真宗ミニ知識 P2


  【 和ろうそく                2017. 12


 「和ろうそく」の原料は、和紙の芯と、櫨(ハゼ)などの植物性の蝋(ろう)で作られています。                一方、「西洋ろうそく」は、木綿糸の芯と、石油が原料です。意外なことですが、和ろうそくの方が煤が出にくく、蝋が垂れることもなく最後まできれいに燃え尽きます。

 いつも和ろうそくを使っている坊守の実家のカラスは、食べられることを知っていて、外に出しておくとあっという間になくなってしまいます。カロリー豊富なナッツみたいなものでしょう。 

 昔、墓地のろうそくを、火のついたままカラスが屋根にくわえていって、本堂が火事になったという話を聞いたことがあります。

 等運寺は、報恩講(15本使います)と、ご門徒さんの葬儀の時の「和ろうそく・お香セット」を、石川県七尾市の和ろうそく専門店から取り寄せています。

 高価なものですが、芯が空洞になっている和ろうそく特有の炎のゆらめきは、人が心地よく感じるリズムを持っているといいます。


鶴亀の燭台
 三具足(みつぐそく)とは、ご本尊の前の香炉、左に生花を活ける花瓶、右に燭台の三つの仏具のことをいいます。
 その三具足のひとつが鶴亀の燭台です。

 真宗大谷派(他に、真宗仏光寺派、真宗高田派)で使われているお内仏の燭台は、どうして鶴亀なのでしょうか。

 山形県の内陸地方に伝えられる民話に、鶴亀の燭台が登場するおもしろい話があります。
(以下)


 秋の末ごろ、貧しい婆さまが一人お寺に来て、ろうそくを一本つけて、ねんごろに拝んでおりました。
 そこに村一番の大金持ちの婆さまが来て、
「なんだ、ろうそく一本ばかりではだめだ」
 といって、灯していたろうそくを、前の池の中に投げ捨ててしまいました。

 そして、ろうそくたて全部に新しいろうそくを立ててあかりを灯しました。
 すべてのろうそくにあかりを灯し、万灯にして拝もうとしたとき、急に風が吹いてきて、灯したろうそくのあかりを全部消してしまいました。

 ところが前の池に捨てられた一本のろうそくが消えようとしているところに、一羽の鶴がどこからか飛んできて、消えようとしているろうそくをくわえました。
 そうしたら、池の中から亀が出てきて、その亀に鶴が乗って、消えかかっているろうそくを消さなかったそうです。

 そして、どこからとなく仏さまの声がしたそうです。
その声は、「心だに真の道に叶えなば、祈らずとも仏は護らん」
 といって消えていきました。
 それで、鶴と亀の形の燭台が出来たんだそうです。

      
(『山形新聞』東根民話の会、山形教区 正徳寺寺報より転載)

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 鶴亀の燭台は、「鶴は千年、亀は万年」と長寿を表したもので、元は祝言の床かざりに使われていた調度品だったものが、いつの間にか仏具に限るようになった・・・等々、諸説あります。
 付録 @ 

  長者の万灯より 貧者の一灯  『阿闍世王受決経』

  (金持ちが見栄をはったり、儀礼的に多くの寄進をするよりも、
   貧しい人が真心を込めてする寄進のほうが尊い、という故事に似ています)

付録 A
  細かいことですが、鶴亀、花瓶の間にある磁器の香炉(土香炉)は三具足には含まれません。
  ひとつ上段の卓にある真鍮製の香炉【上の写真・丸型か四角】との3点セットです。
 
  【土香炉】


  【真宗○○】 と 【浄土真宗○○                2017. 9


 真宗10派の内、「浄土真宗」と宗派名を名のるのは西本願寺だけで、他は「真宗○○派」です。

 江戸時代、「一向宗」と呼ばれていましたが、浄土真宗を呼称を江戸幕府は認めませんでした。徳川家の菩提寺は浄土宗の増上寺であって、「真実の浄土宗」ととらえられるからです。
(家康の死後に、天台宗の寛永字も菩提寺になります)

 明治になって、「真宗〇〇派」の10派の名称が誕生します。
 さらに戦後、新憲法になってから、西本願寺だけがかねての念願であった「浄土真宗本願寺派」と宗派名を変更しましたが、他の9派は変更しませんでした。

