「南無の会」会員によるリレーエッセイ
徒 然 抄
   2004年ー2007年

2007

2007.12
 三条別院報恩講には、本山から御連枝がお出でになる。お身体は細いが、御衣を着、袈裟をかけ本堂へ向かわれる姿は、凛として自然と頭が下がり、身も心もピシッとする。

◆「御参堂ー!」という大きな声が本堂の裏に響く。本堂の裏はシーンとし、空気の流れも止まったようになる。長い時間のおつとめが終わり、控え室にお戻りになる時のお声が聞こえた。「この歳になると、やはり膝に来ますね」。この歳とは八十歳だそうだ。あるお寺のご住職も、かなり膝に来ていた様子。だが、お内陣から聞こえて来る声は一番響いていた。ちょっとひいき目か。

◆別院報恩講のおときには、名物がある。それは『なんばん味噌』。おときもおいしいが、このなんばん味噌がたまらない!これだけでご飯が食べられるくらい。「この歳」になられた方は、あまり食欲がなく、二日目は、おそばだったそうだが、なんばん味噌がとてもおいしかったらしく、「どこで売っているのですか?」聞かれたそうだ。それは別院でつくったもので、どこにも売っていない。食べたい方は、どうぞ別院報恩講にお参りを。

◆ある夫婦。夫「いつも自分勝手に決める。たまには相談したらなじら」。夫は機嫌が悪いと、妻のやる事なす事が気に入らないようだ。もちろん機嫌の上々の日もある。ある日、妻はさんざん迷ったすえ、思い切って相談した。そしたら返ってきた言葉が「そんげん事も、判断出来ねんか!」。ああ、所行無常。     【戦々恐々の同朋会員】



2007.11
 2名の可愛い乗客を乗せたエンジン1人馬力の空飛ぶジュータン号、旅の始まりです。出発進行、とつぜん仕切りたがりやの乗客の一声で動き出す。乗客の指示で右旋回したかと思えば、急に左旋回の指示が出る。一息入れようと思う間もなく、パワー全開のサインが出た。よーし、それ行くぞ。老いた一人エンジンもオーバーヒート寸前だ。

 おいおい一休みさせてくれ。厚いダンボール二畳くらいの広さ、紐をつけて草むらを引き回す。思いついての手作り空飛ぶジュータン号である。その上で、孫たちは仰向けになったり、腹ばいになったり、飛んだり、もっと速くとさけんだり、おおはしゃぎ、ご満悦だ。おいおい、今度はお家を造って遊ぼう。捨てないでとってあった大きいダンボール箱をきざんだり、穴を空けたりと、息切れしない方法に変更だ。

 オモチャ公園とは違ったものをあげられたかな、いやいや逆だ。私があたたかいかおりをもらったのかな。孫とのひととき、庭先の草むらでのたわむれでした。          
                          【 屋根の上の推進員 】

 孫がいない私は、たわむれにネコを抱いて、高い高いをしたり、10数回転して遊びました。遊んでもらって喜ぶかと思ったら、ネコはゲロを吐きそうになり、乗り物酔いする私も、一緒に気分が悪くなり、最悪なひとときでした(住)



2007.9
 茨曽根の農家の人の話。
3年前まで面倒をみてもらっていた農機具屋さんの人は、新しい機械が出ると、「ここが良くなって、操作手順が変わった」と、具体的に説明してくれた。
 使う時期前には点検したり、「農繁期さ中にトラブッて作業中断するよりここが磨耗してるから、今のうちに部品交換しておいたほうがいい」とか、自分で出来る修理の方法をていねいに教えてくれた。

 ところがその人がいなくなってからは、一応来てくれるけれども、「工場で直してくる」と言って、持って行ってしまう。細かな説明がないまま請求書だけが来る。「直ったんだからいいだろう」的だった。

 面白くないので、別の農機具屋さんに替えた。ところが新品の機械を買う前後はこまめに来たけど、そのうちぱったりと来なくなった。めずらしく来たと思ったら点検もせずに、「7年もたったんだから、壊れる前に新しいのにしないか」ときた。
「機械メーカーはどこでもいいけど3年前来ていた『あの人』がよかったなあ」。

 日本を代表する大手メーカーは、かつて、工場の技術屋がエリートであり、その能力のない者は営業にまわされていたという。今では逆に、営業マンが脚光をあびる時代となった。

 点検して小さな部品交換で直せるものを、高価な基盤をそっくり交換とか、いっそのこと新品をとなる。
 説明しないのではなく、説明出来ないのだ。どうなる、技術屋がいなくなった『技術大国日本』。


             
【 屋根の上の推進員 】   



2007.8
「雨男雨女」という言葉がある。その人が出かけたり、何かをしようとすると必ず雨になるという。
 福井地震、新潟地震、阪神淡路大地震を、たまたま現地で体験した人がいた。この「地震男」が、今どこにいるのかはわからない。

