「南無の会」会員によるリレーエッセイ
徒 然 抄
   2008年 ー2017

2009ー2018年

2018
2018.5)       

 笑いの殿堂「なんばグランド花月」に初めて行った。京都で1回地下鉄を乗り継ぎ地上に出て、大坂でまた地下に。何度かの地下鉄を乗換えして迷いに迷ってようやく日本橋に着いた。お江戸は「にほんばし」だが、大坂は「にっぽんばし」。

 にぎやかな地下街から地上に出る道がわからない。そこは「大阪都」構想もある大都会だ。英語も話せる案内人が迷っているような人を見つけて「何番の出口です」と案内をする。やっと地上に出ると、まさに食と娯楽のど真ん中。スマホのナビでやっとのこと「なんばグランド花月」に着いた。
 
 全席指定の900席が、第3回公演までが満席で4回目の席をとる。大人料金がなんと4700円。映画館の3倍だ。時間つぶしと遅い昼食をかねて入ったお好み焼き屋がこれまた絶品だった。

 公演の前に2組ほどが観客との一体感を作るために大いに笑わせて本番が始まった。漫才が5組にトーク、テレビで見たことのある漫才グループも出演していたが、若手のテンポの良い漫才の方が面白かった。休憩の後、最後はメーンの「よしもと新喜劇」は総勢20数名の出演者で、名前は知らないが、最長老の役者がセリフを忘れたのか、それともそれが芸なのか、観客と出演者が心配して一瞬静まり返る「間」が何ともおもしろい。

 大いに笑って日本橋駅から地下鉄を乗り換えて、しばらくして停車駅を見ると「日本橋」。大坂には他にも日本橋があるのかと思ったら、再び元の駅に戻ってきたのだった。最後にまた大笑いの大阪見物。


2018.3)       

 夏から晩秋まで手土産にするのは地元の名産品の桃、梨、ぶどうであることはいうまでもないが、初春から夏にかけて手土産として重宝するのが「イチゴのジェラード」だ。冷凍して保存もきく上に、暖かい部屋で食べるジェラードはあっさりとしておいしいと評判がよかった。

 先日久しぶりに三条市の某和菓子屋さんの季節限定「イチゴ大福」をいただいた。こちらはさらにのぞけるほどの美味しさだった。

 近年イチゴ出荷の最盛期は12月のクリスマスころで、小さめで少し酸っぱいものの方が値段が高いという。甘いケーキとのマッチングの関係だ。加温ハウス栽培で、いちご狩りは1月から始まり、6月になると時季外れとなる。ところが『歳時記』によるとイチゴは夏の季語になっている。 

 お座敷のテーブルの上に、茶菓子の代わりに大きなイチゴが盛り付けられていた。余りの大きさゆえに大皿に5個だけだった。他のお客と「これはでかいね―」と、ただ見とれるだけ。そこに3人目のお客が入ってきた。その人も「わっ、これはすごい」と感心する。そこで、「イチゴ大福」を知ってる?「知ってる、大好き」。

 普通の「イチゴ大福」は、中にイチゴが入っているけど、このイチゴは中に大福が入っている「大福イチゴ」だって知ってる?「そうなんですか」とびっくり。還暦を過ぎても彼の純真さには敬服しました。


(2017.12)      

 戦国時代は、お殿様でも板敷に薄い座具。側近の武将であっても座具なしの板敷の上、さらに下僕は庭でつくばっていた。
 貴族や武士の富の象徴だった畳は、中国伝来のものが多い中で、日本固有の敷物だ。

 門、長押、帯刀など、身分による制限によって、庶民(主に商家)が使用できるようになったのは江戸中期以降だといわれる。高価な畳が敷いてあれば、茶席のように本来座布団は不要なものだ。

 ところが、畳が敷いてある本堂に、座布団が用意されている寺が増えてきた。たぶん大多数といっていいだろう。加えて、本堂用イス、ひざ掛け、ホットカーペット、エアコン。扇風機に給茶機、マッサージ機、カラオケ、テレビ、冷蔵庫。ここに風呂でもあれば最高と言いたいところだが、少しサービス過剰の感も。

 先日、初めて伺ったお寺の本堂に入ってビックリした。反射式の石油ストーブが25台も並んでいた。「なんでこんなに?」「寒いから1人に1台あればと思ったんですが、今日は5台ほど足りませんでしたね」さすがに暖かいのを通り越して暑かった。

 最近の家は、畳はせいぜい1〜2部屋になった。残りをフローリングにすると足が冷たいから床暖房。それでは経費が高いからとホットカーペット。それがまたダニの温床になる。「畳と〇〇は新しい方がいい」というが、イグサの香りのする畳にゴロリと昼寝を決め込む、なんと気持ちのいいことか(冬はダメ)。
 畳は断熱、保温、吸湿、遮音の効果が抜群だ。
              
             



2017.11)      

 三条別院報恩講が終わった。11月5〜8日の4日間、連日350食以上のお斎がでたそうだ。本山出版部発行の月刊誌『同朋』の記者から、お斎(おとき)について取材があった。

 「菊は一般の家庭でも食べるのですか」「はい」「里芋、人参、椎茸、こんにゃくを煮た物は何というのですか」「のっぺです」「ああ、のっぺい汁ですか」「いいえのっぺです」「のっぺですか」
 「大根などの煮物はどれくらい煮るのですか」「大根は前日下茹でして、その日の朝7時頃から味付けをします」「調味料は何を使っていますか」「砂糖と醤油です」「だしは」「使っていません」
 「よく味が染みてとても美味しかったです」「ありがとうございます」「これだけの数のお斎を何人で作っているのですか」「8〜10人です。大根、がんも、のっぺは幼稚園の厨房で煮てもらっています」

 「このお斎はどの位続いているのですか」「それはわかりませんが、3年前に厨房の職員が退職された時、その年の報恩講はお斎づくりがきわめて難しいと聞きました。お斎がない報恩講は有り得ない、何とかして続けなければという思いで、別院近隣寺院で、お斎づくりをしているお勝手さんに声を掛けたら、快く引き受けてくださり、その年も今年も無事終了することができました」

 「南蛮味噌はとても辛くて美味しかったですね」「はい、三条別院報恩講名物『南蛮味噌』です。別院で作っています。すべて、出来るだけ以前の味付けになるように頑張っています」
 というような内容だった。取材を通して、あらためて続けることの難しさ、伝えることの難しさを感じた。


              【お勝手も頑張る会員】

             


(2017.7) 

「悪魔のささやき」

 本山で他の機会はあっても、朝の法話は初めてだった。
 前日にお馴染みの法衣店を(コーヒーを飲みに)訪ねた。そこの美人社長が、
「ご苦労さんどすナー、でも、このごろお東さんの朝の法話は聞いたことがあらへんのです。あんさんやから言いますけどすぐに何々先生はこうおっしゃっていますとか言って、難し過ぎてとても聞いてられしまへんヮ」
「はいすみません」これが第1弾。

 第2弾は、翌早朝本願寺前を歩いていると、交差点に停まった白い車の窓が開いて「おはようございます、今日は法話ですねありがとうございます」の声。次期ご門首の暢裕さんと、ご長男の裕さんだった(しっかりチェックがはいっている)

 第3弾、7時20分前に常連さんが阿弥陀堂に集まって来る。今も本願寺出入りの業者で40年前から知っている毒舌のIさんが、
「オイ、アンタやから何でも言うけど、俺は平仮名しか分からんのや。そやから、漢字でしゃべらんと、平仮名だけでしゃべってヤー」。
 他の常連さんはニコニコとして、「言いにくいことをよう言うてくれた」という雰囲気だ。それにしても直前にそんなことを言うかな…。

 最後の一撃は、御影堂に移動する際に聞いたI氏の悪魔のささやきだった。
「オイ、幸香はん(鍵役夫人)も聞いておるんやからな、頼むで」の一言だった。
 彼女はブラジル日系2世。ブラジルでご主人とともに博士号を取得し、英語は極めて堪能とはいえ、日本語はまだ日常会話程度で、まさしく平仮名で話さないとわからない。
 法話が始まるまでの30分は地獄だった。

             



2017.5)       

           【 誰のために 】


 春彼岸の北山ご講師のお話。
ある子どもが「僕は一生懸命勉強していい高校に入り、いい会社入る。そして、たくさんお金をいただいて、両親をいい老人施設に入れます」と言ったそうだ。両親の為?

 落語に、妻が亭主の大事にしている茶碗を持って階段からわざと滑り落ちたときに、自分を心配するか茶碗を心配するかを試した。
「おい、ケガはないか?」その言葉に妻は安心する。その後に「お前が元気でいないと、おれはこれから大変だ」。これは一見妻を案じているようで、最後はわが身大事ということだ。

 今年お寺様から頂いた『真宗の生活』…供養するとは… の中に、「お寺さんにありがたいお経もあげてもらったし、たくさんの人にお参りしてもらって、本当にいい供養ができたと思います。さぞや亡くなった父も喜んでくれていると思いますし、残された私たち家族もこれでひと安心です」とあった。

 この言葉の中に、世間で使われている「供養する」という言葉の意味をあらわす、二つのキーワードがある。供養するという行為を「亡くなった人を喜ばせる行為」、そして「自分たちが安心できる行為」として受け止められている。亡くなった人のためと思ってなされた供養の本質が、いつの間にか自分たちの保身をはかる行為へと変質してしまっている。

 「親鸞は、父母の孝養(追善、供養の意)のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」と言われた。仏事イコール先祖供養ではでないということか。

             【茶碗で試してみたい会員】
     


2017.3−A

 何を継ぐのか

 NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」を朝食をいただきながら見ている。今日の放送(3月6日)は、一人娘のさくらと一人息子の健太郎の結婚をめぐって「総論賛成、各論反対」の暗礁に乗り上げてしまった。

 二人が結婚することによって、どちらかの「家」が絶えてしまうからだ。少子化の時代となってこのような事例はさらに多くなることだろう。

 実際、私の身内でも大きな懸案となっている。日本は明治31年まで夫婦別姓だったと聞いた。急いで西欧の近代国家への仲間入りを目指した日本は、ドイツ民法をお手本として「妻は夫の氏を称する」という「明治民法」を制定した。しかし当のドイツは、いま「選択的夫婦別姓」となっている。

 アメリカ大統領選に敗れたヒラリーさんは、ビル・クリントン氏と結婚してすると旧姓のローダムを入れて、「ヒラリー・ローダム・クリントン」としている。アメリカは結婚後も姓を変えなかったり、ミドルネームを入れて自由に名前を作る自由の国のようだ。

 「姓」を継いでもわざわざ別居したり、同居していても何年も口をきかないでいたり、また、同じ墓に入りたくないと言う時代に、いったい何を継がせようというのか。
 「家名、田畑、商売、お墓や仏壇、祭祀権の相続?」。仮に「姓」を継がなくても「親の願い、記憶、DNA、借金など、関係性の事実」は確実に引き継がれていく。


             【遺産金だけは遺せない会員】



2017.3)  巻頭言「デカンショ節」に関連して     

「新潟の男と杉は育たない」??