 真宗10派は、「真宗教団連合カレンダー」にあります。ちなみに、京都市が4ヵ寺、福井県が4ヵ寺、三重県、滋賀県が各1ヵ寺の本山があります。


    「私も正信偈を読んでます」No.103 山野井さんの疑問に対して簡単に・・・


  【坂東曲 (ばんどうぶし)                2017. 9


 11月21日から勤められる報恩講は、28日午前10時からの結願日中のお勤めがフィナーレとなります。
 この年に1度だけに勤められるのが、真宗10派だけに伝えられている「坂東曲」という声明です。この日だけは、朝5時の開門前から多数のご門徒が門前で待ち構えています。

 御影堂の外陣に着座した70〜80人ほどの「堂衆」と呼ばれる僧侶たちが、上半身を前後左右に揺り動かしながら念仏を称える勇壮で男性的な声明です。親鸞聖人が越後に向かう荒海の船上で念仏した故事にちなむと伝えられています。


  【出世本懐(しゅっせほんがい)のお経 

 如来所以興出世、唯説弥陀本願海 

(釈迦如来がこの世に出てくださったのは、ただ阿弥陀如来のご本願を説き、お念仏を 勧めるためでした。青本『正信偈』8頁)

 浄土真宗は、そのことが述べられている『仏説無量寿経』を出世本懐(生まれられた本意と意義)のお経と位置付けています。しかし、他宗の多くは『法華経』が釈迦の出世本懐のお経としています。(その根拠と反論は、今は延べません)
 この論争は、宗派の根本経典ですから、お互いに譲れないものがあります。

 

 ところが、親鸞聖人の師である法然上人が、念仏の教えを都で説いていたころその評判を伝え聞いた顕真(後の天台座主)が、このままでは涅槃に達するのは難しいと嘆いて、法然に相談をしました。 




 そこで、顕真が隠居していた京都大原の勝林院(写真上)に法然を招き、各宗派の名だたる高僧を集めて問答が行われました。(1186年「大原問答」)
( 勝林院では現在も朱印帳には「大原問答」とあります )

 かつて比叡山で学び「智慧第一」と称された法然は当時の各宗派(法相・三論・華厳・天台・真言など)の修行法を詳しく述べたあと、言います。
 「どれもこれもやってみたけれども、難し過ぎて無理。私のような愚かな身は、その器ではない」と。
 そこで、中国の善導が教えるように南無阿弥陀仏と称えて往生することを勧めます。各宗派の高僧たちは「そんな簡単なことがあるものか」と、当然反発して様々な問いをぶつけますが、法然は一昼夜それを論破して、最後には各宗派の高僧たちが称えるお念仏が三日三晩大原の山林に響いたということです。
 法然の率いる吉水教団が、奈良・京都の仏教教団から弾圧を受ける18年前のことです。良き時代でした。


  【香典は薄墨で ? 


 葬儀で喪主にお渡しする香典、御仏前に供える品物、または香典返しに添える挨拶文などを薄墨で書くものだという物知りの方がいらっしゃいます。

 なぜ薄墨なのかというと、
「悲しみの涙が墨に落ちて、薄くなってしまいました」
「急ぎ駆け付けましたので、墨を十分にする時間がありませんでした」
 という、悲しみの表現ということです。

 悲しみの表現は、ご遺族のお顔を見、いたわりの言葉だけで十分だと思います。ですから、普通に黒色でよろしいかとと存じます。

 以前にもこの欄で書きましたが、仏事(通夜、葬儀、法事、お布施)の包み物は、水引は不要です(自分で折っても、市販されてもいます)。
 『冠婚葬祭』
の本にいろいろ書いてありますが、白黒とか白黄色とか、迷うことはありません。私はそのようにしています。


 【天上天下 唯我独尊】  (てんじょうてんげ ゆいがどくそん) 関連記事@、下にA (元記事は)

  
 「いのち」はそのままで尊い、その「尊いいのち」をすでにいただいていることの素晴らしさに気づかしめようとする、一世一代の大仕事を成されたのがお釈迦さまでした。

 「唯我独尊」の宣言、「南無阿弥陀仏の名号」(阿弥陀さまの呼びかけ)も、「人身受け難し今すでに受く…、如来の真実義を解したてまつらん」という全仏教徒共通の誓いの言葉も、すべて同じ願いが込められていると思います。