 普賢岳噴火、阪神淡路大地震、7・13水害と中越地震の時に、その地区の所長をしていた人もいる。「災害所長」と呼ばれた。以前の経験から災害時の対応がすばらしいという意味なのか、災害を連れて来る男という意味なのかは知らない。昨年の転勤で、災害も一緒に連れて行ったのかと思ったが、そうではなかった。

 近々衛星放送で上映される『嵐を呼ぶ男』は、50年前の日活映画。雨乞いの仙人の物語ではなく、やたら「騒ぎをおこす太鼓たたき」の映画らしい。そのお兄さんも選挙前の一時は静かだったが、そろそろ嵐を呼び出しはじめた。

 メーテルリンクの幸せを呼ぶ象徴『青い鳥』は、ちょうど100年前の名作。子供用の絵本だけでは、最後がどうなるのかはっきりしない。ただ、私たちが求めるような幸せを得て、ハッピーエンドではなかった。チルチルが幸せを求めながら旅をして、なかなか幸せを得られない。きわめて哲学的な感じがした。

 お年寄りの人気テレビ番組bPと、子どもが大人に観て欲しくないテレビ番組bPが一致するという。『水戸黄門』だ。印籠見せれば何でも解決、ハッピーエンドの「調停じいさん」。
 そんな都合のよい人がいるわけない。人生そんなに甘くはないと、子どもの方が現実をしっかり生きている。

                  
【 いつの間にか 若年寄 】



2007.5

 電信柱、街灯の支柱、ドラムカン、自転車、一輪車、車庫の柱。あとは忘れたが、この3、4年で、我が愛車にぶつかってきた、にくい名だ。すべてバックしている時のことだった。

 車が古くなったので、緊張感がなくなったせいなのか、単に歳をとったせいなのか。とにかく人さまには迷惑をかけなかったのは、自慢できる。なにしろ、30年ちかく「無事故・無違反」のゴールデンカードなのだから。

 先日、親戚の法事で、お斎のバスに乗ったら、運転手の奇妙な動作が目に付いた。それは走りながら安全確認のためにする「指差」の動作だった。青信号の交差点はもちろん、細い小路、自転車、歩行者、商店の出入り口、散歩のワンちゃんまで、ひとつひとつ右手の人差し指でていねいに確認しながら運転するのだ。

 帰りのバスも同じ運転手さんだったので、小さな子どもみたいに一番前の席に座って、見入っていた。その動作がきわめて自然で無理がない、身についているのだ。「指差」の動作が、サッサッという形ばかりのものではない。ちょうど粘土板に人差し指の指紋をとるために、ていねいに押し付ける、そのタイミングだ。
 年齢からして、旧国鉄の運転士さんだったのだろうか。降りる時に、私は「安全運転ありがとうございました」と言った。
 この人がトイレで目標を「指差」したり、寝る前に枕を「指差」したりする姿を思うと、さらに楽しくなった。

 プロは確実に見るべきものを見ている。アマチュアは、後方を見ているようで見ていないということだ。仏法も聞いているようで、実は何も身についていないんだよなあ。

                 【アマの 南無の会員】



2007.3

 開校4年の白南中学校の卒業式が行われた。86名の卒業生が、これ以上はないという緊張した面持ちで、ひとりずつ壇上で卒業証書を受け取る姿は、直接の関係者でなくても感動的だった。

 先日、数年前の赴任地で、山古志の中学校教師だった方からこんな話を聞いた。卒業式で、担任だったその方が16名の呼名をし、証書の授与が始まった。ところが、数人目の男子生徒が証書を受け取ると、壇上で全員の方を振り向いて大きな声でこう叫んだ「先生の担任で本当によかった」と。

 思いもかけない言葉に、担任は絶句。胸にグッとくるものがあって、次の生徒の名前を読むことが出来なかった。式場が静まりかえる。1分、2分…。その状況を見かねて、教頭先生がそっと「オイ、大丈夫か?」と声をかけてくれた。気を取り直して次の生徒の名前を読み始めたものの声がうわずったり、つまったりで散々でしたとおっしゃった。

 もち上がりで3年間担任した卒業生たち。時には「おせっかいな先公」「生意気なクソガキ」とお互いに思ったこともあるだろう。少人数だから部活動もままならなかったが、その分、一人ひとりと真剣に向き合ってきた。その最後の場面で、生徒たちからすばらしい通知表をもらったんですね。