 50年ほど前に、新潟県内の観光バスのガイドさんから聞いた言葉です。「男」の方はともかく、「女性」に対しての褒めことばとしてあるのは実感としてわかります。明治、大正、昭和の女性たちは、新潟に限らず実に働き者ばかりでした。 

 一方、新潟の「杉」のことです。佐渡の高山地帯や弥彦山では、数百年、千年を超える古木がありますが、もともと海だった新潟平野の海抜数メートルのところでは、杉の大木は見ることはありません。

 なぜか? 平地では地下水が高いために、主根という真っすぐに地下深く伸びる一番大事な根が枯れてしまうからです。
 この「主根」がしっかりしていれば、地上の「主幹」は健康に育ちます。根が健康であれば、幹も健康に育つ、道理です。


 仏道の目標は「成仏」、私が仏になることです。死んでしまうことではありません。
 お釈迦さまは現実に起こっている事柄をありのままに見すえ、それらのすべてが因と縁にしたがいながら、お互いに関係し、支えあっていること(縁起の法)に目覚め『ブッダ(目覚めた人)』と呼ばれました。

 「私」という存在は、すべて無数の「縁」によって成り立っているのであって、自覚的な「私」というものはあり得ないということです。その道理に気が付いた人を、「等正覚にいたる」人と親鸞聖人はおっしゃっています。つまり、お釈迦さまと同じさとりを得た人という意味です。

 特別な能力があって、超人的な苦行に耐えた者しか理解できない道理ではなく、等正覚の「等」とは、すべての人が等しくうなづくことができる道理だと理解したいと思います。。

 私はなぜ生まれたのか、その私とは何者なのか、これからどうなるのかという根源的な問いに、「すべて縁による」「なるほど、その通りだな」と気づき任せられるかどうか、です。

書籍に限らず、情報があまりにも多すぎるため、基本的なことが忘れられているように思います。
 この「主根」がしっかりしていれば、ご現世利益を謳うヘンな宗教の真偽も見えてくると思います。

             



2016.12

 韓国の大統領が政治スキャンダルによって職務停止になった。
 その韓国から今「旅打ち」といわれるパチンコツアー客が多数、船で福岡県を訪れている。

 韓国では、日本から持ち込まれた中古パチンコ台が、2000年ころから急激に増えた。その結果、多額の借金を苦に自殺者が相次いだり、業界と政府の癒着により政治スキャンダルが多発した。そのため2006年パチンコは韓国で全廃された。その時にパチンコ依存症になった人たちが、開店から閉店まで、ひたすらパチンコをするために日本を訪れているのだ。

 日本では公営ギャンブルは認められていない。けれども、あきれたことに競輪、競馬、競艇、宝くじ、toto は特別に法律を作って例外(パチンコは直接換金しないから遊戯)扱いしている。
 しかし、それらの法人と関連ファミリー企業は、それぞれ経産省、農水省、国交省、総務省、文科省、警察庁が牛耳っており、その省庁OBの天下り先となっている事実はあまりにも有名だ。

 日本のIR運営業者は、「自治体が選定し国が承認する」のだという。この辺からすでに将来の「政官業のトライアングル」という利権と癒着構造がうかがえる。国民の利益になるかどうかではなく、どの省庁が既得権益をにぎるかで国民の見えないところで綱引きをしているのだろう。

 更なる政治スキャンダルや、ギャンブル依存症を生み出さないために、社会問題に即刻対応した10年前の韓国政府の英断を見習って欲しい。


             【元パチンコ依存症の会員】



(2016.11)

 全山一面の紅葉がまぶしい信州をドライブした。高速道や市街地から見渡す範囲は植林した杉ばかりで殺風景な景色だけれども、山道を(車で)30分も登ると、自然林が実に素晴らしい。47都道府県の中で、長野県が一番好きだ。春秋は言うに及ばず、夏はカラッとさわやか、冬の身を切るほどのスカッとした寒さはもう最高。

 海外旅行で数か国行ったことがある。結構長い期間居住したこともあるが、現地に30年以上住んでいる日系人から、この地が本当にわかるには、実際に現地の物を食べて、それが血となり肉となる3年後にしかわかるとは言えないと言われたことがある。

 国内の、いわゆる「観光地」にも長く住んでいた。他人からは「休みのたびにいろんな所へ行けるからいいね」とうらやましがられたが、実際に住んでいるとそうではない。ちょっと出かけて、腰をおろすにもお金がかかる。車を停めるたびに駐車料が、水を一口でもまたお金だ。だから休日には出かけないことに尽きる。

 一番好きと言った長野の自然も、実際そこに住んでいる人たちの通勤通学、また買い物、病院。そんな日常が見えていないから言える言葉だ。

 この新飯田の地は、中学校の統合、近隣高校の移転、通学通勤バスの削減、高速始発バスの廃止などによって、車を持たない弱者にとってこの上ない不便な地となった。加えて市街地調整区域となって、農地の宅地転用が事実上不可能となり、区域外からの新規転入が閉ざされてしまった。でも、3年以上新飯田の米と、果物を食べた者として、不便になったとしても、この新飯田と、新飯田の人たちが大好きだ。


                【にいだ大好き会員】



(2016.7)

  知り合いの家の駐車場に車を停めたら隅の方の様子が変わっている。

「何あれ」「枝豆作ってみた。肥料はほとんどいらないし、誰でも簡単にできるから」「今まで一度もしたことないのに、何でそんなことを知ってる?」「向かいのお父さんに聞いたんだ」「向かいのお父さんだって畑も経験もないでしょ」「あるよ」「エッ」。

 通りの向かい側の駐車場の一角に、黒ビニールでおおった本格的なウネから収穫間近な枝豆が茂っていた。そういえば定年を迎えたんだったな.

 耕作放棄地が増える一方で、ごく小規模な素人菜園が増えている。初めはお決まりの枝豆、キュウリ、ナス、トマト。次にジャガイモ、玉ねぎ、大根。次第におもしろくなって野菜の種類が多くなってくる。大抵は無農薬か低農薬なので、安全、新鮮だ。

 問題がひとつ。同じ野菜がいっぺんに収穫期となるので、保存のきくものはいいとして、トマトやキュウリはダメにならないうちにご近所に配ることになる。「買った方が安いんじゃないか」とよくいわれるが、自分で作る喜び、それを食べる喜び、そしておすそわけの喜びは、お金では買うことはできない。

 先日ホームセンターに行ったら、普段は見向きもしないところで足が止まった。枝豆の種が売られていたのだ。「湯あがり娘」とか意味不明の小袋を二つ誰にも見られないように買って、ウネも作らずにこっそり地面に埋めた。数日後、雑草の中から芽を出して大きくなったきた。本当に食べられるようになるまでは、家族にもナイショにしておこう。


           【隠れ菜園主】



2015.12

 シリア北部の砂漠地帯をピックアップトラックが隊列を組んで走っている。その3分の2以上がトヨタ製だとされる。(シドニーでは昨年トヨタ車800台の盗難があった)。
 灼熱・極寒の地でも日本車の走行性能と耐久性は群を抜くいう評価だろうが、荷台に機関銃を据え付けたIS過激派の戦闘車両となれば複雑な気持ちだ。

 その戦闘員が持っている自動小銃は一様に「AK47カラシニコフ」。約70年前の基本設計だが、劣悪な環境下で故障なく作動する高性能の自動小銃は、世界の紛争地で必ず目にする。性能の良い製品が派生するのは結構だが、殺人兵器だけは困る。

 AK47と似ているのが「AKB48」。NHKの朝ドラ『あさが来た』のテーマソングで少し身近になった。秋葉原の英文字をとってAKBと知る。ギャラを48人で分けたらかわいそうと思ったら48人という意味ではないらしい。
 派生した少女ユニットがSKE48、SDN48、NMB48などなど ……、NGT48は新潟市に拠点があるらしい「びっくりポンや」。

 要するに、劇場を常設して、テレビではなく実際に見に行くという昔ながらの手法ですな。寄席、芝居小屋、宝塚歌劇団などがそれにあたる。どの芸能も組織はピラミッド型であってトップスター(AKBは「センター」というらしい)は、ただ一人と厳しい。

 厳しい選考の結果、紅白出場者全51組(人)のうち、知っているのはどうにか18人。野球でいえば打率353。立派な首位打者だよと自分を慰める。


             【今年もいろいろ思う会員】



2015.9

 縁あって42世帯87人、山あいの寒村の「秋まつり」にご招待を受けた。天狗と神楽獅子は毎年で、神輿が3年に1回だけ担がれ、今年がちょうどその年に当たるということだった。お昼前からおじゃまして、ビールを飲みながら待つこと2時間。ほどよく出来上がったころに威勢のいい笛太鼓や掛け声が聞こえてきた。