 ネット時代、「検索」で何でも調べることはできますが、言葉を知ってはいるけれども、私が生活の中でどのようにいただくかは別物です。

 裸の王様でいる他国の「独裁者」や、人事権を握る「一強」ばかりの事ではありません。つい無意識に自己中心になって、他をかえりみることのない生き様をしている私自身に投げかけられている言葉です。


 (誕生1ヵ月の旗を手に、天上天下ポーズ)


  【生まれてすぐに七歩歩む 関連記事 A

  生まれたばかりの赤ん坊が、すぐに歩いたり、「天上天下…」と話すというのは現実的にあり得ないことです。

 それは、お釈迦さまが誕生されたことは、人間の持つ根源的な苦悩や迷い(六道界・解説略します)の中に生活しながら、それが苦悩ではなくなる道(六を超える七歩目・仏道)を開いてくださったことを意味します。

 お釈迦さまがこの世に出現されたことが、後世の多くの人々に安らぎをもたらすことになったという感謝と感動が伝説を生み出したのでしょう。

 同じように、親鸞聖人にまつわる「越後七不思議」があります。 これも現実的にはありえない事柄ばかりです。これは親鸞聖人の偉大さと敬慕の念が、北越地方の自然の奇異現象とマッチして語られるようになったと、「ゑしんの里記念館」(上越市)で見た覚えがあります。


  【 読経中の作法

  焼香や緊急の用件のため、読経中に席を移動する場合があります。 その際、守るべきマナーがあります。

 御経、または正信偈を唱和する時に、「調声」(ちょうしょう)といって、導師(調声人)だけが声を出すところが何ヵ所かあります。正信偈の本では、白い「〇印」のところです。

 この部分の声が発せられる時は、全ての人が声を出したり、動いてはいけないことになっています。 ですから、その時には、本堂内でしたら、その場で片膝をついてしゃがみます。(跪座)

 略式として、または下足を履いている葬儀会館ならば、その場で立ったまま歩みを止め、調声が終わったら再び歩きます。

 北陸地方では、葬儀の焼香中に「調声」が始まると、伴僧役が手で歩みを制止し、門徒さん方もそのマナーを心得ていらっしゃるようです。


  【 別 院 (べついん)

 三条市に「三条別院」があり、地元の人から「ごぼさま」(御坊さま)と呼び親しまれています。

 近年、「本寺小路の奥の大きな寺は何?」とか、「歓楽街の中に寺がある」と聞いてビックリしたことがありました。別院に通じる道だから本寺小路であって、多数の参詣者でにぎわったから、旅館や飲食業が発展してきた寺内町だったのです。(京都の東本願寺を「本寺」ということもありました)

 別院は各教区における教法宣布の拠点として設置され、国内に53別院、海外に3別院があります。
 別院の住職は本山の「ご門首」ですが、ふだんは「輪番」をおいて職務を代掌しています。

 三条別院は1690(元禄3)年に創立されたました。(その歴史的経緯は省きます) その後、三条地震と三条大火で2度焼失してしまいました。現在の別院は明治39年に建立され、その後屋根替えや、ご修復がなされ現在に至っています。

 江戸後期から明治期は、度重なる水害に苦しめられた越後門徒受難の時代です。
 その苦難の生活の中で、越後・佐渡の門徒衆の「一紙半銭」の寄進によって、創立から2度の再建の大事業が成されてきました。まったく敬服せざるを得ません。

 現在も柏崎市から村上市、さらに佐渡市の439ヵ寺を通して、三条別院の教化費と維持費がまかなわれています。
 東本願寺が全国門徒衆の「本寺」ならば、三条別院は越後・佐渡門徒の「本寺」、私たちの寺なのです。


  【 外 陣 (げ じ ん)

 本堂内を大きく分けると内陣と外陣です。内陣は阿弥陀仏や親鸞聖人の絵像などが安置されています。ご家庭のお内仏(仏壇)の正面と同じ構造です。

 さらに内陣の左右に、余間といわれる部分があります。お内仏でいえば、左右の側面に当たるところで、法名軸などが掛けられています。
 内陣から外側を「外陣」といい、参詣の間ということもあります。

 真宗寺院の本堂の特徴は、この外陣が多宗派に比べてかなり広くとってあることです。
 真宗の寺は、もともと親鸞聖人があきらかにされたお念仏の教えをきかせていただく「聞法道場」が出発点であり、一人でも多くの人がお参りしていただきたいために、外陣を内陣よりも広くとってあります。

