滝沢貞一さん(等運寺責任役員)に、心よりお礼申しあげます。