 大人社会にも会社内やグループ内での「いじめ」がある。自分がいじめの対象とならないためには、いつも目立たないよう、ビクビクしながら人付き合いするのだ。

 人と人とが真正面で向き合い、出会いのすばらしさを知っている16人の子どもたちは、決してそんなつまらない大人にはならないと思う。

                【目がウルウル南無の会員】


2006

2006.12

 
「一週間のご無沙汰でした、司会の玉置 宏です」この名調子で始まる歌謡番組が幕を閉じてから、25年も経つ。毎週日曜日にこれを見ないと、時代から取り残されるような気がしたものだ。

 先ごろ、今年の紅白歌合戦の出場者が発表された。初めて見る(読み方すら不明の)歌手が6割だった。昨年の曲名をネットで見た。(今年の曲は未発表)結構知っている曲がある。まんざらではないと思ったが、そうではなかった。
 知っている歌手は、出場20数回から30数回目のベテランばかり、曲目も相当古いナツメロばかりだった。

 そういえば、いつの間にかゴールデンタイムは、お笑い番組とクイズ番組に代わってしまった。そのうえ、出演者は盛りを過ぎた(失礼)芸能人か、デビューしたての漫才コンビだ。要するにギャラが安くて済むということだろう。
 子どもたちも、仲間との共通話題を仕入れるための必須の視聴番組があるという。これも携帯と同じで、グループからはずされないためだというから、子どもたちも苦労しているのだ。
 視聴率が高い番組にはスポンサーが金を出し、放送局もそのような番組を作ろうとする。おもしろおかしく、それ以外のものは必要ない。

 かつて北朝鮮の「美女軍団」を見て、あの国の女性はみんな若くて美しいものだと本気で思った。これはまだ笑える。占星術とかでカリスマ的なおばさんがもてはやされている。まさか放送局が信奉者ばかりではあるまいが、内容よりも視聴率だけが重視されるあらわれだ。
 これらを見るならば真正面から見てはいけない。斜に構えてテレビを見よう。

                          
【時代遅れの南無の会々員



2006.11

 このごろ記憶力がどうもあやしい。何をとりに帰ったのか、玄関先で必死に考える。思い出さないので、車で元のところに戻ったらようやく思い出した。

 物忘れはお年寄りのことだと思っていたが、そうではなかった。きのうの昼食で、何を食べたのか忘れるのは「ど忘れ」。食べたかどうか忘れるのは「ぼけのはじまり」といわれている。
 レーガン元大統領がスピーチで語ったとされる伝説の言葉がある。大統領になれた秘訣が、この中に隠されているといわれている。

 「私がなぜ、大統領になれたのか。その秘密を明かしましょう。実は私は、九つの才能があったのです」。
 このとき、記者はすばやくメモの用意をし、テレビカメラは一斉に身構えた。
「まず、ひとつめが、一度聞いたら二度と忘れない記憶力。二つめが…。えーと、なんだっけ……」。
 マスコミは一斉に、「ファンタステイック、チャーミング、セクシー」と彼のユーモアを書きたて、国民の人気者になった。(ほんとにジョークかな?)


 
いじめの問題が深刻だ。これは社会人になっても、感じることがある。今日たまたま話した子どもと同年代の女の子が「悪いことは、すぐ忘れるようにしているから、ストレスはありません」と言っていた。おみごとです。私には「恨みつらみ」となって、ストレスがたまる一方です。
 結局、記憶力は、実生活には、さほど必要のないものかもしれない。
 

                       【 認知症が心配な南無の会々員 】



2006.9

 何年か前、スターウォーズの映画を見た。宇宙を舞台に宇宙征服を企むベーダー卿と、正義の勇者ジェダイの騎士との戦いの物語。

 ベーダー卿は、ジェダイの騎士を仲間にしようとする。ベーダー卿は、人を恨め憎め怒れ。人を憎めば憎むほど悪の力が心の中で増大し、強力な力を手に入れることが出来ると誘う。
 それに対しジェダイの騎士は、人を信じろ人を愛せ希望を持て、そうすれば心の中で光の力が増大し、必ず悪の力に打ち勝つことが出来ると立ち向かい、やがて勝利するというあらすじだ。

 心の中で悪心と良心とが存在し、戦っている。まさに自分の心そのものだ。私は同朋会推進員なので、仮に悪心を「地獄心」良心を「浄土心」と名づけてみる。地獄心の時は、相手を信じなかったり憎んだり恨んだり。

 相手が良かれと思ってする行動を、素直にありがとうと言えば、その瞬間から浄土心に傾くのに、つい悪く受けとってしまう。それが何年も積み重なり、やがて「苦」しか存在しなくなる。まさに地獄の血の池に落ち、もがき苦しむだけの世界だ。

 浄土心の時は、人を信じ、愛し、感謝し、それを積み重ね、やがて万物とともに生きてゆく喜びを得る。まるで浄土の蓮華畑に心をうずめているようなあたたかい感じなのだろう。