 ですから、真宗本廟(東本願寺)は拝観料は不要で、毎日4ヵ所で誰でも法話が聞くことができます。 これらの運営費は全国の門徒さんのご懇志で賄われています。


  【 帰 敬 式 (おかみそり)

 いつ受式するのか

 帰敬式は法名をいただいて仏弟子となる真宗門徒にとって大事な儀式です。もちろん生前中に受式しておくものです。

 けれども、その機会がなく亡くなってしまうことは当然あります。
 その時はやむを得ず住職が葬儀の直前に行ってきました。新潟県内の真宗の葬儀では見慣れた光景だと思います。

 今年からお通夜の直前に執り行うことにしました。俗名ではなく、法名をお付けしたうえでお通夜を勤めたいと思ったからです。
 さらに今月から、そのご縁がなく帰敬式を未受式の方は、枕勤め(枕経)の前にさせていただこうかと考えています。

 生前中にできなかったならば、少しでも早くということなのですが、もうひとつ小さな理由があります。
 真宗が盛んな能登のある地域では、帰敬式を受けないまま老齢に達し亡くなってしまうことはあり得ないことで、お通夜か葬儀の際に帰敬式をしようものなら、それこそ式場中にため息がもれると聞きました。「なんということだ、あの人が…」と。だから、家族だけがいる枕勤めの前に受式するのだということです。

 恥ずかしいことだから隠れてコソコソということではありません。非は帰敬式をもっと広く勧めてこなかった住職にあります。

 あくまでも、法名を授与し仏弟子となったうえで、亡き方やご家族が合掌礼拝してきたお内仏の御本尊に、ご家族とともにお参りすることが「枕勤め」だからです。


  【 弔 電

 真宗の教えのうえから ふさわしくない弔電

「ご冥福をお祈りします」という言葉をよく聞きますが、「冥福」とは「冥土(冥途)」の幸福」を略した言葉で、「冥土」=「死者の霊魂がたどって行く道、亡き者がさまよい行く世界」ですから、「迷いの世界での幸福を祈る」ことを意味しています。

 しかし、真宗の教えでは、亡くなった方はもはや迷うことなく、「浄土に往生する」「浄土に還られ仏となる」と教えていただきます。弔電や弔辞は、亡き人を偲びつつ、故人との出会いに感謝し、哀悼の意を表すものなのです。

※「天国からお導きくだ い」「安らかにお眠りく ださい」「ご霊前に申し あげます」といった言葉 も真宗の教えのうえから はふさわしくないもので しょう。

                            (以上、月刊 『同朋』 11月号より転載)

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      それではどのような言葉がよいのか。例えば、
     「…哀悼の意を表します」
     「…お悔み申しあげます」
     
      もう少し真宗門徒らしく、
     「…謹んで哀悼の意を表し、念仏申すばかりでございます」
      と言葉を結べば、もはや完璧といえるでしょう。      


  【 仏壇の大きさ ・単位

  ご本尊をお掛けすれば「お内仏」といいますが、それ以前の箱の段階での話として、この欄では「仏壇」と書きます。

 仏壇は、箱自体の大きさではなく、掛けられるご本尊の大きさがすなわち仏壇の大きさの単位で、五十代、七十代、百代などといいます。

 昔、ご本山から五十文の礼金で頂いたご本尊を「五十代」、百文で頂いたご本尊を「百代」と呼んだところから、ご本尊の単位は「代」になりました。
 たまに、幅が一間以上もある仏壇がありますが、ご本尊をお掛けする場所が百代の大きさならば「百代」の仏壇ということなります。
 ご門徒用には、二十代、三十代、五十代、七十代、百代、百五十代、二百代の大きさがあります。

 京都本山の同朋会館は研修道場です。そこでお内仏のお給仕作法を学ぶ研修室には、どんなに大きな仏壇があるかと思えば、意外にも七十代の大きさです。
 全国的に、農村部は百五十代、二百代が多く、首都圏では大きくても五十代、または卓上型しか置き場所がないので、全国平均の七十代を置いていると聞きました。