 冷たい雨もなんのその、新飯田の神楽獅子の4倍強あろうかという神楽獅子の頭部が先頭だ。その胴体がまた大きい。直径1m以上、長さ4mの張り子の胴。色が紺地に血色の渦巻き模様で、いかにもおどろおどろしい。子どもが見たら泣き出すことだろう。
 装束も凝っていた。おそろいの前垂れに、手甲脚絆。白足袋に派手な飾りのついたわらじ。そのあとに12人の白装束に担がれたお神輿が続く。平均年齢が70歳を超えている過疎の村に、この日を目指して帰ってくる若者たちだった。

 調子よい締太鼓に龍笛の若い女性が4人。「アレレ、こちらは女人禁制ではなくて進んでいるんですね」「実は人手不足でね。でも彼女たちのおかげで、雨の中でも男たちが張り切っているでしょ」。神輿が休憩するお宿では、酒と肴が振舞われ、家の中で神官によってうやうやしくお祓いの神事が行われる。

 「ハイ、ご家族の方、二拝二拍手一拝ですよ」「ハイ、次はご親戚の方どうぞ」「エッ、私は別に親戚というわけでは…」(マ、いいか)一飯の義理もあるからと二拝二拍手一拝。でも口の中では『なんまんだぶ』。真宗門徒はいつでもどこでも、何の前でも『なんまんだぶ』でいいから気が楽だったな。
           【こだわりのなくなった会員】



(2015.5)

 待ちに待った春が来た。いっせいに梨や桃の花が咲き、名も知らぬ小鳥たちが木々をとび回り、得体の知れぬ虫たちがはい回っている。きっとみんな春を待っていたのであろう。

 と、このような場面で「待つ」という言葉を使うこともあるが、日常では別の場面でも「待つ」を使う。例えば、約束の時間になっても相手が現れず、待たされてイライラしているところに、ようやく来た相手から「お待たせしてすみません。道路が渋滞していたもので」と言い訳されて腹を立てる場面。似たような場面を経験された方は多いのではなかろうか。

 待たされた人は、自身が思い描いていたように物事が進まずイライラし、その自分の有り様を「遅れた相手が悪い」と正当化しながら腹を立てて、遅れた人は、想定外の渋滞で遅れたから全て自分が悪い訳ではないという気持ちから言い訳したのであろうか。
 こうであって欲しいという思いや、自分は善いものであろうとする根性は、私たちの素直な眼を、現実をそのまま見つめる眼を曇らせてしまう。そんな現実をそのまま見つめることのできない私たちを、長い長い間待っている方がいる。阿弥陀仏である。

 阿弥陀仏は、名も知らぬ小鳥たちや得体の知れぬ虫たちそして身近なひとを介して、眼の曇りに気づかせようと休むことなくはたらきかけている。この待たせていることに気づいたとき、私は何を感じるであろうか。


             【いつも人を待たせる会員】



2015.3

 今朝風呂釜が突然壊れた。15年使ったものだから、業者からは「平均10年なのでよく使ったね」と、むしろ喜べと言われるかもしれない。果たして直るのか交換なのかは後のこととして、明日の風呂をどうしようかと考えた。

 全国的には知られていないが、新潟県は温泉地がきわめて多い。ここ新飯田から30分以内の温泉地は東西に数か所あり、1時間の距離だとかなりの温泉地。さらに2時間だと四方八方数えきれるものではない。そのなかで銭湯感覚で安くて気軽に行けるのが「日帰り温泉」だ。1泊1万数千円もかけずに、30分の距離と数百円で温泉が満喫できる。

 ところが長湯が苦手で温泉に10分も入っているとのぼせてしまう。だから、秋から冬の露天風呂がたまらなく好きだ。まさしく「頭寒足熱」。別に風呂の中で勉強するわけではないが、のぼせ上がることもなくしっかりと温まることが出来る。

 温泉はただ地面を掘れば出てくるというものではない。私たちが生まれるずっと前、数千万年をかけた地殻の変動と、マグマ溜りと地下水の奇跡的遭遇によって人類が大自然から賜った恩恵なのだ。
 地下水といえば、原発事故以来、相変わらず放射能をコントロール出来ずに地下水と海を汚染し続けている。「汚染された水」というが、「水を誰が汚染した」のか実質的責任がいまだ明確にされないまま、その莫大な負担を国民の電気料金に上乗せ処理して、他人事のように原発の再稼働が始まろうとしている。

※ 都道府県別で、新潟県の温泉地は全国第3位。


             【冬の露天風呂大好き会員】



2014.12

 お通夜に出席すると、不謹慎かもしれないがいろいろ楽しみがある。思わぬ同級会に会ったり、数十年ぶりに知人に会ったり。

 喪主の挨拶にも注目している。仕事上慣れているはずなのに、会館が用意したメモをしどろもどろに読んだり、若い人がメモなしで簡潔かつ心のこもった挨拶をしたりで、自分がその立場ならば果たして出来るのかは抜きで楽しんでいる。

 今年、葬儀後のおときの挨拶で出席者が大爆笑した喪主のご挨拶が2回ある。(食べきれないほどの料理を前に)「粗酒粗肴ではありますがとメモに書いてありますが、この料理はどう見ても粗酒粗肴などというものではありませんな」。
「時間の許す限りゆっくりとお召し上がりください。このメモに書いてある通りに読みました、ハハ」

 弔電の披露もしっかり聞いている。西蒲区のお西(本願寺派)寺院のお通夜では、地区寺院からの申し入れで、弔電末尾の「ご冥福をお祈り申し上げます」を「哀悼の意を表します」か「お悔み申しあげます」に言い換えて司会者に読んでもらうのだと聞いた。すごい。

 先月出席したお通夜で、目を閉じて半分寝ていたのだが、弔電披露でいっぺんに目が覚めた。故人との友誼と功績を讃えた最後に「…このたびの葬儀にあたり念仏申さずにはおれません」と結んであった。この発信者(議員さん)の弔電は何回か聞いたことがあるが、どのような心境の変化があったか聞いてみたい。

               【ほとんど寝ている会員】



2014.11

 久しぶりに誘われてカラオケのある店に行った。「曲を選んでくださいよ」。でも機械の操作がわかりません。「じゃ本から選んで」老眼で見えません。「入力するから口で言って」曲名を忘れました。確かこんなメロディだったけど。「そんなの知りません」あ、そう。

 回る寿司でも、居酒屋でもタブレットを操作しなければならなくなった。コンビニで発泡酒を買ったら、レジで「お願いします」「何を?」「年齢確認です。20歳以上かどうかの」「ご覧のとおり、間違いなく還暦を過ぎていますが」「それでも一応」

 何10年たっても修理可能な機械と、対面式の商売がなつかしい。タバコ屋さんは、若い娘さんかおばあちゃんと決まったものだった。ところが売上げ高は、気をつかわないおばあちゃんの方がよかった。ひとつ物を買うにも、暖かい言葉のやり取りがあったように思う。

 ところで、携帯電話は007時代のショルダーバッグ付の大きさからトランシバーほどに、さらに国際競争が進んで薄く小さくポケットサイズになった。ところが携帯電話付のパソコンか、電話もできるタブレットか知らないが、ディスプレーが大きさが「売り」となってきた。だから、胸のポケットやズボンのポケットに入らない携帯が出現している。テレビはどんどん大きくなり、3Dや4Kテレビが売り出されている。

 でも、それらは「あったらいいな」程度のもので「無くてはならない」というものではない。要するに、毎年新製品を出して買い替えてもらわないと経済が成り立たないということ。これではキリがない、どこかおかしい。 

           【
走りつかれた会員】



2014.8
 この時期になると頭の中でエンドロールに流れる曲がある。さだまさしの『無縁坂』。私もよく母に手を引かれてお寺にお参りしていた。その幼いころの記憶に似た歌詞と、物悲しい旋律とが自然に思い浮かぶのだ。

『母がまだ若い頃、僕の手を引いて、この坂を登る度いつもため息をついた。ため息つけばそれで済む、後ろだけは見ちゃだめと、笑ってた白い手は、とてもやわらかかった。運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど、そういうことって確かにあるとあなたを見ててそう思う』(無縁坂)

 叔父伯父4人の方が戦死されている。戦後10年以上過ぎて生まれた私には、写真でしかお会いすることのない方たち。それから70年になるけれど…。今、世の中全体が不穏な動きがあるなかでわたしがこの世に生をうける以前に亡くなられた多数の方々、またわたしのようにその方々と縁のある者たちは、どのように、今を受け止めたらよいのでしょうか?

 話は変わるが、NHKに『朝イチ』という番組があり先日たまたま『母が重たい…』というテーマで放送されていた。残念ながら、最後まで視ることはできなかったが、そのランキングが興味深く、思わずメモってしまった。
   @あなたのためだから
   Aなんで出来ないの
   B私の言うことを聞いていればいいの
   Cあなたには幸せになってもらいたいから
   Dいつまでも面倒を見てね
 母からは一度も言われなかった言葉を、わが子には意外に言っているものだなあ。人ごとじゃないね…(汗)

              【少々夏太り気味の同朋会員】




2014.5
 恒例の『春の交通安全週間が終わった。新潟県内は、小中学生の登下校の安全を考えて、通学路が重点取締区域だったらしい。どうりで今まで取締りをしたことがない村道や裏通りで目についた。その方が見晴らしがよく歩行者もいない道で取り締まるより理にかなっているし、仮に切符を切られても納得することもある。

 この期間もきわどいことが何回かあった。ぼんやり運転していたら、すぐ後ろの車が止められた。また逆に直前を走っていた車が止められたことがあった。同速度で走っていたので、前の車に続いて止まろうとしたら、「はい、じゃまになるから止まらないで」だ。

 以前、友人たちと車3台の乗合旅行で、その先頭を走っていたら、松林から大きな旗を振ってお巡りさんが走り出てきた。「アチャーッ」と思ったら、「行け行け」の合図。後続の友人が止められたのだ。友人が切符を切られてしょげている間に、暇そうなお巡りさんに聞いた。
「3台連なって走っていたのに、どうして先頭車ではなくて2台目なんですか?」
「みんな超過してたけど、2台目以外は違反の基準値内でした。その瞬間ペダルの足をちょっと緩めたかどうかの違いでしたね。まあ運がよかったんでしょう」

