門徒さんへのインタビュー               シリーズ

「私もお正信偈を読んでます」

No.86
  星 井   清 さ ん       新飯田 古町
 
「いやあ、歳取ってくると昔の話ばっかり思い出してだめらねえ」

 ……まだまだ現役でしょう。

「この間婆ちゃんの葬式がすんだばっかで 俺が一番この家で年頭になってしまって、いつまでも若い気でいたけどそういうわけにいかんなったね」

 ……確かにいつかは順番が回ってきますよね。

「子供の頃は町の家(砂原)に住んでいたから店屋が一杯あったのを覚えているいね。下町のオクゾウロン(駄菓子屋)やフジヤ(食品お菓子屋)に毎日浸かっていたよ。小遣いもどれほどもらっ
ていたわけじゃねかったのにね」        ……確かにそういう記憶は僕にもありますよ。 

「映画館もあったし、パチンコ屋が2軒あったし」

 
……ええ??パチンコ屋があったのは聞いているけど2軒もですか

「確か横町と下町だったと思うな。もちろん中に入って遊んだわけじゃないけれど。新飯田の町も捨てたもんじゃなかったんだいね」

 ……ほんと、町中ほとんどお店でしたもの

「時代の流れと言えば仕方が無いのかもしれないが 続けていくことの難しさがつくづくわかる。今の若い人達とは価値観が違うから押し付けることはできないけれど、継続してやってもらいたいことがまだまだあるような気がするね。
 そうそう小さい頃と言えば小学生の時の飛行機大会、ゴム動力の竹ヒゴと紙でできてた確か商品名は東京タワー号だったかな、オクゾウロンで50円位してね必死になって飛ばしたんだ。学校の先生が企画した滞空時間を競う大会を覚えているよ。
 6年生の時、一級下の小杉君がその模型飛行機を上手に作ってきて優勝したんだよ。僕らのとは全然滞空時間が違うんだよなあ、俺はそのとき6番目だったかな子供なりに悔しかった」  

 ……その大会はわからないけれど僕も飛行機は飛ばしまたよ。グライダーがカッコ良かったなあ 

「そんなのもあったよねえ。刈入れが終わったちょうど今頃、学校近くの田んぼの中でそんなことを必死でやってたんだよねえ。今の小学生はそんな思いをすることあるんだろうかしら」

 
……手段は変わっていますが今は今の思いではあるんじゃないかしら。

「学年を超えてひとつのことに一所懸命にやること もちろん遊びでしか無いけれど一所懸命ってところが良いじゃないですか。今はやることが一杯ありすぎるのかもしれないなあ。昔は遊ぶことと食うこととその合間に少しだけ勉強したくらいだもの、ハハハ」   

 ……昨晩の献立のことは思い出せなくても小さい頃の出来事は鮮明です。きっと誰でもその思い出をもって歳をとっていくのでしょう。持ちきれないくらいの思い出が人生を豊かにする原動力のひとつのようです。

          
【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.85

  小 林 幸 子 さ ん       新飯田 下町
 
「これまでの人生の中で何にも語ることがない私でも、ついに番が回ってきましたかしら?」

 
……そんな人はいないでしょう。今日までの歩みは皆さん持っていますもの。

「本当にうすっぺらなのよ。中学校を卒業して両親の言いなり(?)のまま伯母さんの経営している加茂の理容店に入り、そこから長岡の理容学校に通い、ただただ手に職をつけることが私の人生かなと思っていました。
 両親もそのことには喜んでくれてたし、私自身何の疑問ももたず過してきましたね。今から思えば高校進学や他の選択もあったんでしょうが情報が乏しい環境がそんな考えをおこさせなかったんでしょうね」

 
……僕も中学卒業まではずっと同じ顔ぶれ、身の周りのできごとはぜんぶ日本中で行われているものだと思ってました。

「後になって気がついたんだけれど世の中にはずいぶん沢山のことがあるんだなあって、自分で選んだ道にはもちろん悔いはありませんが、理容学校に通う電車の中で同年の高校生の会話や仕草がちょっぴりうらやましく感じたことがありました」

 
……そのころはまだ実業高校(農、商、工業)がもてはやされていた時代。

「そうですね中卒はもとより進学も職業を見据えての高校選びが通用していましたもの。 職業を選ぶということは生き方を選ぶということかもしれません。私は理容という職人の道を歩んできましたがとても幸せでした」

 ……商人は商人、農家は農家、職人は職人の各々の生き方がありますね、今の就職は生き方の選択ができないのかも。

「元気だった郷の父も老々介護の末、昨年末亡くなりました。度々実父の元には出かけていましたが今の私の生活と実父の介護の掛け持ちは大変、もちろん主人をはじめ家族の協力無くてはできませんが、実父の前ではきっと怒りごとをたてていたんでしょうね、実母に『親の近くにいられることは幸せなんだよ』と。親子でありながら話をすることができない時代、口喧嘩もコミニュケーションかも、チョッピリ反省させられました」

 
……同世代の会話の中心はもっぱら介護ですね。

「実母とともに精一杯やりましたから清々しく送ってやることができました。そんな中お墓を始め葬送のことを主人を通し等運寺さんに相談できたことが一番心強く感じました。 不謹慎かもしれませんが、実父生前からこれからの方針を考えられたことで、ゆっくりとお別れの時間を過ごすことができたと思います。檀家でもない人にまでアドバイスをいただけるなんて新飯田に嫁いだことを感謝しています」

 ……住職さんは、当院を育ててくださいと宣言されました。きざかも知れませんがたくさんの皆さんからの無理難題の会話が当院さんを育てる糧になるはずです。

 他と比べない自分自身を見つめている幸子さん。ひとつ芯の通った生き方が感じられます。親からいただいた「幸」の字が輝いています。

          
【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.84

  小 林 昌 代 さ ん       新飯田 東大通
 
「そのカメラが気になるんですよねえ。それさえ無ければ毎回でも…」

 ……なんと心強いはげましの言葉、毎回もとは。

「ウソウソ、だって春に手術をしてまだ病み上がりの身なんですから。本当はこの取材だって受けたくなかったんですよ」

 ……明るすぎてとてもそんな風にはみえませんが?

「そうなんですよねえ、少しおとなしくこっそりと暮らしていればもうちょっと評判のいい奥様に見られているのに。でも持って生まれた性格はなかなか変えられないですよねえ、自分でも損な性格だなあってつくづく思います。ハハハ」

「最近は主語が無い会話が続くって子供にもしかられることが度々。もともと人の名前とか電話番号は覚えられないたちだから『あれ』とか『それ』ばっかりしかでません。年をとったせいかしら?それともとうとう病気が始まったかしら?」

 ……まだそんな年齢じゃ、確かに僕も主語は無くなりました。でもそのくらい近しい関係になったんじゃないのかな。   

「そうですよね、言葉に出さなくてもわかり合える間柄だからいいんですよね。いくら私でも初めて会う人にあれそれは言わないもの。本当は誰とでもそんな会話で通じる方がいい社会のような気がします。    でもお話をすることはもちろん嫌いじゃないですが、とっても躊躇することがあったんですよ。それは高校の同級生が、20歳頃脳腫瘍が見つかって入退院を繰り返し自宅で療養をしているとき、伺ってお見舞いをすれば良いんだけれど、その病気に対してどんな言葉をかけてあげれば良いのか全くわからなくて、気にはかけていたんだけれどなかなか行けなくて」 

「そんなとき彼女の方から連絡があり急いでかけつけました。何回かの手術を受け、昔の容姿はなく生活も必死で生きている様子がありありとわかりました。とってもかわいそうで思わず涙が出そうになりました。
 人間というのは覚悟が決まると、恥も外聞も捨ててありのままを生ききる姿を見せつけられ、でも彼女は片言の言葉の中でも明るく接してくれて逆にこっちが励まされているような気持ちになりました。

 障害を持っている方や被災され今困って人達にもどうやって接していいのか、どんな言葉をかければ良いのかわからなかった。でも彼女のお陰で少し吹っ切れたような気がします。その彼女も亡くなりましたが、私に勇気の心をくれていったように思います。『ありがとう』。
 私も病気を患ってたくさんの友達から声をかけていただきました。病気にかからなければきっと気づかずにいたと思います。できれば人生平穏に過ごしたいですが、その起伏のお陰で知ることがあると思いました」   
 
 ……一生順風満帆に過ごすことはまれでしょう。いやそんな人生は無いかもしれません。しかしその波風を受け、その中から学び取るのが私達の人生の目的のひとつかもしれません。

          【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.83

  枝 村 春 美 さ ん       横 町
 
「住職さん人選ミスじゃないの? だって順番がおかしいわよ」

 ……今までいろんな言葉で出迎えられますが『おかしいわよ』っていうのは初めてかな。

「やっぱりだめかしら、じゃあ 人まちがい?」

  ……なんとさっぱりとしたお言葉! まるで何十年のお友達のような。それもそのはず、あの大東京から縁あって新飯田に嫁がれて早?10年。

「本当は何日も前からドキドキしてたんですよ。どんなことをお話しすれば良いのか全くわからずに、自分の家なのになぜか緊張しているわ」
 ……人生には刺激があった方が良いですよハハハ
「でも人前でご挨拶とかお話しするのはダメだめ。だって言葉がでてこないもの。関わりがないことには本当に関心が無いんですもの。我が家をご覧なさいね、散らかしっぱなしで恥ずかしくて来て欲しくなかったのよ」

 ……生活の実感がしますよ。だってモデル住宅の展示場じゃないんだから

「うまい、座布団1枚。でもくらしていくって本当に大変よね、嫁いできた頃は我が家はもちろん町内近所にもたくさんお年寄りがいて、1年中の行事はもとよりいろんなことをしていたけれど、気がついてみたらその人達がほとんどいなくなって、ついに私達の番が回ってきたみたいねえ」

 ……代を継いでいくことのむずかしさはわかります。

「この町内の人達で守ってきた土手のお地蔵さんも、とうとうお手伝いの順番が固まっちゃって中心的にやり始めました。もっとも私の子供達も楽しく行事に参加させていただいて、大人にしていただいたんですから、今度はそれをお返していかなくちゃね。
 でも不思議なもので、たったひとつのことに関わっただけなのに、なぜかしらよそのお地蔵さんを見ても不思議と目がむいてしまうんですよ。今までは全く眼中になかったのにねえ、それがご縁というものかしら」

 ……自分にとって都合良い悪いの区別無く、全てご縁でつながるんですね

「不思議な縁って言うけれど、逆にご縁そのものが不思議なんですよねえ。だって絶対に私がそんなことをするはずがないと思っていましたもの。誰に云われたわけでもなく、かといってどれだけ積極的にやるわけでもなかったのに。でもお陰で町内近所とっても仲良くやっています。
 それにしても小さな子供達がずいぶん少なくなって、これじゃ楽しもうと思っても中々大変な時代になっちゃいました」

 ……たったひとつのことからいろんなものが見えてきます。遠方まで出かけなくても、極身近なところに新しい発見があります。問題はそれを見つけることができるかが本当の能力かもしれません

          【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.82

  遠 藤 チ イ 子 さ ん       潟浦新
 
「昨秋、せがれのところに来たばっかりなのにまたですか? そんなに我が家は話題はないですよ」

 ……人物優先ですから、正信偈を読む方々には隔てなく伺います。でも10数年の取材の中で初めて同じお宅に訪問しますよ。

「主人が亡くなって10年、縁あって等運寺にさんにお世話になりましたが、知らない方ばかりで今だ中々なじめませんね」
  ……それはそれは何かありましたか?
「そんなことはありません。この潟浦にお家を建てて50年、あの頃はまだ周りは農家ばかりで中々話もあわなくて、それに知っている人もほとんどいませんでした。そのせいか私は実家に度々。きっと私の根性が曲がっているのかしらね?」

  ……この潟浦も、今では農家の方が少ないくらいにお家がふえましたね。

「私は燕の職人の娘で育ったせいかしら、何か違うんですよね。洋食器で忙しい時代でその時の燕の町の気性が心の底にいつまでも住み着いているようですね。物を買うにしてもお金を借りるにしても、明日のことを考えずに行動してしまう。よくいえばバイタリティがあることなんでしょう。悪くいえば先のことに無頓着、今さえ良ければみたいに。でも離れて暮らすと、そのことが懐かしくていつまでもそれが忘れられないんですよ。きっとそれがいけないんでしょう。
 先日も久しぶりに燕の商店街に行ったらすっかりアーケードが外されていてビックリしました。まだ雁木が連なっていた頃からなじんでいたお店も大半が無くなってしまって。ああこれが現実なんだなあとつくづく思い少し涙が出ました」

 
 ……雁木からアーケードそして…、まさか生きているうちにこんなにも展開があるなんて地先の人達も戸惑ったでしょうね。

「昔のことがみんな良いとは思わないけれど、小さなお店にもそれなりの必要性があったと思うわ。商品のやり取りはもちろんだけれど、それ以外の情報もたくさんいただいたような気がするの」

 
 ……『昔あって今無いものは義理と人情とおつき合い』でしょうか。

「そうですねえ、個人情報なんて言葉がでてからなおさら踏み込んだ家庭の話題をしなくなった気がします。私のように中々とけ込めない性格のものは生きにくい時代になりました」

「お寺さんもそうですが以前の境内は子供達の遊び場でした。子供の数も少なくなり遊び方も変わってしまったせいかどこのお寺へいっても子供達の姿が無くなりました。敷居が高くなったんでしょうかしらハハハ」

 ……どんなに時代が進んでも人の心は変わらないもの、そういう言葉も死語になりつつあります。いま一度考えませんか。
 
          【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.81

  池 田 金 次 郎 さ ん       潟浦新
 
「お寺様のたのみらば しかたねこてのう」

 ……そういっていただけると助かります。ハイ

「はじめに言うておくけれど、私はなんでも知らないし、できないし、やったこと無いし、それでもいいんだかね」

 
……皆さん最初はそうおっしゃいます。

「子供の頃から頭も悪かったけれど、勉強も好きではなかったです。今でもそうですが機械の
ことも電気のこともあんまりいじったことがなくて、そこにあるそのストーブでもスイッチを触るのがおっくうですよ。もちろん灯油くらいはいれますがね、昔人間なんでしょう。はやりのものはまるっきり駄目、というよりは覚えようという気がおきないんですね。よくこの年までそんなことでやってきたかと思うと、自分でも感心します、ハハハ。かわりにいつも思っていますが、私の周りにはいつも良い人達ばかり、両親も義父母はもちろん女房も友達も、あんまり私がやらないんできっと心配で面倒みてくれたんでしょう。恥ずかしいことですが地元潟浦のこともよくわからないことがたくさんあるんですよ」

 
……仕事ひとすじだったんではないんですか?

「そういえば聞こえが良いけれど、実際は怠け者で努力をすることが無かったんでしょう。同じ職場でも手がきき、頭の回転がいい人は自分で何かを始めました。わたしにはそんな気が起きなかったただそれだけですね。本当は話をするのも苦手です。
 こんなふうに二人っきりならばまだ良いけれど間違って人前で挨拶などはもってのほか、人見知りはするし、かといって買い物などは、人との取引でないとまた駄目なんです。おかしな性格でしょう。世間では『頑張ればなんでもできる』などといわれますが、アレはできた人、やった人の話ですね、『できなかったのは自分の努力が足りない』でも本当にそうでしょうか? わたしのように全く駄目な人間も、世の中の歯車にあっても良いように思えるんですが」  

 
……人の数だけそれぞれの活躍場所がありますね

「自分の命は自分のものでもあり、人のものでもあると実母にいわれたことがありました。ひょっとしたら、こんな私でも世の中のためになっているかも知れませんが」

 
……お茶の間を振り返ると立派な白木のお内仏。

「これも何もしない私のそのひとつ。初代の義父が生前に求められたものです。わかるでしょう私の周りにはみんな良い人ばかりということが」

 ……苦労は不幸ではないと聞きます。また不幸や災難に遭うことは本物が見える目を育てているのかもしれません。口には出さずともヒラメのようにじっと底からながめている、そんな池田さんでした。 
 
          【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.80

  宮 本 ト モ さ ん       月 潟
 
「私みたいな年寄りのとこなんか来ても、何でも話すことなんか無いね」

 ……逆でしょう今日までの人生が凝縮されているはずですから

「若いころ一度 燕の方に勤めたことがあったけれど、我が子の子育てと孫の面倒でほとんど家から出ることも無くてね。夫が早くに亡くなったっけ何でもしましたよ。
 高等科(上級小学校)にはいれてもらえたけれど授業なんてなんでもなくて、1年生のときも動員仕事、2年生の時は燕工器という会社にこれまた動員、確か飛行機の部品を作っていたようだったね」

「覚えているけれど冬場吹きだまりができて電車が灰方の駅までしか行かなくてね、学校の先生に言ったら『歩いていけ』。女子同級生何人かで電鉄の線路道コザイテやっと燕の水道町の工場まで行った覚えがありますね。
 月潟からは約4里、もちろん燕に泊まって仕事をしましたよ。戦争中だったから何の疑問も無くやってきましたね。私ばっかりじゃない貧乏人も金持ちも皆がそうだったから、いい意味で分け隔てなく苦労してきた時代でした。そんなご縁があったんでしょうか、燕のキセルを造っている工場で働きました」  

 ……懐かしいものが出てきました。キセルですか。

「これは私が内職で作ったものですよ。結婚して子供が欲しくなって工場をやめるっていったら、社長さんが『それならこの仕事をおぼえてからやめなさい』っていってくれて、キセルの皿(タバコをのせる部分)をくっつけるのを覚え内職仕事を始めました。始めた頃は15銭、後にひとつ60銭」

 ……ジェジェジェ! 1円の下の単位ですか。

「恥ずかしくて言えないですよね、一日夜なべして1500本。それで900円。それが私にとって大事な子育ての収入源、昭和の45年頃の話です」

 ……生業とはいえ内職仕事を32年程続けられたとか。

「他のもいろんなことをやりましたね。それもこれもみんな大切なお金を稼ぐためでした」

 ……今はお孫さんの面倒からも手が離れ、20年近く習っている陶芸教室に夢中のトモさん

「またまた恥じかきの話だね、始めた頃は楽しかったけれど孫をみなくては駄目で中々集中できません。年とったら今度は集中が続かなくなってだめですねハハハ」

 ……そうはいっても午前中のうちに地区の文化祭に出品する作品を届けてきたとか

 「貧乏性なんでしょうか?駄目だなあとわかっていても約束したことはしないとすっきりしません。戦争を体験してきた昭和の女とでも言うんでしょうか」

 ……最後に『苦労は身に付きませんから』その言葉が心にしみました。
 
          【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.79

  小 菅 吉 次 さ ん       三条市
 
「取材なら僕じゃなくて妻の方が良かったのに、ちょっと遅かったですねえ」

 …残念ですが彼岸の方まで取材はできません。

「実家のご縁で等運寺さんには以前からお墓参りには出かけていましたが、こんなにも早くお寺のお世話になるとは全く思いませんでした。でも亡妻もたくさんの方々から声をかけていただき、幸せなやつだったなあと思っています」

 
…7月に3回忌がすんだばかりと聞きますが。

「僕が家のことなど何もしてこなかったバツでしょうか、今でもまだバタバタしています。そのせいか息子が何かしら本格的な食事を作ってくれています。『いっそ、料理人にでもなれば』って言ったら、『趣味道楽だから一生懸命になれるんだよ』そんなふうに言われました。

 …金型工場を手伝いながらよく頑張りますねえ。

「好きなことは続けられるんじゃないのかな。僕もこの仕事に就いたきっかけは中学生の頃の興味からですよ。あのころ、模型の飛行機(ゴム動力)がはやって夢中になっていました。
 できたばかりの信濃川のスポーツ公園でその大会があって、運よく勝ち進み、県大会に新潟白山競技場まで行った記憶があります。そんなときに自分だけのオリジナルな飛行機が作れないかと、紙に簡単な設計図を書いて、竹ひごをロウソクで温めながら作りましたね。かれこれ50〜60機ほど作ったんじゃないかな。そんな遊びから図面をおこすことに興味を持ち、今の仕事があるように思います」

 …なるほど好きなことは続けられますね。

「近ごろは職を選ぶにも自分の好きなことができる職種にありつけない若者たちがいっぱいいるような気がいたします。職人にしても商人にしても農業にしても、もちろんお金を稼ぐということは大切なことですが、自分がやりたいことから職業を選ぶことが難しくなってしまった。あの頃はまだそれができた良い時代でしたね」

 …仕事一筋と思いきや中々のスポーツマン?

 「下手な僕ですが、野球チームで40年くらいプレーをしていました。思い出はそのチームメイトと北信越の国体まで行けたことですかね。それももうすでに卒業です」

 ふと見るとお内仏の前にきれいなカレンダーが。生前奥さんが姪ごさんに励ましの手紙を送ったことがあった。その姪ごさんが、心に響く数々の言葉と、奥さんが好きだったバラの写真をアレンジして制作した一か月繰り返し使えるカレンダー。
 「これをめくっているうちは、きっと妻から自立出来ないかもしれませんね」

 …心中の杖として忘れないことは、つっかい棒とは違い、決して倒れることはないでしょうね。

          【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.78

  遠 藤 康 男 さ ん       西蒲区 潟浦新
 
 ……縁側の先がもう中之口川、まさに川と添い寝の遠藤家、伝わってくる風の気持ちいいこと。

「それだけが取り柄の我が家です。縁あって村松からこちらに来てかれこれ25年。すっかりこの風景がしみつきました。 
 勤めの関係でコンピューターや電子機器に触れることがたくさんありますが、最近は人とのふれあいが少なくなってきたようです。やっぱりおしゃべりをしていかないと駄目ですよねえ。
 我が家の近所はまだ付き合いがたくさんありますが、それでも昔のようなわけにはいかなくなったみたいです。価値観の多様化で一人一人が自分の殻にこもってしまっているようで。電気製品をみても使い捨てが当たり前のような時代になって」

 ……そうですね以前の家電は直すことを前提に作られていたと思うんですが。

「販売価格より修理代の方が高くつく時がありますから、これじゃいくら子供達にものの大切さを教えてもだめですよね」

 ……使い捨てにあこがれ大量消費を夢見ていました。

「ここにある鉄瓶のように世代を超えて使うような生活が本当は大切だと思うんですが。でもこれで沸かしたお湯でお茶を飲むと美味しいんですよ。物に対しての愛着がわく間もなく次の商品を手にしている自分がちょっと情けなくなります」

 ……感謝の気持ちが見つかりませんね。

「その感謝も怪しいものですね。僕に顔を向けてくれる人や物にだけしか感謝をしていないように思えます。自分の都合がいいことは迎え入れるんですがそうじゃないことは排除しようと努力します。少なくとも僕はそういう人間だなあ」

 
……住職が以前『(仏さまに対して)他流は請求書、当流は領収書』そんな話をされました。

「まったくです。私が仏壇や神棚に手を合わせる時も自分勝手な願い事だらけです。まさに請求書ですよホント。そんな時たまたま感謝という領収書をきる時は調子良くいった時だけ。健康も財産も順調な時だけ、人間は実に身勝手ですよね」

 
……茶の間の長押には富士山の写真がいっぱい。これはどなたが?

「亡くなった父が撮った写真ですね。なぜか行くたびにお天気に恵まれて、前日が駄目でも当日は晴れていたようです。中でもこの飛行機から写した写真は自慢の一品。よっぽど富士山に憧れていたんでしょうね。でも趣味ある人はいいですよ、残された物でその人を思い出してくれますもの」

 
……人間は二度死ぬと聞いたことがあります。一度は肉体の死、もうひとつはその人を知っている人がいなくなった時と。 生前の努力にかかわらずいずれその時がきます。でも使い捨ての人生だけは避けたいものです。

          【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.77

  米 持 成 子 さ ん       新飯田 下町
 
 ……ピンポーン『等運寺の方から来ました』

「えっ・・あっ!」「ちょ、ちょっとお待ちくださいね」《10分後》

 
……先ほどのお嬢さんは?

「同じ私ですが、どうかしましたか」

 
……容姿が変わってます。ハハアさては化けたな 

「冗談でしょ。いくら昔から知っている人でも」

 
……30有余年勤められた市の保育園を退職され, 今は白根のつくし園でご活躍の毎日。

「そんなに勤めたんですよね。でもやめてから逆にいろんなことがわかったような気がしますね。
 先日亡くなった父の縁で介護やら病院やらの中でお世話になった人達からアドバイスの言葉やお手伝いいただいたこと。私が今までやってきたお仕事は、子供さんを通して親御さんに接してきた訳ですが、受ける方に回ってはじめて気づくことばかりでした。もう少し若いときにそれがわかればまた違った仕事がができたのにと思うと、ちょっぴり情けなくなりますね」

「世の中に要らないものは無いと聞きます、病気や災難、究極は死まで。「そうかも知れません。出あった物事を通して、その時は気づかないことでも後になって考えればこの私のためにあったのかなって考えます」

 
……人は死をも教えにしているんでしょうか。

「立場が変わると見えてきますね。感情に浸る時間もありますが、時とともに自分のこととして引き受けることが大切なんでしょうね」

 
……感じ取ること、そんな感性をお持ちのようですね。

「現場の仕事の中では矛盾の多い問題に何回もあいました。責任者の立場として言えないこともありました。小さないじめとかもそうですが、今だけを繕ってしまう時が間々あったような気がします」

 
……若い頃はいろんな活動もされてきた成子さん。

「そんな大それたことではなくて、みんなと一緒にやってきただけですよ。20歳で卒業してから3年間、結婚するまででした 。でもその時間はすごく凝縮された思い出がいっぱいあるみたい。だってこんなに背が低い私が、それも経験の無いバレーボールをやったんですよ。ジャンルを超えて皆でいろんなことをやりましたね。その道のエキスパートはいなかったし、素人集団が良かったのかも。
 でもその頃一緒に活動した男の人達は、今でもそれを引き継いでやっているからうらやましいわ」  
「私も人生の最終コーナーを回ろうとしています。あと4分の一周、できればこのままゴールしたいですね。それも自分のこの短い足で」

 ……においも色も音も形ももたない風の存在をそれらから知る。そんな五感を持つことができたらいいな。 

          【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.76

  小 杉 玲 子 さ ん       新飯田 新町
 
 ……今、巷のテレビでは書道女子が増えているとか。その中でも美魔女書道師範が噂になっているらしい? はてこの胸騒ぎは。

「あんまり大げさなこと書かないで下さい。もうそんなに若くはないんですから。それに最近はだんだん単語が少なくなってアレとかコレとか」

 
……それで通じる夫婦は相生の仲っていうんですよ

「アイとオイだけねフフフ。でもまさか私が書道教室の先生になるなんて思っても見ませんでしたわ。小さい時からみんなと同じように書道塾には通っていましたが」

 
……よほどの美貌と才能が?

「ハハハまさか、でも確かきっかけはまだお務めしている時に同僚の方にたのまれて始めたのが最初、そのうちその方の子供さんを教えるようになって、だんだんと教室の形になっていったわ」

 
……僕も小学生の頃から書道とそろばんをちょっと。

「この新飯田地区は真野先生が頑張っておられたから書道にたいしての理解がすごく高いと思いました。13年前に新飯田教室を始める前に先生から少し教えていただきました。その後体調を崩されてから私が引き継ぐ形で始めたんですよ」  

 ……伝統の襷が渡りましたね。

「私の力は何にもなかったけれど皆さんのお陰です。特に教室に来る生徒さんのご両親がむかし真野先生に習っておられた人達が多くて」 
 見えない力が後押しをしていますね。   
「それは強く感じます。自分自身の努力だけではどうしようもないとこと。昔の人はそれを神様、仏様の力と思ったのかもしれません。でも最初に三条教室を始めた頃の生徒が県知事賞をもらったことがものすごく励みになりました。『こんな小さな教室でも一番の賞がとれるんだ』って」   

 ……やはり真の喜びは人から人へ伝わるものですね。

「有形無形にかかわらず昔からたくさんなものが伝わってきました。私の書道も教わった先生から私にそして次代の人達に伝わっていったらいいなあと思います」

 
……新飯田地区の芸術祭にも毎年子供たちとともに出品されている玲子さん。

「はずかしですね、仮名を本格的に始めたのはつい最近、やっと少し皆さんに見せられるかナっと思って出品してます」 

 ……生徒たちが好きなことを書いているコーナーがありますよね?