 お盆前に、能登教区のご門徒宅へご法事で伺いました。初めて伺うお宅です。外から見る家の構えに比べて、お仏壇の立派さに度肝を抜かれました。

 その時に、私と同世代のお父さんがおっしゃいました。「婚約指輪は、若い時の給料の3ヵ月分が相場で、仏壇は退職間際の年収と同じか、それ以上でないとダメだと聞いている」
 とにかく、気合が入った仏壇でした。(表現が少しおかしいですが・・・)


  【 お 内 仏

  真宗では仏壇と言わず「お内仏」といいます。むかし貴族などは各々「持仏堂」をもっていました。例えば平等院鳳凰堂は菅原道長の持仏堂、鹿苑寺(金閣寺)は足利義光の持仏堂です。
 ですから一般家庭では無縁のものでした。

 ところが蓮如上人が六字名号(南無阿弥陀仏)を地方の門徒に多数書きおくられ、称名念仏を勧められたことがきっかけとなって、一般家庭でごもご本尊や名号をお掛けする場所として床の間や仏間がつくられるようになりました。

 現在の「箱型仏壇」はその後、江戸時代に普及した形式です。
 ですから、寺のミニチュア版を家庭内に安置した「持仏堂」「内持仏堂」というわけで、「お内仏」といいます。
 一方、「仏壇」とはご本尊を安置する「箱」のことです。仏壇店で売られているときは、ご本尊が入っていませんから「仏壇」でいいのです。

 ついでに、仏壇の「壇」という字は、土を盛って壇を作ったという起源なので「土へん」です。「木へん」の「檀」を使った大手の看板がありますが、シャレなのか単純な間違いなのか聞いてみたい気がします。先日、富山県でも見ました。


  【 正 座 A

  毎年、三条別院の報恩講に出仕させていただいています。全10座のお勤めの内、1時間20分を超えるお勤めが2回あります。       

  昨年5月の三条教区御遠忌法要は、全16座の内、1時間40分が3回でした。 次は50年後ですから、次はないと思い無理して出仕しました。 
 ただでさえ正座が苦手なのに、メタボになったら足と膝への負担がたまりませんでした。



 ……痛くないんですか?  
 「ひたすらガマンしてます」
 …… シビレないんですか?
 「座った途端に、どうやって立ち 上がるかだけを考えてます」


 大昔から「正座」という座り方があるように思われていますが、江戸幕府が『小笠原流礼法』を採用してから、諸大名が将軍に対して「かしこまる」「つくばう」という座り方が、今の正座の形です。
「正座」という言葉も明治中期までありませんでした。それまでは、「あぐら」「立て膝」(片足を立てる)が普通でした。

 小笠原流の正座は、親指を重ねて、お尻とかかとの間に和紙1枚のすき間があるように座るとあります。(無理です)
 立ち上がる時は、背筋を伸ばしたまま上体の姿勢をくずさないようにと… 。(これも無理です。どうしても前かがみになって、手を膝に置き、勢いをつけて「ヨイショ」と…)

 寺の本堂も、料理屋さんも椅子席が多くなってきました。仏事の場合でも無理しないことですね。 阿弥陀さまの前だからこそ、痛いひざは痛いままに、遠慮なく足を出して下さい。


  【 亡くなった人はどうなるのか

  「天国から私たちを見守っていてください。そして、どうか安らかにお眠ください…」
 この頃、よく聞くフレーズです。仮に、死んでから次の世界があるとして、亡くなった人は起きていなければならないのか、寝ていていいのか迷ってしまいます。
 亡くなった人はどうなるのか、どこへ行くのか?それこそ見てきた人がいないので、水掛け論になってしまいます。

 視点をかえて、どうなるかではなく、私にとってどうなのかと考えてみることにしましょう。
 月参りに伺いますと、一緒にお参りしたりお茶を入れてくださる人は、大抵お年寄りであって、息子さん夫婦は顔も見せないのが通例です。
 ところが、お年寄りが亡くなると、息子さん夫婦がお参りされ、正信偈を一緒に読み始めることがあります。
 単にお年寄りの仕事をとらないように遠慮していらしたんでしょうか。これは亡き方のご縁といただくべきでしょう。

 諸仏とは、もろもろの仏ということで、阿弥陀仏の分身ともいい、阿弥陀仏が法を広めるために、いろいろなものに変化(へんげ)されているのだと説かれています。
 諸仏の「はたらき」を、勧信(かんしん)、証誠(しょうじょう)、護念(ごねん)、讃嘆(さんだん)という4つで教えられています。
 すなわち、@信心を勧め、A念仏往生の真実を証明され、B念仏者を見守り、C阿弥陀仏と念仏者をほめたたえくださるのです。