 思えば、今までにあわや人身事故に自損事故、飲酒運転やあらゆる違反ということが数えきれないほどあった。「運」や「お守り」に頼ってはいけない。飲まないで、スピード控えめ、ブレーキ早めに 


           【自称『無事故無違反』の会員】




2014.3
 30年間中学の教員を勤められたある住職の体験話。みんなで挨拶しましょうという事で「おはよう運動」をしたそうだ。

 門の前に立って「おはよう」と声かけをする。声をかけられる前に自ら挨拶する生徒、声をかけられて挨拶する生徒、幾度か声をかけられてやっと挨拶する生徒、声をかけられても口から出ない生徒。なかなか全員が、という訳には行きません。これは「お念佛申しましょう」ということと同じですねと。

 50年、60年生きてきた我々、いや失礼、私など、まだまだ純粋な中学生以上に、先入観、豊富な雑知識、高い高いプライドなどの「雑行」をしっかりと抱え込み、外見は一応格好良く「南無阿弥陀佛」と口に出してはいるが、一皮むいたらどうなのだろう。本当に自ら「南無阿弥陀佛」と称えているのだろうか。

 蓮如上人のお手紙、『御文』の中には、「もろもろの雑行をすてて」とか「 …なげすてて」、「…うちすてて」、「…ふりすてて」と度々出てくる。その度に大事な事なのだろうと思う。この「雑行」抱えるのも難儀、すてるのも難儀のこの我身。

 2月の初め本山へ行って来た。雪も無く、陽も差してはいたが、あの広い御影堂に一時間半の正座は応えた。足のしびれも忘れてしまう程の寒さ、その中で親鸞聖人の御真影(親鸞聖人の御木像)の前に正座する、自然に手が合う、「南無阿弥陀佛」と、お念佛が出る。これも我身。

           【雑行雑修の推進員】

             
じ ねん
     
気持ちよく 出るも自然の 放屁かな 【編集子】


   
2013.12
 秋を楽しませてくれる我が家の柿。結構大きいのだが、一つの実に甘と渋が同居、そのままではとても食べられない。焼酎でさわすとすっごく甘く、我が家自慢の柿になる。それがこの時期、毎朝食卓に上る。

 91歳認知症の母は「おお珍しい、これ家の柿らか? ば〜かうんめね!」と毎朝感激しながら食べる。ついつい「め〜んち食ってるねっか、何が珍しいんだ!」と言ってしまう。この毎朝の会話が先日残念というか、やっとというか終わってしまった。考えてみると、毎日毎日同じ事で感激出来るなんて、本当に幸せなんだろうなと思う。これがまた本当にいい顔をする。

 ある先生が言っていた、「話を聞く時は、いつも初事として聞きなさい」。またある先生は、「話を聞く時は、先入観を捨て、白紙の状態で聞いて下さい」と。しかし、なかなか出来ることではない。たいした頭ではないし、たいした知識もないくせに、白紙にはならない。またある先生は、「私たちは自分の思い、自我を両手に一杯握りしめている。そういう状態で新たな事をしようとか、新たな話を聞こうとか、出来る訳がない。片手だけでも放せばいいと思っても、なかなか出来ない」と。

 いつでも新たな心で、頭の中を空白にし、人の話が聞けたら、色んな事にうなずけ、感動出来、喜ぶ事が出来るのかも…。認知症の母…かわいそうと思っていたが、かわいそうなのは自分だったようだ。

           【少し気づいた同朋会員】


   
2012.12
 朝日新聞、学芸部「こころ」の編集長と東京のスナックでご一緒したことがあった。学芸・宗教の敏腕記者で、記者というより学者か研究者というべき人物だった。真向かいに座りながら、まともな話をできなかったのは情けなかったけれども、以前から知りたかったことを聞いてみた。

「朝日新聞一面コラムの『天声人語』は、何人で書いているんですか」「どう思います」「きっと論説委員か局長クラスの何人かがそれぞれに原稿を書いて、その中から一つ選ぶとか…」「いいえ、一人が毎日書いて、数年したら代わるんです」「エッ…」。

 いい歳をしながら、毎朝、新聞を開くと4コマ漫画は欠かさない。たった4コマの起承転結で、時には社説をもしのぎ、一面コラムより面白いこともある。
 毎日新聞・東海林さだおの『アサッテ君』は38年、読売新聞・植田まさしの『コボちゃん』は30年で、ともに1万回以上の連載が続いている。
 現在の朝日新聞・いしいひさいちの『ののちゃん』も20年を超えた。同紙のその前がサトウサンペイの『フジ三太郎』26年。さらにその前が長谷川町子の『サザエさん』で、何回か休載したものの6477話続いたという。

 ちょっとした日常生活の喜怒哀楽をサッと写し取る技術は、尋常な能力ではない。一面コラムも4コマ漫画も、毎日のことだ。『サザエさん』が書籍化され全68巻が出版されているが、そのなかから長谷川さん自らが「よりぬいた」ベスト版13巻が再版されたと聞き、即注文した。たかがマンガとあなどるなかれ。


                           【マンガ世代の同朋会員】



 (2012.11

 今年も報恩講がやって来た。お寺は境内、堂内を掃除し、仏具のお磨きをし、お内陣は打敷を掛け、花を立て、五具足で荘厳する。この五具足は年に一度報恩講にしか荘厳されない。

 奉仕で磨かれた仏具の花瓶に住職の気合の入ったお花が立てられる。これはみごとなもの。見ているだけで自然に手が合いナンマンダブ、ナンマンダブと口から念仏かこぼれ出る。一見の価値あり、是非お参りを!そして当日のお斎、坊守と勝手衆が数日前から打ち合わせをし、時期の野菜を使い前日から仕込み作る、これもまたいい!是非お参りを!

 報恩講は親鸞聖人のご命日、法要が勤まる。このお勤めの仕方は毎日お勤めする正信偈と和讃とは少し違い、報恩講にしか勤まらない。なんというか、身が引き締まるというか心が改まるというか、是非お参りして実感を!

 そして大事な法話、真宗のお寺の本堂は他宗のお寺より広く造られている、それは私たち門徒ひとりひとりの為、一人でも多くの人が法話を聞けるよう広く造られている。親鸞聖人が亡くなられて750年、絶える事無く、今に届いている教え、その時その時を生きた人達が聞いてきた教え、それは亡くなった人の為ではなく、間違いなく今生きている私たちの為の教え、聞かなければもったいない。
 お寺様への布施。ひょっとしたらお布施しっぱなし? それはもったいない。その分、法施(法話)を頂かなければ、是非お参りを!


           【報恩講だけはかかさないぞ! 同朋会員だもの 】



2012.9
「お念仏の声がまったく聞こえませんね」と、数人のご講師から指摘されている。
 確かに昨年の本山の御遠忌では、満堂だったにもかかわらず、声が出ているのかわからないようなお念仏だった。そんな静粛なお念仏に慣れてしまっていたのだと、その日あらためて実感した。

 何故かというと、その日の朝、西本願寺の晨朝におまいりしてビックリしたからだ。1/100くらいの人数でも、堂内に響きわたるお念仏の大合唱のすごいこと。

 まだ20歳代の西本願寺の僧侶とタクシーに乗り合わせたことがあった。私服であって、運転手さんは彼が何者であるのかもちろんわからない。2人でありきたりの会話をして、話がとぎれると、すかさず彼の口から「ナマンダブ、ナマンダブ」と大きなお念仏が出た。運転手さんはビックリ。タクシーが左右にブレるのがはっきりわかった。

 東京・練馬の真宗会館。首都圏では宗祖の名前さえわからないのじゃないかと思ったら、実はそうではない。たとえば学校のほとんどの生徒は落第生ばかりだが、トップクラスの数人は東大合格間違いなしという感じだ。要するにごくごく一部の特に熱心なご門徒だけが出入りしているのだ。その人たちの称えるお念仏は、お西のどよめきのようなお念仏と違って、声高らかに、称える者も聞いている者も、いかにも気持ちよさそうなお念仏だった。

 ちょうどトイレで気持ちよくスーッと出るような…。まさに快食快?、さわやかなお念仏だった。


                           【便秘知らずの同朋会員】
  


  
 (2012.8

 大事な朋(とも)が亡くなった、あまりにも突然の事でショックだった。殺されても死なない人だと思っていたのに。彼Kと私Eは、等運寺様の檀家ではないが、どういう訳か普通に「等運寺同朋の会」に籍を置く。昨年の「同朋の会報恩講」の後、2人でゆっくりと話をした、というより再確認だった。


「おれ、等運寺が好きなんだっやー」
 としみじみ言った。
「うん、そーして、必要な所らしな」
「おー、だっけ好きな事言うてや」
「住職と坊守にうるさがられてか?」
「そうらかもな、へへ、そっられも、なーもおれも等運寺の檀家じゃねーれもや、檀家じゃねっけ出来る事、檀家じゃねっけ言える事があると思うんだっや」
「うん、そうら」
「やれる事はやる! 言わんばだめん時は言う! うるさがられてもいい! それがおれたちの仕事らとおもう」
と、はっきり言いきった。同感だ、嬉しかった、頼もしい御同朋だ。ったのに・・・もう会えないんだと思うと涙が流れる。

 通夜の法話、言葉が思い出せない(明誓寺様すみません)が、私にはこのように聞こえた。「亡くなった人にはもう会うことは出来ないが、亡くなった人が生きてきた〈いのち〉に出逢うことはできる」ああそうだ、相続、(家、土地、お金だけではなく)浄土真宗では、仏法相続というそうだ。Kが生きてきた〈いのち〉に逢い、相続していかなければ、泣いている場合じゃない。


                 【ただ南無阿弥陀仏の同朋会員】



2012.5
 自然界に放鳥された朱鷺から初めて3羽の雛がかえった。この辺でも普通に飛びかう姿が早く見たい。
 いま動植物の絶滅危惧種の「レッドリスト」には、18000種以上がリストアップされている。要因は一言で「環境の変化」というが、具体的には「食と住」の変化。

