「南無の会」会員による1年間のリレーエッセイ
徒 然 抄
   2003年


(2003.12)
 とある日曜日、所用で新潟市にでかけ、そば屋に立ち寄った。夕方とあって店は混雑していた。私は食券を買い、好物の山菜そばを食べていた。

 隣には女子中学生らしき3人組が大声でお喋り中。店主(50代の男性)が堪りかね,
「他のお客さんに迷惑だから静かにして」
と注意した。彼女たちは悪びれるどころか“ムッ”とした様子。食べ終わると黙って店を出ようとした。
 店主が,
「うちはセルフサービスだから食器を返却口に戻して!」
と頼んだが、背中を向けたまま立ち去った。店主は思わず舌打ちした。

 なぜ彼女たちは素直に謝れなかったのか?食器を戻そうとしなかったのか?それから現場に居合わせた人(私を含め)は、何かしてやれなかったのか?読者ならどんな行動をとっただろう。

 ごく一部の若者たちの行為だが、今の社会を象徴しているようだ。人が迷惑しようが自分に関係ない。自分さえ良ければいい。ルール無視。そして見て見ぬ振りする周りの人たち。いや本当は怖くて注意できないのだ。残念ながら…。逆ギレされ、殴る蹴るの暴行を受けた例もある。

 いつからこんな不道徳がまかり通るようになってしまったのだろう。凶悪化する少年犯罪、相次ぐ果物やコメの盗難事件、さらには「なぜ人を殺しちゃいけないのか」と聞く高校生まで出る始末…。世も末とはこのことだ。人の心が荒んでいる。日本人の義理・人情は何所に行ってしまったのか。
                                      【ナンデダ郎】



(2003.11)

 
中学生の頃、『偉人たちの辞世の言葉』と題する本を見つけ、読んだことがあった。ほとんど中身は忘れてしまったが、一休禅師の言葉は今でも鮮明に覚えている。 

 「死にとうない」といって座ったまま眠るように死んでいったという(87歳)。一休さんは名僧といわれており、私は「悟りを開いた人がこんなことを言うだろうか?往生際が悪いなぁ…」(大変、失礼な言い方だが)などと子供心に思ったものだ。

 参考までに調査した『辞世(臨終)の言葉』を少し紹介したい。
「食べたくない。このまま寝とる」(成田キン・107歳)。
「(妻に)おい、いい夫婦だったなぁ」(徳川無声・77歳)。
「涼しい風が吹いてくる」(島崎藤村・71歳)。
「ああ、苦しい。今、死にたくない」(夏目漱石・49歳)。
「裏を見せ表を見せて散るもみじ」(良寛・73歳)

 自分はどんな名(迷)言を残して死んでいこうか。さだまさしが歌う『関白宣言』の歌詞の中に、
♪ お前のお陰で  いい人生だったと  俺が言うから  必ず言うから ♪
 という一節があるが、これではキザすぎる。意識がモウロウとして喋れないかもしれない。あるいは途中まで言いかけて途絶してしまうかも…。

 40代も半ば最近同じ歳の仲間が一人二人と病気で亡くなっている。仕事がバリバリできても病気には勝てない。「いま」を大切に、そして精一杯生きていこうと思う。
                                      【ナンデダ郎】  
                                      


(2003.9)

 今年は暑い日が続かず、夏が短かった。お盆が過ぎ、すぐに秋がやってきた。1年で1番過ごしやすいといわれる季節、皆さんはどのように秋を満喫されるだろうか。秋の夜長、水割りでチビリチビリとやりながら読書に耽るというのはいかがか。

 今から20数年前、社会人になりたての頃、職場の先輩から「給料の3分の1は本を買って読め!」と勧められた。正直者の私は早速、書店へ行って「五木寛之作品集(全24巻)」を購入し、意欲満々だったが、1巻目を数頁読んだところで挫折した。自分が飽きやすい性格だということを忘れていた。貰ったばかりの給料がスッカラカンになり、やっとの思いで1ヵ月を過ごしたことが懐かしい。(その後、作品集は3年がかりで読み終えた)。

 中学時代の国語の先生が「本を読んでいる時、気に入った文章を見つけたらメモをしておくと良い」と教えてくれた。現在でも、そのことは実行している。後で読み返した時、わかるように、読書年月日、本の題名、該当ページ、文章を箇条書きにし、記録している。