 「地獄心」と「浄土心」の両方を持ち合わせていることを常に意識して、できれば浄土心でいたいと思う。

                  【 口先だけの推進員 】



2006.8

 卒業して30数年たったクラス会に参加した。10年ほど前は、仕事や子どもの話、ゴルフの腕前を自慢する話題に盛り上がったものだが、今度は様子が違ってきた。

 離れたところで3人が熱心に話し込んでいる。どんなにおもしろい話かと仲間に入ってみると、介護の話だった。酒を飲みながら、親の介護度、ディサービス、紙おむつ、ヘルパーさんの話題に関心が向く。そんな年齢になったのだ。

「もう何回も『肩たたき』されたけど、子どもの学校が終わるまでと思って拒否している」
「再就職先の若い女の子に、アゴで使われている」
「リストラされて、わずかな退職金で食いつなぐしかない」
「退職金あるだけいいよ、オレなんかこの歳で会社が倒産だ」。
だんだんお通夜の酒みたいになってくる。

「その点、社長業はいいよな、会社の都合でクビ切ったり、パート雇ったりしてさ」。
さあ大変、その矛先が社長をしている友人たちに向いてきた。ところが、「毎週、全社員の前で訓示することが苦しみで、いっそのこと会社がなくなるか、月曜日のない国に行きたい」。
「親の代からの社員の首は切れないし、社長みずから営業に奔走しているんだ」。
 なるほど、旧友に酒をつぐにも、正座して両手、返事は常に「ハイ」、笑顔と腰の低さにその苦労がわかる。

 みんな、それぞれの立場で大変なんだ。毎年自殺者が3万人を超え、その7割が男性だという。
「つまらんことで死ぬんじゃないぞ。いつか必ず死ねるんだから、それまで安心して生きよう」と、無言で再会を約束した。


                【 いつの間にか 若年寄 】



2006.5

 先日NHKで始まった「柳生牛十兵衛」を見た。なかなか人気があるらしく、何年かすると新しくなって放送されている。

 柳生家といえば、代々伝わる家訓がある。

   「小才は縁に気づかず。
    中才は縁を活かさず。
    大才は袖ふれあう縁をも活かす。」
 というものだ。

 私は柳生家の人間ではないので正確な意味はわからないが、自分なりに理解し、自分の仕事ぶりに問いかける。

 私は営業の仕事をしているので「縁」を「注文のとり方」という語におきかえる。注文のとり方に気づかず無意味に過ごしていないか、注文のとり方は気づいているが売り込めずにいないか、人と人がすれ違いざま袖が触れ合うほどの、人が普通気づかない売り込み方をも自分のものにし、お客に勧められるか、といった具合だ。

 人生、自己中心的に心の目をとじたまま、感動もなく生きていがちだが、仏教用語の「他力」という語をこの家訓の「縁」に重ねあわせると、はっと、気づかされる。人間は自分一人で生きているのではなく、自分を超越した「はたらき」に願われ、支えられ、生かされていた。

 そのことにまったく気づかずに、損した得したと一喜一憂の毎日を繰り返していることが「小才」なのか。。それならば「中才」とは、それを知識として知ってはいるが、感謝の心を持てないこと。「大才」とは、森羅万象すべて他力、おかげさまといただき、感謝の生活が出来る人。

 ここまでいくと、とてもたどりつけない境地だが、ありがたいことに、人間すべてが「小才」であることを見通して仏教があるという。

 私のように毎朝、正信偈を読めない方は、この家訓を読み替えて感動できる自分をとりもどしてもらいたい。

                  【 口先だけの推進員 】



2006.3

 間もなく彼岸の入りだというのに、今日の雪。やはり彼岸を過ぎないといい陽気にならないということでしょうか。

 長期予報ではこの冬は「暖冬傾向」ということでしたが、終わってみれば「38豪雪」以来の大雪とか、「平成18年豪雪」と名付けたそうです。名前などどうでもいいのに。

 山間部は、2年連続の大雪。雪による犠牲者も増加、雪崩も多発しました。それに下越地方の大停電。たかだか1日の停電でも四苦八苦。やっとの思いで暖房を確保したことと思います。電気の有難みを痛感させられました。

 いつの間にか川にいた渡り鳥もいなくなり、庭を見れば、ふきのとうや、梅のツボミも目立つようになり、春の気配。正月よりも、今頃のほうが一年の始まりを感じるような気がします。やはり、春はいいもんです。気持ちも軽くなるようで。これから入学式、入社式のシーズンです。我が家でも、ひとり新社会人が誕生の予定。本人は、ワクワク「胸はずむ」といったとろでしょうか。