 以前、ネズミとゴキブリは、人類が滅びても生き残っているだろうといわれた。何でも食べ劣悪な環境で生きることができるからだ。1匹見たら30匹いると思えとか、ネズミ算式という言葉があるくらいの繁殖力がある。
 ところが住宅環境の変化で、普通の住宅内ではゴキブリ、ネズミは激減したというか、見なくなった。食品は冷蔵庫かステンレスで内張りした引き出しの中。床、壁、天井までも断熱材で覆われ、ネズミどころか、すきま間風すら入らない。「食と住」が完全に断たれたということだ。

 このトップグループが脱落すると。第2グループが台頭してきた。カラス、ムクドリ、タヌキだ。このグループには共通点がある。@雑食、したがって食味が悪く人間に捕食されない(タヌキは一部のマニアに食されるが)。A天敵がいない。B都市部でも適応できる。
 ムクドリは、1家族で年間100万円の害虫駆除料に相当する害虫を食べてくれる益鳥とされているが、新飯田では果樹を食い荒らす害鳥だ。
 朱鷺が日本中を乱舞していた江戸時代、植えたばかりの苗を踏み荒らす害鳥とされていたとか。人間は勝手だなァ…!
                           【人畜無害の南無の会会員】
  


2012.3
 勤め先のお昼で楽しみにしている事が4つある。
@食堂で好きなものを注文すること。A同僚と話をすることB休憩室でお昼寝することCやすらぎ堤を散歩すること。

 ある日の出来事。食堂のお弁当を買って食べていたところ、ケチャップソースがワイシャツについてしまった!それも、最後の一口で・・・、ワイシャツは今日着たばかりのおNEWの白シャツ! ショックを隠しきれずに同僚に対処を請う。やさしい同僚の皆さんはいろいろアドバイス。
 ある人が「シャボネットが良い」やってみると、しかも落ちた。でも相手はケチャップ系。白いシャツには鮮やかなオレンジ色が。あとは家に帰ってから漂白剤で勝負するしかないと諦めて、お昼寝モードへ…しかし横になっても眠れない。どうでもいいことを考えてしまう。

 こんな事があると「今日の運勢は悪かったのかなぁ・・」とか、今日に限って○○してなかった、× ×してしまった。とか思いがち。
 でも仏教的(真宗的)に考えてみると方向転換ができる。自分の周りで起こることは元々良い事も悪いこともないけれど、そこに「自分にとって」が入ってくる。「自分にとって都合の悪い事」を避けるために「今日の運勢」などをみる。自分の運命を左右するものを信じ(参考に?)て毎日を過ごしている。

 しかし仏教を学ぶことでそういう自分に気付く。気づくことで視点が変わり、状況は変わっていないけれども、少し気持ちが軽くなる。仏法を聞くことは視点を変えられる自分に出逢うこと。
 う〜ん・・・今日は眠れそうにない。仕方ないのでやすらぎ堤へ。久しぶりの青空の下で背伸びをしながら、「ついていない日でもないな!」

                           【染みもついてるサラリーマン】



2011.12
 (縁あって報恩講にお参りさせていただいた者です)私は現在某お寺の学校で修行中。校外実習というか現場での学びは大切と思い、あちこちの報恩講にお邪魔をさせていただいている。報恩講は一年に一度の大イベントであると言うことは承知していたつもりだったが、ここ等運寺の報恩講はちょっと違った。

 勤行を知らせる梵鐘を「あんた、やって」とご住職に言われ初めて撞かせていただいた。「この間隔で打って」の指示があったのだったが、やはり気持ちがうわずっていたのか、住職「少し間隔が短かったなあ」。しかし次も続投。日本シリーズで途中降板されなかったピッチャーの気分(打ったんだからバッターの方か)

 報恩講のお勤めは全員で出来るようにオリジナルの勤行集が配られる。お勝手には法話がスピーカーから流れおとき作りの勝手衆も聴聞ができる。監督(住職)の采配で選手(ご門徒世話方)が活きいきと動く報恩講。こんなの見たことない。あるご門徒「お参りだけじゃなくって、私も勤めさせてもらっているんだという感覚なんです」と。ご門徒参加型のみんなで創る報恩講。まったく私にとって初めての出来事だった。

 学校で期末テストのレポートがあり、課題は「お寺の現状と将来について」。「今年はあちこちの寺院(20ケ寺以上)をお参りして感じたのは、元気がなくなってきているお寺が多かった。なんとかしないと将来は厳しいのでは…」とまとめるつもりだったが、ここの報恩講にお参りし加筆修正「…そんな中、元気のあるお寺もあった。現状は厳しいけれど、元気なお寺が増えれば将来は明るい」と。それから「私もお寺の元気応援隊になりたいです」と書き添えて。
                           【お前は既にすくわれている】



2011.11
 過日親戚の法事に出席した。80歳に近い当主が、自分でキーボードを打った案内を届けてくれた。必要なことが明解につたわり、壁に張っておくと忘れずにすみ重宝である。最近は法事に呼ばれることは滅多になく、久々の参詣。ふと気が付くと、内心ほくそ笑む自分がそこにいた。不謹慎にも、真昼間から堂々とお酒が飲める嬉しさについ・・・。

 お斎は田上の温泉旅館、これはゆったりとした気分になれる。施主の心配りがうれしい。お斎の挨拶に、施主より、
「米や野菜など全て命あるものを頂くので、頂きますとご唱和ください」
 としめくくられた。さすが、日頃熱心に聞法されている人柄が滲み出ていてよかった。

 テレビの自然報道番組などでは、肉食獣の捕食シーンでは、残酷過ぎるとの理由からか、わりとカットされる事が多い。動物たちも、自身の命の存続と、家族を養うための狩である。やむなき殺生である。もっとリアルに放送すべきである。自然界の仲では不可避であることをふまえ、しっかり構成し、フォローしなければならない事はいうまでもない。
 さて、自分はいったい如何なんだろう。色々な命を頂いて自分の命とさせていただいて居るという事実は、他の動物と何ら変わらない。食事の前後には、一応頂きます、ごちそうさまだけは言っては居るが、頂く命に心を馳せているか、感謝しているか、否である。なんの心のうごきも無く、ただの惰性そのもの。しかし、今晩は米{液体}暑さの夕べは麦や芋たちの命に、感謝、感謝

                   【
晩酌に思いを馳せる会員



2011.9
 週刊誌に子育て中の皇后美智子さまの言葉が載っていた。「私は、子供を幸せな子に育てようとは思いません。どこにいても幸せになれる子に育てたいと思います」。読み終えて、なんか真宗的!と感動しているところに「お待たせしました」とラーメンが運ばれて来た。大好きなラーメンを食べ終え、また週刊誌を開いた。
 
 ラーメンが好きでよかった、あのラーメン屋に行ってよかった、あの週刊誌を開いてよかった、あの言葉にであえて本当によかった、ただただ感謝!。
 何に感謝かというと、推進員になり、浄土真宗の教えに出あえていたことに(これ真宗の利益? ちと大げさか)。そしてその教えが、親鸞聖人が亡くなられて七百五十年経った今も、真宗のいのちとして今、私のなかに生きている(あれ?どこかで聞いたような言葉)と思うとナンマンダブと手が合わさることに。
 とは言うものの人前で手を合わせるのはちと恥ずかしい。ましてやナンマンダブと念仏を称えるのはもっと恥ずかしい。通夜、葬儀、法事、お寺にお参りする時はりっぱに出来るのに、これではいかん!と思いながらも。
 
毎日、自分中心の生活、不満だらけでストレスがいっぱいだが、真宗の目、こころを持つと、たくさんの真宗のいのち
にであえるのかも。そして、いろんなこと(自分にとって嫌な事でも)で喜んだり、感謝することが出来るのかもな? ラーメン好きな事にも。

                【
毎日ラーメンok 会員



2011.7
 今日(7・24)正午でテレビのアナログ放送が止まった。ほとんど見たことがないけれども、車のカーナビに付いているテレビも見られないらしい。見るにはチューナー3万円ナリが必要だそうだ。携帯電話のワンセグなるものは、今までどおり見ることが出来るらしいが、私の携帯はテレビや地震を報せる機能は付いていない。
 昨年末あたりから大型テレビを購入したご家庭がかなりある。50型テレビを2台買ったという人がいたのには、さすがにびっくりした。狭い部屋で字幕付きの洋画を見る時は、左右に移動する目と首がさぞや疲れるだろう。安いからついでに買ったという32型の中型以下のテレビにいたっては、誰もいない茶の間に放置されていた。

 何故テレビを買い替えるのか。それは地デジ放送を見るため。それでは地デジ放送のどんな番組を見たいのかというと、ふと考えてしまった。普段はほとんど衛星放送しか見ていない。たまに民放にチャンネルを入れると、「さんまの…」「たけしの…」「爆笑…」「クイズ…」のたぐいばかり。せっかく高画質、高音質の地デジテレビに投資したのに意味がない。サウンドシステムもすばらしい機器だけど、民放で豊かなサウンドが聞けるのはコマーシャルの時だけ。景気が悪い→スポンサーがつかない→番組制作費がない→低俗番組しかつくれない。要するに不景気の悪循環だ。
 民放の衛星放送はショッピングが多い。時には、NHKを含めて同時に4局も韓流ドラマを放送していることがある。民放はともかく、NHKは受信料を徴収しているのだから、投資に見合う番組制作を期待する。


                
【サウンドシステムが欲しい会員】



2011.5
 世界三大珍味はキャビア、フォアグラ、トリュフだとか。また三大料理は、中華料理、トルコ料理、フランス料理とされている(イタリア料理と日本料理も候補にある)。だが、これにはまったくコメントしようがない。世界数十万種の食材や料理どころか、「三大」すら食べたことがないからだ。

 東北地震の後、コンビニ、スーパーから特定の商品が一斉に姿を消した。一説には被災地ではない人まであわてて買いあさった結果ともいわれている。以来、生活用品やインスタント食品工場は、昼夜問わずフル操業して、被災地向けの援助物資を生産している。
 ところが、「世界三大…」といわれるものでも、何食も続けて食べられるものではない。まして、コンビニ弁当、おにぎり、菓子パン、カップラーメン…。たまに食べるから美味いのであって、ずっとそれを食べろというのは無理がある。無理でも生きるために、復興のために食べ続けるしかない悲しさがそこにある。