「自由書道のことかしら他の教室ではめったにやっていないことですが。でも生徒たちはそれが一番生き生きと輝いている、本性が現れる時にこそすばらし才能が開花する時かもしれま せんね」

 
……『書は余白の芸術』と聞きました。何も書かれていないところに心を寄せ何かを感じ取る、そんな感性を持った人生を送りたいものです。 

          【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.75

  横 山 恵 子 さ ん       新潟市南区 白根
 
「月忌参りに住職さんがお出でになったのに、わざわざ、その翌日に電話で取材のご連絡があったんですよ。私の顔がよっぽど怖かったのかしら。
 逆に質問したんです。もしお断りしたらどうなるんですかって。そうしたら、
『来月からお参りにはいけませんネ』
しめたと思いましたが、そんなわけにはいきませんよねぇ」

 ……なかなかご住職もやりますねぇ。そういう威し文句があるとは。

「でもこんなふうにお経を読むようになったのも、7年程前に亡くなった義母のご縁かもしれません。それまではほとんど関心もなく過ごしてきましたから。私の実家はご宗旨が違いましたが、小さいときからお内仏を中心にした生活がありました。どこの家庭でもそうだと思いますが、よそ様からもらい物をしたりした時は必ず仏様にあげてからねっていわれ、通信簿をもらったときや、内々のお祝いがあったときも、必ずお内仏に報告してからでしたねぇ。
 別に宗教として伝えたいのではなかったと思いますが、自然の中で伝えたいものがあったんでしょう。でも今では大半のご家庭が長男夫婦と別家庭に。お仕事の関係で仕方がないと思うんですが、これではそういう家庭のしぐさを伝えることができなくなりました。 形式かもしれませんが子供や孫達に、その後姿を見せられないのがさびしいですよねぇ」

 ……一緒に住んでいても伝わってきた所作は、今では失われつつあります。


「祖先からつながってきた命、それを断ち切るような気持になります。でもそんなやりきれない自分の存在自身がきっと大切なのかもしれません」
「歳のせいか近頃は時代の移り変わりが速すぎるようです。私達が生まれ育った昭和の時代はもうちょっとゆっくりと時間が廻っていたようです。
 特に昭和30年代までは。東京オリンピックの頃ををさかいに家庭でもたくさんのものが入ってきて、それを買い揃えるのがひとつのステータスになり国民全員の目線がそちらに向いていました。便利になり、物が増えることにより豊かな生活があったのは決して否定できませんが、何か忘れ物をしてきたような気がして。だけどそれがなんだったかをなかなか思い出せなくて困りましたねぇ」

 
……長い間保育園の先生として活躍されてきた恵子さん。

「10年ほど前に外孫が小学校の1年生になるのをきっかけに退職しました。生来のおせっかいだから思い立つとすぐ行動に移しちゃうほうなんですよ。だから主人にも注意されることがしばしば。そうそうご住職のお母様、お元気だった頃に等運寺さんに足を運ぶ機会があり、どこかでお見受けした様な方と。よくよく考えたらまだ私が若い頃保育園の研修会でたびたびお会いしたことをようやく思い出してとっても懐かしくお話させていただきました」

 ……不肖この僕も、3年間等運寺の保育園にお世話になりました。

「昔はきっとどこの保育園もたくさんの笑い声があったんでしょうね。家庭では両親が必死になってがんばっていた頃、子供達にとっては唯一の遊び相手が園の先生だったのかもしれません。それこそ今のように物が何にもなくても知恵を出し合って子供達のために尽くしてこられたと思います」

 
……思い出だけに終わらずに今一度そういう時代を創っていかなけばいけませんね。

          【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.74

  小 野 塚  光   さ ん       西蒲区 潟浦新
 
「1月半前まであっちぇかったのに今日はもうストーブ出していましたよ。お寺様に彼岸の集まりに出かけていった頃はちょうどそのサカイらったね。 お寺まで送ってもらう道中に車を止めて、初めて住職様からソフトクリームをご馳走になったわ、それはそれはウンーメかったいね。私なんか寺に着くまでの間にあわてて口の中に放り込んだこてね」

 ……寺の行事に参加されるとおまけが付きますね。

「義母が早くに亡くなったから私が代わりにお寺に足を運ぶきっかけになりました。
 もうひとつは、そうかれこれ30年以上も前になるこてねぇ、先代住職さんがわざわざ潟浦まで月1・2回ずつ、夜お経(正信偈)の練習に足を運んでくれなして、近所の母ちゃん達9人して順番にお宿しながら10年程続いたろか」

 ……潟浦には等運寺の門徒(檀家)さんが少ないのによくがんばりましたねぇ。

「そんなことはあんまり考えていねかったけど、最後はやっぱりお寺の違う人から少しづつやめていって、とうとうなくなりました。でもそのおかげで、今でも正信偈が始まるとわかります」

 ……仏法は若いときに学べといいますが、まさにそういうことですね。

「いやあそんな立派なことはできないけど、その頃はみんなして結構おもしろかったいね。ちょうどおんなじ年頃の人ばっからったからね。でも、おらたちのために晩酌もしないで出かけてきてくれた住職さんには感謝していますよ」

 ……先代住職の草の根の活動が実を結んでいますね

「教えてもろたことはほとんど置いてきました。はずかしい話、私ももうすぐ80歳に、その前に最後になるかもしれないということで、1泊2日の同級会がもうすぐあるんですよ。女だけの会は毎年のようにやっていたんだけれど今回は男の人も入れて、楽しみらいね」

 ……今の元気ではまだまだ当分その会は続きそうですね。

「でもいろんな所に出て行かれるっていうことは稀なことらいねぇ。自分自身の健康はもちろんだけど、家族の中に病気や怪我があってももう出て行かれない」

 ……本当ですね、働き盛りの人は経済的にゆとりがないとむずかしいこともあります。まして今の娑婆は・・・。


「家のじいちゃん(主人)も定年になって、10年ばかり嘱託で勤め、これから楽々と思っているときに喉頭ガンで手術してもう7年程たちました。本当はいろんなところに顔を出していきたんだろうけれど、声が出ないからねぇ。今は私と山の仕事を一緒にして楽しんでいますよ」

 ……山? 山ってあの弥彦山の山ですか?

「この辺の人は田んぼに対して畑のことをヤマって呼んでいるんだいね。新飯田あたりじゃいわねろうかね」

 ……僕はあんまり聞いたことがないですねぇ、川一本しか違わないのに新しい発見です。

「ほんね川一本、土手に上がるとすぐそこに等運寺様の屋根が見えるけど昔は新飯田橋までグルーっと仲間して自転車こいでお参りに行ったことが昨日のようらいね」
「もうすぐお寺の報恩講が来るのでまた出かけようかと思います。住職様から今度は何をご馳走してもらえるろうかハハハ」

 ……いくつになってもわくわくした気持は持ち続けたいですね。

          【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.73

  仲 野 英 哉   さ ん       茨曽根 新村
 
「あっちぇ夏らったねえ。おめぇさんが来るかと思って、あわてて昨日お店のホームページ開いたこてね」

 ……??パソコンを?

「頭は白いけど、まだそんげな年でもねんだいね」
これは失礼しました。いきなりそんな話をされたのは初めてなので。

「仕事の関係っていえばそうなんだけれど、今の娑婆はいろんなことできないとついていがんねからねえ。始めてから5年ほどたつけれど、もう5年早く始めていたら面白かったろうに」

 ……新しいこと始めるのに遅いということはないですよ。

「等運寺のページも開いたら、今までのいろんな人のこともよーく書いてあったわ。しかし便利時代になったもんだ。俺はオジ(二男)だっけ、中学校卒業してすぐ東京の叔母さんをたよって5年ほど製本業の手伝いをしてきたけれど、電気製品を始めいろんなものが家庭に入ってきたことを昨日のことのように覚えているわ。まさか我が家にまで車が来るなんて夢にも思えなかったなあ」

 
……そうですよねえ、昭和の30年代はまさに国民あげての高度経済成長期だったかもしれません。

「東京にいた最後の年だったか、オリンピックを見ましたよ。ちょうど同じ職場の仲間にスポーツが好きな人がいて、さそわれて確か代々木のプールに水泳競技を見に行きました。何の種目だったかは忘れたけれど」
 ……ギョギョ! 僕は初めて東京オリンピックを生で見た人にあったような気がします。私たちは小学生で、学校で日本人の活躍する種目をテレビ観戦させられたのを覚えています。

「たまたま職場が小石川の近くにあったのと、強引に誘われたからでしょうハハハ。今と違って、よっぽどの余裕がある人でなければ、わざわざ東京まで来て見ないでしょうね、まだそんな時代でしたもの」

 ……映画の『三丁目の夕日』じゃないけれど、新飯田でもいち早くテレビが入った家に、夕方近く見に行ったのが懐かしいなあ。

「それが今じゃ一人に一台ずつ車にテレビに電話まで、果ては俺みたいなものまでパソコンだよ。これじゃいくら稼いでもおっつかないねえハハハ」

 ……帰郷して、建築業に弟子入りしてから40有余年の仲野さん。等運寺の奥座敷改築にもお仕事をされたとか。

「いいご縁をいただきましたね。でもせっかくいいものを造ったんだから、皆さんから一生けんめい使ってもらわんとねえ。使って減るのは良いけれど、使わんで取って置くのは一番もったいないな」

 ……そうですね、私の周りにはそういうものがいっぱいあるみたいです。

「お寺様も法事や会合に使ってくれと書いてあるように、どんどん使ってやってください。集まって話をしなければダメらいね。最近は他人との付き合い方が変ってきて同じ村内の行事も中々出てこない人が増えていると聞くけれど この新村はまだ少しはマシかな。でも昔から見ると、ここもいろんな行事がなくなったね。後を頼む若者や子供達が少なすぎる、これでは発展しないだろうな困ったもんだ」

 ……いきなり居間のほうから元気な声とともに4人のお孫さんが走って玄関の方に。

「ほら、お客様に挨拶せーよ」

 ……順番にぺこりと頭を下げるその仕草は、まさにオールディーズそのもの、この家にはまだまだ力は残っているぞ。

          【聞き手・同朋の会 推進員】


NO.72

  滝 沢 文 子   さ ん       新飯田 下町
 
「新飯田で60年を暮らしましたが、幼いころから見るとずいぶん町並が変りましたね。横町、中町下町とお店屋さんも軒並みあったし、商いをしていない方が何軒しかなかったような気がします」

 ……もうそんなことをいう歳になりましたか。いつも身近に居られるから年齢を感じないですよ。

「いつまでも自分だけは若いと思っていたんだけれど、ふと回りを見ると若くて知らない人ばかり、まるで浦島太郎の世界。生まれてこの方新飯田しか知らないし、以前はずいぶん田舎はいやだなあと思うことがあったけれど、私の性格はヤッパここが一番かも」

 ……確かに都会と田舎はずいぶん違っていましたよね。

「都会(東京)じゃ隣に住んでいる人の名前も知らないんだって、そんな話をずいぶん聞かされてきたけれど、今じゃ田舎も同じよね。大災害からこっちさかんに絆っていう言葉が使われたけど、以前は助け合うことはあたり前のように思っていましたよ、特に身近な人たちでは。今では個人(私)が一番におかれていますが以前は二番においていたように思います」

 ……私達の親の世代は戦争という時代を過ごしてきたからなおのこと、一緒に生きることの大切さを心の底に持ち続けていたんでしょう。

「親からはずいぶん怒られてきました。そのころは『昔と時代が違うから』って反発してきたけど、振り返ると親と同じ言葉を我が子にかけて来たように思うわホント」

 ……昔も今もこれからもどんなに時代が変ってもそれはずうと同じでしょう。

「進歩がないのかしら、でもそうやって家庭や地域の伝統、しきたり、しぐさを守ってきたんでしょうね。お祭りやお寺の行事を見るとそんな気がします」

 
……お寺さんへの考え方もずいぶん変ってきたように思えます。自分の幸せだけをお願いする、その幸せがずうと続きますようにと。

「最近私より年下の人が亡くなるのがずいぶんと目立ちます。私も主人を亡くしたのが11年前、急病でしたから 何もしてやれないまま悔いが残ることばかり、心の立ち直りまでずいぶんと時間がかかったような気がします。だからではないんですがそんな残された奥さんの気持ちが痛いようにわかります」

 ……人というのは慰めの言葉はかけてやることはできるんですが、なかなかその気持にはなれませんね。

「遭ってみないとわからないっていうけれど、それはそうかもしれない。きつい言い方かもしれないけれどあった人でないとわからないと思います」

 ……涙を流した数だけ心が洗われると聞きました。その数だけきっと他人に優しくなれるのでしょう

「でも私は女だからかしら、主人も大切だったけれど、我が子に対しての思いがあったおかげで普段の生活にいち早くもどれたような気がしました。薄情なのかしら」

 ……案外男はだらしなくいつまでもめそめそしているかもしれません。

「お互いの持ち出し分は違っても、やっぱり二人でひとつが一番いいですよねえ」

 ……平等とは五分づつ出すのではなくてお互いが持っているものを差し出し、そして貰ってもらった喜びを感じることができるかなのかもしれません。 布施の心を今一度考えて見なければ。

          【聞き手・同朋の会 推進員

NO.71

  白 野 ア ヤ 子   さ ん       新飯田 砂原
「とうとう還暦、若いときから老け顔って言われてたけれど、やっと年齢が追いついたかな」

 ……年齢を聞かなければよかったかな。そうか住職さんと同級ですか、ハッハッハ。

「それはどういう笑い?失礼しちゃうな。ぴちぴちしていた時もあったんだから」

 ……ごめんなさい。同世代の一人としてあんまりうれしくて?

「新飯田の住人になって25年がたちました。でも最近商店街のお店がポツリポツリとなくなってさみしいですねえ。
 私の実家は新潟で豆腐屋をしていたから、お店がなくなるのは…。それも職人さんがいなくなるのはさみしいですねえ」

 ……時代が変ってよくなると思っていたら、逆に不便になっていきます。魚屋さん菓子屋さん油げ屋さんと、地元のお店がなくなりました。

「そんな中でも新飯田のお祭りはがんばってますよね。主人の仕事関係で転勤が多かったから、子供達がまだ小学生のときやっとに新飯田に帰ってきたころ、普段はあんまり人通りもないように見えた町に何所からともなく湧いて出るようににぎやかになって、そういえば今年は久しぶりの6月16日のお祭りですね。
 この日は私にとって忘れられない日ですよ。小学6年生になってまもなく新潟地震にあいました。通っていた学校は創立記念日でお饅頭だったかな、もらって午前中で帰ってきてまもなく被災。しばらくして津波だったのかしら、お店の一階部分は水浸しになりました。兄も姉もぜんぜん帰ってこれないし、連絡もつかない状態の中で子供心に不安でしたよ。そのうち母の実家のある亀田まで歩いて疎開をさせられて。
 でも、まだおうような時代だったんでしょうね、歩いている途中でまったく見ず知らずの人が声をかけてくれて、私だけトラックの荷台に乗せてもらって、やっとの思いで亀田に着いたのを昨日の事のように覚えていますよ」

 ……昭和39年でしたね。新潟国体、地震、東京オリンピックと、僕もいろんな出来事がうかんできます。

「地震の2週間ほど前には、華やかな国体の開会式での鼓笛隊に参加をさせられて、もう50年もたとうとしているんだよね。年をとるわけだわ」

 ……昭和の新潟を語り始めると、きりがありませんね
八方美人で面倒くさがり屋だと自分ではおっしゃる白野さん。

「私は三日坊主なのに、ご住職が経本を出して一緒にいかがですかって勧めるんですよ。今までは勤めがあったのでおばあちゃん任せにしていましたから、退職してから今度は私の番かしらっと思い、小さな声で後ろで座っているだけなんですよ」

 ……自分の耳にかすかに聞こえるくらいの発声でもいいから、声を出して読むことが大切らしいです。

「でも、お通夜のときに耳慣れたお経が聞こえると、自然に口の中で唱えているのが不思議ですよね。去年のお盆には、私の後ろに主人と母が座って、ついお勤めのまねごとを。自分でもバッカみたいと後で恥ずかしくなりました フフフ」

 ……すでに大船に乗っている私達です。先輩後輩はあっても上下はありません。少し先に乗った人は続いて乗ってくる人たちに船内の案内くらいはしていかなければ。
 その先頭はご住職でしょう。

          【聞き手・同朋の会 推進員】

NO.70

  滝 沢 光 子   さ ん       新飯田 上吉上
「来るんだったら午前中のうちにパーマ屋にいっておけばいかったねえ。もうちょっといい女を見せられたのにね」

 ……そういう歓迎(?)の仕方をされるとは初体験です。

「昨日夕飯の時孫に『ばあちゃん明日インタビューされるんだよ』って話をしたんです。そうしたら明日は何が来るの?って食卓に話題が咲きました」

 ……家族の中では何でもお話をされるんですね。

「私が特別にシャベッチョだからかしら、でも話さないとわからないじゃないですか。いいことも悪いことも時には怒り声もそうやって家族が手を結んでいればきっと丸い輪ができると思います。実家の孫爺さんにもお嫁に来るときそういわれました。『家族だけ丸くなっていればいい』それから40年余りそれを一生懸命考えてきましたね」

「農家から農家に嫁いできたんだけど田どこと陸どこでは勝手が違います。両親が心配して『オメ、勤まるんだか?』。でも生来の楽天気性なのかしら、姑や小姑にもいっぱいこと助けてもらいました。
 でも、今はあんまり親もちのところに来る娘さんが少ないと聞きますが、私は逆で子供にも『お嫁に行くんだったら絶対に両親がいるところがいいよ』ってよく言って聞かせました」

 ……確かに現代の世相とは真逆ですね。

「だって最初はたった二人だけのほうがいいかもしれませんけれど、そのうち家族が増えればどうしたってたくさんの手が必要になってきますもの。
 お嫁さん自身も勤めがあったり自分の好きなこともやりたいじゃない?。そんな時一番に助けてくれるのが嫁ぎ先の両親だもの。
 それよりも子供が学校に行くようになって帰ってきたとき『ただいま』の挨拶に『お帰り』の返事が聞こえないのはさびしいばかりかいけないことだと思います。家族の誰でもいいからその返事をできてこそ心のあったかい人間ができるんじゃないかしら。帰っていくところがある、待っていてくれる人がいる、小さいうちから知らず知らずにその子に芽生えるものがあると思いますよ」

 ……核家族、鍵っ子などと色々な言葉が生み出されました。でもそれは私達が望んでいた社会です。

「そうですよね、おかしな時代になりましたけれど確かに私達に責任がありますよね」
「明るいはずの性格と思っていた私が義父が亡くなった10年程前に重い更年期障害が続いて家族はじめみんなに迷惑をかけてしまいました。多少気の病の部分もありましたが、そんな時めったに口を割らない主人から『オメはそんなに良い婆になりてんだか』と言われハッと気づきました。
 家族の為とはいえいろいろやってきたことは、結局自分自身を良く見て欲しいからだけだったんじゃないかと、それから少し心が楽になりました。知らないうちに笑うことを忘れていたんでしょうね」

 ……会話の途中に小学生のお孫さんが、お話どおりの元気な声で帰ってきました。
 いずれ私たちがこれから向かうお浄土へも『ただいま』といって帰っていければ、きっと『お帰りなさい』と待っていてくれる人がいるはずです。それは私たちがかつていたところ、出かけてきたところだからでしょう
          【聞き手・同朋の会 推進員】

NO.69

  山 内 誠 一   さ ん       新飯田 中町
「まさか僕のところに来るとは夢にも思いませんでしたよ。我が家は法華だし、商売上もまずいんじゃないかしら?」

 ……いやいや『老少善悪を問わず』です。タイトルどおり読んでいる方であればどなたでも。

「仕事柄、たくさんの人たちを見送るお手伝いをさせていただきましたが、自分なりに少しずつ考えが変わってきたように思います。」
「皆さんの大切な方とのお別れの場をつくる、それを考えて精一杯勉強してきましたが、時代の変化でしょうかそれとも業者サイドでしょうか、お別れの仕方(葬儀)がセレモニーから遺族の心の問題に重点が置かれ始めています。僕はそうあるべきだよなあってつくづく思うようになりました」

 ……この辺はまだ田舎だから昔からのやり方が随所に残っていますが。

「関東方面では直葬が4割をこえてるとか、その中では5割の方がお坊さんを伴わないなどといわれています」

 ……経済的な問題なんでしょうか。それとも身近に真の宗教を考えることができなくなったんでしょうか。

「どちらもあるのではないでしょうか。今までここにいた人が亡くなるというのは相当の精神的苦痛があると思うんです。残された人がこれからどうやって生きていくか、どう立ち直っていくかは故人のいない現実に向き合うことが大切だと思うんです」

 ……『死は怖くはない。しかし死を考えると怖くなる』というお話を聞いたことがあります。

「死ぬことは大人であれば全員がわかっています。せいぜいがんばって生きても100年ちょっと、それでも自分は死なないと思っていますから。元気なうちにこそ、人生を振り返りながら自分の最後をどうやって締めくくるのかを、真剣に考えるときがあってもいいんじゃないでしょうか。そうするともうちょっと他人に優しくなれると思います」

「PRになっちゃいますけど、今エンディングノートをお配りしながら皆さんと共に僕も勉強中です。こんなこというと、きっと両親はじめ親戚中から怒られると思いますが、僕は娘が二人です。
 どういう人生があるかわかりませんが、お嫁にいって幸せになれるのであれば僕も女房も『無量寿』のようなお墓に入れてもらってもいいかなあと思います」

 ……大胆な考えですね。

「今までの葬儀のあり方やお墓、仏壇を否定しているわけではなくて、先祖を守っていくことももちろん大切です。ただ人それぞれに色々な思いがあるわけで、その人らしい送り方送られ方があると思います。それをすこし考えてみてもいいと思いますね。

 今年は特に大震災でたくさんの犠牲者が出ました。こんなときにこそ自分の最後を考えてみるのもいいチャンスかもしれません。できればそのお手伝いができればと考えています」

 ……学生時代、柔道に明け暮れた山内さん。つらい練習の中で本当は休みたいけれど、1日休むとそれを取り戻すにかえってつらい日が続くとお話をされました。巨体に似合わず優しく話されるのもきっとそんな体験があったからかもしれません。
          【聞き手・同朋の会 推進員】

NO.68

  堀   美 恵 子  さ ん       新飯田  川前
「どうしてこんなに忘れっぽくなったんでしょうね、教えてもらってる後からすっかり覚えてなくて でも80近くもなればそれもしょうがないかしら」

 ……もうそんなに?いつまでも若いと思って拝見していましたのに

「浦島太郎の歌じゃないけど『月日の経つのは夢のうち』まさにそんな人生ですね。       でもはずかしことですがこの歳になってもお寺のことやお内仏のことはぜんぜん分からないんですよ。もちろん人さまのせいにするわけじゃないけれど、主人が突然に亡くなるまでまったく考えていませんでしたもの。 それに私の実家も身上持ち(分家)でしたからお嫁に来るまで家にはお内仏もありませんでした」

 ……神棚は新築と共に供える人はいますが確かにねぇ。

「でもありがたい事に近所の魚屋の団次郎ろん(安藤さん)のおばあちゃんが、まだ若い頃に『分家する時は仏壇をもらって本当の分家らこてね』 そんな話に触発されたのか主人のおばあちゃんからこのお内仏を買ってもらったんですよ。それも何十年も前になりましたね」
「笑い話になりますが主人が亡くなったとき一番に等運寺さまにご連絡したら、お参りにおいでになられた時に『本家の人は?』って言われてあわてて連絡したんですよ。いくら無知とはいえ知らないということは恥ずかしい話ですよウフフ」

 ……他人との付き合いが薄くなってきた今日、そういう話題を口に出すことがなくなってきました。

「最近娘から煮付けの味付けを聞かれることがあります。我が家の味を教えながら、そういえば私も義母から教わりながら主人の口に合うように努力したことが思い出されました。そうやって親から子に子から孫に伝えていかれるんですよね」

 ……たしかに家庭の味はどんなスーパーやコンビニでも販売していません。

「食材はどこの家庭でもそんなに違いはないはずですが、お正月の『のっぺ』もそうです、同じ味にあったことがないですもの。百軒の家庭で百の味があるように思えます」
 家庭の数だけ味があります。でも近年その味がグルメという宣伝に負けて、同じものを買って食べるようになった気がします。
「手間を惜しんで美味しいものはできませんね。まして母の味はどんなに歳をとってもちゃんと覚えていますもの。お家の仏様もそうやって伝わっていければ本当はいいんですよね」

 ……人任せ(お寺)じゃなくて家族の中で伝えていく、そうあってほしいですね。

「私もそうですが旅行で神社やお寺にお参りしても観光ばかりで信仰が生まれてきません。もっと早くに学んでおけばよかったのにと思います。住職さんはやさしくお話してくれるんですが聴くあとからまた忘れるばかりで」

《仏法は若き時に学べ》と蓮如さんは教えられました。しかし遅すぎる始まりは無いと思います。また卒業もありません。家庭の味と共に仏法も滲みるように伝わって初めて我が身につくものかもしれません。
          【聞き手・同朋の会 推進員】

NO.67

  宮 本 雅 晴   さん       三条市 月岡
 ……ピンポーン『コンニチハ』
おやおや裸ん坊のお孫さんが一番にお出迎えです。


「9月になってもまだまだ熱いですね。この辺はほんとの新興住宅地、親との同居が珍しいんですよ。今年は春先から大変な年ですが私達も7年ほど前に水害を経験してから自宅が都市計画道路にかかり今の場所に越してきました。あまり思い出したくないことなんでしょうが、もう頭の中から記憶が薄くなりましたね」

 ……今年の夏もご心配でしたでしょう。

「多少は学習してますからね、車は一番に我が家よりは少し高い兄貴の家まで運びましたねハハハ。自分では忘れていると思っているんですがトラウマって言うんでしょうか大雨があるとまたダメかなって思います」

 ……今日はまた朝から9.11と3.11の特別番組がさかんに流れています。

「忘れちゃいけないことなんでしょうね。実際災難にあうと、今被災されておられる皆さんの気持ちがよくわかります。自分だけの力ではどうしようもないんですから。三条市にも南相馬市の皆さんがたくさん避難されていました。個人的には何もお手伝いはできなっかたのですが、辛く苦しい気持ちはよくわかります」

 ……三条の水害の時も身近にボランティアの皆さんを拝見して、まさに『有り難し』ですよね。

「普段はきっと経験できないことをボランティアの活動を通して学ぶことができるんでしょうか。私は支援してもらった立場ですが、お手伝いをされた皆さんが『どうもありがとうございました』といって帰られる話を聞いてジーンと来るものがありました」

 ……布施の心と同じですよね物品を含め差し上げた方がお礼の言葉を述べる。現在の私たちの生活とは真逆の心です。

「私は長い間肝炎を患っていました。水害の少し前にはほとんど肝機能が不全で肝臓移植しか治療方法がないと宣告されました。幸いに息子の肝臓を分けてもらいました。しかしそれも果たしてうまく機能するかどうかは未知の状態でした。
 運良くマッチしてくれたんでしょう、今日まで元気に過ごしていますから。その時も感じたんですが、普段は家族テンでバラバラな生活だと思っていたのが、一致団結をして事に当たっていたように思います。前号にも書いてありましたが災難にあわなければ分からないことがあると思います。進んであいたくはないですが、ひょっとしたら人生を送る上での必要条件かもしれません」

 ……中々他人の気持ちになれるということはできません自分の経験値でしか判断できませんから。

「しかし恐ろしいものでそんな辛い目にあっていたのにもかかわらず、今ではもう忘れてしまっているんですよ。そのくらい健康に近づいたのでしょうか、それともそろそろボケが?」

 ……お孫さんが住職と一緒にお正信偈のさわりを読む姿を見て、ほほえましいと語る宮本さん。

「幼い頃のしぐさは案外年をとっても覚えているんですよね。私は忘れるほうがたくさんになりましたが」

 
……振り返っているだけでは前には進めません。しかし何かにぶつかった時には、自ら経験してきたことと確かな知識の分しか超えられないように思います。
          【聞き手・同朋の会 推進員】

NO.66

  横 山 安 雄   さん       三条市 嘉坪川
「なんでも先日は、三条が日本で1番暑かったようで。つまらないことだけど、1番っていうのは気分がいいね。暑さも我慢ができるじゃない、ハハハ」

 ……2番じゃダメですかね。

「女子サッカー決勝も早起きしてみましたよ。ヤッパリ1番でしょう。震災後、暗い話題が続く中、久しぶりに心の中からうきうきしました」

 ……僕も見ていて何度も、もうだめかって思いました。


「女性が持っているパワーは、われわれ男とはぜんぜん違うよね。男はすぐに言い訳を先に考えて結果を見ているけれど、女性は一途だよね。そうじゃなかったらお嫁になんかこれないよ。だってまったく知らない人たちと一緒に生活をするんだよ。そうして最後は優勝さらっていくんだから・・・」