 そんなはたらきをしてくださる諸仏がどこかにおられるとなると、また話が逆戻りです。
そうではなくて、4つのはたらきをしてくださる方を、諸仏としていただくのです。
 
 ですから、亡くなった方は、諸仏になるのではなく、阿弥陀仏が変化され私にはたらいてくださる諸仏としていただくのです。


  【 清め塩

  葬儀が終わったあとで、穢れを清めるために用意されているめ塩のことです。
 真宗門徒として、特に知って欲しいことですから、とっくの昔に書いていたと思っていました。ところが、(たぶん)この欄に取り上げたことはありません。

 この頃、近隣の葬儀場では見かけなくなりましたが、たまに見かけると、出棺後にさりげなく係員に「仏事では必要ないものですから、下げてください」と言います。

 係員も、「あっ、そうでした」と早々に片づけてくれるのですが、その素早い反応の良さから、宗派や住職によって、「どうして清め塩が置いてないのか」と忠告する方が、いまだにいらっしゃるのだろうと推測しています。
 その塩で何を清めようというのでしょうか。

 仏教伝来以前は、人の死は「穢(けが)れ」とされていました。見た目では、なるほどその通りです。人が死んで、そのままにしておくとどうなるでしょう。
 (おそらく)次第に顔色が茶色に変色し、肉が陥没しウジがわいて、凄まじい臭いを発し、最後にはドロドロになって骨があらわになってきます。
 まさしく、この上ない「穢れ」です。
 ですから、昔はその受け入れがたい「穢れ」から逃れるために、高貴な人が亡くなった都を移す「遷都」や、建物を移る「遷宮」で清めを繰り返してきたのです。

 ところが、聖徳太子が摂政を勤め、仏教の思想を国家運営に取り入れました。そうすると、「人の生死は表裏一体のもの」であり、「穢れ」ではないと理解されるようになります。
 ただし、それは長い長い年月がかかることになります。

 大切なことは、「生まれる、老いる、病む、死ぬ」という人間の予測できない事実のひとつとしての「死」をわが身に受け止め、今たまたま人としての命を生きているという尊さを見出すことです。


  【 仏器のおみがき

 お仏器は一部を除いて真鍮でつくられた鋳物です。ですから、最低1年に1回磨かないと、サビが落ちなくなります。
 時折り見かける白い磁器のお仏器は、戦時中に仏具までが供出させられた名残りで、真鍮の代用品です。
 いろんなお仏器磨きが市販されていますが、等運寺はあれこれ試した末に、ごく一般的な乳液状の真鍮磨きをつかっています。
 よく磨かれた真鍮は本物の金よりもきれいです。

@ 布に乳液を付けて磨きます。布が黒くな るのがサビが落ちている証拠です。
A 彫りのあるお仏器は、竹串で溝に残った 磨き粉を取り除きます。溝の中に磨き粉 が残っていると後で白く目立ってきます。
B 新聞紙で磨き粉をふき取ります。これが 中仕上げです。
C 最後にきれいな柔らかい布で仕上げます。

※ 細かい部分は、指に力のあるお父さん方に向いています。お父さん頑張って。


  【兵戈無用 (ひょうがむよう)

 『大無量寿経』に出てくる言葉で「武器も軍隊もいらない」という意味です。釈尊が悪を戒め信を勧められるところで語られます。この背景には「不殺生」(殺すなかれ)という釈尊の思想があります。



諸 仏 】 @ A B
 @ 【陽希、ありがとう】 ・・・ 『朝日新聞』より転載

 陽希(はるき)、あなたの小さな白く細いきれいなお骨を、ばあばは折らないように気をつけながら骨つぼに入れたよ。670cの小さな姿で生まれてきたので、本当に毎日が心配だった。

 あなたのお母さんは毎日母乳を新生児集中治療室(NICU)に届け、綿棒で唇にのせた時、口をすぼめ反応したことにとても喜んだよ。お父さんが手を触ったとき、足や手をピクピク動かしてくれたことにも感激したんだよ。なかなかおしっこやうんちが出なかったので心配したけど、出たときはみんなが命は続くものと希望を持ったの。