 自分が、この前ワクワクしたのは、何時の事だっただろう。もう何年も前の事で、思い出すこともできない。
 そんな気持ちから縁遠くなってしまって、日々の生活を漫然と送っているようで、「これでいいのか」と思うのですが。かといって、何をどうしたらよいかも考えられず、時間だけが過ぎていく毎日。

 情けない限りです。ご住職、いい考えがあったら教えてください。せめて、若い連中に負けないよう、せいぜい遊ぶことにしましょうか。

「オーイかあさん、遊びに行くゾ」。「えっ?、とうさん、そんなお金があったら、私にちょうだい!」


              【昔、遊び足りなかった推進員】



2005.12

 最近読んだ文庫本から。

 ある中堅サラリーマンが、接待の席で突然死する。過労死ということか。その後、彼は中陰の世界(あの世とこの世の間)にいることに気づく。死者のその後を決定するところらしい。

 自分の死に納得いかない主人公は極楽往生を断り、激しく抗議するのでした。結果、初七日までの期限つきで、現世に戻る事を許される。それも条件つきで。

 かつての職場の仲間、家族に悟られないように、姿を変えて、なんと美女となってよみがえるのです。やり残した仕事のこと、家族とのいとまごい。与えられた時間を有効につかおうと、彼は奔走するのでした。

 戻ってきた「この世」では、良くも悪くも生前の自分の評判や、仕事一途だった彼は、知らなかった家族の事実を見ることになるのでした。人と人との縁。人のやさしさ。父子の絆。それと、もうひとつ…(話の内容はこのくらいにしておきましょう)。

 読んでいて、久しぶりに胸があつくなり、読後、穏やかな気持ちになった一冊でした。もし、死後そんな事が許されたならと思うと、不安なような、愉快なような気持ちになります。皆さんはどうでしょうか。

「私はいつ迎えが来ても大丈夫。ジタバタなんかしません!」ですか。もし、近所で見かけない人がウロウロしていたら、「あの世」から、姿を変えて様子を見に戻ってきた人かも知れませんヨ。油断禁物。「南無阿弥陀仏」。
                 【話のタネが枯れた推進員】



2005.11


 
急激に視力が衰えてきた。45歳ころから、紙面の細かい文字がはっきり見えなくなった。目の老化〔老眼〕が始まったのだ。

 最近では仕事上、否応なしに長時間パソコンとにらめっこ。依頼文書等が電子メールで送付され、報告文もパソコンで作成し電子メールで返す。ここ数年は目を酷使してきた。目(視力)だけが自慢だったのに。ざんね〜ん。さっそくメガネ店に行き、遠近両用のメガネ作ってもらった。

 頭髪も気になるところだ。我が家は白髪の系統らしい。こちらは30代後半から、ちらちらと目立ち始めた。そのまま自然派でいくか、手を加えて若返り派でいくか二分されるところだ。いずれにしろ個人の勝手だが、オシャレして楽しみたいものだ。

 物忘れはいかがだろう。若い時は「ついうっかり」があり忘れたことを覚えているが、今では、忘れたことさえ忘れている。大事に片付けたのに、その場所が思い出せず必死で捜す。そんな無駄な時間ばかりが増え歳をとっていく。1年経つのが早いわけだ。

 余り悲観的に考えるのはよそう。現実は厳しいが、楽しく老いたい。自分が思い描いている〔老後の3K〕を目標に頑張りたい。

 @カネ(裕福な意味でなく、暮らしに困らないお金の確保)
 Aカラダ(元気に暮らしていくための健康管理)
 Bカゾク(必要なときに会い、話せる、助け合える家族のつながり)
そして、老後も若々しく。
               【リレー 2回目のおかわり君



2005.9
 
 この春、長男が高校を卒業し親元から巣立っていった。男の浪漫を求めて“花の東京”へと慌しく旅立って行ったのである。これまで転勤で小学校を2度も転校させ気の毒であったが、一緒に連れて歩いてきた。

 さて、これまでといえば、電車にほとんど乗ったことがない。食事も自分で作ったことがない。ましてや洗濯もしたためしがない。本当に“ないない尽くし”なのだ。これで果たして一人暮らしができるのかと親がしんぱいするのは当たり前。

 旅立ちの日、妻と長男と私の3人で新幹線に乗り一路東京へ。引越しも終わり、入学式を見ての帰路、新幹線の席に長男の姿はない。「彼は今、自分の足で人生を歩き始めたんだ」。東京に置いてきた長男の姿が目に浮かんだ。

 あれから半年。彼の生活はというと朝食を作り、お昼の弁当も作っていると聞きびっくり。やればできるんだと感心しながらほっとしている。今はサークルでスポーツに励み、バイトに挑戦、本分の勉強も真面目?にやっている様子。