 ……ん。あっそうですね。

「女子力という言葉がさかんに使われているけれど社会を牽引していくのは現在は女性だね。昔の男は親、家族、地域、究極は国の為という使命感を持っていたんだけれど、今は金と女だけにそれをつかっちゃっているよなあ」

 ……拝金主義の末路でしょうか。

「平等の考え方も少しおかしいよ。なるほど均等に分け合うことかもしれないけれど、必要な人に配分できる心の融通性がもっとほしいね。僕はつるったぐりだけれど親から一生懸命育ててもらったご恩を感じると有形の財産より無形の財産のほうが、ずっとありがたいな」

 ……私たちはいったい何を相続していかなければいけないんでしょう。

「2年ほど前に息子を亡くし、本家を通して等運寺さんとのご縁が生まれたんだけれど、きっと息子は夢も希望も、やりたいことがいっぱいあったんだと思うな。そんな思いや可愛い子供達、奥さんを僕に任せていってくれたような気がするよ。子が親に命をくれたっていうか、生きる張り合いを僕に残してくれたと思う。だからいつも年だけはせがれよりも若くなっていなくてはと常に考えていますよ」

 ……2番目の子供さんは生まれて半年ばかりだったそうで。

「お嫁さんも偉いと思うな。北海道に自宅があったんだけれど、せがれの勤務地の鎌倉から、わざわざこんな田舎に越して来てくれたんだから。孫と一緒に住めるのもこれもまたご縁だよね」
「小さい時からお袋が私や兄達を後ろに座らせて、お内仏に朝晩おまいりをしていたおかげで、この年になってからも正信偈が素直に入ってきますよ。よくお坊さんの説教を聴いてすくわれたなんていいますが、心の中を他人から救ってもらうということはないと思います」

 ……救いを求めるのではなくて、自ら救いをみつける力を頂くのだとききます。

「すくわれることはあきらめや妥協と違います。もっと前に向かって歩きたいですね。女房に忘れることも大切よっていわれました。昔からオレが養ってきたとばかり思っていたのに、今ではすっかり心のケアを…」

 ……身近な人たちの言葉に素直に気づく心を持てる人は多くないと思います。

「『わが子を思う、息子の心を胸にしめ、共に歩まん、孫の行くすえ』
 人は歳月を重ねたのではなく夢と目標をなくした時が年をとったというんですね。まずは目指すは1番、結果は2番」

 『災難にあう時節にはあうがよく候』とはよく言ったものです。よけながら進むより立ち向かう気持ちが人生を明るくします。

          【聞き手・同朋の会 推進員】

つるったぐり
:(方言) 蔓をたぐり寄せて最後に採れるイモのこと。転じて「末っ子」の意。



NO.65

  米 持  允   さん       新飯田  東大通 
「どうにもならないことはどうにもならないんだよね。震災があってから1月半、いろいろと考えさせられる毎日ですね。 津波の映像を見るたびに、又生存者のコメントを聞くたび 生と死がまさに紙一重。学校から急いで自宅につれて帰られた子供さんが亡くなって、迎えに来られなかった生徒さんが助かる」

 ……昔聞いた話では戦地引揚者の輸送船と同じです。内地へ向かう船が魚雷で沈められ、乗り遅れてしまった人が助かった、そんなことを聞いています

「被災地の今の状況はまさに生まれてきた時と同じ、ちっぽけな自分の思いだけではどうしようもない。生かされている、生かされてきたとはこういうことかもしれません」

 ……何かしてあげたくてもそれもままならない私にできることは、せいぜい募金と節電くらい。

「でもこの人達がみごとに復興した時にはきっとやさしい人を思う気持ちがいっぱいの方が生まれると思いますよ」

 ……人生で不幸に会わないことが不幸ですといった人がいます。その涙の数だけ人はやさしくなれるのかもしれません。

「災難時もそうですが思いがけずに自分のことを思ってくれている人達がいたんだと気づく。妹が宮古市のほうで暮らして被災をしました。新飯田の同級生の方々からお見舞いを頂いたそうです。 遠く離れて何十年もあっていない皆さんと、震災を通してつながっていることを実感したと伝えてきました。お見舞いもありがたいけれど、自分のことを考えていてくれた人がいたということに、気持ちがいっぱいだったそうです。

 人とのつながりを実感する、日ごろ住職のお話をうかがっている私ですが、言葉より大切なものを学んだ気が致します」

 ……学んだ後から忘れ、又思い出しそして忘れ、その繰り返しです。

「常々思っていることは人生は死を受け入れる準備期間ではないかと。私も古希です。そろそろその覚悟を受け入れる年齢のような気がします。いろんな出来事を通してわかる生死、自分以外のものに翻ろうされずに生きていくことはぜったに不可能です。今考えると私の人生はすべて翻ろうされ続けて生きてきました」

「下の娘と本気になって口げんかをしたことがあります。小学生の時けがをして20年も過ぎた大晦日の日でした。私はその最後の言葉で『わずらわしくて手間もかかったけれども、お前と出会ってよかったよ』って。
 翌年のやはり大晦日の晩にその娘が『私は障害がなかったら今よりもっと悪い人生があったかも知れない。お父さんの子供でよかった』そんなこといってくれました。
 人のせいにするのはたやすいでしょうが私達はそうはいきません。供に歩むというのはきっとそんな言葉かもしれません」

 ……40年来の付き合いの中、普段よく存じている方の取材は気が進まないものですが、初めてあった人のようにすがすがしく取材ができ、米持さんのやさしさの秘密の一端をのぞいた気がしました。
 

          【取材・同朋の会 推進員】

NO.64

  仲 野 正 見  さん (新潟市 南区 新村 )

 「いよいよ今月から750回御遠忌法要が始まりますね。残念ながら、私は足の具合がかんばしくなくてお参りができないけれど、きっと本山は大変な人でしょうね」

 ……50年ごとの大事業ですよね。お参りできるチャンスも稀なことです。

「最近では家庭の年忌法要も縮小、間引く人が増えていると聞きます。いくら便利な時代になったからといっても人間と人間が顔をあわせて話をしなければ、だめんねろうか。

 死んでくれるもんがあるから、ご縁がある人たちがそこに集まることができるし。集まれば会話が生まれてくる。
 そうすれば、又いろんな人とわかり合える。おれも昔の人間だけれど、そうして生きてきたつもりだけど」

 ……今は人とのつながりをわずらわしく考えてしまう人達が増えているのかもしれません。

「今の人はきっとおっかないもんがいないのかも知れないの。小さい頃は父親が一番おっかねかったいね。そんな親父が毎日朝晩のお勤めは欠かさずにやっていたのをずうっと見てきました。何を読んでいたのかはわからねけれど、それが不思議らったいね」

 ……背中を見て育つとはこのことでしょうか。

「いやあ、おれはそんな真似できねえけれど、まあ一日一回お勤めするのが精一杯だね」

 ……正信偈だけではなくて阿弥陀経もお読みになるという仲野さん。

「先々代の智道住職さんを覚えていますが、酒が好きな人で、あの頃はきっと歩いてここまで来たんじゃないでしょうか。親父が座っていた場所を変わってまでお寺様を大事にして飲んでいたような気がしますね。まだまだのんびりとした時代、しかし、その頃のほうが人生の密度が濃かったかもしれません」

 ……今と違って情報の速さと量が違いますね。

「案外今は知らんだってもいいことを一杯聞かせられているように思えるのう。1世紀を生きる人もいっぱい出てきたし、御文の文句も変えなければならんかねえ」

 ……ハハハ『たれか百年のぎょうたいを…』ですか、

「ここの新村と道潟の老人会は、先に亡くなる人が出ると、1年1回みんなで集まってお寺様を囲んでお勤めする習慣があります。もうかれこれ120、30人の人達を送ったでしょう。大切にしていきたい習慣です」

「しかし今ふと思ったんだけれど、しかも長い間総代やら役員をしてきましたが、住職の法話を1回も聴いたことがないような気がするなあ。研修会や春秋の法要、報恩講など講師の先生は他から来た人ばかり、挨拶や短いお話はたくさんお聞きしてきたけれど。他のお寺に出かけて行かないと塚本住職さんの話は聞けねえかね、ハハハ」

 ……まさに灯台下暗しですね。僕もそういわれれば住職が講師をするお話を中々聴くことはないですね。せいぜいお通夜の法話くらいでしょうか。 

「いっぺん聞いてみたいのう、それから死んでいってもいいな」

 ……やはり同朋会の先輩の言葉は、ずしりと感じるものがありました。

          【取材・同朋の会 推進員】

NO.63

 金 子 千 春  さん (新潟市 西蒲区 潟浦新 )

 ……小春日和とは今日のような日をさすのかしら

「12月だというのにぜんぜん師走の感じがしませんね。僕は雪の情景が好きなんだけれどナア。それも雪かきがなければ最高なんだけれども」

 ……越後の宿命ですよ。これからの季節は本当に東京がうらやましくなります。誰かあの山を削ってくれないかしら

「でも寒くならないと蛸も沿岸に寄ってくれないし」

 ……つりが趣味なんですか?

「恥ずかしいけどけっこう好きなものがたくさんあるんですよ」

 ……オヤオヤそこに望遠鏡が顔を出しているじゃありませんか

「シー。大きな声を出さないで、又かみさんにしかられそうだからハハハ。やっぱ星空を眺めているといいですよね」

 ……年齢に似合わず(?)ロマンチストかな

「だって何千何万光年かなたからのお便りですもの。その星がもし望遠鏡で見えたならば今から何万年前の映像が映るんですよ。地球の歴史で言えば恐竜だって見えるかも」

 ……確かに宇宙を想像すると私たちの人生のちっぽけなことが分かります

「一説にはこの地球がある太陽系、その一群が天の川銀河。その銀河系の大きさを12Kmくらい、ちょうどここから弥彦山くらいでしょうかその天の川銀河の中で太陽系はたった2センチメートルだそうです。僕の指先に乗るほどくらい、でもその指先の端から端まで人間がとてもいけないんですから」

 ……うーん、そう考えるとなおさら私たちの日頃やっていることや考えていることがものすごくちっぽけなものになっちゃうな

「無数の仏様が連なる密教の曼荼羅の世界ですよね。科学的な道具が何もなかった頃からそんなことを想像した人たちがいたんですから」

 ……そんな世界観を持った人生がおくれるといいでしょうね

「夢は大きく天文所がほしいかなハハハ。現実は近くの山に行って少しでも暗いとこから覗いているのがせいぜいだけれど、
子供達には沢山の興味を持って育ってほしいですね 」

 ……そういえば命名札が下がっていますね

「ええ秋に3人目の子供が生まれてくれました」

 ……確か金子さんは等運寺当院さんと同じくらい?

「ちょっとだけ年上です。
小学生の頃『夏のつどい』に誘われて一緒に遊んだのを覚えています。でも不思議ですよね、その時に教えていただいた正信偈がまだ頭の中にあるんですから。とっくに忘れていたはずなのに、宇宙も不思議なことばかりですが僕の頭の中も分からないことばかりです」

「今月21日は是非皆さんも見てください。皆既月食が夕方ありますから。晴れてくれるといいですね」
 

 ……目を輝かせて教えてくれた金子さんはまさに《Boys》そのものでした。
 できればいくつになってもその心を持ち続けたいと思いながら知らないうちに帰りの車の中は城達也のジェットストリームが流れていました。

          【取材・同朋の会 推進員】

NO.62

 安 藤 克 美  さん (新飯田  古町 )

「私よりも主人のほうがいいんじゃないんですか? だって本当にお話しするようなことがないんですもの」

 ……いやいや女性の取材というだけで僕はどこへでも出かけますよ、ハハハ

「だって義母の代わりといってはなんですが、今までやっていたことをちょっとまねをして住職様の後ろに座っていただけなんですよ。
 それがいつの間にかというか、強引にこのお経の本を勧められて、まさか断るわけにもいかないもんですから、小さな声で少しづつついて言ってるだけなんですよ」

 ……ヘッヘッヘ悪い道?に引き込まれましたね。その仲間に僕もいますがね

「だってお仏壇の飾り方も知らないし、この前も言われてやっと前掛けのようなものをはずしたんですよ」

 ……前掛け? ああ打敷ですね。あれは年忌法要や報恩講など特別の時だけですね

「ウチシキっていうんですか。ああ恥ずかしい、だから取材は嫌だっていったんですよ」

 ……分からないことが恥ずかしいのではなくて、分からないままにしておくことが恥ずかしいことだと思います。僕もついつい知ったかぶりをしてしまうことが沢山ありますが。

「でも知らないことだらけだから、その区別もつけられないんですよ。お飾りの仕方も正信偈の本にも書いてあるようなんですが、ご住職がこられた時だけはひろげるんですが、後は暇があってもあんまり開くこともなくて。だってまだ興味がわかないんですもの」

 ……正直な方ですね。でもその気持ちを大切に、そうしてなんでも住職に質問してやってください。

「聞いてみたいことはあっても、中々どう聞いていいのか分かりません。それにお参りにお願いしている日がほかの皆さんと沢山ダブっているらしくて、あまり長居をしていただけないみたいですから」

 ……それはちょっと困りましたね。住職も忙しいことは違いがないんですがせっかくのチャンスを見逃してしまっては。

「いやそんなつもりではないんですよ。そんなこといわないでくださいね、一生懸命だと思われるといけないから」

 ……わかりました。住職には絶対言いません。活動的に見える克美さんですが?


「ん〜ん、なまけもの。趣味らしい趣味もあまりないし、ここのところ楽しみといえば同級生のお友達四〜五人で時々お昼を誘い合うことぐらいかしら。どこか美味しいお店ありませんか?」

 ……それこそ住職に聞いてくださいよ。きっと沢山のお店を教えて頂けるはずです。

「そんなこと聞けるはずないじゃないですか、ハハハ」

私達が最初に持っていたそのままの心を久しぶりに聞くことができました。真宗において帰れ帰れの言葉が安藤さんを通して伝わりました。

                 【取材・同朋の会 推進員】

NO.61

 森 山 達 栄  さん (新飯田 館 )

 ……現在の職場にお勤めをして早60年あまり。長寿社会といえ考えられないパワー、その源は?

「そんなたいそうな事ではないですよ。ただ、今の仕事が性に合っていたのかな。学校を卒業して戦後入社を勧められた時は、自分の親父と会社の社長と、2人の親父をもった気持ちで働きましたね」

「中学生の頃は、ラジオ通信や写真に興味がありましたから、隠れてそんな勉強ばかりしていたような気がします」

 ……ラジオ通信っていうとアマチュア無線?

「ああそうですね。通信教育で資格を取って自分で真空管を組み立てて、針金と竹の柱でアンテナを張って、顔も知らない人との会話がとても魅力的でした。現在では一人一人が携帯電話を持っているから、私が感じたようなことはもう時代遅れでしょうね、ハハハ」

 ……僕もアマチュア無線の資格を持っていましたから、その気持ちは十分わかります。

「カメラもいじったことがありますが、自分で暗室の中で現像までするのが楽しかったですよ。タダ勉強しないで先生や親にしかられていましたから。そうそう勉強って言うと、新飯田の町の友人の家に上がりこんでやったことが懐かしく思い出されますね」

「そんな私の隠れた能力を、先代の社長が見つけてくれたんでしょうか。最初は工場とお店での電気製品修理をさせられましたね。でも人間二つのことはなかなか無理です。お店の方の仕事は断って工場一筋にお願いをしました」
「もともと物作りをする職人肌ではなかったんでしょうね。沢山の人と話をしたり、若い人たちと会話をしながら一緒に歩んでゆくのが夢で、かっこいい言い方をすれば『対話を通して人の育成』とでもいうんでしょうか。そんな仕事が好きでしたね」

「でも、私ももう歳をとってしまいました。会社の中も社会も、昔のような考え方では中々うまくいかなくなりました。ただ若い社員の皆さんには、仕事にほれてやってほしいと思っています。それが長く勤める結果なのかもしれませんね」

 ……家の仕事と会社勤めの二股の毎日いくらなんでも大変でしょう

「畑の仕事は、私の健康の基。皆さんに怒られるかもしれませんが、趣味の農業にしています。でも、さすがにのんびりと旅がしてみたいなあって最近思うようになりました。勤めはありがたいけれど、長すぎるとあきれられるかもね」

 ……8年ほど前に亡くなられた奥様の命日には、必ずおつとめをされるとか

「その日だけではないんですが、ただ最近は喜怒哀楽というのか、自分の感情がおつとめに出てしまうことがありますね」

 ……等運寺先代住職からのお正信偈の読み方も、現住職からテープを頂いて再出発の森山さん。どこまでも独学の歩み方には一徹した人生観が感じられました。
         【取材・同朋の会 推進員】

NO.60

 斎 藤 友 子  さん (燕市 新生町 )

「私はまだ等運寺さんにお墓がないんだけれど、それどもいいんですか?」

 ……この取材は一切関係ありません。それにお寺さんは高級クラブのような会員制度にはなっていませんから、ハハハ。

「昨年5月に主人が亡くなってから、縁あって寺報はいただいて読んではいるんですが、このページに出てくる人は皆さんベテランばっかりかと思っていましたのに」

 ……油断できませんね、特に塚本住職さんは。

「でも、お寺のことは何にも分からないんですよ。
正信偈は、たまたま趣味の活動で重連寺さん(燕市関崎)に出会い、研修会のお朝事で教わったのがきっかけなんですが、そんなうろ覚えでも何とか小さな声で、お内仏にむかう時があります」

 ……僕でもやれないことを。それじゃ斎藤さんは立派に権利がありますね。

「気休めかもしれないんですが、ちょっとほっとするんですよ」

 ……大切な人が亡くなってからこそ、手を合わせるご縁が生まれましたね。

「そうですね。それまでは人事かとばっかり思っていたんですもの。今まで以上に主人を思う気持ちが強くなっています」

 ……死をもって死者が生まれるということを読んだことがあります。


「本当ですね。元気でいればまだ毎日けんかをしていたかもしれないけれど、もうここにいないと思うと、よけいに主人からのメッセージが聞こえてきます。言い足りなかったこと、もっとやりたかったこと等、きっとこんなふうに言ったよねって長男に話しかける時がありますね」

「主人はきっと臆病だったんですよ。アレだけ体に気をつけてねって言っても、なかなかお医者さんには行かずに。だから言ってやったことがありました。『ぽっくり死ぬのはいいけれど、寝たきりになるナネ、私が困るんだから』まさか本当になるなんて」

 ……誰でも死ぬのが一番怖いですから、なるべく死を考えないように毎日暮らしています。

「お医者さんで病気を見つけられるのが怖かったんでしょうか。それとも好きなタバコをとめられるのが嫌だったんでしょうかしら。越してきた頃は、まだこの店から電鉄小中川駅が丸見えだった40年前から、ずーっと苦労を共にして暮らしてきましたが、今くらい主人を心に思うことはないみたい、おかしいですね」

 ……レクダンスをはじめ趣味の域を越して、今ではたくさんの教室を主宰している友子さん。

「この一年間は、そんな活動の友人や生徒さんの声に支えられて、やっと生きてきたような気がします。お金では買えないことや、自分の力だけではどうにもならないことが解りました。
 残念だけれど、絶望のそこに落ちてみて、はじめて気づくことが沢山ありました」

 ……涙を流した数だけ他人の心が分かり合えるのかもしれません。極楽浄土があればきっと地獄の一番底にあるんでしょう                    【取材・同朋の会 推進員】

NO.59

 塩 原  清 さん (新飯田 上吉上 )
「今年はどうなったんでしょう。こう寒くては農家もあがったりらね」

 ……いつもの年であれば、もう今頃は桃の花に梨の花が満開なのに。

「異常気象って言うけれど、こんなこともそうないね。私も50を過ぎたから、仕事していても遊んでいても根気が続かなくなって。今年の天気みたいに、かんたんに元へ戻らないなあ、ハハハ」

 ……日本中で大変ですよ、特に農産物は。

「勤め仕事が優先になっちゃって、中々農家一本では難しい世の中ですから。便利な世の中にはなったんでしょうが、その便利さが当たり前になっちゃて、その生活を維持していくのにかえって大変ですよ。
 何のための仕事なのか、何のために稼いでいるのか、ちょっと情けなくなります、ホント」

 ……まだ50の人がそんなことではいけませんねえ。

「でも実際この年齢の人たちが一番大変でしょう。親父達からのいい時代の思いも知っているし、かといって、まだまだ子供達の将来を案じなければいけないし、年金暮らしにはまだ早いし、ハハハ。真剣に考えれば考えるほど眠れなくなりそうですよ」

 ……僕はちゃらんぽらんだから。でも分かります。

「ウッスラうまく生きていればいいんだけれど、もって生まれた人間の性分で、そうもいかない時があるんだよねえ」

 ……なっとく。でもこれから若者達はどうなるんでしょう。

「わからんねえ。友達同士ではうまくやっているようだけど、人との付き合い方が苦手なようだもの。
 大勢の人達と何かを成し遂げるという喜びが無いのかもしれないね。もっとも今の社会がそうなってきていますがねえ。他人のことは言われない自分自身がそれに染まっちゃているんだけれど」

 ……誰でもその気持ちはあるんだけれど、中々表面に出さなくなりました。

 「近頃、特に『人並み』なんて言葉に踊らされて、身の丈以上の事をしていることがくやしいんです。4年前に親父がなくなった時は、ご住職に相談しながら、自分なりに考えたとおりに見送ったんです。
 その三回忌の時は、さらに輪をかけて、お参りにおいでになる皆さんには『香料はケッコウデス、できたら志だけを』ってお願いをしてやったんです」

 ……それはまた思い切ったことを。

「お客様に連続で負担して頂くのが心苦しくて、もっとも、お斎も無かったんですが、ハハハ。
 批判もきっとあったとは思うんですが、悔いは無いですね。それが七回忌を前に『人並み』で心が揺れてます」

 ……やってしまったことは反省として残るけれど、やらなかったことは後悔として残ります。反省は次回のステップになりますが、後悔は人生の心の障害となるかもしれません。
 僕も塩原さんの心意気を頂いて、法要の時には『ケッコウデス』を是非使ってみたいなあ。
               
          【取材・同朋の会 推進員】

NO.58

 本 間  淳 さん (加茂市 上町 )
 「何故なんでしょう。小さい頃のことは鮮明に覚えていることができるんでしょうかね」

 ……不思議なくらいその光景だけが浮かんできます。

「小さい頃から体だけはなぜかしら丈夫な子で、頭のほうはあんまり見たいでハハハ。だけど兄弟の中で風邪をひいたりするのがでると、じいちゃん(父)がその子にだけ一生懸命くず湯を作ってくれるんですよ。私はそれがとってもほしかったんだけれど…。でもたった1回でした、それを食べられたのは。今でもその味は忘れられません」

 ……思い出の味ですね。

「今でもくず湯を見るとそのときのことがジーンと浮かんできます」
「逆に一箱ずつ買ってきたホッケは、嫌になるまで食べさせられたから今でも嫌いですよ。もうこんな歳になったんだからそんなこと忘れてしまっても良いのにね」

 ……まだまだハツラツじゃないですか。

「ダメ!(小さい声で)古希なの、もうすぐ」

 ……ゲゲ、お話をしていると、声も話題も還暦前の現役ですよ。

「またうれしいことを言ってくれて。でも主人が亡くなって、もっといろんなことがやれるのかと思っていたんだけれど、案外できないんですよね。それにだんだんと欲しい物がなくなってきちゃって。2人でいた頃はホントに楽しかったわ」

 ……留まることなくご主人の話が、よほど愛しておられたんですね。

「主人が亡くなる何年か前でしたよ。可愛がっていた犬が具合が悪くなり、獣医院まで私が連れて行った時、私の両腕の中で最後の息を引き取りました。なぜか涙がいっぱい出たんです。そのとき主人に『あなたの時はこんなに泣かないわよねえ』なんて強がりを言って笑ったんだけれど、ヤッパリそんなわけにはいかなかったわ」

 ……当然です。ご主人と犬は違います。

「そんな冗談を言える中で『死ぬときは、お前にアリガトウって言って死ぬよ』そんなことを言ってくれたんですよ。そんな日がすぐにやってくるとは思いもしなかったけれど。残念ながらその最後の言葉はなかったけれど、でも私にはそれが聞こえました」
「昔からまったくの方向音痴の私をここまで手を引いてきてくれた主人とたくさんのお友達に感謝してます」

 ……ちょっぴり辛党の淳さん、ウェットにとんだお話も…。

「四十九陰の礼参の時に、あの若い(?)住職さんが、雨降りの傘の中で私の肩をぎゅっと…」
「でも、お寺の玄関に入るやいなや『さよなら、気をつけて』って、送迎のバスに返されましたわ、ハハハ」。

 ……誰もがペルソナをつけての人生の中でこんなにも自分の心に忠実に歩んでこられたお話に僕の心に久しぶりに痛快な青空が広がりました。
                 
          【取材・同朋の会 推進員】

NO.57

 白 野 邦 子 さん (新飯田 川前 )
  「ようやく素敵な50代に突入しています」

 ……女性に歳の話から始まるのは、いかがなものかと思いましたが?

「ぜんぜん。こんな事いうと笑われるかもしれませんが、今まで生きてきた中で、この年齢が一番輝いているような気がします。昔はからだらだらとした生活だったけど、なんかやっと分かって来たような感じ《きづくのが遅い》って言われそうだけど、ハハハ」

 ……さまざまな経験が蓄積されているんでしょうね。

「若いときは必死になって動いていたけれど、最近はちょっと考えるようになったのかな。経験がものをいうことかもしれないけれど、まだまだ足りないし、これからももっと沢山体験していかなければね。キザな言い方をすれば『世間に対して呼吸しやすくなった』ってとこでしょうか」

 ……私達が求めている幸せ感などというのは、象がワイングラスの上に逆立ちしているくらい危ういものなんでしょうね。

「なるほどそうですよね。
自分では一生懸命守っているつもりの家族や財産や目に見えるもの、手に取れるものはきっとそのグラスぐらいなんでしょう」

 ……子供さんからいろんなことを学んでいるという邦子さん。

「私は、自分から望んで両親から生まれてきたように思っているんです。選んで生まれてきたからこそ、人生にも責任があると、そして子供たちも私を選んで生まれてきてくれたんだなって。
 私を育ててくれたのは実は子供たちだったんです。だからどんなことがあっても逃げちゃいけないし、きちんと向き合ってやっていこうと思うようになりました」

 ……山あり谷あり起伏のとんだ人生、しかし困難に出会った時は、中々正面から取り組むのはできそうでできないものですよ。

「人のせいにするのは簡単だけれど、きっとそれはまだ問題点が残っているからでしょうね、その宿題を解くのがこの歳かなって思います。社会的にも当てにされる年齢であり、若い時と違った面白さが見えてきましたね」

 ……僕にはまだまだ欲が離れないんですよ。

「それは私も。でも人を信じることが少しできるようになってきました。それは結果を期待していることではなくて、とりあえずこの私の話を聞いていただいたということに、素直に心から『ありがとう』って思うようになりましたね」

「この頃考えるんですが『学ぶために人生がある』。けれど、学ぶには悩みや苦しみ挫折という材料がなければ学べないんだなって。ありすぎるのも困りものだけれど、その材料のおかげで今の私があるのかなって」

 ……同年代の私ではとてもたじたじ、でも前をしっかり向いての姿は脱帽。



「最後に若い人達に一言 、早く50においでよ」

              【取材・同朋の会 推進員】

NO.56

 安 藤 マ ツ エ さん (西蒲区 潟浦新 )
  ……中之口地区文化祭の出品にお忙しかった安藤さんを、やっと捕まえることができました。

「習い事の生け花はどこへ行ってもできると思い、ここに引っ越してからもまだやってます。何年やってもさっぱり上手にならんけど、このぐらいでちょうどいいろかね」

 ……まだ意欲満々じゃないですか。

「昔からわりとなんでも顔出して、主人にも負けないくらい稼いできましたね、ハハハ」

 ……そういえば、今でも移動はマイカーですよね。

「はずかあしいねぇ、免許を取ってからもう50年ほど乗ってますね。一番最初はスクーターに乗って、上の子供をおんぶして配達したこともあったし、それから軽自動車免許に切り替わって、最後は普通車まで。今の人たちはわからねかも知れませんが、自動的に上の車に乗ることができました」

 ……車がまだそんなになかった時代に、よくご主人も乗せてくれましたね。

「プロパンガスをやっと家庭に使ってもらい始めた頃でした。新飯田はもとより、近郷にまで足を運んで配達がありましたから、その頃ひょんなことから田上町のほうに縁があって、しかも沢山の人からお客さんになってもらいました」
「まだ普通の家ではガスボンベひとつを4〜5ヶ月かけて使ってもらっていた頃です。そこでは きっと町に勤めていたお客さん達でしょうね、1月に1本ぐらいずつ買ってもらったことを覚えています。

 それより、家の中からオルガンの音が聞こえる家が何軒もあったのにはホントにたまげました。新飯田の市日でも、グローブのようなバナナなんかはめったに見られなかったのに、八百屋さんがリヤカーに乗せて運んでいたんだいね。私も早く子供にこんなの食べさせてやりたいなあとつくづく思いました」 

 ……昭和オールウェイズそのものですね。

「その頃使っていたミゼットが、またよく故障ばっかりして、特に冬場は三輪車だから轍にはまってずい分ナンギしましたね」
「でもその故障のおかげでしょう、近所の車に明るい人から色々聞かせてもらって、普通免許移行の構造のテストは一発で合格。あれは儲けもんでした」
 男勝りの興味ですね。どちらかというとメカには弱いのは女性と相場が決まっているのに。
「きっと商売が好きだったんでしょう。いろんなことやってきましたが、やはり時勢を見て変えていかないとだめですね」

 ……亡くなったご主人は考えどおり早くに息子たちにバトンをタッチ。

「昔、みじかな人に言われましたが、『次の人を育てるには手や口を出したいが、出さずにじっと我慢するのが一番大事』中々それができないんですよね、ホント」

 ……今でも貫禄十分なビッグママそのものでした。

              【取材・同朋の会 推進員】

NO.55

 金 子   隆 さん (南区 東高井 )
 「久しぶりですね、新飯田を離れて、もう20年になりますよ」
 もうそんなになりましたか。これじゃお互いに年をとるわけだ。
「めったに新飯田も通らないけれど、なんか懐かしくなりましたよね。姉や兄貴が県外に暮らしているから、時々帰ってくると、なおさらみたいですよ」

 ……僕は生まれてこの方、新飯田を離れたことがないからわからないけれど、迎えてくれるふるさとがあるというのは、いいもんですよね。

「今まではがむしゃらに暮らしていたから感じなかったけれど、少しずつわかる歳になったみたいですね。末っ子の僕が家のあととりになり、親父がなくなって3年、1周忌、3回忌と、お寺の本堂をお借りして勤めているうちに、ご住職に勧められるまま正信偈の本を開くようになっちゃって」

 ……いいご縁をいただきましたね。身近な方々の死を通してじゃないと、なかなか気づかないことが沢山あります。

「幼い頃から、『仏壇にご飯上げないうちから飯食うもんじゃねえ』と親父に怒られてきたことが、今頃になって頭の中を駆け巡っています。知らず知らずの内に、そんなしぐさを真似している自分が不思議ですよ」

 ……家々の伝統として伝えられていたことが、知らないうちに身についているんですね。

「人生は、決められたレールの上にあるものだと長い間思っていましたが、最近はひょっとしたらそうじゃないかも知れないなんて考えるときがあります。会社で若い人たちと話をしていると、どうも自分が歩んできた道や、自分が今まで言ってきたことと、同じことが繰り返されているんですね。
 ただ、最近それが言い訳に聞こえてくるようになっちゃったんです。話をしていて、聞き苦しくなったとたん、僕もずーっと長い間同じ事を言ってきたんだと気づきましたよ」

 ……私は、今でも言い訳を先に考えてから物事をしているかな?