 お父さんとお母さんは1日に何時間もあなたの手を握りしめてそばにいたよ。さだまさしさんの歌「いのちの理由」にあるように、あなたは父と母に出会うために生まれてきたのでしょうね。わずか10日間のふれあいだったけど、密度の濃い親子の時間だったし、親にしてくれてありがとうって言ってたよ。

 陽希、お父さんとお母さんが少しずつでいいから元気になって、しあわせになるように見ていてあげてね。ついででいいから、ばあばのこともよろしくね。私たちと出会ってくれて、本当にありがとう。

                      高槻市  堀 勢津子 68歳


 A 【死を看取る文化】 ・・・ 『真宗』誌より

 子供たちは、その死の瞬間まで、親の手の中で看取られたいと望んでいます。それが一番寂しくないからです。また、最後のお別れができるからです。その最後のお別れは、臨終を告げられたときに、子供たちの目から出る一筋の涙であると、私はいつも思います。

 お父さんお母さん、さようなら、ありがとう。そんなふうに思わせる子供たちの死を、私はたくさん看取ってきました。臓器移植を待って亡くなっていく子供たちも、自分の命のろうそくを体で知っています。消えていこうとする命の最後を、ただ一緒に、そばに居てくれることで、燃やし尽くすこと以外、その苦しさや、死の恐怖から自由になることができません。

 移植によって助かることだけでなく、死を一緒に分け合ってほしいのです。親は助かる道に望みを託し、子は死を受け入れる。そのすれ違いは悲しすぎます。命はその送られ方で姿を変えるのです。

                     東京大学小児科医 安部知子


 B 諸 仏 ・・・ 【真宗ミニ知識

 諸仏とは文字通り、もろもろの仏で、阿弥陀経には、東西南北と下上の六つの世界に、阿弥陀仏の化身としての諸仏が、それぞれガンジス河の砂粒の数(恒河沙・10の52乗)ほど居られて、お念仏を勧めてくださっていると説かれています。

 具体的にどこかに諸仏がおられるということより、私たちに念仏を勧め、それが真実と証明し、念仏する人を見守り、ほめたたえる(勧信、証誠、護念、讃嘆)、この4つのはたらきをしてくださる方を諸仏と申しあげるのだといったほうが適当かもしれません。

 身近な方との別れはつらいものですが、いつの日にか、諸仏のはたらきをしてくださった方として思い直し、感謝の気持ちでお念仏申したいものです。 



 【彼岸 ・ 西方浄土

日本では、806年に崇道天皇のために諸国の国分寺の僧に命じて「七日金剛般若経を読まわしむ」(『日本後紀』)と、初めて彼岸会が行われた記録があるそうです。
 「彼岸」は、浄土思想に結び付けて説明される場合が多く、彼岸会法要は日本独自の行事です。

 浄土思想では「彼の岸」(極楽浄土)は西方にあるとされています。

 白川 静氏の『字統』によると、「鳥、巣上に在るなり。象形。日、西方に在りて、鳥西す(巣に入る)。故に因りて以て東西の西と為す」とあります。 つまり「西」という字は、目の粗いカゴの象形文字であって、鳥が一日の終わりに自分の巣に帰りホッとするところ、また人も、太陽さえも必ず帰って行くところという意味で、後に方位を表す文字として使われるようになったようです。

 また、お彼岸イコールお墓参りと思われています。お彼岸と先祖という仏縁に遇わせていただいた私たちが、教え(真実)を拠りどころとして迷信に惑わされない生き方をすることが大事です。
 ご案内いたしました彼岸中に法話がございます。是非お出かけください。



 【三十五日法要

 葬儀のあとで、よく質問されることがあります。それは「初七日の法要がまだなのに、なぜ三十五日法要を先に勤めるのですか?」というものです。
 よく気づかれました。真宗の住職としては答えに窮します。きわめて真宗の教えからかけ離れ、かつ落語みたいな話です。

 仏教が中国に伝わってから、道教との習合で『預修十王生七経』が作られ、さらに日本では末法思想の影響で『地蔵十王経』という「お経」が作られました。
 お釈迦さまが実際にご説法されたものを「お経」と言いますから、中国や日本で作られたお経はありえず、ニセのお経「偽教」といわれます。
 他に『父母恩重経』『盂蘭盆経』『延命十句観音経』なども偽経といわれています。