 私は、子供にグダグダとは言わない(つもりだ)が、2つのお願いをしている。
 @ ひとさまに迷惑をかけないこと。
 A 自分のしたことに自分で責任を持つこと。

 このことは絶対に守るようにと…。私が小さい頃、周りの大人からよく言われました。「コラ、ちゃんとお天道さまは見ているんだゾ」とか、「罰が当たるゾ」とかネ

          
                           
【リレー2回目の  おかわり君




2005.8

 
家の中の事は、あまりかまわない自分がある日突然、ある事情により家事をやらなければならなくなった。まずは朝ご飯を作ることから始まった。歳をとったせいか日が長いせいか、目覚めは苦にならない。

 6時に起き、「よーし作るか!」とはりきって台所に立つが、なかなか手が進まない。卵焼き、目玉焼き、ついには生卵、本当に簡単なメニューになってしまう。食べ終われば、後片付けだ。朝は仕事の時間に追われ、助けられてなんとか終わる。夕食は大変だ。ほとんど毎日酒を呑むから、洗い物の皿を見ると、その多さに酔いが醒めそうになる。

 数年前、公民館主催の『男の料理教室』に町内の人たちと参加したことがあったが、その時は食材が事前に用意されてあり、レシピとにらめっこしながら仲間感覚で習ったり教えあったり、会話を交わしながら楽しく作った。その後、気が向いた時にたまに作ることもあったが、毎日だといやになってしまう。

 ある夜、夕食も終わり外に出てみると、庵小路で中学生が野球の素振りを額に汗をびっしょりかきながら、黙々と練習していた。自然と見入ってしまい、そのひたむきさに感心し、自分も頑張ろうという気にさせられた姿だった。

 突然の、約1ヶ月間の家事ではあったが、毎日のメニューを考えたり、手際よく片付けたり、妻や家族の大変さ、有り難さがわかった期間だった。最近の若い夫婦は、当然のように家事を分担している人たちが多いようですが、50代の男性の皆さん、今日は台所に立って夕食を作ってみませんか。

                  【 団塊世代の主夫 】



2005.5

 仕事も、身体を動かす事も「歳だなあー」と感じる時がある。そんな夜は、音楽のビデオを見ることにしている。若い頃のことを思い出しながら。

 その音楽といえばフォークソングである。最近聴いて印象に残ったのは、フォークル(ザ・フォークルセダーズ)。メンバーの一人は代わっていたが34年ぶりのコンサートであった。

 1960年代、京都。伝統を守る街だが当時はギターを持って学生が新しい街を築き上げようとする動きがあったように聞いている。フォークルは、その中で生まれた学生バンドだった。彼らは、LP盤を1枚自主制作して、すぐに解散した。少し変わっていたがその歌声は、深夜放送のオールナイトニッポン(最近話題になったニッポン放送)によく流れていた。

 そのDJは、これまた最近話題になったカメヤンこと亀渕昭信(ニッポン放送社長)であった。私も高校生でよく聴いた。代表的な曲は、「帰ってきたヨッパライ」。レコード回転を速めて作られており、なんだこの曲はと思った。

 「イムジン河」は、放送禁止の詞(2番の詞のように思われる)があり、ほとんど歌われなかったが、今はいろいろな人で訳詞され作られており、フォークルの「イムジン河」も歌われるようになった。聴いていると、その河が流れる朝鮮半島、日本と朝鮮、特に拉致問題を考えてしまう。そういう意味では今でも現実を歌い上げているように思えて実に新鮮に聴こえる。

 音楽は、聴くたびにその時代のいろいろなことを思い出させてくれる。自分の身体は、だんだんと衰えていくしかないが、こういう曲を聴いていると、若い頃に戻って、少し頑張ってみようか、そういう気にもさせられる。

                【53歳、団塊の世代人】



2005.3

 新飯田小学校児童を対象とした「スキー教室」のスタッフとして今年も参加した。

もう、30数年継続している伝統行事だ。初日、宿泊施設の方の歓迎のあいさつとていねいな説明があった。それに対して、子どもたちの返事がない。あまりにも情けなかったので、つい子どもたちを強く叱ってしまった。

 家庭教育、学校教育、社会教育と言われる。マナーの基本を教えるのは、親なのか、学校なのか、地域社会なのか。学校で「あいさつ運動」として、なかば強要される環境では出来ても、その場を出るとまったくできない。要するに、身に付いていないというよりも、その道理がわかっていないのだ。

 仕事をやり繰りして集まってくれるボランテイア指導員。初めてスキーをする子どもを、2日目にはリフトに乗って、一人で滑り降りるまでにしてしまう。40歳代前半の新飯田小OBは、スキークラブのおかげでスキーの楽しさを教えてもらった「恩」がある。その「恩」を感じるからこそ、指導員として次の世代にお返ししているのだ。