 やはり20数年前、「たいくつな大人になりたくない…」と少女がつぶやくコマーシャルがあった。もっと本を読もう≠ニいうものだ。活字ばなれが進んでいる。バラエティ番組を見て大笑いすることもいいが、たまにはテレビのスイッチを切り、虫の声でも聞きながら、ゆっくり本を楽しみたいものだ。
                                     【ナンデダ郎】
                     

              
(2003.8)

 「いのち」という言葉の意味を知るために、手元の広辞苑を引いてみた。
@生物の生きてゆく原動力。生命力。A寿命B一生。生涯Cもっとも大切なもの…と書いてあった。

 最近「いのち」についてしみじみと考えさせられたことがあった。1回目は、2年半前に地区のPTA講演会で「命のアサガオ」の作者、丹後まみこさんの話を聞いた時だ。7歳だった二男の光祐君が急性リンパ性白血病で亡くなってしまったが、生前に育てたアサガオの残した種が、骨髄バンクを広める運動として全国に広がっている。人の命のはかなさや、アサガオの種が持つ生命力の強さを教えられた。

 2目は昨年、やはり地区PTA講演会での新潟動物ネットワークの人が語ったペットに関する話だ。今や空前のペットブーム≠ナあり、猫・犬・熱帯魚・小鳥など様々な動物が飼われている。ペットと暮らすことにより、命の尊さや愛情などを、ごく自然に学ぶことができるのだ。その反面、捨て猫や野良犬の数が増加しているという。

 飼い主は責任を持ってペットを育てて欲しい。人間はペットを自由に選ぶことができるが、ペットは飼い主を選ぶことができないのである。極論すれば、ペットの運命は飼い主しだいなのだ。飼うことに飽きたり、育てきれなくなったなどと身勝手な理由をつけて捨ててはいけない。ひとつの命を大切に育てて欲しいと願うばかりである。                                        【ナンデダ郎】
                                    


(2003.5)

 そもそも日本人の多くは外国の人と比べて信仰心を持たない(必要と感じていない)民族ではないのかと勝手に思っている。

 身近なことで言えば野球やサッカーの試合で、外国の選手は自分が得点をあげた時に十字を切って神に感謝しているが、日本の選手はガッツポーズをとるだけである。そういう自分もこれまで信仰とか宗教とかいうものには殆んど関心がなかった。

 父親が亡くなり葬儀や法要を勤めることがきっかけとなって、宗教について考えるようになった。(考えざるを得なくなった)。恥ずかしながらそれまでは自分の家は仏教信者であり、親鸞聖人を宗祖とする門徒宗である£度の認識しかなかった。

 「南無の会」に入って正信偈を読んでいる。これがお経なのかと思ったら、そうではなく現代に生きる私たちに「なむあみだぶつ」を贈るために書かれた詩(うた)であると知らされた。

 数年前に、とある葬儀に参列した時、導師の言葉が印象に残っているので紹介したい。「人は皆、お浄土からこの世に旅行にきたのです。この世で苦しいことや楽しいことを経験し、お浄土に還るのです。日帰りの人もいれば一泊二日の人もいる。人生の意義と本当の喜びを見つけるための道理がお経に示されている。だから皆さんのふるさとはお浄土であり、お経はその手引きであります」と。

 大変によい話なので、早速自宅に帰りメモをとった次第である。                                                 【ナンデダ郎】
                                      


(2003.3)

 「残念ながら歴史≠ニいうものは戦争の繰り返しなのである」。…高校のとき、先生が言った言葉をなぜか思い出してしまった。

 米ブッシュ大統領は、イラクのフセイン大統領に対し、国外への亡命を要求し、拒否すれば攻撃を開始するとの最後通告を行った。イラクの方は徹底抗戦を宣言。もし米英が武力行使をすれば、国連安保理の承認を得ないままでの戦いとなる。

 国連の決議もなければ国際世論も顧みない。そうした軍事行動は正当性や大義のない戦いである。国連による大量破壊兵器査察は一応は進んでいた。平和的に解決する余地もあったはずなのに。

 それにしてもなぜあんなに戦争をしたがるのだろうという疑問が常に浮かんでくる。戦争を起こせば敵味方ともに必ず人が死ぬという事。また障害を背負わされて生きていかねばならない人が出るという事がわかっているのに。米軍はハイテク兵器を駆使し、イラク国民には危害を最小限に抑えるといっているが、そんなに上手くいく訳がない。

 やはり戦争というものは、してはいけないものなのだと率直に思っています。戦争はまた新たな戦争を生みだすだけ…。それに気づいて、平和に暮らすための努力というものを、各国の指導者は真剣に考えてほしいのです。
                                 【平和を願う推進員】