「やったことに対して、言い訳をしない自分を見つけ出すことが、本当の歩みのような気がします。あやまちは沢山ありますが、できれば繰り返さないことが大切なのかもしれませんね。 
 部下を持ってわかること、親となってわかること、大切な人が亡くなって初めてわかること。これからもまだまだ発見があります。
 仕事柄、大勢のお客様と接してきましたが、僕が立派な経歴をもっていないせいもありますが、肩書きや名声で左右されないお付き合いを目指していきたいと思いますね」

 ……本物を見る目を持つということは、なかなか難しいことのようですが、案外身近な所にあるようです。

              【取材・同朋の会 推進員】

NO.54

 星 井 美 好 さん (新飯田 古町 )
 「しかし不思議ですよねぇ。おんなじ生物なのに、なんで人間は殺すと罪になるし、動物は怒られないんでしょうね」
「しかも私たちは、命あるものを殺して食べなければ絶対に生きてはいけないんですもの」

 ……人間のわがままでしょうか? 自分勝手な都合ばかりでしょうか。

「同じ生物でも、動物はまだ良いほうかもしれません。声も出せなくて、ただ一生懸命に生きている植物にも、みんな命があるのにね」

 ……ホント考え始めると、きりがなくなっちゃう。

「いずれにしても残酷な話ですよね。でも1年に1回くらい真剣にこんなことを考えるのも必要なことですよね」

 ……まさか、水族館でおいしそうな刺身が泳いでいるともいえないなあ。

「今日はどうしたんでしょう。普段は絶対にこんな話しはしないけれど、まさか、皆既日食のせい? ちょっと私の頭変なんでしょうかしら、ハハハ」

 ……普段から思っていることや考えている事を、口に出して言うことには中々抵抗があります。

「実はこのタイトルにある『お正信偈を・・』、本当はあんまり読んでないんです。後ろで聞いているのは好きなんだけれど、コレハカカナイデ」

 ……正直な人ですねえ。

「イイエ、私くらいうそつきはいないと思うわ。考えていることと行動することが、ぜんぜん反対なんですもの」

 ……真面目に勤めることはすばらしいと思います。「人間である以上、どうしても二面性があって良いような気がします。それが生きていくうえでの知恵のように」
 人生の処世術ってやつですね。

「かわいそうだなっと思いながら、それを食べなければ生きていけないように。だけど、できれば時々、その食べ物の命の声を思い出せればいいよね」

「昨年から新潟日報で連載されている『親鸞』を読んでいます。登場人物の名前が難しい漢字がいっぱいで、頭になかなか入らないんですが、とっても人間くさい親鸞さんが描かれていて私好きです」

 ……小説だからうまく書いてあるのでしょうか。

「でも実在する人物を、それも宗祖といわれる人。五木寛之さんもたくさんのことを調べられた後での文章だと思いますが、自分の心に忠実に生きていく姿が感動的です」

 ……どういうきっかけであれ、興味を持って頂けることはうれしいことです。

「昔から、どんな人たちも自分の心に忠実に生きていくことが、いかに難しいかがわかりますね」

 はるか遠い宇宙のいとなみが、私たちの想像を超えて、今、目の前に現れても、今日の私の生活は変わることはありません。昔も今も、これからも…。

              【取材・同朋の会 推進員】

NO.53

 金 子 チ イ さん (新飯田 砂原 )
 …… 『夏も近づく八十八夜』
1年の中でも、生物全部が一番輝いて見える季節になりました。


「おれみたいなババでも用事が足りるんだかね?この頃、なんでも忘れっぽくなってしもうてさ」

 ……若いころから苦労して家庭を守り、家を支えてきた金子さん。

「高等科(小学校高学年)卒業して、まもなく近所で口を利いてくれる人があってサ、燕のキセル工場に8年勤めさせてもろうて、ナンギかったろも一番面白かったろかね」

 ……まだ燕でキセル鍛冶がいる時代からの勤め人とは、まさに生き証人だな。

「やめてからは、小さいころから父親の言葉を覚えていてて、手に職をつけていたほうが良いと思い、新潟まで洋裁を習いに行きました。そのおかげで新飯田の市日に一荷担ぎの店を出して30年、今考えるとガムシャラに走ってきたみたいらね。今でも忘れらんねけど初めて店出した時はものすごく恥ずかしかったねえ」

 ……新飯田の市日を、売り手の目線で語れる人は数少なくなりました。

「横町は食べ物屋でごった返していたし、中町から下町までは、両側の雁木の中で衣類やら雑貨やらの店が何十軒も商売していましたね。特に新飯田の市日は朝早くて、夏なんかは、まだウス暗いうちからお客さんがいた時がありましたよ」

「そのせいで、市の日は私も4時ころから起きて家族のご飯をして、さっさと出かけていきました。今と違って、どこの家でも家族中まめに働いていた時代でしたからね」

…… お内仏を拝見すると、ずいぶんと古い形式のものが?

「私が嫁に来てから姑親がどこからか求めてきたみたいですよ。恥ずかしいくらい古くなってしまったんですが。せがれは何かの機会に新しいものと考えているようですが」

 ……しかし、中のお給仕はどなたが?

「ずうっと長い間ほとんど私がやってきました」 

 ……拝見すると、真宗の教えのとおりになっているではありませんか。

「ああこれは私が何でも知識がないもんですから前の住職さんにいろんなこと聞いて、そのとおりにしているだけですよ」 

 ……いろいろなお宅にお邪魔をしますが、年配の方がお給仕しているお内仏は、中にいろんなものが入っています。


「写真やらは茶箪笥の上に移しましたし、はじめは打敷きもかけっぱなしでしたが、普段は用事がないといわれたのでそれも片付けました」 

 ……たぶん等運寺さんの檀家の中でも、ここまでやっておられる方は数少ないでしょう。当たり前のことを中々できない私達、それを苦もなくやってのける金子さんはまさに人生の八十八夜でしょうか。


              【取材・同朋の会 推進員】

NO.52

 北 村 良 博 さん (新飯田 砂原 )
  「2万円は、何時もらえるろうかね」

 ……?? ああ例の定額給付金ですね、びっくりした。僕が借金をしてるかと思った。

「いやあ、しかもよっぱら生きたみたいだろも、まだまだ欲が離んねえみたいらの、おホホホ」

 ……いやあ、頂ける物はしっかりと頂ましょうよ。

「65歳で勤めをやめて15年になるけれど、ナンギこともいっぱいあったが、まあいい時期に仕事をしていたね」

 ……そんな年齢だったんですか。まだ70そこそこかと思いましたよ。

「今は仕事したくても働くところがないし、あっても1週間で3日も4日も休まされる。公務員や大企業みたいに月給の人はいいけれど、まだこの辺は日給月給の人もいっぱいいるはずらて」

 ……日給月給って?

「おめさん知らんかのォ。1日稼いだ分を1月まとめてもらうだけ、休めばその分は減っている。昔は社長以外はみんなそうらったと思うイネ」 

「学校を終わってからしばらく農業手伝って、それから燕の洋食器製造会社に就職して、確かあのころ1日の稼ぎが300円くらいだったな。それでも寒い冬なんかは外仕事の人よりはいいと思って」

 ……昭和の30年ころはまだそんなだったんですね

「勤め始めたころはまだ田んぼも少しやっていたもんだから、春、秋の時期は保険やら税金を引かれると1000円ももらえない月もあったなあ」
「あのころの燕は町中が景気がよくて毎日の残業は当たり前、納期が迫ってくると、夕方6時ころ出前のラーメンを食べさせてもらって、12時ころ夜食が出て、朝の5時まで仕事をしていたこともあったんですよ」 

 ……今だったら労働基準局に一発に怒られそう。

「どこの会社でも、当たり前のようにして忙しかったね。今の高級官僚の言葉じゃないけど、わずかな賃金の差で工場の『渡り』をしている人も結構いましたね。おれはそういう能力もなかったから、ひとつの会社で過ごしたけれど」
「まあそのおかげじゃないけど、年金をもらい始めた時は難しいことはなく、あの社保庁にはあんまりお世話にはならなかったんですよ、ハハハ」

 ……今でも車の運転は現役の北村さん、40を過ぎてからの免許取得と、

「通勤で車はいらなかったし、仕事でもあんまり用はなかったから。でも時代とともに親方(社長)に進められて確か正味の20日間ほどで卒業」

 ……まだいい時代でしたね。

「おかげさまで、今が一番いいな。健康と話し合える仲間と少しの酒と、これでオメさんが来なければもっといかったんだいねハハハ」

 ……やっぱり、いよいよ僕も引き際かな ! 

              【取材・同朋の会 推進員】

NO.51

 知野 一恵 さん (新飯田 横町 )
  ……歳の瀬も迫る貴重な時間をいただきました。

「ついこの間、義妹の取材を受けたので、絶対に生きているうちは我が家には来ないと思っていたのに」

 ……この取材の対象はお家単位じゃないんですよ。お正信偈は個人でお勤めをするものですから ハイ

「お断りしたのに」

 ……じゃあ原稿をお書きくだされば?

「…それはもっとだめ。私は今までの人達と違って、ものすごく平凡な人生を送っているんですから、お話をする事なんか見当たりませんわ。主人や亡くなったお父さんと違って、一つの事を一生懸命続けてやるような性格でもないし。以前も健康にいいかなっと思ってやっていたウォーキングも、今はしていないし」

 ……それはやめたんじゃなくって、休んでいるだけでしょ? 長期に。

「…まあ、そういえばそうかも、ハハハ」

 ……一つの事を長く続けていくのは難儀な事ですよ。

「よほど好きなことじゃなければ絶対に続かないと思います」
「それによく聞かれるんですけど、『生きがいは何ですか』って言われても答えようがないんですよ」

 ……むずかしいですね。私なんかは、昨日と今日と明日で全部違うような気がする。

「でしょう、やる事はいっぱいあるんですが、これといって気持をこめて取り組んでいるわけじゃないし、それに一つの事だけにきめてしまうような人生を歩んでいるわけじゃないですし、過ぎてみてあの時はこんな事に夢中だったんだなっと思うことがあれば、きっとそれがその時の『生きがい』なのかもしれません」

 ……言われてみれば案外そうですね。

「小さなことでも目標を持って歩むことがあればそれを生きがいといえるんでしょうけれど、私はそういうのが決められないんですよ。きっとナマケモノだからネ」

 ……確かに私たちの暮らしは、本に書いてあるようなぴりぴりとした人生は送っていませんね。

「だから取材を受けたくなかったんです。ハハハ」

 ……月忌のお参りには、お義母さんと、時にはご主人の3人でお勤めをされると聞きました。

「おかげさまで、門前の小僧じゃないですが、少しずつ読めるようになってきました。またどんなことでもお聞きするようにしています。ご住職さんにはいろんなことを教えていただいてます」

 ……お話しすることは大変いいことです。思っていることや考えている事を口に出すことによって、自らが考えている自分と違った自分をそこに発見する事ができます。
 蓮如さんも『物を いえいえと仰せられ候・・』と

              【取材・同朋の会 推進員】

NO.50

 関 根 豊 平 さん (新飯田 古町 )
『同朋会と共に 50年』  取材50人目 記念特集 !
 【創成期】

 何の抵抗もなく、ただ当たり前のようにお内仏の前に手を合わせていたのは、小さい頃から両親に誘われたお蔭だと思います。昔はみんなそうでした。ただただ、ナンマンダブ、ナンマンダブ。ほとんどの人たちがそうであったように、その家庭の中で伝わってきた、ただそれだけのことでした。

 戦地満州から帰ってきたのが、昭和17年でした。まだまだ戦争が始まったばかり。同級生たちが再度の召集で出兵する中、私もすぐにまた戦地へという覚悟でしたが、近所の人に誘われるまま「電鉄」に勤めたのでした。 当時はまだ車の少ない時代で、電車は一番の交通手段です。戦後もしばらくの間は、電鉄の華やかな時代が続きました。

 「兵隊に行きたかった。早く行きたかった」。当時は少し後ろめたい気持ちで一杯でした。あとでわかったことでしたが、役場兵事係が、私の帰還届けをしていなかったとのこと。それがわかったのは、昭和20年7月、戦争も終わりのころでした。

 平和な時代がやってきても、私の生活は今までと同じ。その頃、お寺にお参りするのは『寺お講』か『報恩講』くらいでした。そんな中、「せっかくお参りしているんだから、正信偈くらいは読みたいのォ」と、数名の人たちの呼びかけで、当時の塚本智教当院(前住職)にお願いをしたのが、昭和29年、まだ、現住職は生まれたばかりの頃でした。

 正式には、昭和31年3月、町部31名、村部10名ほどで、『お経会』がスタートいたしました。私が所属していた町部は、月1回の集まりで、毎月10日。宿は全員の持ち回りでした。
 今でも思いますが、しばらくの間は、男は私一人。気恥ずかしい気持ちもありましたが、「老若男女を問わず」の教えもあり、先生である智教当院とともに勇気を出して出かけました。「キ・ミョウ・ム・リョウ・ジュ・ニョ・ライ…」。電車の通勤途中でも、ぶつぶつと頭の中で称えながら通ったことがなつかしいです。

 昭和36年に同朋会の結成を本山からうながされました。「そんな名前に変えると、何をさせらるかわからねぇ」。そんな意見のある中、しばらくは「お経会」のままの活動でした。

 昭和42年5月、ようやく『等運寺同朋会』が結成(改称)されました。集会は、夜7時から9時まで、時には村同朋会の方が参加されることもありました。
 そのころの一番の楽しみは、年一回の旅行でした。月々に貯金をして、5名ほどの連絡員が幹事になり、町・村同朋会合同で、40名ほどの参加者がありました。時には、同朋会員以外の参加もあり、和気あいあいの中、さらに活性化されたように思います。

 私は会計をしておりましたのでわかったのですが、当時は今では信じられないくらい預金利子が高く、前住職へのお礼は、それでまかなうことができました。また、添乗員ということで、サービスしていただいたことも度々ありました。
 旅行先は、京都本山はもとより、関東方面にも度々足を運び、愉快な思い出として今でも思い出します。そんな旅行も、昭和60年過ぎまで続いたでしょうか。

 その間、昭和47年には同朋の会青壮年部、潟浦同朋の会が結成され、等運寺同朋の会は、4組にもなりました。そのおかげか、昭和50年に、ついに全国表彰のご褒美をいただくことができました。前住職のひたむきな姿勢と、会員の熱き思いが実った成果と思います。

 長い間、活動を続けられた要因の一つに、当時は会員が亡くなると、家族が代わりに会員になってくれたことが、大変大きかったと思います。おばあちゃんの代わりにおじいちゃん。あるいはお父さん、お母さんと、切れ間なく参加者がありました。所属寺や宗派も超えて会員になってくれました。分けへだてなくお話しを聞こう。それは同朋会の大切な目的でもありました。

  25周年記念同朋大会(昭和55年)左端が関根さん、右端に現住職

【活動と出会い】

 今日までの私の足跡は、決して特別のものと思っていません。強いてあげるならば、同朋会をはじめ、たくさんの方々との出会いが、今日の私を作り上げていると思っています。等運寺同朋会を代表し、また三条教区を代表していろいろな人に出会うことができました。

 初期の頃は、全国30教区を、5つの連区に分けた連区活動がありました。京都本山で、その会議に参加したことがありましたが、さすがに日本の国は広いと思いました。特に四国、九州はじめ、西の方の代表者は、口も達者で、教導さんの話が納得できないと、「宗務総長を呼んでこい」などと、言い出す者もあり、田舎者の私には、とても仲間に入ることなど到底出来ないような強者ども方がたくさんおられました。
 しかし、そこには念仏者の集まり、宿舎同朋会館では、われ先にと食事の配膳、後始末、寝具の仕度と、誰も指示をしないのにテキパキと行動されるのには感心させられました。研修が終了し、部屋に戻って全員でくつろいでいる時に、誰一人として酒を持ち込んでいないのには、再び驚きました。同朋会館は、もともと飲酒を禁じていますが、そんなことは初めてでした。

 やはり、全国各地区の代表はこうでなければだめだなあと、再び関心いたしましたが、物足りなさに、私が「夜飲む薬を忘れてしまったから、その辺で…」と、口を開きかけた時に、間髪をいれずに、確か滋賀県からの参加者と思いましたが、女性の方が、会館の近くに妹がいるのでと申し出があり、一升瓶2本ほど調達していただき、全員でありがたくいただいたことが思い出にあります。

 そのとき、役員の一人でありました亀井 鑛さんのお話を聞くことがありました。亀井さんは「『恩徳讃』の歌詞の中に、“骨を砕きても”とあるが、真宗にはそんな教えはない」と言われました。私はギョッとして聞いていました。後で、他の先生にそのお話をいたしましたら、それは業に対しての言葉であろうと言われたことがありましたが、いまだにそのことはよくわかりません。

 思い出といえば、あれは昭和63年、全国集会が本山を離れて、初めて地方で行われました。時の三条教区の会長は、小泉さんという女性でした。連区会長を交えての幹部会議の席上で、小泉会長さんが、大見得を切って、その会場を三条別院に引き受けてこられたのには、さすがにあわてました。

 大会参加者は200名を超す人たちです。大会運営はもとより、たくさんの方々のご協力のもと、なんとかスムーズに運びました。宿泊は、別院の中で何とかまかないましたが、お風呂は市内の銭湯にお願いして、手分けをしながらご案内いたしました。

 当時、別院本堂の畳が、あまりにも傷んでおり、修理する運動の最中でした。大会参加者の中から、寄附の申し出があり、その声がだんだんと大きくなって、多額の寄付金をお預かりすることとなりました。後日、畳の修繕はもとより、渡り廊下の修繕、さらには厨房の暖房設備など、思いがけない一大事業となりました。全国からお集まりの皆さんから、尊い志をいただき、思いがけない喜びとなりました。そんな全国集会も、東京真宗会館が完成して行われたのが最後の大会となりました。

 三条別院といえば、「お取り越し」と「すす払い清掃奉仕」です。今では少なくなったようですが、お米がたくさん寄進されたのを覚えています。お取り越し報恩講(11月5日〜8日)の期間中、講中の皆さんはじめ、たくさんの方々から寄進米が届けられました。
 最終日のお手伝いの際、そのお米を厨房と同朋会館の二階に運びました。あまりの量に参加者全員くたくたになってしまいました。宿泊の研修会には必ず米を持参し、米が貴重な時代に育った私には、その志が大変ありがたく思えましたが、現在ではそのお米も食品の一部でしかなくなったようです。

 年末のすす払い奉仕団は、別院の講中の「茶集講、十七日講」など、いくつかの講中のみなさんが集まって始められたと聞いております。その参加者が年々少なくなり始めた頃、私は18組の推進員会長を引き受けておりました。
 組の会議で、「推進員は、年1回、1泊2日の研修会がうたわれております。また、奉仕活動にもさんかしなければなりません」と発言しまして、その事業に参加するようになりました。
 今でも継続しておられるようですが、私は数年前に引退させていただきました。その際、本山の同朋会館もそうですが、別院でも飲酒は出来ませんでした。参加者からの声で、夕食時においてお酒をいただけるように別院輪番さんに強く働きかけたことを覚えています。このことは、あまり良いことではなかったと、今では少し反省をしております。

   本廟奉仕団(昭和59年)左端に今泉師
               前列の女性に丸山、金子、佐藤さん

 【同朋会に思うこと】

 お経会から始まって、等運寺同朋会となり、昭和49年に推進員となって50有余年。たくさんの方々とお会いし、またお別れをしてまいりました。真宗は一に聴聞、二に聴聞といいますが、何10年聴聞してもなかなかわかりません。いや、わからない方が良いのかもしれません。わかったものだけが集うような会では同朋会とはいえないと思います。

 特別な人、そのことに秀でている人だけが集まってくる会ではないと思います。進み過ぎないように注意深く考え、行動をともにして、全員が同じ気持ちにならなければ会は続いていきません。一個人だけが進みすぎてはいけません。自分一人だけが救われるのではなく、共に救われなければなりません。また、そのように聴聞をしてきたと思います。

 会員となり、また法話の機会に足を運ぶときにきには、自ら進んで聴聞していかなければと思います。そして、それを生活の上に生かしてこそ「共にといえる人生を生きる」といえるのではないでしょうか。

 最近では、「お寺参りに行こう」と声をかけても、なかなか反応がなくなってきました。私も90を超す年寄りになりました。「どうせ、もうすぐ死ぬんだからどうでもいい」といわれる人がありますが、どうせ死ぬなら、なおさら何かを遺していきたいと、私は思います。共に救われる、その言葉をわかっていただくためにも、まだまだ聴聞は続きます。

 同朋会というのは、法の上の友人です。信じあえる友達であります。またそうありたいと願ってやみません。幸いに、等運寺同朋会は、若い人たちの会もあり、これからも続いていくことと思います。自分ばかりが助かるのではなく、共に助かるこの精神を保ち続けながら精進していただきたいと思います。そして、どうか「等運寺から、お念仏の声を絶やすことなく」。これが私の願いです。

                       
  【口述筆記・同朋の会 推進員】

【取材後記・同朋の会推進員

 僕が本山での推進員後期研修を終了し、仲間と共に等運寺同朋会の皆さんに報告会があったとき、関根さんは、こんなふうに祝辞をのべられました。

「おめでとうございます。皆さんは本山で誓いをされてこられました。願いであれば、何度でもかけられるかもしれませんが、誓いはそういうわけにはいきません。取り消そうにも相手が悪い。仏さまですから」。
本気とも冗談ともとれるような言葉を、今でも忘れません。

 こんなこともありました。回り持ち役員で、氏神さまのお札を配っておられるところに、ちょうど出くわしました。
「いやぁ、わぁれ(悪い)ところ見つかったのぅ、ホッホッホ」。
 どんな場面においても、ご自分のスタンスを変えず、ぶれることなく信念にもとづき、念仏一筋の生き方には、ただただ感服するだけです。

 蓮如上人言行録に、「仏法には明日と申すことあるまじく候、仏法のことはいそげいそげと、仰せられ候」とあります。
 いくつになっても毎日がスタートです。何かをのこしたいと関根さんは言われました。私は、その担い手の一人になりたいと願っています。
                        

NO.49

 間島 久馬栄 さん (新飯田 上吉上 )
  「イッチバン忙しいときらてがんね、困ったのう」

 ……怒られるのも無理がありません。花粉付けがすんで、田植えに向かって戦争場のような時期に、スミマセン

「お寺様の頼みらばしょうがねえか、ハハハ。しかし忙しいといっても、今は2日もあればシモウテしまう便利(?)な時代になって、良いのらか悪いんだか」

 ……携わらない私たちにしてみれば、良く見えるんですが ?


「若かった頃から、こうやって農業一筋でくらしてきて、田んぼさえあれば良いと思って、借金しながらの中でも増やしてきたけれど、まったく情けない娑婆になってしまったなあ。日本の国はまったくなにを考えているか俺等にはわからんなりました」

 ……喜寿を迎えた間島さん。昭和を生き続けた皆さんにはほんとに考えもつかないような転換ばかりでしたねえ。

「戦争に負けた時をさかいに、これからは農家の一番いい時代が来ると思っていましたよ。明日の日本を創っていくのは我々だと、意気揚々とがむしゃらに走ってきたけれど、今考えてみると、あれは何だったんだろうかと思う時があるねえ」

 ……農業に限らず、すべての産業、特に個人経営の方には厳しい時代になりました。

「拝金主義に進みすぎている社会になってしまったかなあ。金儲けそのものは悪いことではないけれども…」
「こんなくどき文句ばっかり言うから年寄りは嫌われるんだろうねエ、ヘヘヘ」

 ……僕も含めて、今の人たちは過去の事に耳を傾けていないような気がします。

「昔の事ばっかり言うてると『今はそんな時代じゃない』なんて言われて、だんだん口が小さくなってくるよ。もともと私たち農耕民族は、家族主義の中で親子兄弟、親戚地域中で、助け合いの中で暮らしてきたけれど、今の時代は、そんな助けも求めらんねえようになってしまった。でもよく考えると、俺達がそういう社会を作ってきた一人でもあるんだけれどね」

 ……確かに人のせい(時代や政治)にするのは容易いことですが、もっと一人一人が真剣になってもいいのではないでしょうか。

「玉音放送をこの家のラジオの前で聞いたのは、まだ高等科卒業の頃でした。私は兵隊にとられる年令ではなかったからいいけれど、それでも戦争に負けたという気持よりも、これで死なんだっていいという思いが強かったような気がしますよ」

 ……今ではあまり戦争の頃の話をしてくれる人は少なくなりました。

「しかし、戦争は絶対にダメらいね。始める時はいくらいいことばっかり言うても所詮人殺し、どんな人でもみんなそうなってしまう。
 私よりいくつも年が離れていない先輩の、戦地での話をたくさん聞いて、この人がそんな事をしてきたのかとびっくりした事がたくさんありましたよ。普段はまったく温厚で、虫一匹も殺せないような人なのに。まさに戦争のおこす悲惨とはこのことのようです」

 ……単なる昔話ではありません。過去に学ぶ事はまだまだたくさんあります。今からでも遅くはありません。本当に私たち日本人は反省をしてきたのでしょうか。

  
 【朝靄(もや)の しじまを破るキジの声】 久馬栄 作

                         【取材・同朋の会 推進員】

NO.48

 小 日 向 和 子 さん (新飯田 下中村 )
 
 ……暑さ寒さも彼岸まで。
昔からの言葉どおり、今年の暑さは彼岸まで続きそうです。

「取材の依頼があったので、あわてて前の人達は何をお話になったのかと思い、一夜漬けで全部読みました。最初に取材をされた方から8年もたつんですね」

 ……あらら、もうそんなに立ちましたか。それにしてもバックナンバーをよくお持ちですね。

「全部ではないけれど、結構ファイルしてあります。普段は、ずぼらだからって、いつもお父さんに怒られているんですが、この『報恩』は何か粗末にしちゃいけないような気がして」

 ……有難いですねえ、一説によると、読まずにそのまま捨てられているという話も聞きますが。

「そんなたいそうな事で取っておいたんじゃないんですが、たまたまなんですよ」

 ……まだ初期の頃のコピーがなつかしいなあ、なんか、はじめて見るものもいっぱいありますよ。

「これも等運寺さんの歴史ですね。住職さんお一人でお作りになる苦労はわかります。私も仕方なしに、娘が置いていったコンピューターを触っているんですが。とはいっても私の場合は、わずかの文章を打つのと、あとはインターネットでいろんなことを検索して楽しんでいるだけですけどね」

 ……お仕事の面でもホームページ担当だとか?