 12年前の真宗講座をきっかけにして、いままで見えなかったすばらしい世界を知った。
 
 たとえば「ありがとう」は、単なるサンキューではない「有ること難し」という意味深いことばだった。「おかげさま」「いただきます」「もったいない」もそうだ。

 いまあることの「不思議」「ご恩」を感じてこその意味深いことばだ。これらを気づかせてくれたのは、教育でも、私の経験や能力でもない。
                【スポーツ大好き推進員】



(2004.12)
 この時季になると、今年の10大ニュースの記事や特番が報道される。

スポーツ界では、アテネ五輪でアーチェリーの山本選手の「おじさんパワー」。サッカーでは最年少で新人王の森本選手。野球では阪神に入団が決まった辻本選手。共に15五歳。新人とおじさんが頑張っている。

海外ではイチローの262安打。日本では70年の野球史初のストライキと新球団の問題。新球団といえば、Tシャツ姿がお好きのあの社長さん、いま人気の細木数子。オーナー会議にもTシャツ姿では目上の人に対してのマナーを知らない。まったくだ。

清水寺では2004年の世相を象徴する漢字に「災」が決まった。7月の水害、度重なる台風、夏の猛暑、そして中越地震と、自然の猛威にさらされた1年の天災。イラク戦争と人質殺害や幼児虐待、子どもの殺人事件と拉致問題などの人災。

ある寺の掲示板にこんなポスターを見た。
「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」(お釈迦さまのことば)。

「殺さしめてはならぬ、それは殺し殺されるような状況設定自体を避けなければならない、ということです。戦場のような殺し殺される構造の中では、人間は個人のやさしさを奪い取られ、どんなことでもします。だからこそ、釈尊の言葉が本当に大切な言葉として胸に迫ってきます。そして非暴力、平和という、まことの『世のいのり』(親鸞聖人御消息)が呼び起こされます」
とあった。

難しい。等運寺さまに聞こうっと。
                        【スポーツマン推進員】



(2004.11
 新潟県中越地震に被災された皆さまには、お見舞いを申しあげますと共に、一日も早く日常の生活に戻れますように願っております。

 「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」。 この文章は、近頃よく目にし、よく聞きました。

 名古屋在住のあるご住職の病名は肺がん。右肺の下のほうにみかんほどの大きさ。肺の中段、上段にも転々と大小のがん。がんの中でも一番遅い腺がんで、骨や脳へ転移するのが大好きなだけに、これはいけない。

 医師が言うには、
「場所が悪いし、大きいし、切除はできん。外から放射線も当てられません。残る治療は抗がん剤を投与するだけ。でも効き目があるのは10人に一人か二人。効果があっても10のいのちが2割か3割延びるだけです」
だって。 嫌だなぁ、もう早々に引導渡されたようなもんだ。

 「がんに逢う時節には、がんに逢うがよく候。死ぬる時節までは生きるがよく候」
とハラを決めた。それもなるべく平常どおり、自由奔放に人間らしく。

 ところで私もそんな気持ちになれるのだろうか。テレビやラジオで、被災地へ頑張れのメッセージや義援金、また、ボランテイアの人たちの活動には感心させられる。

 被災された方々は大変ご苦労されていると心底思うが、その裏でわが身でなくてよかった我が家でなくてよかったそんなばかな事がうかんでくる。間違いない。


                                 
【薄情な推進員】



(2004.9)
 7・13水害のボランティアに行った娘に、被災されたご婦人より一通の礼状が届いた。

「水深1・8mの泥水に囲まれ、必死にタオルを振ってヘリコプターを呼ぶ。お向かいの奥さんが救出される。爆風に揺れる窓ガラス。あれが現実だったとは信じられない思いです」

「濁流の中を歩いて家に辿り着けず、見知らぬお宅で一夜を明かした友もあったのに、近くに住む娘の一家とともに、避難所にも行かずにすんだ私は幸運でした」

「さっそく駆けつけてくださり、また遠方から激励をいただき、皆さんに守られて生きている幸せをあらためて感じました。近隣の市町村から、青年と壮年のボランティアのお世話を受け、心が明るくなりました」

「一人暮らしになって、一階中心の生活でした。この際、泥水とともにすべてを流し、シンプルライフで再出発です。7・13以後、頭は思考停止ですが、身体は元気です。何度拭いても白くなる壁板と床を、一日一回拭くことで健康維持を心がけたいと思います」

「今日は、全国からの支援物資を分けるフリーマーケットの準備に参加して、やっと人並みの市民です。本当にありがとう」

娘に笑顔。

 一方、私の頭の中に忘れられない言葉がある。親戚の手伝いに行った町内で、避難勧告、ゴミの出し方等で、連絡の不手際があったらしい。疲れはピーク、怒り爆発「区長は何をしている」の罵声を聞いた。