 毎日食べても飽きない料理が「真の三大料理」だろう。たとえば「おふくろの味」「愛妻弁当」「彼女の肉じゃが」。もちろんその上にはそれぞれ「中国の」「トルコの」「日本の」「私の」という言葉がつく。希代の食通に、「一番うまいものは何ですか」と聞いたら、「水です」と答えたという。シンプルイズナンバーワン。


                【家庭の味が一番の南無の会員】



2011.3
 『求めない』という本に出合った。求めない…すると何かがかわる。求めない…するといまじゅうぶんに持っていると気づく。求めない…するといま持っているものがいきいきとしてくる。
 
求めない、ということはいまのままでじゅうぶんと知ることなんだ。じゅうぶんと感じないから求める? ちがう、じゅうぶんと知らないから求めるんだ。なるほど、自分では宝と思って集めた物だが、家の者はガラクタの山という。最近流行の断捨離を決意したが進まない、もう求めないことにする。
 求めない…すると恐怖感が消えてゆく。求めない…すると悲しみが消えてゆく。求めない…すると失望しない。求めない…すると自分にほんとに必要なものはなにか分かってくる。求めない…すると求めたときは見えなかったものが見えてくる。 
 へ〜そうなのか、しかしいつも過激になってしまう自分にはなかなか至難の業だ。求めない…するとひとの言うことが前よりよく分かるようになる。そしてひとの話をよく聞くようになる。求めない…すると自分の声がきこえてくる。求めない…と自分に言うと、とたんに求められずにはいられない自分に気づく。
 それでいいんだ。その気づきからすべては始まるんだ。その気づきがあって初めて「求めない」の意味が分かりはじめるんだという著者・加島祥造。読み終えて、自力をつくし本願他力に目覚めた感じ?読んでみたい人は、本堂の本棚へどうぞ。


                【
もう求めない?  推進員



2011.3

    ありがとう・・・
 
 先日、京都・大谷高校で二男の卒業式に出席してきました。
 合掌から始まり、讃歌「四弘誓願」を全員で斉唱、厳かに進んで、最後に校歌斉唱、合掌ののち、生徒たちは退場していきました。
 

 
その間、私はあたたかな温もりに抱かれているような不思議な感覚にとらわれました。
 彼は、初めての寮生活が苦痛で、1年生の夏休みに入るとき、寮監の先生方から、
「多分、2学期には、 戻ってこないだろう」
言われ、私も
「やはり、無理だった かな?」
と、一時は諦めたものでした。

 学校は370人の生徒1人ひとりをあたたかく見守ってくださいました。その中の1生徒でしかない彼の1年ごとの成長を、具体的にお話ししてくださった真城校長先生のお人柄に、宗門立の大谷高校の校風が感じられ、感謝の思いいっぱいで京都をあとにしました。

                    
 【塚本祐紀恵



2010.12
 以前ベストセラーになった『大往生』(永 六輔)に、生前葬というのがあった。
 たくさんの友人たちを招いて、一人ひとりがお別れの言葉をのべるのを、前で本人がニコニコとして聞いている。最後に本人がお礼の言葉を述べるという趣向だ。

 少し違うが、自分の葬儀の時に読んで欲しいとの奥さんの願いで、ご主人が代読したお礼の言葉がある。
【お礼の言葉】
 今日はどんなお天気でしょうか。雨でも降って、皆さまにご迷惑をおかけしていなければいいと思いますが…。
 私の人生は、山あり谷ありの人生でした。毎日よく泣きよく笑い、よくわめいていました。楽しい、幸せな日々でした。生きているという事は、それだけで、光と夢にあふれていたんですね。私は皆さまに、ご迷惑ばかりおかけしていましたが、皆さまからは、すてきなご縁を、やさしい笑顔を、生きていく毎日の元気をたくさんいただきました。有り難うございました。
 この世に生を受けて本当によかった。命を授けてくれた父母に感謝します。私のわがままによく耐え、大切にいつくしんでくれた夫に感謝します。私のもとに生まれてくれた4人の子どもたちに感謝します。多くの人に愛される人生であってほしいと祈っています。
 皆様、本当に有り難うございました。お先に「さよなら」を言わせていただきます。

                【いつか書いてみたい会員】



2010.11
 一気に、晩秋の趣になりましたが奄美のほうでは、先日の豪雨に加え、今台風がきています。いったい、どうなっているのでしょう?

 わたしは、よく人の一生を四季に譬えて考えます。冬は、春を待つ雑木林のように、母のおなかの中で、じっと不安と期待に包まれて、機が熟すのを待っている姿を映してくれます。また、春はいっせいに芽を出す木々が、まるで生まれたての赤ん坊とその親のように、日々の変化に圧倒されながら、あまりの美しさに眼を瞠りながら、あっという間に過ぎていきます。

 夏になると、それぞれが活発に自己主張しながら、懸命に生きている姿に似ています。そして秋の紅葉は、人にたとえれば、いままでの生き方から様々な自分の色をかもし出しながらやがて、散っていく。これもまた人の晩年に似ています。

 しかし、散ったあとの木々には確かに新たないのちを宿しています。私もいよいよ秋の色が深まっているようで、先のことは、あまり考えず若かった頃のことを思い出すことのほうが多くなってしまいました(苦笑)。
 こんなふうに、センチメンタルになってしまうのも、秋のせいなのでしょう?
                         【センチな同朋会員 】



2010.9
 このシャバは思い通りにはいかない。解決の糸口さえ見つからず、八方ふさがりの時に「大丈夫です。今まで何人もの方をお救いしました」とくれば、青天の霹靂、世紀の大事件、人生観が一遍にひっくりかえってしまう.

 西洋医療にかわるホメオパシー医療を、英国議会は否定、日本でも被害裁判沙汰になっている。西洋医薬は症状を消す【異種療法】なのに対し、ホメオパシーは、病気と似たような症状をおこす物質を薄めて服用して治す【同種療法】という。薄めるといっても半端な薄め方ではない。
 10の60乗(1兆を5回掛け合わせた数)分の1に薄めるというから、天文学的数字の薄め方だ。さらに薄めれば薄めるほど効果があるという。それを砂糖粒に含ませて服用すると、精神病から皮膚病まで多種多様で、がん治療も可能の万能薬だと協会側はいう。(私は、否定も肯定もしない)

 数年前に背中についた悪霊を取り除くことのできる住職がいらっしゃるという話を聞いた(なんと、真宗と同じ鎌倉仏教)。
 住職がなにやら唱えると、背中の悪霊がもだえ苦しむのが見えるとか。「あなたも見えたのですか」「いえ、私は霊感がありませんから」住職が「悪霊が離れましたっ!」と言うと、「肩がすっと軽くなるんです」
 「そのご住職の奥さまも信じているんですか」「聞いてみたら『そんなことがあるんでしょうか』とおっしゃていました」「で、そのご住職のお歳は」「はい、数年前、50歳前半で亡くなられました。本当に残念です」「・・・」

 「溺れる者ワラをもつかむ」「信ずるものは救われる」…か。

            【「酒は百薬の長」を信じている南無の会々員】



2010.5
 先日、久しぶりに家にいた子供が、突然、「僕くらいの歳のころ、どんな感じ?何やってた?」と聞いた。「うーん、そうだな…」と。本人は、何気ない言葉だったのだろうが、聞かれた側は、言葉につまってしまった。

 あのころの私はというと、分不相応な大きな夢と目の前に迫ってくる現実とのギャップで、右往左往していたような気がする。あのころが、まるで、走馬灯のように浮かんできた。そういえば、私って、人と話をするのが苦手で、人を避けて生活していたなあ。自分の作ったオリから出られなくて、もがいているサルって感じ?そんなんだから、口をついて出た返事は、「あんまり勉強しなかったし、学校もあまり行かなかったし、結構、いい加減だったかも…」(笑)

 子供は意外そうな顔を、私に向けたので、付け加えて、「人って、いつまでも同じ場所には、とどまってはいないんだ。私を見てみなさい」と、言った。昔から、ポジティブな人間だと、思い込んでいたらしき子供にとって、まさに、「青天の霹靂」だったようだ。さらに一言、「人はこれを『年の功』と、言うんだ」(笑)。しかし、本当に、あの頃の私からは、まったく想像のできない人生を送っている自分に、我ながら、あきれるくらい驚いてしまった。

 「人生はなるようになる」。しかし、自分の思い通りには、ならなかったけど、長年の人との関わりのなかで、こうやって生かされていくのだなあ…と、子供の一言で、忘れていたことを思い出させてもらった。あとは、人生をおわるときに、「ありがとう」と、言えるように過ごせればなあ。

                    【ポジティブな南無の会員】
 



2010.3
 日本では、食べ残しをすると失礼に当たる。だから食べきれないと思ったら、その皿には手をつけないのがマナー。ところが、中国ではお客が料理を全部食べてしまうと、主人に恥をかかせることになる。料理が足らなかったということだ。中東のどこかの国では、食後大きなゲップをするのが礼儀。十分に食べたという意味だ。

 法事には必ず「おとき」があるが、この地域の料理の品数の多さはすごい。和・洋・中華にデザート。二の膳からもはみ出して、引き出物や、畳の上にまで置かなければならない。帰りには、食べ残しを最低2つの折箱に詰めて持ち帰ることになる。家に帰ってから、家族でもう1回宴会できるほど。
 「おー、まだ料理が出るのか。父ちゃんご馳走したね」と客に言わせたら主の歓迎の気持ちが伝わるということ。いまや中国化・中東化して、日本料理の美しさが失われてきている。