「そういうとかっこいいけれど、実はなあんにも更新していないんです。エヘヘ、やらなきゃいけないと思っているんですけれど、ぜんぜん怠けていて、でも皆さんには黙っててくださいね」

 ……わかりました秘密にしておきましょう。

「特別の事ではないんですが、我が家では、確かおじいちゃんが亡くなってからのご縁だと思うんですが、お盆と大晦日の日には、家族全員でお内仏の前で正信偈をお勤めする習慣が今でも続いています」

 ……それはすばらしい。通常は、お寺さんにご縁があるお年寄りとか、役員をされている方々が、そういう機会に一人ずつおまいりをするのはよく聞きますが、家族が一堂に会してお勤めするというのはなかなか。ひょっとすると、お寺さんでも家族全員でお勤めをするという事がないんでは??  

「いつの間にか、それが行事になっちゃたようですね。今は東京で暮らしている二人の娘達も、帰って来たときには一緒に参加してくれます。多分小学校の頃に、お寺の合宿に参加して習ってきたお正信偈を、きっとまだ覚えているみたいですね」

 ……無理なく入ってくる習慣を継続しておられる事に敬服するとともに、形に表してゆかなければ前に進めないことに感心させられました。

                         【取材・同朋の会 推進員】


 NO.47

 金 子  優 さん (燕市 次新 )
 
  「4年前の今頃だったかねえ、三条が大騒ぎだったのは」

 
……もうそんなになりますか。確か7月の13日。過ぎてしまうとあっという間に感じます。

「少なからずこの辺の人は、親戚やら知人やら、みんなご縁がある人がいっぱいいただろうに」

 ……僕もあの時は何日かお手伝いに行きました。

「今でもまだ困っている人があると思うよ。それにしても災害とか災難は不公平だよね。川の向うは水に浸かって大騒ぎなのに、橋一本渡ればそこはまったく電気も水道もガスも使える普段の生活がある」

 ……確かにそうです。それよりも『自分は災難にあわずによかった』と思っているときは被災者の事は忘れています。

「仏様に手を合せている時も、どうも同じことのようだよね」

 ……エエ!同じ事とは?

「私なんかは 自分の幸せにしか感謝しないもの。今日一日おかげさまでごはんが食べられますとか、家族がいつまでも元気でいますようにとか」

 ……普通は皆さんそうじゃないかしら。

「きっとそれじゃダメなんだろうね。自分さえ良ければの心ばっかりで。困っている人のことなんかはまったく考えていないもの」

 ……そういわれればそうですよね。自分とごく限られた周辺(家族)の事しか、お内仏に向かって心の対話(お願い?)をしないですよ

「情けないとは思うけれど、それが毎日の生活だね。もっとも先の事がわかれば苦労は無いけれども」

 うーん…、何か釈然としませんね。

「たまるものがあるといえば、私たち農業者は自分で自分の商品価格をきめられないジレンマがあります。今話題になっている漁師の皆さんも同じだけれど、これも不公平に感じますよ」

 ……確かにそうですね。工業製品とちがって原価を積み上げて価格をきめるのではなくて、出荷された時点での市場価格が売値ですもの。

「農作物もレタスなんかで代表されるように、工場で生産するような時代がやってきましたよ。聞くところによると『130毛作』とか」

 ……何ですかその数字は?二期作とか二毛作なら知っているけれど。

「新鮮が一番美味しいはずなんですが、お店に並んでしまうとブランド(産地)や価格だけで左右されてしまう。本来私たちの口が持っている『旨み』とか『コク』とか言葉では言い表せない感覚にもう少し頼ってもいいじゃないかな」

 ……完熟した果物、今の時期だったら、こぎたての枝豆なんか最高に美味しいですよね。お金で買えない美味しさです。

「私は今までに海外旅行にはいった事がないんですよ。言い訳になるかもしれませんが、農業をやっていると半日や一日くらいならいつでも暇は取れるんですが、何日間となるとなかなか踏ん切りがつかなくて、毎日の管理が結構大変なんですよ。それよりも生き物を育てているんだという自覚? 
 人間なら口を利いてくれるからまだいいけれど、植物はそうはいきませんから。かっこいい言い方かもしれませんが『作物と対話が出来ない』なら百姓は出来ませんねえ」

 ……人間も動物も植物も命あるものを育てるという事の根本を熱く語りました。

                         【取材・同朋の会 推進員】

NO.46

 渡 辺 俊 子 さん (新飯田 下町 )
 
 ……修正会がすんだばっかりと思っていたら、もうお彼岸です。年々スピードが上がって来るような気がします。

「ほんとにイヤになっちゃいますね。歳のことを言うと」

 ……アララ、ごめんなさい(笑)いきなりいやな話題から始まりました。

「あんまりお寺には縁がない私で、大丈夫なんでしょうか?」

 ……皆さんそうおっしゃいますが、住職が選ばれた人ですからいいんじゃないですか。

「お嫁に来た頃でしたでしょうか、法事の時に一度だけ先代のご住職さまを車で送っていったことがあります。でもその時怖そうな顔をしておられた気がして、お話をする話題もなくて困った経験がありますわ」

 ……そうでしたかしら? 案外、笑うと顔の半分くらいが口になっていたような気がするんだけれどなあ ハハハ。

「その時のトラウマじゃないけれど、やっぱりお寺には足が遠のきます。敷居が高そうで格式があって・・・」

 ……それは困りましたねえ。せっかく皆さんから集まっていただき、お話が聞ける場所だと思っているんだけれど。

「でもなかなか足が向きませんね。私の勉強不足でしょうか? お盆のお墓参りくらいかしら、年に一二度。両親が健在の頃はまかせっきりでしたし、いざ自分の番がきたにもかかわらず、やっぱりダメですねえ」

 ……何がいけないんでしょうねえ? 確かに楽しい(?)所ではないような気がするし。

「うーん、何なんでしょう。私にとってまだまだ遠い存在なんでしょうかしら。お寺さんに相談するような事や、本当に困ったことがないのかもしれません」 

 ……足を運んでいただけない、そのことが今一番の課題です。葬式仏教などと悪口を言われ続けて、そこから脱却しなければと、住職を始めたくさんの皆さんが智恵を出してはいるんですが。

「なくなったご先祖には失礼かもしれませんが、そういう供養は、お任せをしているような気がしてならないんです」

 ……他流はともかく、真宗では、今生きている私達自身が一番に助からなくてはと訴え続けているんですが。

「あまりにも忙しすぎる毎日と、ふり帰る余裕がない日々の生活がそうさせるのでしょうか? 人生のなかで挫折感や大きな壁に突き当たる事で気がついたり成長するきっかけになったりすると思うんですが。
 そうやって年を重ねていく中で、だんだんお寺にも足が向くようになるかもしれませんね。でも今日はお話をさせていただいて少しだけ勇気がわいてきました」

 ……今度ご住職が月日参りにおいでの時は一つだけ質問をしてみたらいかがでしょう?きっと喜んで(?)困るでしょうから。

「いつも夕方にかけてのお参り時間ですから、ご住職もお忙しいらしくてお茶もお出ししない事ばかりでしたから」

 ……お茶なぞ出さなくても5分、いや3分でいいですから、お正信偈のお勤めの後で、毎回質問を出してください。

「そこまでは約束できませんわ、ハハハ」

 ……生身の人間同士が言葉を交わす、そのことが一番大切なことのはずです。飾り気のない普段の言葉で会話が出来る、あたり前のようだけれど、なかなかむずかしい。今日はそれに少しだけ気づきました。

                         【取材・同朋の会 推進員】

NO.45

 山 野 井 洋 子 さん (新飯田 新町 )
 
 ……♪もういくつねると お正月♪

そんな歌をうたう子供達ももう少なくなりました。忙しい忙しいと言いながらも、あっという間の1年が過ぎようとしています。しかしそんな中でも取材は続きます。

「お久しぶりですねえ」

 ……ドキ!どこかでお会いしましたか?

「またまたご冗談を」

 ……ごめんなさい、お嫁に来る前からよく知っていました。

「身近なところへは来ないで下さいよ。絶対に当らないと思って小さくなっていたのに」

 ……油断大敵、人生どこに落とし穴があるかわかりませんよ。

「私なんか全然話題がないんだから」

 ……皆さんそうおっしゃいます。

「それに智光さん(住職)と一緒にお勤めしたのはほんの2、3回だけなのに、よっぽど人材不足(?)なのかしら」

 ……いいえ、選ばれた人たちだけです。たぶん(笑)

「取材をうけるなんてとっても緊張します。初めてお正信偈を読むときもそう思いましたが、声に出して読むのはとっても勇気がいると思いました」

 ……それは同感です。お寺さんに足を運ぶとか、お勤めに参加をするとか、寺方のほうから見ればあたり前の事なんでしょうが在家の人たちには大変なプレッシャーですよね


「子供達のように素直な気持で考えればどうって事ないんでしょうが。やっぱり年とっちゃったかな?フフフ」

 ……そんなことないでしょう。だって名代のスポーツウーマンじゃないですか。

「ウウン、もうダメ、あっちこっちが痛くて バレーボールもシニアチームに所属して練習しているんですよ」

 ……じゃあシニアの青年部?

「うまい、座布団一枚(笑)。いつまでも若く見られるようにと思って先輩達にくっついてます」

 ……そりゃそうだ 自分より若い人と一緒にいるより……。

「おこられますよ、そんなこと言うとエヘヘ、でも70才をすぎても活躍している人達を見ているとすごいなあーと思うわ。絶対私にはムリね」

 ……40,50はハナタレ小僧、まさに高齢化社会ですね。
 久しぶりに山野井さんのお茶の間におじゃまをしてなつかしいです。

「もう20年以上も前になるかしら、冬になると皆さんが集まってきて、特にスキーの帰りには一升瓶のワインをたくさん飲みましたねえ」

 ……お世話になりました。いやな顔一つせずに寄せていただいて。

「でも楽しかったですよね、そのくらいまだみんなが若かったんですよねえ。今の若者達にはそういう楽しみ方がわからないかなあ」

 ……そんな時代でした。やる事は何でもよかったんだと思います。ただ集まっていれば楽しかった。

「所詮はさびしがりやの集まりかしら」

 ……かも知れません。一人で生きていく事はなかなか私たちにはできませんもの。

「でもあの頃の皆さんがそうだったように、心が一つにつながっていた時の思いをたくさん持っている人は、一人っきりになってもきちんと歩めるんじゃないかしら?」

 ……そうありたいですね。
 心のそこでつながっている無意識の意識、共に歩んでいるという感性、それが原動力になっていると思います。
                         【取材・同朋の会 推進員】


NO.44

  野 田 す ゞ 子 さん (新潟市 大野町 )
 
 ……三条別院のおとり越しが始まっているのに、この暖かさは何でしょうか? 『おとり越し荒れ』が死語になるような陽気です。

「とうとう私の番が回ってきましたの? 30分位の取材時間でいいんですか?」

 ……それは男性の時だけ、女性の場合は最低2時間です。ハハハ …。久しぶりの遠方出張、張り切っていますヨ。

「ご住職さんもいつも一生懸命でおられますが、お話をうかがっていると、新飯田の皆さんは郷土愛に満ちてうらやましいですね」

 ……それは昔も今も田舎だからでしょうね(笑)。ずっと暮らしている僕らには何にも感じないんですが。

「案外そうかも知れませんね。その中にいる時は、離れてみたり、他から入ってくるとその良さに気づくのかもしれませんね。私は生まれが東京ですから皆さんの活躍ぶりがよくわかりますわ。温かい人と人とのふれあいが感じられます」 

 ……別にほめていただいても何にもでないんですよ。

「若い時には飛行機の仕事をしていましたから経験上人間の心が敏感に感じます」

 ……エエ! あのスチュワーデスですか? ちょっと座りなおしてお話を。

「そんな ずいぶん昔になりましたわフフフ。何回か怖い目にもあいました。
 あれは乗務して半年くらいでしたかしら、ソ連の空港に着陸する時、車輪のランプがつかないと言う事で胴体着陸を覚悟した時がありました。経験は浅かったんですが制服の力でしょうか必死になってお客様のご案内をしていたようです」

 ……当たり前の事かもしれませんが死と隣り合わせですね。

「そんなパニック状態の中でも、『何か私に出来る事はありませんか』と話しかけてくるお客様がおられたのは、今でもしっかりと記憶しています。結果としてはランプの故障で無事着陸できたんですが、人間最後を覚悟してもそんな言葉を言えるようになりたいですね、尊敬しています」

 ……花形のお仕事と思っていましたが。

「結構体力勝負なんですよフフフ。勤務状況がものすごく不規則ですし、どこに行っても眠れることと、どんなものでも食べれること、図太さとしなやかさが必要かな。気持ちの切り替えがうまくいかない人には難しいお仕事かもしれませんね。案外私にはそんなところがあるんですよハハハ」

 ……上辺だけしか知らない僕には、ショッキングなお話ばかり。

「でもこの仕事を通してたくさんの勉強をさせていただきました。機内という限られた中での工夫が一番の体験でしょうか。それが子育てにもずいぶん役に立ちました」

 ……今の時代、子供達にはなんでも豊富に与えすぎてしまいます、ほしがってもいないのに。

「すばらしいお客様との出会いや厳しい先輩との人間関係が私の宝物ですわ。時々主人に『君はその経験だけで一生過ごせるな』なんていわれるんですよフフフ」
「今までお会いしたすばらしい方は皆さん全員、自分にとっても厳しくて他人には優しいんですよね」

 ……たくさんの経験を通して濃い人間関係を構築する事に努力されてきたすゞ子さん、最後に一言。 

「そんな危険な仕事を許してくれた両親に感謝しています」

                              【取材・同朋の会 推進員】


NO.43

 宮 本 一 人 さん (燕市 灰方 )
 
 ……9月も半ば稲刈りが始まってもまだまだ暑い、残暑の年となりましたねー、宮本さん。

「残り少ない夏だと思うとまだ少し我慢できるかな」

 ……さすがアウトドアー派!まだまだ若いですね。

「そんなことは無いですよ。仕事柄、工場の中が多いから、青空はやっぱりうれしいですよ」

 ……お父さんの後をついでのプレス業、最近の情勢は大変でしょう?

「親父の時代は、ツバメが忙しかった頃だから儲かった話も色々聞いたけど、今は中国製品が多く出回ってなかなか大変ですね。試作や少量の注文話はたくさんあるんだけれど、いざとなると、みーんな向こうに持っていかれてしまうみたいですね」

 ……小学生の頃、遠足のバスガイドが燕の土手を通るたびに『ここは日本で一番の洋食器の町です』と案内をしてくれたのをおぼえています。

「今では洋食器にたずさわっている企業はわずかになってしまいましたね。我が家でも、墓地におく花立てや蝋燭立てを製造していますよ」

 ……学校卒業後、4年半ほどプレス金型業の会社に勤めていた一人さん。

「あれはいい勉強になりました。それと自分の性格にもあっていたような気がします。大きな工場のラインの中では自分が何を作っているのか、どんな仕事をしているのかまったくわからないことがあります。
 作業の上で具合が悪いことがあっても工夫もしないし、提案も出来ないような考え方になっていく気がします。それが怖いですね」

 ……たしかにそれはありますね。自分の大切な時間を会社に売っているようなことに。

「ちょっとキザな言い方かもしれないけれど、仕事をしていての満足感が得られないような気がして。今の仕事もそうだけれど、作っているのは全体に中の小さな部品かもしれないけれど、以前勤めていた会社のお陰で完成の姿を想像しながらできますね。
 さらにその時のお陰で仕事に使うプレスの型も作業がしやすいように自分で工夫が出来ます。でも本当のことを言うと、その作業をしているときの方が一番気持ちが充実している気がします。ハハハ」

 ……どんな仕事でもその達成感や充実感、苦労のしがいが感じられることが本当は大切なんですよね。

「家族労働の工場ですが、僕にはかえってそれが一番居所がいい職場です。いいことも悪いことも全部ストレートに自分自身に帰ってきますもの」

 ……現代社会ではなかなか味わえないというよりも その貴重な実感を避けながら進んでいく人のほうが多いと思います。(ホントニ反省)

下手なヨコズキと謙遜しつつも、趣味のゴルフを満喫しているご様子。

「実は明日もまたあるんですよ、シバ狩りがハハハ。でも本当にうまくならないですよ。見るとやるとではぜんぜん違って」

 ……景気のいい頃は招待コンペもいっぱいあったようですが。

「そうみたいですね、僕は始めたのが遅いから昔話の世界としては聞いています。いずれにしてもお正信偈のお勤めといっしょでツキイチペースではね、ハハハ」

 ……まだ若いのに昔のツバメ人らしい職人気質をたっぷりと引き継いでいるお話についつい時間を忘れてしまいました。

                         【取材・同朋の会 推進員】

NO.42

 細 野 豊 子 さん (加茂市 後須田 )
 
 「あらあら、何回もお電話をいただいてすみませんでしたね」

 ……いやいや、ご商売が第一ですから。

「急に孫がくるんだもの。お客さんが来ててお断りするならいいんだけれどごめんなさいね」

 ……最初に謝られると、かえって恐縮します。今回はだんな様と一緒に床屋さんを営んでいる細野さんのお宅を訪問です。


「私よりもっと他に伺う人がいっぱいいるんじゃないんですか?」

 ……その一人なんですよ、ハイ。

「ここは田舎だから何にも話題がないんですよ。でも住めば都っていうのかしら、お嫁に来てもうンン10年、確か電話がまだ新飯田局でしたよ」

 ……懐かしいお話ですね。僕もガリガリ手回しの電話を覚えていますよ。あの頃は新飯田電報電話局(?)も加入地域が広かったんですよねえ。

「新飯田は町ですもの、いろんなお店もいっぱいあるし、うらやましかったわ」
「ホントにどこに行っても大型のお店ばっかりがはやっちゃって、これからどうすればいいんでしょうね」

 ……遠くばっかり見ていてもしょうがないし、足元だけじゃつまらないし、トホホ!

「両親が転勤商売だったから、この後須田が一番のふるさとなりました。 もともと山形県に生まれたんですが、小学校から新潟、栃尾、長岡と、いろんなところで暮らしました。だから学校時代の同級会が私には無いんですよ」

……エエ! それはどうして

「ちょうど卒業の学年になると転校の繰り返しでしょ。それまでは仲良しにしていたお友達もいたんですが、結局同級会となると、卒業するときのクラスですからね」

 ……なるほどそうか。学年のクラスが多い学校ではそうかもしれませんね

「小さな学校ですとクラス替えが無いから、いつでも同級会が出来るんだけれどねえ。ちょっぴり寂しい気もするけれど…」

 ……僕も小さな学校だからまったく感じませんでしたよ。小中学生の頃も転校生は何人かいたけれど、じゃあキットその人たちもさびしいと思っているのかしら

「だから私にとっては理容学校のクラス会が唯一の同級会ですのよ」

 ……ヘエ理容学校でのクラス会ですか、初めて聞いたなあ

「こう見えても長岡理容学校の第一期生ですもの、またこんなこと言うと完全に年がバレバレになりました、ハハハ」

 ……細野さんにとっての青春は、長岡での生活が一番輝いているようですね。

「そうですね。学校を卒業して何年間の年季奉公先ではいろんなことがありましたが、やっぱり若かったんだと思います。今でも思い出しますねえ」
「…そんな私も、この前地区の老人会に誘われました、ハハハ」

 ……いくらなんでもまだ早いんじゃ、老人会青年部ですね

「ホント、もう少しかっこいい名前があればねえ、でもここの老人会は一二三(ひふみ)会って呼んで活動してるんですよ」

 ……今までの老人会活動ではすこし物足らない様子。でも日本女性の平均寿命まではまだまだ活躍しなければなりませんよ。

                         【取材・同朋の会 推進員】

NO.41

 深 海 久 子 さん (燕市 東町 )
 
 ……久しぶりにお会いしましたが、年齢がわからないくらいいつまでもお若いですね。

「いきなりそんなこと言われても困っちゃいますワ。でも私はお嫁に行ってお家のお手伝いに、こうやって実家に来ているだけなのに、ほんとに私でいいんですか?」

 ……はい、お正信偈を一緒に読んでいただける方でしたら、みんな伺うんですよホントに。

「恥ずかしいですね、嫁ぎ先の宗旨も違うのに。でも実父が亡くなって、こうやって手伝っていることができるのも何かのご縁なんですよね。結婚して、今の場所におうちを建てて、といっても義父が建てたんですけれどウフフ。あの頃は佐渡橋を渡っても、何にもありませんでしたねえ」

 ……へえ、今ではコンビニやら本屋やらパチンコ屋とか、あんなに賑やかなのに。


「橋からまっすぐ降りる道も無かったんですよ。だからおうちに行くにも土手伝いにグルーっと回って」

 ……なんか昔の大先輩と話しているみたいだなあ。

「ホントですね、聞いた話では今では東町は六百軒ほどあるんだって言ってましたよ。でもほとんどがアパートですけれどね」

 ……一町内で新飯田より軒数があるんですね。

「自宅をお持ちの方でもよくわからないのに、アパートにお住まいの方々はなおさらです」

 ……25、6年前のわずかな期間みたいだけれど変われば変わるものですねえ。

「私もそのくらい年をとっちゃたんですねハハハ。嫁いだ頃は結構厳しい義父でしたので戸惑いもたくさんありましたが、10年位たったら私のこともわかってくれるようになり、私も義父母を信頼できるようになりました。
 結婚する頃、叔母に言われたんですが『我慢しないとなんでも一人前になれないよ』って、本当そうですよね。逃げ出しても結局また同じ問題がおきますもの。
 目の前のことにきちんと向っていかなければだめなんですよねえ。でもあんまりつらいと思ったことは無かったんですよ。結婚っていうのはそういうもんかなって思っていましたから」

 ……嫁ぐ苦労は、男の僕にはキットわからないなあ、まず我慢ができないかも、ワガママで。
僕の記憶ではスキーがすごくうまく、確か一級の腕前では?

「懐かしい話ですねえ、小さい頃から実父に連れて行ってもらったスキー場が忘れられなくて、学生の頃にはサークルに入って楽しんでいましたが、それも結婚とともにやめてしまいました。それでも子供を連れて2〜3回行きましたかしら」

「その子供たちもみんな大きくなっちゃって、私も何かしなきゃっと思い、最近習字を習い始めたんですよ。
 この前も先生に『手本をきちんと見て』って怒られたんです。『字はバランスが大事なんだから、点を一つ打つにしてもちゃんと手本どおりに』。見ているようで案外見ていないんですよねえ。自分自身で思い込んでいるように筆がはしるんです。手本をきちんと見ることができる能力が上達の秘訣かも」

 ……私達の人生も案外その思い込みだけで進んでいるような気がします。今日から手本をきちんと見ることができるように努めましょう。    

                         【取材・同朋の会 推進員】

 NO.40

 滝 沢   進 さん (新飯田・古町 )
 
 ……暖冬の予報とはいえ、長靴とシャベルを使わない冬がもうすぐ終わると思っていましたが、3月になってから今年一番(?)の大雪と寒さがやってきました。『暑さ寒さも彼岸まで』とはよく言ったものですね滝沢さん。

「ほんとですねえ、この2、3日が最後の寒さかな。寒いときに寒くならないと調子が狂っちゃうなあ」

 ……僕は温かいのはかまわないけれど、キット雪が降らなくて困っている人たちもいるんでしょうね。

「こまっている人の立場になってみないと分からないからね。私の青春時代なんか、まさに裏街道みたいなものでしたよ」

 ……なんかわけありの人生がありそうですね。

「あんまりお話しするようなことではないんですが、あれは中学校3年生の9月頃でしたね。肺結核が見つかって三条結核病院に入院しました。結核そのものはそんなに重くは無かったんですが、脊髄カリエスを患ってしまい、2年半ほど個室の闘病生活を経験しました」

 ……一番活発に動きたい時なのに、それはつらかったでしょう。

「実は今でも覚えているんだけど、中学校に入ってから本当は陸上部に入りたかったんだけれど、走るのはそんなでも無かったんだけれど、跳んだり踏ん張ったりすると腰の辺りが痛かったんだよね。その頃から多分始まっていたのかも」

 ……多感な時期の2年半はきつかったでしょう。

「薬と注射と安静の毎日、ギブスにしばられてトイレも室内でと支持されました。そういうと優等生みたいだけれど、トイレはこっそり廊下の向かいに行きました。ハハハ」
「入院が中3の途中からだったから、卒業証書は親父がもらいに行ってくれたし、私の記憶では同級生の進路や卒業後の交流はぽっかりと穴が開いています」

 ……きっと僕にはとても耐えられそうにありません。

「今となってみれば人生の思い出の一つになってしまいましたね。でもその三条の病院の中には確か県下で唯一の学校があって、各地の私のような病気の小中学生が転院していましたね。私は安静していなければならなかったので、別棟にあったその学校では勉強できなかったんですけれど、一昨年その学校の同窓会があって私も案内があったのでいそいそと出かけて来ました。

 『ポプラ会』といって、当時の病院の先生や看護婦さんそして教師の先生合わせて90名位の方々が集まっておられました。主治医をしていただいた先生は、まだ村上市のほうでお元気とかお聞きしました」

「でもそんな大病しても何とか今日までやってこれたのはたくさんの人たちのお陰です。民生委員をされた方にも厄介になりました。そんなお陰がわかるのも、ひょっとしたら病気のお陰かもしれませんね」

 ……今は3人のお孫さんに囲まれて、温かい家庭と地域の中では、社会福祉協議会の地区会長として活躍されている毎日。

「でも、もう歳ですよ、町内の集まりでは上から3番目くらいになりました。そろそろバトンタッチかなハハハ」

 ……笑いながらも青春時代の体験が今でも心にしみついているいせいか、福祉関係のボランティア活動には人一倍の関心をお持ちのようでした。

                          【 取材・同朋の会推進員 】

                               NO.39

 早 川 春 栄 さん (燕市・本町 )
 
  「オヨッコウ、オラどうしょば。緊張して、今日はまだ朝飯も食べていられねかったわ」

 ……これはまた派手なご挨拶から始まりました。燕の早川輪店に嫁いで56年、もうすっかり新飯田のことはお忘れでしょうか ?

「いやいや、生まれたところは一日も忘れられないわ。年取ればとるほどなおさら恋しくなるわね」
「同級生のことや実家の隣近所、学校に通っていた頃、そうして親にヨッパラ叱られたこと、みーんな昨日のことみたいだわね」

 ……まだまだぼけられないですね、この調子では。

「主人が亡くなってもう10年。やめようやめようと思いながらもまだ自転車屋をやってますて。昔からのお客さんがいる限りやめるにやめらんねわ」

 ……燕駅まん前のお店からのスタート。昭和40年代に駅前開発ですこーしはなれた現在の場所に。燕が洋食器の景気でにぎわっていた頃の様子を、全部お店の中から見ていた春枝さん。

「お嫁に来た頃は、朝晩燕駅から降りる人たちで、この店の前の細い通りだけど、向こう側が見えないくらい人間でいっぱいでした。今はなくなっていますが、近所にも料理屋さんがあって、それこそきれいな芸者さんたちが、明るいうちから風呂屋に通ってくるのを、うらやましくながめていたもんですよ」

 ……燕の一番いい(?)頃ですね。

「この駅前通りの商店街もお店がいっぱいあって、どの店も繁盛していましたね。そば屋(ラーメン)も、すし屋も洋品屋も家具屋も。江戸っ子は宵越しの銭を持たないというけれど、燕の職人さんたちもそんな気風があったんでしょうか。
 その頃聞いた話では、市役所勤めの人の月給は、3日稼ぐのとおんなじ金額だといっていましたもの。平成の今では考えられないことですね」

 ……それじゃ、お店も忙しかったでしょう。

「ご多聞にもれず、おかげさんで我が家も若い職人2人雇って、てんてこ舞いの日々がありました。古きよき時代が懐かしく思えますね」
「そうそう忙しいといえば、主人に怒られたことがいっぱいありました。あれは暑い夏の頃、請求書配りと集金に出かけたとき、あんまり暑くて汗かいたものだから、帰り道に風呂屋によってからこっそりとうちに帰ったら…。そういう時っていうのはだめなもんですねえ、結果は」

 ……ハハハ、燕の人より燕人ですね、その豪快さは。

「あんまり昔の話ばっかりしているとハヤラナイわ。でも、もう一度あの頃の賑わいがこの町に戻ってこないかと、いつも思っていますよ」

 ……今でも一人でお店番をしている春枝さんのところには、毎日のようにお茶のみ友達がひっきりなし。インタビューの最中にも常連さんが…。

「尋ねてくれる人があるうちは、まだ華があるかもね。寄ってくれる人がいなくなったら一番私が困るわ」

 ……いつの時代でも隣人が一番ですね。人間一人では生きていけませんもの。
 今一番の幸せ感は ?