えっ!と思った。区長さんも被災者の一人なのに。

                                 
【疲労困ぱいの推進員】 



(2004.8)
 名古屋別院の同朋紙に「孫と一緒にお勤めできたらうれしいなあ」と言われたのがきっかけで、月2回の日曜学校を開くお寺さんの記事が紹介されていた。

 一人の子供が「阿弥陀さまっているの?」と尋ねる。住職は「阿弥陀さまはいるよ」と本堂のご本尊を指し示したら、その子は「あれは作り物、本物の阿弥陀さん見せて」とせがまれ、こんな話をしたという。

 「みんなはどこから生まれてきたん?」と質問。子供たちは「お母ちゃんのおなかの中」。「じゃあお母ちゃんのおなかの中にいたときって、お母ちゃんはみえたやろうか?」。子供たちは考え「それは無理やな、お母ちゃんのおなかの中におったらお母ちゃんは見えへん」と答えてくれた。

 そこで住職は、「実はみんな今、阿弥陀さんのおなかの中におるんやで。だから阿弥陀さんが見えへんのや。阿弥陀さんのおなかの中から、仏さんに生れさせてもろたら、阿弥陀さんのことがようみえるやろうなあ!」と話すと、みんなは「そうか、阿弥陀さんのおなかの中におるのか!」「すごいなあ」「でっかいなあ阿弥陀さんって」と言いながら本堂を見回し、阿弥陀さまの偉大さに驚いている様子だったという。

 私たち大人は難しい言葉を使っているが、子供たちのこんなすばらしい素直な仏徳讃嘆の言葉はないなあと感心させられた。自分にもそんな素直な幼児期があった(?)のかと思い反省しきり。

                                【素直になりたい推進員】



(2004.5)
 4月21日15時20分、携帯電話に着信、出てみると等運寺のご院主さまからだった。
 「原稿どうなったね?」
 『徒然抄』の初原稿の催促だった。

 酒を飲みながらの雑談を、住職が原稿に仕上げてくれる約束だったのに!(そんなに世の中、甘くはありません。「住」)。仕方なく一晩寝ずに考えた。そのかわり昼寝はしっかりとった。

 10年前、真宗講座に参加し、その後「南無の会」や幾度かの法座にも参加した。でも何も変わらない自分。

 当時の講義テープを聞いてみた。上山研修4回目の講義で、講師はある奉仕団の感話を例にあげられた。

 「私たちは聖典(観経)をテキストとして受講し、いろいろなエピソードを交えて話をしてくださる。話は話として理解できるが、それが南無阿弥陀仏に結びつかない」
という発言に対して、
 講師は、
 「なんで結びつかないのか、聞法とは『話』を聞くことではなく『法』を聞くこと。法話を聞くときに話のうわべだけを聞き、大事な『法』を聞いてはいない。苦労された方のエピソードや物語(観経)を、すべて人ごととして聞いているから、南無阿弥陀仏につながらないんだ」
 とおっしゃった。

 私、10年たってもいまだ結びつかず、法話の『話』だけが少し残っている。それでいいのか、いやきっとご院主さまはこうおっしゃるだろう。
 「しかたねェこてね、それがお前さんだがね」
 素直に自分で自分を納得した。一人さみしく空酒を飲みながら初原稿を書いた推進員であった。
                               【進歩のない推進員】



(2004.3)
 1月の中旬、高校時代の恩師が亡くなった。男性でも74歳という年齢は、少し早すぎたような気がする。学級担任として出会い、30年という長い月日が流れたが、今でも当時のことは忘れない。

 決して格好のいい方ではなかったし、生徒をほめるのも上手ではなかった。しかし、いつも本音で話をしてくれて、とても味わいのある先生だった。酒とタバコが大好きで、学校でも時々、二日酔い状態で酒臭いことがあった。

 一昨年、有志で同級会を開いた時、病後の体にもかかわらず、気持ちよく付き合ってくれた。後で聞いた話だが、体力が落ち、階段を昇るのもやっとの状態だったらしい。再入院を知り、昨年の秋、有志で見舞いに行った。

 病院のベッドで先生は、痛みをこらえながら、笑顔で我々を迎えてくれた。帰り際、再会を約束して一人ひとりが先生と握手した。
「みんなからパワーをもらったナ」
と喜んでいた。

 1月はじめ容態が急変した。再び病院に駆けつけた時、すでに意識はなく、酸素吸入器が付けられていた。
「もう時間の問題だそうです」
と傍らにいた奥さまがポツリと言われた。それが最後だった。3日後に訃報が届いた。

 生前、先生は奥さまにこう言われていたそうだ。
「オレは権力もないし、金もない。でも、たったひとつ宝物がある。それは教え子だ」
と。
この言葉は、先生の生き方そのものを物語っているような気がする。
                                   【ナンデダ郎】