 さて、そのニセのお経『十王経』にある物語はこうです。
 死者が地獄に行くか極楽に行くかは、死後7日ごとに四十九日までの7回、さらに百ヵ日、一周忌、三回忌、計10人の王さまの裁判を経て決定されるといいます。
 その十王といわれる第5(三十五日目)の裁判官が有名な「閻魔王」です。その閻魔王がきわめて厄介です。何故かというと、ほかの九人の王さまは優しかったりごまかしが効きますが、閻魔さまだけはウソが通りません。
 閻魔王の「浄玻璃の鏡」に、生前のほんの小さな悪事でも、その証拠がすべて映し出されるからです。この証拠によってほぼ全員が地獄行きとなるのですが、ここで遺族が閻魔王に許しを乞うために法要を勤めます。これが三十五日法要です。この遺族の行う追善法要が裁判を左右します。
 閻魔王は、「本来は地獄行きのところ、遺族がまっ先に三十五日の追善供養を勤め、許しを請うていることから、この度はその執行を猶予する。極楽に行けるようにさらに修行をしなさい」となります。

 ところが、それは「偽経」であって、親鸞聖人は「父母のためにと思って念仏を称えたことは1回もない」(追善供養はしたことがない)と言い切っていらっしゃいます。

 人は亡くなるとどうなるのか。私は次のようにお話ししています。
 阿弥陀経に「東西南北上下の世界に、それぞれ恒河沙の数ほどの諸仏がいらっしゃる」とあります。その諸仏のお仲間になって、阿弥陀さまのお仕事のお手伝いをされるのです。
 その諸仏のお仕事とは、
 @信心を勧め
 A念仏往生が真実であることを証明し
 B念仏者を見守り
 C念仏の行者を褒めたたえてくださる、「勧信、証誠、護念、讃嘆」です。

 大事な方が亡くなるということは非常にショックです。その「死」というものが、逆に今の「生」を輝かせ、尊きいのちに出会える仏縁となります。亡き人はそのお仕事(はたらき)をされるから諸仏さまと拝むのです。
 三十五日は追善供養ではなく、諸仏に会う仏事といただきたいものです。



 ※ 「恒河沙」・・・数の単位(10の52乗)であり仏教用語。ガンジス川の砂粒の数の意。
 ※ 他の教区の場合はどうなのか知りませんが、三条教区では葬儀当日に
   「三十五日法要」を勤めることが慣例になっています。
 ※ 寺報の紙面が足りませんでした。次の機会にこの続きを・・・





 【正月の お内仏のおかざり



 年末にお内仏を(仏壇)のお掃除をすませ、仏具をきれいにおみがきしてから、おかざりします。





  【花】   お花は若松の真、 それに菊・梅・南天・
        熊笹・椿・水仙などを あしらって活けます。
  【打敷】 打敷を掛けます お内仏の卓にかける
        三角の布です。普段は、 はずしておきます。
  【鏡もち】へぎに白紙を  敷いてお供えします。
  【おつとめ】 お正信偈
          和讃 「弥陀成仏の…」
          回向 「願以此功徳」
          お文 「末代無知の…」
  【おかたづけ】1月4日の朝、平常のおかざりにもどします。



 【真宗の葬儀壇
 父と母の葬儀の際は、すべて準備する暇もなく、半端なお飾りしか出来ませんでした。
 最近、ご法中の寺院で葬儀をお手伝いをさせていただく機会もあって、少しは真宗大谷派本来の葬儀壇に近づいてきたと思っています。私たちの宗派の葬儀壇はきわめてシンプルです。

 @ 葬儀壇は白い打敷を掛けます。
 A 手前の第1列に鶴亀1対、香炉、金銀の紙華1対の五具足。
B 第2列の中央寄りに「杉盛」(お供え)を1対、その外側に、  山里海の幸を四角柱に貼り付けた「根菓餅」を2対。
(蝋燭は銀色、「杉盛」と「根菓餅」を乗せる供笥と四方も、本来は銀色です。年内に調達します)

 ここに野位牌(白木の仮位牌)と棺が置かれるだけです。さらに注目していただきたいのは、

 @ 故人の写真が中央にないこと(さりげなく会場内に)
 A 生花を一切用いてないことです。

 もし本堂で葬儀をお勤めさせていただくとすれば、これが基本形です。(鶴亀が左右逆になっていました。業者に指示したつもりでしたが、最終確認を怠りました。大失敗でした)