「なんか、話してたら、おなかがすいちゃったわハハハ。孫の顔を見るのが一番かな」

 ……ゆっくり、ご飯を召し上がれ。

                          【 取材・同朋の会推進員 】

                           NO.38

 佐 藤 義 勇 さん (新飯田・古町 )
 
  ……とうとう11月 『おとり越し荒れ』。まさに言葉のとおり今年も……、なんて暖かいんでしょう。これじゃ『おとり越し晴れ』じゃないか。

 「俺の人生も今年の天気みたいだねえ。いいか悪いか分からんけれど、思うように行かないわ」

 ……いきなりの爆弾発言?戦後、新ニイダ創成期を語らせれば右に出る人はいないかも。古町データバンク佐藤さんを訪ねました。
 

 「俺を含めてあんまり頭のいい仲間はいなかったけれど、学校のころはみんな負けん気ばかり強かったなあ」
 「あれは中二のとき、農芸クラブの全員で、新しくできた体育館の前で写真を撮ってもらったのを今でも覚えているよ。確か更科教頭先生(鵜森)が顧問だったね。それと部活は剣道部で、白鳥先生にみっちりとしごかれたよ。そのせいか三年生になったとき、一学年下の人たちを二人入れて、市内の大会で優勝した時はうれしかった」

 ……よく50年ほど前のこと覚えてますね。

 「確か会場は根岸中学校だと思うな。夏休み林間学校の会場の角田のお寺さんが、水害か何かで急きょ取りやめ、そのお陰で大会会場にみんなで応援に来てくれたんだ。キャプテンしていた俺は一番緊張していたんじゃないかな?」
「きっと一人一人の仲間と一生懸命つきあっていたから、いつまでも忘れられないのかも知れないね」

 ……佐藤さんといえば、若いときには今で言うカラオケ大会荒し? かと思っていましたよ。

「いやあそれほどじゃないけど、学校のころから歌やファッション、流行には人一倍興味があったな。中学校卒業して、冬稼ぎに東京は神楽坂の風呂屋に行ったときは、仕事は朝から晩まできつかったけれど、好きだった歌の世界を見ることができて幸せだったなあ」

「日劇のウエスタンカーニバルをかぶりつきで見たし、銀座アシベにも行ったねえ。当時確か九千円の給料の中、三千円のチケットだったよ。ミッキーカーチス、平尾昌明、中尾ミエ、みんな懐かしいねえ」

 ……話を聞いているだけなのに、すっかり舞台の上に引き込まれてしまいました。

「ひと月、たった一日の休みしかなくっても、馬鹿な金の使い方しかしなかったから、春帰ってきたときは、汽車から降りたら500円しかなかったなあ、アハハハ」

 ……豪快な人生、現代の若者にもぜひ聞かせてやりたいですね。

「風呂屋の名前は確か『朝日湯』、界隈のきれいな芸者さんなんかもよく通ってくれてイイ思い出も?(大笑)。
 極めつけはその風呂屋のすぐ下に、三国連太郎の家があったんだよ。シャンデリアが下がっている洋間がよく見えたねえ。今は俳優の佐藤浩一なんかは、お手伝いさんといつも女湯に来ていたねえ。だから俺は今でも連太郎が来ていたアズキ色の背広が好きなんだよ」

 ……気持ちはいつまでもその頃のままの佐藤さん。人にはなかなか言えない難病に侵されて早20年。しかし、悔いることの無い人生の歩み方を聞くことができました。
  『いくつになっても友達はいいもんだね』。その言葉がいつまでも耳の底に響きました
                          【 取材・同朋の会推進員 】

                                           NO.37

 山 崎 富 博 さん (新飯田・上中村 )
 
 ……めまぐるしく話題が押し寄せる毎日、その中でも今年の甲子園くらいさわやかな風を送ってくれた年はなかったような気がします。
 そんな暑かった夏もようやく過ぎ、実りの秋真っ盛り、山崎さんにとっては一番の「忙中閑話」になってしまいました。

 「僕が正信偈を読んでいるなんてよくわかったネー。女房は勤めているから普段は僕一人。忙しいときはあんまり住職さんをお待ちしていないほうが多いのに、ビックリしました」

 ……蛇の道はなんとかで、だてに等運寺さんと隣どうしじゃないのかもしれませんね。

「縁あってこの新飯田に来るまでは、お寺様というのはちょうど『寅さん』にでてくる帝釈天の御院主様のように、道を歩いていても、こちらから深々と頭を下げてご挨拶をするような存在だとばっかり思っていましたよハハハ。それが最近ではあんまり身近に感じすぎちゃって」

 ……私達がもつ人物のイメージというのはテレビをはじめとするマスコミに案外左右されていますよね。

「前住職さんとはあんまり話す機会がなかったから、なんか怖い人に見えたんです。義母が亡くなってから、特に親戚の法事があるときはご住職の隣の席のことが多くて、すっかりイメージが変わってしまいました。一番にお酒は好きだし…」

 ……アア…、やっぱりね

 「でも人間は悔しいと思う気持ちが一番自分を発奮させるみたいですね。このお正信偈を読むきっかけも確か長男がまだ低学年のころ、住職さんから子供会のスキーの集いに誘っていただいて、そのお土産に(?)いただいてきた赤い経本を、僕がボソボソと読んでいたら、女房に『そこは節がチガウ』なんていわれたんですよ」

 ……きっと昔から聞いておられたんでしょうか? 奥さんのほうが耳年増ですね。


「そのとき、コンチクショウっと思いましたよ。絶対に読めるようになってやろうって」

 ……独学だけでそこまでガンバル人は聞いたことがないなあ。よっぽど悔しかったんですね。その気持ちがプラスに転じたのかな。

「お陰で正座が我慢できるようになりました、ハハハ」 

 ……結婚してからもうちょっとで20年。以前お勤めしていた会社も子供さんとのスキンシップ(?)のため退社、完全なる主夫業をめざして…。

「そんな大それた考えじゃないんですよ。経験はなかったけれど、先祖からの農地を見るとなんだかもったいなくって、サラリーマン時代の収入からするとつらいものがありますが、それも僕に与えられた運命なのかな」

 ……自分の人生かもしれませんが、あんがい自分で自由にはできないかも…。

「お金もほしいけれど他にもっと大事なものがあるような気がします。農業をやっていると自然との対話ができるような気がして…、これはちょっとキザでした」

……富博さんでちょうど7代目。親から家を継いで次の人に渡すという簡単で一番面倒なことを勉強させられました。広いお家で幸せな3人家内、夢と現実のハザマの中、確実な一歩一歩の歩みが まるで球児達のさわやかな汗のにおいに感じました。
                          【 取材・同朋の会推進員 】

                                           NO.36

 大 野 里 江 子 さん (新飯田・館 )
 
  ……梅雨明けが待ち遠しい今日このごろ、真夏の向日葵を思い出すような、明るくとってもチャーミングな森山さんを見つけました。

「恥ずかしいから、だめだってお願いしたのに」
 皆さん全員そうおっしゃいます、ハイ。

「私は、ほんとに話題に乏しい人間なんですよ。だって、お嫁に来てからはお勤めにもいっていないし、家の留守番が私の仕事なんですよ。同世代のお母さんたちがどんなお話をしているのか気になるわ」

 ……そんなことは …

「今日も子供たちの帰りを待っているだけ。二人とも大きくなっちゃったら、学校への送り迎えも結構大変なんですよ」

 ……お家を守っていてくれる人がいるからこそ、安心して家族の人が出かけられるんですね。

 「お家にばかりいちゃいけないなと思うんだけど、不思議なことにあんまり苦痛に感じないんですよ。根が怠け者かしら、ハハハ」

「今までいろいろと考えて、それなりの行動しようかなっと思った時もあるんですが、実家の父がなくなったり義母がなくなったりして…、なぜかタイミングが合わないんですね。でもそれも私の言い訳かもしれませんね」 

 ……僕も言い訳だけを探して歩いています。

 「ご住職に勧められて『お正信偈』を読んでいるんですが、実はまったく中身はわからないんですよ。でも、身近に両親が亡くなると、やっぱり考えさせられるものがあるんですね」

 ……それをきっと『ご縁』とよぶんですね。

「10年位前、義祖母がなくなったときにはあんまり感じなかったんだけど…、そんなこというとお婆ちゃんに怒られちゃうかな」

 ……ハハハ、人間誰でも順番がありますよ。

「でも、私そのお婆ちゃんがなくなるとき、とっても幸せそうに見えました。床についてから2ヵ月ほどだったんですが、『病院へは行かなくていいから』と言い残して、このお家でみんなに看取られながら最期をむかえたんです。できれば私もそんな最期がいいな」

 ……昔と違ってお家でなくなることは、今ではまれになりました

「きっと満足な人生を送ることができたんじゃないかしら」

 ……そうかもしれませんね。豊かな社会とは、豊かな心で死んで行くことができる社会だと聞きました。

                          【 取材・同朋の会推進員 】


                                           NO.35

 大 野 節 子 さん (新飯田・館 )
 
……【桃花霞のごとく岸を挟んで開き、春江藍の如し天に接して流れる…】

 良寛詩の中にある風景が、今まさに中之口川に繰り広げられています。そんな気分も、忙しい農家の大野さんには無縁でしょうか?

 「イヤア、我が家はブドウが多いからこの時期はあんまり忙しくないんですよ」

 ……そんな中でも、いつも寺の行事には台所係をご苦労様です。


 「お嫁に来たころは両親ともにお寺様にお手伝いをしておられましたから、自然と私の番になっちゃたみたい。それに主人も『地元、館のお寺のことだからがんばってくれや』と、応援してくれてますから」

 ……それにしても、いくら地元といえども大変でしょう。

「どうでしょう、1年に3回くらいですか、寺お講、新盆、報恩講と。新盆のときが果物の出荷で忙しいのと重なって一番大変かな」

 ……等運寺さんは幸せですよねこうやって協力していただける人たちが沢山おられて。

 「街の檀家さんが多いお寺様のお話を聞くと、新盆には一家の人数の制限があったり、お斎も仕出しのお弁当で済ましたりとか。
 でも私はこうやってお手伝いしていて感じるんですが、決してお金や効率の問題だけじゃない気がします。ごちそうではないかも知れないけれど 作る人、運ぶ人、食べる人、片付ける人、皆それぞれに人の手が加わっています」

 「たぶん住職さんは厄介でもそれを続けたいのじゃないんでしょうか。そんな作業を通して、たとえ面倒でもまたお金がかかったとしても、人と人とのつながりを大切にしておられるように感じます」

 ……まるで今の時代を逆行しているような活動ですよね。僕だったら絶対にしないな。

「最近テープでお経がかかっているお家があるという話を聞いたことがあります。お経の中身は私にはわかりませんが、それはすこし…」

 ……決して亡くなった人のためのお経はないと思います。

「毎月お内仏に向ってご住職とともにお勤めをするのが一番いいと思うんですが、作業が忙しいときは気がきじゃありません。なるべく主人と一緒にと心がけているんですが。でもこういう時代ですから、家には鍵をかけて仕事をしていて、あわてて帰ってくることも…ウフフ」

 ……あわてるところが人間らしくていいなあ。

「とっても懐かしい思い出でがあるんです。お嫁に来たばっかりのころでした。家のおばあちゃんに言われて【米奉加】を手伝ったことがありました」

 ……それは何をしたんですか?

「とれ秋(収穫後)に、館地区の檀家さんの家をリヤカー引っ張って、お米の寄進に一軒づつお願いをして回るんです。今のおばあちゃん坊守と一緒でした。
 今のこの歳であればどうってことはないんでしょうが、あのころはまだ若くて、とっても恥ずかしくて、なかなか声が出なかったことを思い出します。そうしてお駄賃に羊羹を 2本もらってきました。私もそんなときがあったんですよハハハ」

 ……江戸の昔から変わらずに桃の花が咲くように どんなに時代が変化しても、人の心は変わってほしくありませんね

                          【 取材・同朋の会推進員 】


                                           NO.34

 横 山 勝 久 さん (三条市 )
 
 ……昔こんな言葉を聞いたことがあります。「仕事(職業)を選ぶということは、人生の生き方を選ぶということです。百姓は百姓の、商人は商人の、職人は職人の、じぶんはどんな生き方がしたいのか、それを選ぶのです」
 今回の取材は、三条で親子三代職人という横山さんを訪ねました。

 「職人といってもまだまだ駆け出しみたいなもんですよ。親父が亡くなって20年ちょっと、お袋が3年前です。女房と子どもたちとやっと働いているというところです」

 ……年若いのによくお一人で頑張ってますねえ。

「三条は鍛冶屋が多い町です。私もカンナの職人としてやっているんですが、時代の流れというんでしょう、同業者や付属の職人さんがだんだん少なくなっています。私がお願いしているカンナの刃の職人さんはもう70歳以上、何時やめられてもおかしくない状態ですね。
 その人たちに会うたびに言っているのです『あなたが死ぬ前に、どうかそのわざを僕に教えていってください』と、ハハハ…。そんな冗談みたいなことを言いながら、やはり心配です」

 ……効率と利益ばかりを追求する世の中で、一個一個手作りで作っていく、まるで時代に逆行しているような仕事です。

「特に水害以降、川向こう(四日町地区)でやっておられた職人さんは、やめていかれる人たちがたくさんいました」

 ……残念ですねえ。

「でも最近、『三条鍛冶道場』ができてから、若い人たちがずいぶん関心を持って入ってくるようです。私は鍛冶屋ではないんですが、そのうち自分の作品くらいは自分で全部作られるように、今から準備しています」

 ……住まいの脇の仕事場から、仕掛かりの作品を見せてもらいました。エエッ?(絶句)
 これは携帯電話のストラップじゃないですよねェ。

「ハハハ、私の今の仕事はこれが中心です。始めて5、6年ほどになりますか。その中でも日本ではまったく見かけないのがこのヴァイオリンカンナです。作っているのは私一人かもしれません」

 ……これはマタ小さい、僕の親指の先くらいしかありません。


左・ヴァイオリンカンナ
 (横向き)、右・ライター
「もともとヨーロッパの職人さんが作っているこのカンナは、台木が真鍮でできているんです。それを私流に木を使ってみました」

 ……僕にはどうしても玩具にしか見えないんだけどなあ。

「製作している中で小さいものは、刃の大きさが三分(9o)、8台のフルセットにしても片手に乗ります。でも値段はホームセンターに並んでいる普通のカンナより高いかもしれません。おかげで県外からもわざわざ求めに来てくれるお客様が増えました。これもネット社会のお陰かな?」

 
……おや、ふと見たら隣の部屋にはコンピューターが所狭しと並んでいました。日本に昔からある仕事と、最先端の技術の結合の中に、新しい職人の生き方、頑固一徹な気質が私には感じられました。まだまだ三条の職人も捨てたもんじゃないぞ(大谷派の住職もガンバレ?)

                          【 取材・同朋の会推進員 】


                                           NO.33

 小 林 孝 明 ・ 民 江 さん (新飯田 東大通 )
 
 ……今年の雷様は大サービスがいっぱい。そんな中でもこちらの家庭はアットホームがいっぱい。ご夫婦そろっての取材です。

「自分では若いと思っていたんですが、そろそろ老人のお仲間になってきました。母に父に、何か一度になくしてしまった気がしますからなんでしょうか? 
 両親の最期を看取っていて、自分の生きざまを最後まで自分自身で選ぶことはできないんだなあと、つくづく考えさせられましたねえ」

 ……ご健在のころの姿が目に浮かびます。

「自転車屋一筋にがんばって、私たちを育て上げてきた両親を見てきて、サラリーマンの僕からはうらやましい人生に見えました。ご商売をやっておられる皆さんや、農家の方々のように、人生をひとつのものにかけてこられる姿には、何か言い尽せない感動があるように思えます」

 ……前職を離れ、セカンドステージでの活動を生き生きと実行に移しておられる小林さん。

「栄商工会にお世話になっているんです。何か事を興してやりたいと常々考えていましたから、ちょうどいいチャンスでした。昔から特別にのめりこむような趣味もなく、これといってやりたいこともなかったんですが、子供のころから社会に貢献する仕事ができたらいいなあと考えていました。
 初仕事ではなかったんですが、栄地区に【光通信】を設置することが決まり満足しています」

 ……うらやましいですねえ、新飯田では、光通信の前の前のタイプですから。地元でもぜひ運動を展開してほしいなあ。

「たくさんの商工会会員の方からも応援をいただいて、ありがたかったですねえ。自分一人の力だけでは、何にも前に進めません。でも一歩前に足を踏み出さなければ、それこそ発展はできないですもの」

 ……最近では夫婦の共通項は、両親ののこされた畑での
アグリ事業?

「うふふ、最近まで主人は白菜とキャベツの区別がつかなかったんですよ」
「余計なことばらすなよ(笑)」
「6年ほどやっているんですが、土曜日曜中心の作業ではいい物なんかできませよねえ。虫が食っていたり、チイチャかったり。でも結構満足しているんですよ。
 収穫のよろこびっていうんでしょうか。子供たちに分けてやるくらいの作品(?)なんですけれど」

 ……土との対話がいちばんですね。

「私がなまけもので、あんまりかまわないせいなのか、お天気も味方してくれるんです。水やりしなきゃと思っていると雨が降ってきたり…。でもこれじゃあ農家の人にわらわれますね」
「恥ずかしい話ですが、僕は畑をするようになって初めて野菜の採れる時期がわかりました。今までは、食卓に出たときが旬だと思っていたんですから。ありがとうって思います」

 ……人づくり、物づくり、事づくり、それぞれの喜びを両手に握りしめて、まだまだ前進中のお二人でした。

                                【取材・同朋の会推進員】

            ※ アグリ(agri)= 農業


                                           NO.32

 小 林  大 さん (新飯田 砂原 )
 
 「 ゴメンクダサイ!」

 ……訪問の挨拶のまえに元気な声でカウンターパンチを食らいました。目に入れても痛くない、そんな二人のお孫さんとくつろいでいる小林さんを訪問です。

 「私は40年以上も会社人間で、ご町内や新飯田地域、ましてお寺さんとは全くかかわりをもてなくて、申し訳ないなあと思いながら過ごして来ました。そんな私でもいいんですか?」

 ……その分ピッチを上げて活躍しておられます。

「いやあ、恥ずかしいですね。もっとも私がお内仏に手を合わせるきっかけは、親しい人が突然なくなってからです。それまでは、お盆のお墓参りくらいで。
 それと、3年前にお寺の役員をお受けしてからですね、それが一番勉強になりました。お檀家さんに配りものや連絡をお願いするのに、私が何にも知らないわけにはいきませんからねえ」

 ……熱心にご協力をいただきましてありがとうございます。

「それに、お寺さんからいただいたこの青い経本は、大げさかもしれませんが、私にとっては唯一の愛読書なんです。こんなこと言うのは何かはずかしいなあ」

…… 『聖教は読み破れ』 のお言葉どおり、なるほど指の跡がチャンと汚くついてます(笑)

「もっと白状しますと、縁ある方のお通夜へお参りさせていただくときも等運寺ご住職の法話を楽しみ(?)に聴いているんです。亡くなられたご家族の方にはチョッと不謹慎でしょうが」

 ……住職の布施(法施)を受け止めていただける方がおひとりでも多くいることは、本当にありがたいことです。

「思わず自分のことを言われているような気がして、目頭が熱くなることがあります」

 ……ぜひお通夜以外の機会にも、もっとご参加をお願いいたします。
 今までの人生を取り返すかのような勢いで、たくさんの事にご参加されているご様子。

「うちの孫が来春小学校に入学なんですが、同級生の数を聞きましたら、10人チョッと。私達の頃は5、60人いましたから、新飯田の住人としてさびしくなりますね。でも子ども達には明るく楽しい地域で暮らしてもらえるように、私ももう少しだけ頑張ってみようかな」

 取材の傍らで笑顔でうなずいておられた奥さんと目があったようです。

                    【 取材編集・同朋の会 推進員】

  
※ 蓮如上人は『本尊は掛け破れ、聖教は読み破れ』とおっしゃいました。


                                           NO.31

 横 山 ヨ シ エ さん (新飯田 新町 )
 
 ……今年は例年になく残暑きびしい毎日となりました。嫌がる横山さんを無理やりねじ伏せて(?)

「あれほど来るなと言ったのに、お寺さまに言いつけてやる」

 ……みんな悪いのは住職、うらむのは等運寺だけにしておいてください。

「おかげで私なんて関川医院の薬を二つずつ飲むようになったんだよ。命がちぢまる思いだて」

 ……命がチヂマル! じゃあ、あんまり住職の悪口は言えないですね。

「んんう、来月から姉さま(坊守)から来てもらわなければ」

 ……住職の眉間のシワがまたひとつ増えました。

「私、新潟市になっても何にも良いことがないと思っていたんだけど、ウレーシかったことがこの前あったんですよ。喜寿の祝いにご褒美がおくられてきたんです。さっそく仏さまにあげて手を合わせました」

 ……それはおめでとうございました。

「新潟っていうと、娘盛りの頃(?)、工芸学校(現青陵高校)に通っていたんです。戦争が終わるころまで女子挺身隊の名前で、山ノ下の被服廠までトラックに乗せられて、勤労動員をさせられたのをよく覚えています」

 ……戦争を知らない子どもたちでは、分からない言葉がどんどん出てきます。

「まさか日本が負けると思わなかったし、だって学校の先生からは、一言もそんな話を聞いたことがなかったんですもの。最後には神風が吹くと信じていました。おまけに『これからは英語がなくなる』と教えられ、本当にそうなると思っていました」

 ……教育というのは諸刃の剣のようですね。

「そのおかげで、今でも英語はぜんぜんだめ、ハハハ」
「孫にも相手にされないくらい、年はとりたくないですね。でも現代の子どもたちを見ると、チョット考えさせられますね。
 少子化のせいなのかしらね。私もそうだけれど、昔はどこの家も7人も8人も子供がいっぱいいたし、食べ物だってろくに無かったし、親はあんまりかまってはくれなかったけれど、それなりに社会に巣立っていったような気がします」

 ……子どもが少ない分、逆にかまいすぎて親の価値観しか教えられないのでしょうか?

「私も人のことは言えないけれど、この歳になってもまだ息子のことが心配でしょうがないです。だめらねぇ」 

 ……子どもさんとも話したことがないという、嫁いでこられた頃の『機屋』のお話など、若かりし時代がよみがえった残暑きびしい一日でした。

                             【取材・同朋の会推進員


                                           NO.30

 白 野 百 合 子 さん (新飯田 中町 )
 
 「オラ、ショウシイ ヨウダワ」

 ……いきなり新飯田弁でのお迎えです。ただいま自宅リフォームの真っ最中という白野さんを訪ねました。

「普段も汚いけれど、今日は特別散らかっていて悪いわねぇ」
 …ありのままが一番居心地がいいはずです。

「今は介護の施設があって、こうして普請している最中にバアチャンを預かってもらって助かるわ」

 ……97歳の義母の介護に毎日を過ごしておられるとのこと。他人には言えないこともたくさん…。

「でも、私に責任がある人(義母)と一緒に暮らしているといろんなことを勉強させられますし、やっと最近少しわかってきたような気がします。病気のせいで私の顔を見ても誰かわからないはずです。
 そんな中でも、怒り声で応対しているときは、怒り声で返事をします。よそ行きの(?)声で話しかけると、素直に敬語まで使って言うことをきいてくれます。私の気持ちがそっくり返ってくるようですね」

 …本当は分かっているんじゃないのかな(笑)

「バアチャンの目線まで近づいて考えてあげなければ何もできないようですね」

 …そこの所が中々できないんですよ。ついつい自己中心的になりがちで、特に健常者と障害者のようにハンディがあるとなおさらです。

「でも私はまだいいほうです。私よりもっと苦労している人がおられます。親戚のこととはいえ、私のせがれくらいの年齢にもかかわらず、嫁として頑張っている姪には私自身が教えられました。」

 「お嫁に来てからずっと嫁ぎ先の義母の看病をしていて、最近は少しずつ状態がよくなったそうです。長い間介護をしていてもあんまり反応が無かったのが、だんだん姑根性(?)で彼女を怒るようになったんだそうです。」 

 「私だったら絶対投げ出してしまうところですが、『良くなって来ているから普通の感情が出てくるの』と聞かされました。 人の心を許す事が人間を成長させるんだなあと感じました。サトリを開くというのは、このようなことなのかもしれません。まだまだ私は勉強が足りないと思いました」

 … 難に遇う人だけがいただける『ごほうび』だと感じさせられました。

                             【取材・同朋の会推進員】


                                           NO.29

 瀧 澤 ノ リ さん (新潟市 関屋 )

 ……満開の桜と共に日本一美しいと思う桃の花が開きはじめました。今日は市内(?)といっても、旧電鉄関屋駅の近くまで出かけました。

「同じ新潟市なのにわざわざご苦労様です。電車が無くなりバスも不便で新飯田が遠くなりました」

 ……やけに詳しいと思ったら、ノリさんも亡くなったご主人(定)も生粋の新飯田人とのこと。


「結婚してもう56、7年かしら、ぜんぜん新潟のほうが長いんですが、年を取ったせいでしょうか、やはり故郷は新飯田です。
 等運寺さんの報恩講のお磨きや研修会、寺御講などにも出かけますが、同級生を始め、一緒に遊んだなつかしい人たちに会えるのが一番の楽しみみたいです」

 …活発に足を運んでいただきましてありがとうございます。

「昨年は女性だけの京都本山の上山研修に参加させていただき、少しつらいながらも大変勉強になりました。主人が元気の頃からあちこちと兄弟旅行は欠かさず行っています。
 観光旅行で本山にお参りをしたこともありましたが、この度はチョッと違っていました。決して一人じゃ行けないし、こんなご縁が無くてはなかなか経験できないことでした」

 …そうでしたね、昨年は画期的なことで女性だけの研修企画でした。できれば何回と続いてもらいたいですね。

「いただく寺報も毎回読んでいるんですが、先号のご住職の月忌参りのコメントにはショックでした。
 『家庭訪問のついでに…』、読んでいて少し腹が立ってきましたが、落ち着いて考えて見ますと私はお内仏に向かって亡くなった主人だけに手を合わせていたのかもしれません。まん前にいる仏様が目に入っていなかったのかもしれません」

 …この記事は住職の心からの叫びがあると思います。

「ついでといわれ、亡くなった私の大切な人をないがしろにするような言葉に取り乱したのかもしれません。毎月おいでいただいて、生きている今の私に語りかけてくれるご住職のお話が、本当は私にとって一番大切なことだということに気づかないでいたようです」

 …お正信偈のお勤めも大事かと思います。しかし、現在生きている私達への教えがもっと大切な気がします。

                             【取材・同朋の会推進員】


                                           NO.28

 白 野 徹 人 さん (新飯田 下町)

 ……今度が白根市新飯田での最後の取材になりそうですが、今回のお相手はなかなか時間の調整がうまく取れません。

「ようやくお会いできました。わがままばっかり言って済みませんでした」

 …時期的に忙しい毎日で大変ですねぇ。

「まだ勤めて2年目の新人です。いろんなことを何でも教えてもらって吸収しなくちゃだめなもんですから」

 ……ただいま黒崎中学校に勤務中の白野さん。サッカー部も担当しながらの毎日です。

「まさか、先生をするとは思ってみませんでした。学校時代も特別成績が良かったわけでもないし、大学生のときホームスティーを経験したんですが、本当は外国へ出てみたかったんですよ」

 ……体型に似合わず? 小回りが利きますね(笑)

「体だけが資本の商売(?)ですから、体力だけは自信があります」
「でもこの世界に入って、僕が中学校の頃に思っていた感じとずい分違うことが分かりました。
 義務教育最後の過程を受け持つということの難しさ。今では中学校から就職をする人がほとんど見られませんが、卒業して社会にでても通用する力、恥ずかしくない人としての常識を身につけてもらいたい。そんなことを生徒達に学んでほしいと願っています」