 昨年、何回も行ったことのある料理屋さんで、すばらしい料理をいただいた。それは、すべて食べきるものと想定して、品数は少なめに、しかしかなり手の込んだ料理ばかりで、一品一品食べる人をうならせるものばかりだった。宴の進行をみながら、料理が順を追って調理され、運ばれてくる。熱いものは熱いうちに、冷えたものは冷たいままに。お膳の上は、いつも一、二品しか残っていない。だから、お酒を注ぎに席を離れている人は、料理が一品運ばれてくるとすぐに席にもどってしまう。
 いわゆる「懐石料理」。この地域特有の「お持ち帰り料理」のほかに「食べきり料理」を始めたのだそうだ。玄関まで見送りに出たまだ若い(30歳代)料理長に「すばらしい料理でした」とお礼を言った。
                    【食通というわけではない南無の会員】
 



2009.12
 ベストの席は、後ろから2列目くらいの通路側。自宅ならば、これも最後尾のほうで、後ろに背もたれの柱のあるコーナー付近だ。サッカー観戦の話ではない、お通夜の席のことだ。
 その年頃となって、仏事に出席することが多くなった。先日のお通夜で、ベスト席がとれないどころか、初めて最前列に座ってしまった。飛行機のコックピットに座ったように(座ったことはないが)、そこの視界はまったく違った。

 目のやり場がないから、生花の名前を見渡す。嫁に行った娘は、そんな名字になったのか。この会社は誰の関係かな。さすが本家、一対もある…。一通りながめると、今度は僧侶の後ろ姿に目がいってしまう。猫背だ。うしろ頭が意外に薄い。お経にかなりクセがある。法話も、ダラダラと40分もあったり、毎回同じであったり…。

 焼香を親族の後にさっさと済ませると、今度は次々に目の前に現れる焼香者が気になってくる。ニュースで見る著名人の葬儀のように、念数を持たないで合掌している人はさすがにいない。宗派によって多少の違いがあるにしても、結構焼香の作法がおかしかった。7割以上が正しく行われている地域もあるが、ここはたぶん98%が間違っていた(と思う)。
 お通夜が終わって、すぐ後ろの人に言われました、「最前列なんだから、キョロキョロするんじゃないよ」。人のことは見えても、案外自分のことは見えないものです。反省


                       
 【人のことは言えない会員】
               



2009.11
 諦(あきら)める。50数年生きてきて、いろんなことを、何回も諦めてきた。いまだに諦めきれず、くよくよ考え続け、どうにもならない事に腹を立てている。あるとき「諦めとは仏教用語です」と聞いた。きっと普段使っているような意味ではないのだろうと思いながらも、久しぶりに国語辞典を引いた。
 辞典を引くのは好きで、どちらかというと得意のほうだ。わくわくしながら辞典を開いた。何ということだろう! 何年辞典を開かなかったのだろうか? いつの間にか文字が小さくごちゃごちゃして随分読みにくくなっている。あ〜ぁ年か〜、しょうがないなと思いながら近眼のめがねをはずし、しっかりと読んだ。

 「諦める=望んでいることが実現できないと考えて思い切る。中途でやめる。断念する」。うんうん、まさにその通りとうなずいた。がこれ以上、これ以外何があるのだろうか? と思いながら隣を見た。字はちがうが「あきらめる」がもう一つあった。「明らめる=見てあきらかにする。理由をはっきりさせる。さとる」。そうか、これは何かありそうだと思い手帳に書き留めた。

 その後すっかり忘れた頃に「諦め」に出あった。「諦めとは、あきらかに、みること。そして、あきらかにみえたことによって、目覚めること」と聞いた。よく考えてみると、諦めたところで終わっていた。そうではなく、そこであきらかにして、目覚めることが大事だったのだ。諦めることも必要なこと、そしてどうにもならない事に腹を立てるのではなく、気づくこと、なのだろうか?

               
【 あきらめきれない推進員 】



2009.8
 あるところに若いお坊さんがいました。そのお坊さんは、10代の頃とてもやんちゃで、それが行き過ぎて仲間と悪さをし、少年院に入った事があったそうです。その後、ある人に出会い、阿弥陀様の前に座り、手を合わせるようになったそうです。

 とある法話会で、そのお坊さんは、聴聞している私たちに質問しました。「皆さんの目に、阿弥陀様のお姿は、どう見えますか?」と。ある人が「お念仏を称えれば、誰でも救ってくださる、優しいお姿です」。ある人は「一人も漏らさず救ってくださるそうです」と。「その為に、一歩前に足を踏み出し、身をのりだしたお姿です」「有難いお姿です」と、皆さんいきいきと、自慢げに答えたそうです。「ほかの方はどうですか?」と声をかけられると、「そうよね、そう聞いていますね」と、会場がざわざわとしました。

 お坊さんはもう一度「皆さん同じ様に見えますか? 本当にそう見えますか?」と聞かれると、今度は、シーンとなり、みんなの目はお坊さんに集中しました。「実は、私もそう聞きましたし、そう思っていました。ところが、真宗の教えを聞けば聞くほど、阿弥陀様の前には座れなくなったのです」。
 「足を踏み出し、前かがみのお姿で、私に向かって、『まだお前は気付かないのか! いいのか!それでいいのか!』とおっしゃる声が聞こえるのです。『早く気付け! 早く!』と、とても有り難く、頂くことは出来ません」と。… 皆さんの目には、どう見えますか ?

                 【 まだ気付かない推進員 】



2009.9

  【ぐでん】の熱演
 ハシカが直らない不良おやじが一緒にやってるメンバーが、内緒で、とあるコンテストに応募してしまった。応募した本人も忘れかけてた頃、一通の手紙が届いた。その手紙は『おやじバ○ドフェス△ィバル』東北大会予選通過の案内状だった。

 出場資格は、ネーミング通り年齢40歳以上で、優勝者は東京神宮外苑での全国決勝大会に参加でき、優勝賞金は100万円。東北大会は仙台、それも収容人員2000人が入る想像もつかない大きな会場だ。勿論そんな機会はそうそうある訳ではない。日時も丁度連休。車に機材を詰め込み仙台へ。
 仙台、青森、秋田、福島、山形などから参加者が集まった会場は、いろんな方言が飛び交い、あたかも外国に来たかのようだが、同じ道楽で選ばれた者同士、言葉の壁を越え?初対面なのに皆笑顔が絶えない(ただお互い言葉がわからないので笑ってごまかしている?)

 自分達の出番は、最後「トリ」だった。本番前のリハーサルでも最後のせいか、スタッフやゲストの機材担当の人までが、たびたび大勢出て来てくれて念入りに調整してくれた。どう考えても他の皆さんと待遇が違う。そのお蔭で本番も気持ちよく終え、会場や審査員の皆さんからの評価も一番よかった。が、結果は3位。
 終了後聞いた話では、新潟は関東甲信越で、東北ではないとの判断。よって東北代表には出来ない。応募の内容を良く見ない自分らが一番悪いのですが、それなら最初っから予選落ちの方がよかったと…。新潟って本当は何処に入るんでしょうかね? 昔TVじゃ裏日本ですしね。

            【 東京行きを逃した不良おやじ 】



2009.5
 始めたきっかけ?そりゃ単純に女の子にもてたい為。それとカッコいいと思ったから。きっと一度は手にした人は同じ答えをするかと思いますね。たいがいの人は中学、高校を卒業する頃、よっぱらになったり努力しても出来なかったりして、やめる人が多いんですけどね。
 まぁー、簡単に言えば誰しも子供が大人になるまでにかかる「ハシカ」のようなものですね。昔は、それ持ってるだけで不良扱いされたようですが、正直今も同様あんまり良くは思われてはいないようですね。自分も友人、知人から「まだやってるんだ?いい加減やめたら」と、お寺様の説法のような有難いお言葉を度々頂きます。

 ところが近年、同世代のやめてた人や、当時は全く無関心だった人達が、仕事帰りに熱心にスクールに通ったり、某国営放送でも放映したり、それに関連した書物が大ヒットしてるようです。それは子育てがひと段落ついたと思ったら、今度は逆に子供や女房から相手にしてもらえない寂しいお父さん(自分だけかも?)、それとも、パチンコ、競馬等ギャンブルやゴルフ等を趣味にしてた人が、この不景気の影響でやりたいけどお金が続かない等の理由からの乗り換え。
 どちらにせよ理由はわかりませんが、唯、思うに老若男女を問わず、やろうと思えば何時でも始められるし、大勢でも楽しめる。また親子仲良く楽しんでる人達もいます。
 自分の憧れの『転がる石』の皆さんなんて「赤いチャンチャンコ」着てる歳(還暦)でも、まだ頑張ってるし。誰が何言おうとやめる気なんて無いね!俺は「ハシカ」が直らない不良親父でいいよ。

              
不良親父の推進員 】



2009.3
 冠婚葬祭に出席する機会が増えた。年間を通じて、その出費の多さもかなりのものだが、出席して面食らうことばかり。
 まず、どの場所、どのタイミングで、何とあいさつして土産物を出せばいいのかがわからない。親戚といいながら、いつも8割以上の顔はわからなかった。仕方がないので、部屋の隅でかしこまっているしかない。冠婚はまだいい。座席に配慮されていて、隣の席は知っている人がいる。若造だから祝辞があるわけでもなし、飲み食いしているうちに終わってしまう。

 ところが親戚の葬儀はそうはいかない。夜中であったならば、まず駆けつけ、枕経が済んで葬儀社との打ち合わせ、ここまでは全く用はない。ただ、神妙に座っているだけ。それから家人同士の打ち合わせ。特に女性の準備は厄介だ。着物がいいか、喪服でいいか、着付けはどうする、美容院は間に合うか。ここでも用はない。男性は男性で、前のじいちゃんの時はどうだったか、花環にするか生花にしようか。とにかく近い親戚から決めてもらわないと、あとの者が決められない。そのうち酒が出てきて、思い出話をしているうちに、とうとう夜が明けてしまった。

 葬儀になって、ところでこの家は何宗だった? この宗派では、焼香する時はどうするんだろう。もっとも、そのころは大谷派の焼香作法さえ知らなかった。またまた戸惑うばかり。こっそり喪主に聞くと「実は…、オレもわからない」
 真宗門徒は、どの宗派の仏事でも「南無阿弥陀仏」でいいのだと教わっている。焼香作法も同様に、大谷派の作法ひとつを覚えていればいい。情けないけれども、とりあえず身に着いたのは、これだけ。