 ……まだ新人とは思えないほどのあつき思いを語っていただきました。

「僕自身は、今まで挫折感をたくさん味わってきたような気がします。だから生徒たちには痛みがわかる、悩んでいることや失敗したことを一緒に考えてあげることができる先生になりたいと思います。
 でも、最近過保護な父兄が目に付きますねぇ。なんでも簡単に手を貸してあげる事が本当にその子のためなのかなあ? 親の義務を勘違いしているんでしょうか? 自分の子供をまるで品物のように考えて、私達の子供だから私達の好きなように 育てるとか」

「一人の人間として自分自身で考えて行動できる、そんな社会人に育っていくには、両親以外のたくさんの人からの手を貸していただかなければだめじゃないでしょうか?」

 …ウーン!そうかも知れません。あんがい両親以外の人達から育てていただいている方が多いと思います。

「学校のスポーツクラブ活動を通して、それも団体競技を通して、そんなことも生徒達に考えてもらいたいと思っています。 
 だって一人だけでがんばっても絶対できないことが沢山あるし、チームメイト全員で一つの失敗をカバーする、そんな思いやりのある人、他人を認めることができる人、そんなことを伝えて生きたいと思います。
 それができるのが実は学校だと思っています。そして最後には全員で感動してみたいです。それには成績を残さないと(笑)」

 ……機会があればまた海外に行ってみたいという徹人君。

「今のうちに何でも吸収していきたいと思っています。そうして当たり前のことを当たり前に出来る人生をおくりたいと思います。悔いだけは残したくありませんから」

 ……久しぶりに夜遅くまで若者とあつく語り合いました。改めて若い頃の自分自身と重なり合うキラット光る、忘れてしまったものを思い出させていただきました。 

                             【取材・同朋の会推進員】


                                           NO.27

 金 子 リ ツ さん (新飯田 古町)

  「オバちゃんただいま!」

 ……葛飾は柴又のトラヤに帰ってきた車寅次郎のように、思わず言いたくなるような気持ちは僕だけでしょうか? いつまでも変らない万年オバちゃん! そんな金子さんを訪問です。


「イヤァー あんたばっかりそんなに褒めてくれるの、いつの間にか年ばっかり取ってしまって、近頃頭の中がおかしくなってきたて」

 ……そんなこと言わないでください。僕の記憶の中では今でも中学校の用務員の記憶がいっぱいあるんですから。

「そんな昔のこと言われるとうれしいねえ。もう40年も前のことになるねエ。家のお母さん(故・長女朝子さん)が丁度中学校に入学する年だったんだいねエ。 
 たまたま用務員さんがいなくて頼みにこられたのがきっかけで、あんまり私は乗り気がしなくて、すぐ後釜の方を見つけてもらう約束で仕方なく行ったんだいね」

「あの頃、学校の先生なんていうと、ずうーと雲の上の人みたいにおもっていたから、私なんか務まるはずがないと。それが22年も! あっという間の出来事みたいらねェ」

 ……昔はそんな雰囲気がありました。

「初めて勤めた年は、新潟の国体に、大地震に、東京オリンピックとたまげることがいっぱいつながって」

 ……そういえば昭和39年も色々なことがあった年でした。

「もともと学校のことなんかなんでも知らなくて勤めた私だったから、学校の先生たちは色々大変だったんだろうけど、おかげさまで分からないうちに過ぎてしまったみたいだわ」

 ……次々とよみがえってくる記憶。中には昨日の出来事かと勘違いするくらいの生々しいお話でした。人間忘れようとしてもなかなか忘れられないものがあるんですね。

「この年になってもお寺様の言う意味はなかなか分からないけど、今より若い頃に、隣の本家のバアチャンに連れられてお寺へいった頃は、なおさら何でも分からなかったいねエ。お経の本渡されても、パラパラめくっているだけで、おれドウショバと思いました」

 ……どなたも最初はそうでしょうね。

「結局お母さん(娘)が死ぬまで何にもしなかったみたいだねエ。あれから少しづつ勉強したみたいだけれど、それにしても8年たっても全然上達してないみたいだねエ。今でもお寺様の後ろでコチョコチョ言ってるだけなんですよ」

 ……残念なこととはいえ良いご縁をいただきましたね。

「残念といえば、この前も行ってきたんだけれど、昔から見るとお寺の報恩講のおまいりに来る人たちも少なくなってきたみたいだね。新飯田にも年寄りがいっぱいいるみたいだけど、みんなまだ忙しいんだろうか」

 ……住職には耳の痛いお言葉です。一生懸命努力はしておられるはずなんですが?

「いやア、これはお寺様のせいじゃないね。世の中面白いことが一杯あるし、お寺様の話に誰も関心が向かなくなっちゃったのかも。身近に悲しみに出会っても、それを一時忘れさせることが一杯あるのも悪い時代みたいだね」

……体験を通してのお話に何かずっしりとした奥深いものが感じられました。

                             【取材・同朋の会推進員】


                                           NO.26

 石 原 美 代 子  さん (新飯田 下中村)

  ……グラグラ!また始まった。まだゆれが残る中での訪問になってしまいました。

「我が家も古いお家だけれど、特に壊れた所も無くてよかったんですが、被災をされた人たちは大変でしょうね?」

 ……何よりも先にまずは中越地震のお話になりました。

「困っておられる方がたくさんおられると思うんですが、私はできる範囲の小さなことしかできなくて」

 ……僕なんかは言い訳ばかりを探しています。ボランティアなどと口先ばかりで 恥ずかしいです。

「口に出す前に、まず一歩ふみ出せる人になりたいですね」
「でも私はなまけ者だから、先日も朝起きた時のために台所のエアコンと炊飯器をセットしていたら、一気に電気が入ったせいか、ブレイカーが落ちていて、目を覚ましたら何にも出来ていなくてものすごくあわてましたわ、アハハ」

 ……くったくの無い笑い声と共に、まだ若いのに一家を切り盛りする自信が見えます。

「母が亡くなってからは、我が家では女性一人だけになってしまいましたから」

 ……娘さんをして奥さんをしてそしてお母さんを、体がいくつあっても足りません。

「群馬の主人の両親も亡くなり、家族の絆のありがたさを感じます」

 ……取材の中では無趣味と云うお話。しかし中学と小学生のふたりの子供さんの話題になると熱が入ります。

「お兄ちゃんは魚釣りばっかりに熱中してこまります。暇さえあれば釣竿をもって行くんです。以前主人の休みの時に、今回被災をされた方面の川に家族一緒に釣りに行ったことがありました。今思うとその辺りの人々が地震にあったのかと考えると、やっぱり人事に思えませんね」

 ……大人も子供も真剣に遊ぶことが少なくなりました。

「私は子供と主人がすることにくっついて行くだけ。でもそういう時はみんな活き活きしていますよね。そんな家族を見ている時が私は一番充実しているのかな」

 ……苦労してきたことを糧にして家庭の大切さを噛みしめている母親の姿が感じられます。

「亡くなった母が元気な頃は、よく家の草取りを一生懸命していたのを見ていました。今お仕事をやめて家にいるものですから、母のまねをして草取りに挑戦をしてみたのですが、いかに大変なことかがすごくよく分かりました」

 ……亡くなったお母さんのおかげで(?)正信偈にであったという美代子さん。

「正信偈のことはまだ何にも解らないんですけれど、ご住職と一緒であればなんとかついていって、脇のひらがなを読んでます。普段は時々父と一緒に一冊の経本を…」 

 ……それはもったいない。今度ご自分用の等運寺版経本をお届けしましょう。

「いや、やめてくださいそんなに一生懸命じゃないんですから(笑)。
でもお寺さんから色々なこと教えていただいて感謝してます。だって何にも解らなかったんですもの」

 ……近日、三条別院のお取り越し報恩講があります。ぜひご一緒しませんか?

「ホウオンコウ? いや、やめてくださいそんなに一生懸命じゃないんですから(大爆笑)」

 ……久しぶりに若い女性ということで、わくわく気分の取材でした。

                             【取材・同朋の会推進員】


                                           NO.25

 竹 内 孝 哉  さん (新飯田 中町)

 ……虫の音が一段と大きくなってきたこのごろ、中町は竹内さんのお家を訪ねました。

「本当は今の住職に正信偈を勧められた時は心の中で反発をしたんです」

 ……開口一発、今までと違った予定外の言葉が返ってきました。

「だってそうでしょう。何が書いてあるかわからない、どういう意味かも解からないでは。少しの大意でもわかっていればいいけれど」

 ……そういわれればそうですけれど。そのひたむきな心が、またご縁につながったのかもしれません。

「それと最近よく思うことは、お通夜で喪主の言葉の中に、正信偈をお勤めさせていただいたにもかかわらず『アリガタイお経を』とご挨拶される機会があるけれど、これがまたわからん。何がアリガタイのか、どこがアリガタイのかさっぱりわからん。正信偈の言葉が本当にわかっておられるのか不思議でたまらない」

 ……〈拍手〉、実を言うと私もそれが不思議でした。同じ疑問を持つ同朋がいたと思うと何かホットします。

「今のトコロはご住職に黙っててください。けっして書かないように」

 ……わかりました決して他の人には言いませんから〈大爆笑〉

「しかし青い教本(等運寺版勤行集)は良いねえ、訳が書いてあるから正信偈の中身が少し理解できる。いつだったか三条の方でご和讃形式の正信偈のお勤めにあいましたが あれなら私でも分かるなあ」

 ……常に疑問を持って進んでおられる姿勢がお話を通して伝わってきます。

「それにしても最近のニュースを見ていると日本の国はどうなったんだろうね。親がかわいい我が子を殺す、年若い者が友達に何の意味も無く刃物を向ける。あれだけ一生懸命、命の尊さを訴えているのになんにも心に響いていないんだなあ」

 ……拝金主義の表れでしょうか?

「効率優先の世の中になってしまったんだなあ。今さえ良ければ良いとか、自分たちにとっていらないものは一切排除してしまうような。きっと宗教もその一つになっているんだよな」

 ……現在において宗教が間に合わなくなってしまったんでしょうか?

「無くても過ごせると思っている人たちがたくさんいるんだね。その中でお寺が一番危機感に欠けているように思える、ザンネン」

 ……お勤めを離れてからは日本で一番効率の悪い農作業に毎日精を出している竹内さん。

「本当だねえ、買って食べたほうが絶対に安いと思います。軽トラックを買ったり、豆トラを買ったり、挙句のはてに思うようなものがなかなかできなくて。
 私がやっているのは農林省の管轄ではなくて厚生省の活動ですな。まるで時代に逆行しているような。自分の健康維持のためにやっているようなものだね アハハ」 

 ……効率優先の社会に一石を投げかけているかのようなお話が聞けました。
 見るからに町内のご意見番のような風貌に 圧倒されつつも、メガネの奥からは、長い間勤めてこられた教職の中で培われた やさしく子供たちを見守ってきたまなざしを感じることができました。

                             【取材・同朋の会推進員】


                                           NO.24

 細 野 幸 子  さん (中之口村 潟浦新)
 

「私みたいなのでもいいんでしょうか?」

 ……いきなり迫力ある言葉が返ってきました。ハイ、どなたでもご縁があれば…。

「何もお話することもできないし、今までの人みたいに勉強もしていませんわ」

 ……いままでの人という事は、ちゃんと『寺報』を読んでくれていますね。それだけでも大変ありがたいです。

「それにしても、こんなこと(取材)になるなんて夢にも思わなかったわ。きっと子供が私に教えてくれているんだと思います」

 ……エエ? 何か特別な事情がありそうですね。

「あまりお話しすることじゃないけれど、もう39年もたちます。長男と年子でしたから…」
「21日しか生きられなかったんだよなー」

 ……言葉が詰まった所に、傍らで聞いておられたご主人から救いの手が入りました。

「どちらの皆さんも苦労しておられると思うけれど、ほんとに辛い事がいっぱいありました。今、こうやってお内仏に手を合わせることができるのも、きっとその子のおかげだと思います」

 ……すばらしい(?)ご縁をいただきましたねえ。

「たった21日しか顔を見ることができなかった我が子に、私は一番いろんなことを教えてもらってきたような人生でしたわ」

「だからこそ、感謝というのが一番大切だと思っているんです。毎日のテレビを見ていても悲惨なことばかり、特に子供たちの犯罪を聞くと切なくなります。もっと大人たちが感謝の気持ちを教えてあげればいいのにと、いつも思います。
 だってアリガトウという言葉を聞くとどんな時でも本当にうれしくなっちゃうんですもの」

 ……子育てに苦労してこられた分、小さな子供たちへの関心が深いようです。
 月忌まいりのときは、住職の勧めもあって正信偈をお勤めする幸子さん。


「実家のバアチャンに小さい時から一緒に座らさせられた経験があるから、なんとなく最初の5、6行は憶えていたようです。その孫親も、両親も亡くなり、いよいよ今度は私の番が来たかなという気がしてきました」(笑)

 ……それにしても、ついこの間の雨(7・13)は怖かったでしょう。

「エエ、ご覧のとおり、我が家は堤防のところにあるんですが、庭先のアジサイまで水が来ましたが、家の方は何とも…」

 ……それは良かった。でも三条は大変ですからね。

「連日テレビを見ているけれど、あのボランティアの人たちには感心させられます。あれは作業の手伝いだけじゃない、何かがあるから皆さん集まるんでしょうね。
 労力は差し上げられるけれど、きっと参加した人しかわからない感動を頂いて帰るんだとおもいます」

 ……感謝の気持ちを大きな声で訴えておられました。
 ふと長押に目をやると、中之口川を挟んで広がる桃の花の木版画が掛けてあります。

「おとうさんの許しをいただいて、『中之口良寛会』に入っているんです。何もわからないんですが、せっかく我が家の前に良寛さんの碑がありますから、少しは勉強してもいいかなっと思って」

 センスが光る一品に清涼感を味わいました。

                             【取材・同朋の会推進員】

                                               △ もどる


                                           NO.23

 金 子   浩 さん (新飯田 川前)

 ……スポーツ写真家として知る人ぞ知るといういつもクールな金子さんを訪ねました。

「カメラは今は休んでいるんですよ」

 ……エエ? 情報不足!

「近眼が少し進んで早い動きにはちょっとネ。それにもともと飽きっぽい性格だから」

 ……でも20年近くもやってこられたんでしょう?

「それはまあそうだけれど、もともとカメラを持つキッカケは会社勤めの頃、友人が火災にあっちゃって、昔の写真がすっかりなくなったんですよ。それに僕もあまり自分の写真がなかったから、そんなのが始まりでしたからね」

 ……聞かなきゃよかったような話ですね、でも振り返ると案外原点はそんな所かもしれません。

「僕も陸上をやっていたからスポーツは好きでしたし、追っかけていたのはアマチュアオンリーです。地方大会の無名の選手に魅力を感じました。陸上はもちろんサッカー、野球、ボクシング…、何でも撮りに行ったような気がします。
 選手のパンチが当たった瞬間のように 記憶の中にしかないものを、シャッターで切り取るのがスリルがあります」

 ……以前は県展や二科展にも出品されたとか。

「モノクロ(白黒写真)作品が主でしたから、自分で現像から焼き増しまで、パネルもみんな張りました。でも、今はそんな自由なつくり方の作品が展覧会にあわなくなっちゃいました」

 ……休んでいる原因はほかにもありそうですね。
 忙しい塾講師の傍ら、今は釣りに出かけているとか

「ええ 寺泊にはよく行きます。でも僕はこだわっているわけじゃないけれど、環境を考えてルアー(疑似餌)を使うことが多いんです。それと釣ってきた魚はほとんど食べます」

 ……知らなかったなあ、生きている餌のほうがよく釣れると思うんですけれど?

「ああそれは勘違いかもしれないですね。僕は自己流でしかないから人には言えないけれど、魚がえさとして興味をもつのは、目と耳と鼻だと思うんです。
 その中でも動きと音のほうが食いつく原因じゃないかなあ。でもキスのように生餌でなきゃ釣れないのもあるしね、ウフフ」

 ……床の間には大会のトロフィーがいくつか、腕には自信がありそうですね

「うーん、一時間で40センチのソイを28匹あげたことがありましたよ。でもあの時はもって帰ってくるのに大変だったなあ」

 ……釣ってきた魚は全部ご自分で料理されるとか

「これもつまらない動機なんですが、母がそういうことを何にもしないものだから、自分自身で見よう見まねで少しずつやっていたらやれるようになったんです」

 ……今では三枚におろして、お刺身まで作って召し上がる腕前とか

「なんでも興味を持って回数を重ねると、それなりに道があると思います。さおを持っているときは絶対に釣れると思う気持ちが一番大事かな、難しい理屈はわからないけれど」

 ……物静かではありますが、一つ筋の通った職人のようなお話でした。読者の皆さんもいろんなことにぜひ挑戦されてみては! 
                             【取材・同朋の会 推進員】

                                               △ もどる


                                           NO.22

 米 持 和 子 さん (新飯田 東大通)

 ……三寒四温の言葉どおり、少しずつ春の足音が聞こえてくる今日この頃、仕事中にもかかわらず押しかけ取材にお邪魔しました。

 「強引な取材願いでこまってしまいます。その昔、一番下の子がお寺様にキャンプに連れて行っていただいて帰ってきたら、お経を読んだのにはびっくりして、私もこうしていられないわと思ってから、何もしなくて10年もたちました。(笑) まだ初心者なので、住職さんの後ろに座っているのがやっとなんです」

 ……カラオケじゃないんですから、うまくなる必要はないと思うんですけど。

 「私も本を読むのが好きなんですが、住職さんもたくさん読んでおられるようですね。お話を聞いていてもほんとに話題が豊富でびっくりしてます。そんな住職さんのお話が聞きたくて、毎月22日に集まりがあるとかで(青壮年部同朋会)、行ってみようかと思うんですが、一人ではなかなか勇気がなくて」

 ……どなたか一緒に参加してくれる人が見つかるといいですねえ。

 「それとあまり聞く機会はないんですが、住職さんの法話は、お若いのにとっても深い言葉があって感心させられます。私って変な性格なんでしょうか? 
 どこかへ出かけたり、どなたかのお話を聞いたりしたときは、必ず何か一つは持って帰ろうと決めているんです。だってせっかく貴重な時間を使っているんですから。住職さんのときは、それがたくさんあるように思います」

 ……今回の訪問は、不本意ながら、熱烈な等運寺ファンクラブを訪ねているような心持です。
 中学生のときからの古い友人の進めもあって、今では裂織(さきおり)を趣味にしておられる和子さん。

 「あまり時間がないからいい作品はできないんですが、これをやっていると、ほかのことを忘れられてとっても気持ちいいんです。私はきっと一人でやるような趣味にむいているのかもしれませんね。
 決まりきったのはやりたくないし、かといって生来の貧乏性だからせっかく裂いた生地は棄てたくないし、その点この裂き織りは、二つと同じものができないのと、どんな少しの材料でも無駄にしないからとっても私にあっています」

 ……研究熱心な姿勢が、友人の工房を訪ねて東蒲原は三川村まで出かけたり、染色の勉強に新潟青陵短大の先生の教室まで足を運ばれたとか。体に似合わず(?)小回りのきく入れようですね(笑)

 「これをはじめてから思うんですが 見る布がみんなほしくなっちゃて、それといただいたりした布がほんとに棄てられないんです。どんなちっちゃなモノでも何かに活かしてあげられないかなあと思うと、いてもたってもいられなくなっちゃうんです。
 今の世の中なんでも使い捨てばかりで、もう一度役に立ててあげることができたらいいのになあと、そんな思いで取り組んでいるんです。こんな事いうと年がばれてしまいますねえ、アハハ」

 ……もったいないという言葉をもっと大切にしなければと反省した今日の取材でした。

                             【取材・同朋の会 推進員】

【裂織(さきおり)】
 主に古い着物の絹地を裂いて、 それを緯(よこいと)として、 新しい生地に仕上げたり、絵画 のように織り込んだ織物。

                                               △ もどる


                                           NO.21

 冨 樫 清 吉 さん (中之口村 潟浦新)

 ……三条は八幡小路の近く、鍛冶町で生れ、天狗様のげたの音を聞いて育った生粋の三条男、研磨業一筋に一家を支えてこられた冨樫さん。縁あってこの地に越してこられて、はや18年がたちました。

 「早いもんですなあ 私が家を建った頃はまだこの辺は1、2軒しか家がなかったんですがねえ。今では道から我が家が見えないくらいになっちゃって。仕事の関係で一時燕で暮らしていたんですが、生家が借地であったせいもあって家族と相談して、大借金をして(笑)ここに家を建てました」

 ……お顔を見てのとおり豪快な笑い声と共に、なつかしい三条の話が始まりました。

 「いやあ、こんな所で昔話で盛り上がるとは思わなかったたなあ。でもねえ実を言うと、こちらに引っ越してからは一度も八幡様の小路に入ったことがないんですよ。別に悪いことをして出て来たわけじゃないんだけれど、なんとなく足が向かないんですよねえ」

…四代目に当たるという清吉さん、当然お寺もお墓も三条では ?

 「ええそうなんですが 場所が遠くなったせいか、なかなか来ていただけなくなっちゃって困っていたところ、知り合いの燕ぎんなん保育園の園長先生からご紹介いただいて、早速前住職さんから来て頂きました。
 等運寺さんは暇だったんでしょうかねえ(大爆笑)。でも良いご縁をいただいて喜んでいます」

 ……今ではこの町内のまとめ役になっているとか ?

 「とんでもない。でも越してくる方皆さんいい人たちで、毎日楽しくやっていますよ。私の口利きではないんですが、2,3軒の方も一緒に住職さんにご厄介になっています。早い頃も、墓地を求めた方がありました」

 「でもあの『無量寿』は良いですねえ。聞けば一番最初に等運寺さんが入られたとか。普通は、おまいりしてくれる人たちがおられなくなった方たちが、そういうお墓を求められると聞きます。そうして、その脇には立派な(?)お寺さんの墓があるのが常でしょう」

 「口ではいろんなことが言えますが、態度で示すことはなかなか難しいはずです。月忌参りの時でもお忙しいはずなのに、私たちに合わせてゆっくりと時間をかけて正信偈を読んでいただきます。そういう姿勢は、今の住職さんを見ても伝わってきます」

 ……わざわざお仲間と一緒に、新飯田まで夜のお経会にも参加されたとか

 「法話を聴くのがすきなんですね。でも知らない所まで出かけていくのは勇気がいりますねえ。しかしそこに又新しいご縁が始まるはずです」

 ……今は現役引退、と思いきや中之口体育館に一日おきに管理係として通う毎日。

 「いやあ まだまだ借金がいっぱいあるうちは稼がねばだめだね(笑)。今では少し慣れたんですが、始めの頃に中学生がクラブ活動に使って、後始末の後、いきなり整列している所に呼び出されて挨拶を受けた時には、びっくりするやら恥ずかしいやらで、この歳になってあわてましたよハハ。
 部活をやっている子供は気持ちが良いですねえ。大人の私が子供たちに教えられました」

 ……『生涯現役、臨終卒業』どこかで見たようなことばが当てはまる三条職人の気質が伝わりました。
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                                                                                                         No.20
 星 井 和 代 さん (新飯田 川前)  20

 ……20回目という記念すべき(?)取材は星井さんに当りました。そこで今回はみっちりと話を聞くために、夜の訪問です。
…こんばんは、

「ど、どうしてわたしのところに来るんですか? 目立たないようにひっそりと人生を暮しているというのに(笑)。本当に住職さんは意地悪な方なんですネ。私なんか、何もお寺の行事やお手伝いにも参加したことがないのにネ」

…ハハァ、それが原因ですね(笑)。いろんなところに顔を見せている人は、あまりこのページには出演していませんから、ガハハ

 「でも私チョッと仏様が身近に感じたことがあったんですよ」

…それは大事件ですね。

 「7、8年くらい前になるでしょうか。高校生の時から本当に親しくしていた友人が、病気で亡くなってしまったんです。学校に通っているときから結核に冒されて、でも持ち前の明るい性格で、留年までして卒業されたんですよ。結婚をされて子供さんまでできたのに。世の中は真に不公平にできていると思いました」

…ショックでしたでしょうね。

 「何回かお見舞いに行ったんですが、最後はとても伺うのがつらくなってしまい、逆にそれが今では心残りになっちゃって。そんな時はどうしたらよかったんでしょう?」

…病気のお友達の気持ちを考えると、お見舞いに来て欲しい自分と、いまの姿を見られたくない自分と、

 「すごく迷って、彼女の気持ちを考え、あまり会いたくなかったんじゃないのかなと思い、最後は足をはこばなかったんです」

…複雑な気持ちですね

 「くやしいですよね、人間というのは。自分の心に忠実に気持ちをさらけ出すということがなかなかできないものなんですね。死んでしまうかもしれない、二度と会えないかもしれない、そんな時でも、いろいろ言い訳や都合を考えてしまって…」

…でもこうやってお話をされるということは、きっと亡くなられた方(仏様)のご縁があったんでしょう。

 「そのせいではないんですが、ここのところやけに健康に関心がたかくなって、あれを食べなさいとか、これはいけないとか、お父さんにもチョッと嫌がられているみたい」


…和代さんも、ご多分に洩れず
『モンタ』マジック(※註)にかかりましたね。でもそれはただの年齢のせいでしょう(笑)
 ふと見ると、通されたお茶の間にはお嬢さんが書かれた軸がかけてありました。

 「我が家には、お宝になるものが何もないから、仕方なくかけてあるんですよ」

…でもそれが一番じゃないですか

 「私は、床の間に置くようなものの見方も飾り方も全然わからないんです。でも不思議ですね、わからないと思ったときから逆に開き直っちゃって、自分をさらけ出せるんですから、ハハハ」

 ……そんな素直な生き方が、きっとステキな家庭をつくることができると思います。
 

 「でも、心にウソをつかないというのは難しいですね。私にはできないわ」

 ……今日は五日、三条の別院では報恩講(お取り越し)が始まっています。そんなご縁のあるようなお話を夜遅くまでさせていただきました。

 
※ 「みのもんた」が、数々の健康法を紹介する
    昼のテレビ番組の影響の意
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                                                No.19
 栗 山 政 義 さん (新飯田 下町)

 ……夏らしい夏もなく、いつのまにか秋になってしまったと思ったら、今年一番の暑さ(台風14号)。今回は久々の男性の登場です。

「暑いのにご苦労さまです。ところで今日は何のご用ですか?」

…ドキ! 寺報の中の『忙中閑話』の取材に来たんですよ。ボケるにはまだ早いですよ。

「悪い、悪い。でもあんまりお寺さんには関わっていないからなあ。何で僕が?」

…私が質問攻めにあってちゃしょうがないです。

「ほんとに恥ずかしい話だけれど、お寺の用事というのは年寄りのすることだと思っていたから。葬式か法事くらいしか縁が無かったんだよねえ」

…葬式仏教の申し子みたいですね。

「妻も僕も勤め人だから、なかなかお寺さんと話をするチャンスもなかったし。でも3年くらい前から、実は月忌参りを第1日曜日にしていただいているんです」

…エエ! 初めて聞きました。曜日で決めている月忌参りがあるなんて。でもこんなことが他の檀家さんにわかったら、住職は大変困るだろうなあ。

「そんな無理を言っているせいもあってか、朝から待っています。でも夕方になっておいでになることがあるんです。それも奥さんが。どきどきしますね。ハハハ」

…そのせいか、庭の草取りがうまそうですね(爆笑)
 

「でも少しずつ勉強になっています。正信偈のお勤めが終ってからのお話で、いろんなことを教えていただきました。線香のあげ方や、お鈴のたたき方。あれはお経をあげない時はたたいちゃいけないんですってねえ。他人のやることばっかりしか見てこなかったから、仏壇の前に座るとたたくものとばっかり思ってやってましたよ。
等運寺さんからいただいた青い勤行集、あれはいいですね。もう1冊譲っていただいて、僕の実家(上越市)に持っていきました。喜んで大切にしてくれています」

 ……これからも恥ずかしがらずに、何でも住職に聞いていこうという意欲満々の姿には、初心を忘れかけている私には、ちょっぴりうらやましい姿です。

 …おや、庭にいろいろな形 の石がぽつぽつと置いて ありますが、あれは?