              【 とりあえず2つの推進員


2008

2008.12
 9回の裏、ツーアウト満塁。伝統の一戦巨人阪神戦だった。カキーンと、痛烈なサヨナラヒットだ。「やったー、祝杯だァ」と、5人の友人と車で飲みに出た。ところが、その帰りに、見事に検挙されてしまった。30年前のことだった。
「何で飲んだの、アン ?」と警察官。「ハイ、今晩のサヨナラヒットで、うっかり、羽目をはずしてしまいました」。それまでの高圧的な態度がガラッと変わり夜勤の同僚が聞いていないことを確かめながら、小声で言った。「実は、私も巨人ファンなんで、今晩のその気持ちは本当に、本当にわかりますが、飲んだら車はいけませんよ。わかりますね」「はいその通りです…」
 今年も残り少なくなり、忘年会など、飲酒の機会が多くなる時期だ。飲酒運転に起因する悲惨な事故がニュースで相次いで報じられている。普段良識ある人でさえ、少しくらい飲んでも大丈夫だと思う気持ちにさせるのもアルコールの成せる業といっていい。『飲んだら乗るな』という交通安全標語がある。自分だけは大丈夫という慢心を持たずに、気持ちの良い飲酒をして欲しいと思う。「ほんの一口だけ」と勧めるなら、足腰が立たないくらい徹底的に飲ませるのが、親切というものだ。
 「もう飲めません」と言ったら、「もう2本ほどください」と聞こえる、よき伝統がある土地柄なのだから。


                【 酒の飲めない推進員 】



2008.11
 家に帰ると、見慣れない自転車が数台。どうやら子どもの同級生が遊びに来たようだ。
 玄関に入って唖然とした。歩いて来たまま、元気いっぱいの形でスニーカーが脱ぎ捨てててあった。この調子なら、家の中はどんなに騒がしいだろうと思ったら、以外にも静かだ。
 それもそのはず、各々がテレビゲームと小さいゲーム機に夢中だ。「玄関の靴を揃えて来い!」と一喝したら、子どもたちは慌てて揃えに行った。それ以来、「うるさいオヤジのいる家」では、靴の脱ぎ方がよくなった。

 今の子どもたちは、一緒に遊ぶといっても「一緒でバラバラ」であって、昔のように、年長者と年少者との共通の遊びがない。野生動物も、遊びの中で「他の中の自己」という関係性を覚えてくるものだ。その学習をすることなく社会に出れば、さぞまごつくことだろう。ちょうど、乳母日傘で育った朱鷺が、いきなり野に放たれたようなもの。

 昔、子どもは地域全体の子どもであり、大人は、みな親同様であった。だから近所の大人や遊び仲間から叱られ、逆に、困ったことがあるとたすけてもらった。失敗しながらも、他との関係性を学び、仲間作りの努力をして今の自分があるのだと思っている。

               
【うるさいオヤジの推進員 】



2008.9−2
 ある新聞に…。「息子が結婚した時、こう言った。『お母さん、今後もし嫁さんと意見の衝突があったら、僕は間違いなく嫁さんの側につくからね』と。思えば昔、夫の母と意見の食い違いがあった時、夫がすかさず助け舟を出してくれた。夫の母は悲しかっただろうが、お陰で40年もうまくやってこられた…」
 それを読んで思いだした。「俺はお前が一番大事だ。でも、おふくろと何かあった時は、俺はおふくろの前では、おふくろの見方をする。そうなった時は許してくれよな」これがプロポーズの言葉だった。(E)



2008.9
 久しぶりに上野駅から在来線に乗り換えようとしたが、駅の様子が変わっていて全くわからなかった。キョロキョロして、おのぼりさんそのもの。人の波に押されながら歩いていると、とうとう駅の中で迷子になってしまった。
 やっとのことで駅員を見つけ、目指す乗り場を聞いたら、ただ「あっち」と、ぞんざいな返答。その通りに「あっち」へ行ったら、全然違ったじゃないか、再び迷子になった。

 やっとのことで特急に乗り、次の乗り換え駅に着いたら、もう電車が待っていた。駅員には懲りているので、ホームで談笑していた3人のオバサンたちに「○○行きは、この電車でいいですか?」と聞くと、にこやかに「ハイ、そうですよ」と。やはり、あの位の年代のご婦人は間違いないと思った。準急に乗ってホッと一息。ところが、しばらくして、通過駅と電車内の路線案内を見くらべて愕然とした。違う方向に向かっていたのだった。あの笑顔は何だったんだ。

 5つの駅をむなしく過ぎて、今度は、やむなくそこにいた女子高校生に聞いてみた。髪を染め、こってりと化粧をして、シャカシャカとイヤホンからもれるほどの大音量で音楽を聴いていた女の子だった。「ヘンなおじさん」と無視されるかなと思ったら、イヤホンをはずして、到着時間まで、ていねいな言葉づかいで教えてくれた。人は、肩書きや見かけでは判断できないものだと思い知った。

 行き先がわからなければ、聞けばいい。間違ったなら、引き返せばいい。けれども、自分でどう生きたいのか、考えるヒマがない。「これで、いいのだァ」と言ってくれる人(たとえば、バカボンのパパ)が欲しい。

   
                【 赤塚不二夫 世代の会員 】



2008.8
 昔からいわれ続けていた公務員の就職斡旋。「村長にお願いしたら、入れてもらった」「議員に頼んで就職できた」「親が校長先生だから」。その言葉がどこまで真実かわからない。しかし、ほぼその言葉通りの事が行われてきたと勘ぐられても仕方がない。

 学生の就職説明会でも、担当職員は、「あらゆるコネを使っても、がんばって内定をとりましょう。特に、このような就職氷河期の時代には」と、父兄の前で話をする。親が子どものためにと思う気持ちは否定することはできない。我が子のためと思えば、たとえ、どんな手段を使っても実行すると思う。

 某県の教育長は、事前に合否を伝えたと話した。そのことが、どんな利益を生むことか、まるで知らないことのように。確かに、合否が決定してからの、単なる「お知らせ」かもしれない。合否そのものを左右する事柄ではない。しかし…。子どもの大学受験に、代議士先生にお願いをする。「承知しました。あの学校の教授はもちろん、理事長もよく知っていますから」。受けとった方は何も動かなくていい。ただ、合格発表の前夜に合否がわかるだけで、「おめでとうございます。息子さん、合格しましたよ。ぜひ明日の発表をご覧ください」。不合格の時も、「残念でしたが、力が及びませんでした」。たった、その一言だけでいい。いずれの場合でも、親はその先生に感謝するに違いない。
 情報化社会とは、いかに人より早く情報を手に入れることが出来るかである。それが、すべて利益につながっていくから。

             【 コネの なかった推進員 】



2008.5
 あるおばあちゃんの話。得意になって、
「あのね、隣の空き地に、でっけ看板が立ったて!」
「何の看板だね?」
「あのね、アテント募集ーって、でっかでかと、けーてあるて。なーにが出来るんだろかね?」
と大真面目。んっ? アテント?(確か紙おむつだよな)
「アテントじゃねーて、テナントじゃねーかね ?」
「いいやね、アテントゆうて、け(書)ーてあったてばね!」

 このおばあちゃんにはそう見えるらしい。自分が見て、自分が感じた事がすべて正しいようだ。ドキッ、自覚症状あり! あぶない。自分の考えを話し、ひとの話し聞き、自分の考えを確認する。その大切さを感じる。確か、連如さまの御文にもありましたよね、住職?

 ある家族。熱心にお寺に通っていたおじいちゃんの通夜で、おばあちゃん「癌であんなに苦しんで亡くなったのに、こんなにいい顔になって、安心して寝てるようね、お浄土へ帰ったんだね」。そうか、これが「すべておまかせします」の「なんまんだぶつ」の姿かな?浄土はこの世にあるという。いい顔でいられる浄土へ行くには、どうしたらいいか、と手を合わせ念仏を称える…。おい、全然おまかせになってない!
 この家族ー念仏申すおじいちゃんの姿は見て来たけど、何をどうしていいかわからない。教えてくださいと、お寺様にお願いされたそう。財産を残し相続するように、おじいちゃんはしっかりと、法の相続をされたのだ。今の私たちに一番必要な事のように思う。
                    【お金も欲しい推進員】



2008.3
 日本語は難しい。「粗茶ですが」が、高級な玉露だったり、「狭いところです」が豪邸だったりする。これは謙遜語。

 新飯田の言い方もおもしろい。「上等な菓子です」が、駄菓子のことだったり、「きれいなトイレです」が、そうではなかったりする。これは、わざと逆の表現で、相手に非礼を詫びるハイテクニックだ。

 その上をいく万能、かつ究極の表現が「これ、ほんの気持ちです」。その品物の価格がどうのではない。その方の経済事情、品物を選ぶ時間的事情、多忙なのか暇なのか、なによりここまで身を運んだことですべてお察しくださいと、相手の力量にポンとお任せしたのであるから、受けた側は「ハハー、お気持ちありがたく頂戴いたします」とならざるを得ない。

 年に数回利用するレストランで食事が済むと、店の女の子が「これどうぞ」と小さなチョコレートを二つ。
 「えっ、何?」
 「バレンタインデーですから」。
 「これでも、一応妻と子が…」
 と、戸惑いながら周りを見ると、男性客の席には同じチョコがあった。ホッとしたものの、少しガッカリ。

 義理チョコ、父の日、誕生日。もらうことはあっても、お返したことはない。だって、物を贈らなくても、気持ちが通じていればいいじゃないかという勝手な理由だ。ところが、愚かな女…、いえ現実的な女性は、カタチで表現しなければ理解できない。

 自分の心は言葉にうまく言い表せないし、目に見えず、色も匂いもない。でも、確かに心はある。目に見えない無形のものを、具体的な形にして表現する方法を「方便」というらしい。阿弥陀さまこそ方便のお姿。
       
               【義理チョコ 二つの南無の会員】