「いやなものをみられましたね。僕はあまり趣味をもたないんだけれど、数年前に実家のほうに帰って、糸魚川の海岸を歩いていたときに、たまたま見つけた石があったんです。
 僕にはその石が宝物に見えて、その時から河原や海岸を歩いていると、下の方ばかり見るようになっちゃって、気に入った石があると、拾って来て、家で磨くのが楽しみなんです。ほんとは拾ってきちゃいけないんでしょうけれどね」

……なるほど、よく見ると、ていねいに磨いた跡がありました。

「自然にできた石の模様を見ていると、ほんとに不思議ですよね。その時その時の気分によって、いろんなものに見えてくるんですよ。石はまったく同じなんでしょうが、見る人の気持ちが変化しているんでしょうね」

……めまぐるしく変わる私たちの心そのものを写している言葉に聞こえました。おかげさまで暑い一日に、少しの清涼感を感じました。
 それにしても、この暑さと阪神の優勝はどうなったんでしょう。
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.                                                No.18
  金 子 則 子 さん(三条市栗林)

…おや赤ちゃんのなき声が?

「そうなんです、3人目の孫が生まれたばかりで、ごめんなさいね、ちらっかていて」

…にぎやかでいいじゃな いですか

「でもご連絡があったのでちゃんとお化粧をして待ってたんですよ」

…ドキ!(胸騒ぎ)取材 という名の……

「孫の話をするようじゃねエ(笑)。でもこうやって孫が生まれて本当に勉強になっているんですよ。結婚して3人の子供に恵まれたんですが、長女の子育てでずいぶん苦労しました。あの頃テレビにあった『積み木くずし』そのものの毎日でしたわ」 

 ……いきなりのものすごい話が始まりました。

「高度成長期の景気がよくて毎日遅くまで残業のなか、子供には物を買ってあげることで不自由が無いように育てたつもりだったんです。 結局それがいけなかったったんでしょうね。反抗期の真っ只中、ぜんぜん言う事聞いてくれなくて」

 …普通の主婦では経験で きないこともずいぶんあったようですね。

「人間つらくなると、神仏にすがるというのは本当ですね その頃はいろんな人に勧められて…、でも結局はどうしようもなかったんですよ」

「その子がこうやって母になって私がおばあちゃん、今では貴重な体験でした。 事実は小説より奇なりというけれど、どちらがテレビドラマかわからないです」

…そういえば、新しい家 庭なのにお内仏があるなんて…。

「主人の実家が等運寺さんで、そのご縁で毎月来ていただいています。でも友達が来ると、どうして仏壇が?よく聞かれました」

…ずいぶんいろんなお宅に伺いましたが、仏様(亡くなった人)がおられないのに、お内仏にお勤めをする方は初めてです。でもそれが本当なんですけれどね

「主人と毎日手を合わせています。そのせいか子供達も仏壇のお給仕を手伝ってくれることもあるんです。でも本当のこと言うと、正信偈はよく読めないんです。アハハ、ご住職に言わないでくださいね」(大爆笑)

…口が堅いから絶対に言いません。
高校生の頃から山岳部に在籍をするほどのアウトドアー派。三条市の運動教室には20年間通っているとか。

「いろんな友達と一緒に騒ぐのがすきなんですね。少しずつ長く続けるのが性格にあっているのかな。そしてペチャクチャと家庭のこと主人のこと、体や子供、問題児のことは私はアドバイザーになれます。ウフフ」

…今でも山野草を見に山に出かけられるとか。

「ウン年前は、白馬岳から唐松岳まで縦走したこともありました。白馬の大雪渓を上った上にあった お花畑は今でも忘れられないわ」

…今一番のお楽しみは、年に1、2回開催される松山千春のコンサートに出かけることとか

「これだけは主人に反対されても絶対出かけます。人には言えないけれどファンクラブに入っているんですよ」

…今度カラオケに行って『長い夜』でも歌いましょうか。

                     
 【白馬岳…北アルプス2932b】
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                                                No.17
 金 子 き い さん(新飯田 古町)

「初めまして、金子きいです」

…?? キイさんですか?

「ひらがなの名前なんですよ。初対面の方にはいつもそういってお断りしないと。
 どういうつもりで両親が付けてくれたのかしら、後で聞いたら本当はカタカナらしかったの、でも届けるときに役場の方にいまさらはやらない名前とか言われたらしく、その場でかなになったみたい。いい加減な父親ねエ おほほ」

「名前といえば、もうお嫁にきて?年にもなるんですけど、町内をはじめ、新飯田の方の屋号と名前がまだ一致しないんですよ」

…50年住んでいる私でも、まだわからないところがありますから

「ああよかった」(大笑)

「特に今ではあんまり屋号は使わなくなってしまったから、同じ苗字があるから地区内では昔からの生活の知恵で便利なんでしょうけれどねエ」

「父親といえば、実は去年90歳で亡くなったんですが、亡くなる2週間くらい前まで本当に元気で、自分のこともちゃんとできてましたし、人間あんなふうに一生を過ごせたらいいなあと、つくづく思いました」

…身近に人生のお手本がありましたね

「母にはあんまりしかられたことはなかったんですが、父からはよく怒られましたわ」

…まるでボケと突っ込みですね

「ほんと、でも最近子供達をしかったことを後で反省してみると、どうも親と同じ怒り方をしているように思えてなりません(笑い)。別にまねをしているつもりはないんですが、やはりDNAがそうさせているんでしょうか」

…子供さんと一緒に始めたスイミングも、今ではご自分の健康法に変わったとか。

「おかげで腰の調子がよくなったみたい。このまま続けていこうかなと思っています」

 ……ご自宅で和裁がお仕事の金子さん。
 

「最近、きものを着る人たちが少なくなって、先日も卒業式、入学式と出席しましたが、和服は私一人。チョッとがっかりと、逆に恥ずかしかったわ。気分を変えるには普段でも着物に着替えてみるものいいんですけれど。まず自分から実践ネ」

 ……それにしてもわずかな時間でしたが、お互いにしゃべりまくった初対面でした。
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                                                No.16
 佐 藤 和 子 さん(新飯田 横町)

 ……新飯田に越してはや3年弱、もともとニイダっ子の和子さん、外見はとってもおとなしそう、はたして?

「私あまりお話しするのが苦手なんです。趣味も持っていないし何にもできないし…」

…こまったなあ(笑)。 ほんとに何もないん ですか?

「…前にお花と料理を習ったことはあるんですが、いろんなことをやりたいと思っても、あまり長続きをしたことがないんですよ。人と交わるのが苦手なんですね。中学生の時、適性検査というのがあったんですよ」

…そういえばありました。

「その結果が人の上には絶対に立てない、むかない職業は講師、先生でした。そのときの言葉が今でも頭の中にありますわ」

…いわゆるトラウマ状態ですね(笑)

「以前に主人から囲碁を教えてもらったことがあるんですが、ほんのチョッとだけなんですよ、その時もとっても眠くなって、本当に恥ずかしかったわ」

…そういえばご主人は名人級の腕前とか?

「そこまではないと思いますが、最近囲碁のお仲間ができたようです。それと鮎釣りが好きで、準備の仕掛けを作っているときは夢中になってまるで子供のような顔をして、ウフフ」

 ……ご主人の話題でようやく笑顔がこぼれました

「実は、最近ちょっとはまっている事があるんです」

…何かすごいことでも?

「いいえたいした事じゃないんですが、新聞のクイズに応募しているんです。掲載されている写真を見て、それが何かを当てるのですけど、解答のほかにそれにまつわる4、5行のエピソードを一緒に送るんです。それが3回ほど掲載されて、チョッといい気分ですね」

…へエーたいしたもんじゃないですか。

「それが今の私のささやかな楽しみかしら、それにしても50円は安すぎる趣味ですね」

 ……ご住職に勧められて始めた正信偈も1年半ほどに、

「亡くなった父がそうでした。お寺さんがおいでになるのをとても楽しみにしていました。私もお寺様が唯一のお客様です」

 ……か細いからだの中にひとつの芯が通っている感じがしました。

    
※ トラウマ【traumaギリシア】(傷・けがの意) 精神的外傷
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                                                No.15
 宮 本 和 子 さん(三条市 月岡)

 ……小春日和、この秋一番のいい天気。守門の山並みもクッキリ見えます。ドライブをかねての取材訪問です。久しぶりに「渡良瀬橋」を渡って伺いました。

「よくここがわかりましたねえ。17年前に越してきたときは家の回りはみんな真っ暗でおばあちゃんと二人で思わず涙が出ましたわ。でも住めば都とはよく言ったものですね。今ではここが一番いいところになりました」

 ……取材用に通された部屋も南向きのとっても明るいお部屋。近くの山が手に取るようです。

「おうちの中で一番いい場所を、みんなで陣取っています。代わりにお内仏のある茶の間が北側になって…」

 ……チャメッケたっぷりに笑顔がこぼれます。

「月忌参りの日になると、いつも落ち着かなくて、なるべくおばあちゃんと二人でお待ちしているんです。そんな時になると他の用ができたりして、ご住職にお会いできないときがあり、申し訳ないなあと思っています。
 でもその日が過ぎると1ヵ月のお勤めが終わったようなホッとした気持ちになります」

…でも和子さんのように心待ちにしている方がいるというのは、ご住職には最高の心強い味方ですね。
 まだお勤めをされていた15年前に、生死を分けるほどの大病をされて以来、おばあさんと一緒にお家を守ってこられたとのこと。

「先日お亡くなりになった宮様と同じ病名でしたの。あらためて今生きているのが本当に不思議なくらい。再びいただいた命だから大切にして行こうと思います」

…正信偈を読むきっかけもそんなところから。

「ご住職に勧められて始めました。でもまだ初心者なんですよウフフ」

…ご長男は大学を終えられ東京に就職。そんな中で、ご家族3人は三者三様のご趣味をお持ちとか。

「主人は書道、先日も展覧会出品に忙しそうでした。おばあちゃんはパッチワーク、私は不器用なんですが編み物を。でも、自分で編んだセーターなんかはもったいなくて、なかなか着れないですよね」 

 ……壁にはおばあさんの作品が、和子さんは自作のセーターを着ての本日の取材は、とっても楽しいひと時でした。お一人ずつの世界があるなんて素適ですね。
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                                                No.14
  金 子 堅 一 さん (新飯田 古町)

 今年はいつになく寒さが早くやってきました。しかしこちらのご家庭はポッカポカ。41年間お勤めの新潟交通を昨年退職され、悠々自適の毎日?、観光旅行の生き字引。そんな金子さんをたずねました。

…いろいろなところに 添乗されましたね?

「本社旅行部に転属以来20年間、おかげさまで、日本全国いかなかった県はひとつもないですねえ。北海道や国後島から沖縄まで、退職前にどうしても行きたかった隠岐の島も最後に行けました」

…たくさんの思い出が あるでしょう。一番は何ですか?

「そうですね、あれは屋久島に行ったとき、お客様の一番後ろをついていったんです。最後の方と二人で前のグループと別れてしまい、私は何とか駐車場まで着いたんですが、お客様がはぐれてしまいました。
 地元の方が捜索隊の準備を始めるし、あの時だけは本当に顔が青くなりました。何とか捜索隊の出発前に、島の反対側で確認されほっとしました。でもこれは会社にも報告していないことだから、ナイショにしてくださいね、アハハハ」

…じゃあきっと楽しい(?)こともいっぱい あったんでしょう?

「それは企業秘密、ウフフフ」

…残念〈大爆笑〉
 新婚旅行以来、家族 旅行も含めてまった く旅行をされなかっ たとか。本当ですか?

「記憶にないですね。職業病でしょうか、土日もなしで出かけていましたから、旅に行っても行った気がしなかったんです。家族はきっと迷惑だったでしょう。
 でも退職してやっとわかったんですが、この添乗という仕事は私の天職だったように思えます。これだけは家族全員に感謝しています」

…お正信偈を読むきっ かけにもなったご両親との別れも在職中とか。

「お内仏に向かうことで、少しは親孝行ができたかなと思っています」

 ……昨年にひき続き、京都東本願寺の報恩講研修に参加される金子さん。すでにご住職に来年分も申込みされているとのこと。

「スタートが遅いからピッチを上げないと皆さんに追いつけません」

 ……新たな人生のスタートが始まりました。
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                                                No.13
 村 田 き よ の さん (三条市)

……新興いちじるしい三条は四日町に、村田さんをたずねました。
新築されたばっかりですか?

「ええ、市の道路拡張の計画にかかり、一昨年、それもご住職の同級生の大工さんにお願いしました」

…バリアフリーも、よく考えてありますね。

「平成10年4月に主人が病気にたおれてからは、そういう方面は特に気をつかいましたね。でも大工さんからは本当に良くしてもらいました。ご住職のお知りあいということもあって、私たちも安心してお願いできました」

…ご主人、まだお若いのに大変でしたね。それに看病に介護に…。

「そんなことはありませんわ。あまり深く考えない性格かしら、私は九人兄弟の末っ子なんです。だから楽天的なのかもしれませんね」

 ……ニコニコとした笑顔で、少しも辛いことなどなかったかのように、他人事のような話をしていただきました。

「でも、主人への接し方は変わらないつもりなんですが、長男に時々しかられますの。きっとわからないうちに顔に出ているんですね」
「子どもたちも小さい時から主人の仕事を見て育ったからかしら、家族中の心がまとまっています。私はそれが一番うれしいんです」

 ……きっと、きよのさんの明るい性格が、今の家庭をつくっているように感じました。
 お内仏のお給仕もきちんとされて、無駄なものは何もありません。

「ご住職から、新しい経本(青い等運寺版)をいただいてから勉強しています。いろんなことが書いてあって、あれはいいですね。
 いつもご住職と一緒に正信偈をあげるんですが、少し声が高くて……。時々奥様がおいでの時は、いろいろ話が弾んで脱線ばかり、ホホホ」

 ……秋空のようなカラッとした笑い声が響きました。
 今までは、これといった趣味の無かったというきよのさん、

「前に、確か『報恩』に載っていた、田上町で焼き物をやっている方がありましたね。今度私も拝見したいわ。できれば作ってみたいですね」

 ……意外なところで友だちの輪が出来そうです
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                                                No.12
 金 子 節 子 さん (新飯田 下町)

「おばあちゃん、また来てくださいね」
「おら年とって、もうダメろね」
「そんなこといわねで、まだまだ元気らねっかね…」

 ……年輩のお客さんが二人、忙しいところに金子さんにオジャマをいたしました。

「私、こういうインタビュー受けるの、にがて、すっきんねヮ」

 ……しかし、当局も最近図々しくなり、いきなり居間に上がりこみ。

…忙しそうですね?

「ウフフ、実はさっきまで主人に店番してもらって、プールに行っていたんですよ」

…おやおや、健康管理?それともダイエ……?

「ハハハ、どっちでしょう。昨年秋から始めたんですが、体の調子がイイですね。日曜日も行くことがありますから、毎日のように出かけています」

…その時は、いつもご 主人がお店番?

「そう、主人のお陰で、感謝してます。というのは嘘で、主人は入れ替わりで、大好きなゴルフの練習に。どっちもどっちかな、アハハ」

 ……ズバリ本音の発言に、一同爆笑。

「むかし、学校の頃、三番ド(なつかしい)で泳いだくらいで、初めて本格的なクロールを習いました。最近タイム計測するようになって、だんだん欲が出てきましたね」

 ……何にでも向上心を持ってぶつかっていく節子さんならではの歩み方が十分伝わります。お念仏に励んでおられたおばあさんが亡くなって六年あまり、その後姿をずっとご覧になってこられた。

「ばあちゃんがお経会でがんばっていた頃、我が家でも1年にいっぺんくらいだったでしょうか、お宿が回ってきたのを懐かしく思います」
「毎月10日になると、冬は昼から、それ以外の季節は夜。昔の人は一生懸命でしたね。ばあちゃんが大事にして読んでいた分厚い経本を見ると、今でもジーンときます」

 ……昨日の事のようにお話しいただきました。

「いまねえ、ドキドキしているんです」

…重大発表?

「実はずっと前から、ご住職に頼まれていたんですが、やっと決心して、今年からお盆の13日に、お寺の境内に店を出そうと思っているんですよ」

 ……きっと今年のお墓参りは、賑やかになることでしょう。
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                                                No.11
  山 本 俊 夫 ・ 黎 子 さん(新潟市 上所)

 ……新潟は昭和橋のたもと、朝晩はもとより交通ラッシュのメッカに、呉服店兼住宅の山本夫妻を訪ねました。

 …数年前まで市日の  行商もやっておられたんですって?

「出身が三条なものですから、35年前に新潟に越して来てからも、主人は出店していましたのよ」黎子。

「僕も女房も、元は公務員。特に僕は商売のしの字も知らないし初めての場所でしよう、義母にくっついてずいぶん苦労しましたよ。でも商いの先生はお客さまですね」

 ……近年の和服離れにすこしお嘆きのようす。

「着物は日本人の大切な文化なんですよ。お寺さんもそうですが、どんなに時代が変わってもその心は変わらないでほしいですねえ。ハワイの寺院のように日曜学校に出かけられるようなスタイルがほしいですね」

 ……現在ご主人は観世流の謡、奥様はお茶の先生と、お二人とも趣味を満喫しての毎日。

…歴史にもずいぶん 興味をお持ちとか?


「大好きな京都に出かけています。おかげさまで、だいぶ安い旅の仕方ができるようになりましたわ」黎子。

…本山報恩講最終日の坂東曲にもお参りを?

「お御堂で、たくさんの人々と一緒にお念仏をできたのは感激しました」

……お内仏の中からでてきたというお念仏に出会うきっかけとなった赤いお経本と、奥様用経本の2冊を大切にしておられました。
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                                                                                                          No.10
 斎 藤 三 郎 さん(三条市 代官島)

「いらっしやい!」

……いきなり元気のイイ声が耳に飛び込んで来ました。今回は『髪切り屋サブちゃん』こと『理容サイトウ』のご主人です。


…相変わらずの元気印ですね。

「アハハハ、私からこれをとったら何でも無くなるこてね。実は昨日、寝ないで富山まで水を取りに行って来てほんというと少し眠いんですよ」

…年甲斐もなく(?)よくやりますねえ。その元気の元は何なんですか?

「そのぐらいがんばらねば、ムコしていらんねこてね、アハハハ」

……縁あって新飯田中町にとついでこられ、その後、代官島に移転。さらに現在の所に再移転と、苦労を楽しみに変える頑張りマン。

「でも、私と違って今の住職は真面目らね。月忌参りの時ぐらいしか話をするチャンスがないけど、そんな感じがするね。それとお通夜の時の法話がうまいし、時間のくぎりがいいですね」

…お寺さんに は足を運ぶことはないですか?

「亡くなったじいちゃんは、お寺さんの役を長くしておられたので、度々行っておられたけれど、私は春彼岸とお盆ぐらいかな。法話のお知らせは見ているけれど、さそいもないし一人で行く勇気もないしね、アハハハ」

 ……天真爛慢な笑い声が響きました。斉藤さんといえば烏骨鶏に矮鶏、犬、亀、鈴虫と生き物が大好きとか。

「小さい時から動物が好きで、ここに来てからまた増えました。鈴虫は毎年たくさんの人におわけしていますよ」

……そんな優しい心が温かい家庭を創る原動力になっているのですね。
もうすぐおじいちやんになる予定とか。 いつまでもそのパワーを持ち続けて下さい。
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                                                                                                                                                                     No.9
 仲 野 道 代 さん(茨曽根 新村)

 ……今年も、あとひと月あまり、忙しく冬囲いに精を出している道代さんを、迷惑をかえりみず訪ねました。

…こういう仕事は男性陣のはずでは?

「いやァ、うちではみんな私がやるんですて。3年前に亡くなったじいちゃんが大事にしていたものばっかりですから。やっと男結びがうまくなりました」

 ……3人のお嬢さんの母、だんなさんの工事店のお手伝いに主婦業と、家の一切をまかる、まさに肝っ玉かあさん?

「恥ずかしいヮ、私ぶきっちょだから目の前の仕事しか出来なくて。でも、じいちゃんのお陰で、お内仏の前に座るようになりました」

…新村ではお講がある そうですね。

「はい、やりくりつけて行くようにしています。それと、月忌まいりに、ご住職や奥さんが来られると一緒に…。

 お参りが終わると、いつも身近なお話ばっかりされるから、私も楽しいんです。だから、自然にその日を気にするようになりました。」

……5年前に、だんな様が脳いっ血で倒れられ、2ヵ月余の入院生活後、奇跡的に快復、そしてお仕事に復帰とのこと。お話を伺っていると波乱万丈の連続。しかし、全くそんなことなど、人ごとのように話してくれるご気性にびっくり。


「これから時間ができたら、いろいろなものを習ってみたいですね。手作りのものが好きなんです。でもまだ一番下の娘が受験ですから、あと4年は無理ですね」

……今は妹さんに頼まれた『しなの園』のボランティアに使う衣装を作製中とのこと。

「私もそういうところに足を運べたらいいんでしょうけれどね」

……本当のボランティアは、道代さんのような縁の下の仕事をする人のような気がしました。
                                             △ もどる


                                                                                                           No.8
 小 林 美 咲 ちゃん(新飯田 東大通 ・小学5年)

「こんにちは !」

……いきなり元気な声が飛び込んで来ました。今回は新飯田小学校5年生の、かわいらしい女の子。

…お正信偈に出会う きっかけは?

「小学2年生の時、お寺さんが募集したスキーの集いで、初めてみんなで読みました。 
 その後、お寺さんが家にお経を読みにきた時、たまたま私がいて、お母さんにすすめられました。そしたらお寺さんが、私に赤いお経本をくれました」

…うまく読めましたか?

「はい、とってもゆっくり読んでくれたから、なんとかできました」

…じゃあベテランだね

「でも1年間で、一緒に読むのは長いお休みの時だけ、5、6回かな」

……学校では家庭科が好きという美咲ちゃん。習い事も空手、習字、そろばん、ピアノと毎日すき間なく活躍中。

…忙しくて大変だねえ。

「だけど試合や大会に出て賞をもらったりするのは楽しいから」

……そろばんは準初段の腕前、大人顔負けの技を披露してくれました。今の目標は段を取ること。その猛練習中。 ガンバレ !

「でも友達と遊んでいる時がもっと楽しい」

……ようやく小学生らしいお話が聞けました。

…お母さんのお家がお寿司屋さんだったんだよね。みさきちゃんもお寿司が大好きかな?


「ううん、あまりすきじゃない。大好きなのは、ステーキ」

……そばにいたお母さんが大きな声でおもわず笑いました。とってもあったかな家庭の様子を感じました。

 お母さんの談…。


「いつもの美咲と全然違って、最後までものすごく緊張していたようです。でもおかげさまで、初めて美咲がそろばんを弾いているのが見られました。ありがとうございました」
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  小 杉 良 子 さ ん(新飯田・仲町)

「ダメです私、そういうのダメなんです」

……事前に依頼はしていたものの、突然の訪問に、いきなり取材拒否の言葉が出て来ました。

「2年程前から始めたばかりで、先日亡くなったおばあさんの代わりに、お寺さんの後ろに座っているだけなんですよ」

……しかし、無理やり上がりこんでお話をしているうちに少しずつ…。

「おじいさんが亡くなってから、初めてお寺さんとのおつき合いなんです。それまでは、おばあさんが一生懸命に『般若心経』を読んでおられました。
 私の実家も禅宗でしたので、それがなんだかは解りました。等運寺さんにご緑がありましてからは、お正信偈に変わりましたね。オホホホ」

「私は、そのおばあさんの後を継いでいるだけなんです」

…それにしても、ほとんど朝晩2回ずつとはすごいですねえ

「朝は私が、夜は主人が手を合わせています。 私も感心するんですが、主人は夜遅く帰ってきても、お内仏の前に手を合わせてから休んでいるようですね」

……マルコの社長さんの意外な(?)一面が、奥様の口からポロリと。

「でも、作法も何もわからないので、度々ご住職に質問ばっかり、きっと呆れておられるでしょうね。「焼香のしかたも教えていただいたばかり。初心者の講座でもあれば参加したいですね」

……ご主人と一緒に楽しんだゴルフも、ヘルニアを煩ってからは休憩中。

「今は犬の散歩と雪割草が楽しみですね。お経と同じで、まだ初心者ですけど。春になったら、この30鉢に花が咲く…」
と、とっても嬉しそうです。

「でも一番に待ちどおしいのは、お兄ちゃんのお嫁さんと、孫の顔かな、 ウフフ 」

 ……最後にようやく本音がでました。
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 浅 生 田 綾 子 さ ん(三条市 新光町)

 ……バリバリ現役の熟女・綾子さんを会社の事務所へ訪問。

…元気の源はなんです か?


「仕事をしている時が一番ね、亡くなった主人が残していってくれたこの会社があるからかしら」

…ご主人との突然の別れから17年、大変だったですね。

「私の人生それまでは本当に思い通りでした。結婚をして、子供も上は女の子、次は男の子。会社を起こしてからも小さいながらも毎年伸びてきました」

……ご主人との楽しかった時の思い出話が、次から次へと飛び出しました。

「亡くなった時は本当にショックでした。お内仏の前に座りっぱなしの時もたびたび。でもその主人が仏様に会わせてくれたんです」

…お正信偈にあわれたのもその頃ですか?

「テープに録音してもらい、見よう見まねで。前住職さんにも優しくしていただきました。 今のご住職には、月忌参りの時は一番遅く来ていただくようお願いしています。その日ばかりは会社を早退して家に帰ります。
 でも、お正信偈もそこそこに、色々な話に花が咲いて、つい時間を忘れて、きっとご迷惑でしょうね(笑)」

…そんなことはありません。ご住職は女性が大好きですから、 アハハ…。

「会社も家庭も『和』が大切に思います。口げんかもいっぱいしてきました。嫌なことも沢山ありました。でもいつまでもグチるのは絶対いや、これももって生まれた性格かしら、ウフフフ」

……綾子さんは自立の人生が目標。二人の子供さんもそれぞれに独立され、現在はパソコンのゲームに熱中とか。

「死ぬ前に32,000のゲームを征服したいの…」

 ……とても還暦?には思えない独身貴族並みのパワーには負けました。
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  横 山 新 一 さ ん(新飯田・仲町)

 ……見習い修業後、ご両親と共に商売ひとすじ40年あまり。しかしそのすべての期間は、地域のボランティア活動へささげての毎日といっても過言ではない横山さん。いつも明るくて元気いっぱい。

「最近、ここ4、5年でしょうか、急に仏事の用が増えました。妻の実家に始まり、親父、お袋と、当然その後が1年2年とつながりますし、今まで親父任せだったからでしょうかね」

……お正信偈に出会うきっかけもそんなところからでしょうか?

「親父が亡くなってから、お袋の調子が今一つすぐれなくて、そんな時、ご住職からお経のテープをいただき、それを聞きながら少しずつ練習をしました」

……独学ですか? 大変だったでしょう。

「しばらくして、月忌参りにおいでになったご住職が、赤い経本に鉛筆でいろいろと印をつけてくれました。声の調子やら、息継ぎやら……。 お経を聞いている時が、お袋の気持ちが一番安定していたんですね。一日に4回くらい読んだ時もありました」

……いろいろと大変だったんですねえ。でも今ではすっかりベテランの域 ?

「とてもとても、今は覚えることで精一杯。でも、車の中で黙読するのが一番頭に入るかな、ワハハハ」

「有り難かったのは友人からいただいた『いのち』という冊子でした。お正信偈の意味や、いろいろな話が優しい言葉で書いてあり、勉強になりました」

……いくつになっても努力家の万年青年? 現在は、最愛の奥様と二人三脚で商売をきりもりし、今日も明るく元気なあいさつの声が町内にひびきます。
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 石 田  泉 さ ん(田上町)         土生田焼(はにゅうだやき)

 ……亀田町から陶芸家のご主人に嫁いで10数年、中学生の娘さんを頭に3人のお子さんがいるとはとっても思えない若くみずみずしい泉さん。今は家庭内のこと
はもちろん、お内仏のお給仕も、全てこなしておられます。

 …お若いのに頑張っておられますね?

「7年程前、義母が病に倒れたのが一つのきっかけでした。それから2、3年した時でしたでしょうか、月忌参りにおいでになったご住職にすすめられ その時からです。
 実家の両親に相談をしたら、それはいいことだとすすめられ、へたくそながらも楽しみにしています」

 ……平成11年に、ご主人の工房と供に新築をされたモダンなお家。拝見をしたら、

 「そうなんです、今までは仏間にお内仏がありました。でも家族がいるあったかく賑やかな部屋が良いかなと思い、台所リビングに移しました」

 ……ご住職に相談され、お内仏の中もすっきりと リセット !

「こういう時は、お寺さんの一言が効果があるんですよねえ、義母もすっかり賛成(?)してくれましたもの(笑)」

 ……保守、革新が入り乱れている若奥さま。でもそこには新しい1ページが見えます

「でも、私はわがままだから、ご住職もこまっておられるのでは?」

…何かありましたか?

「一度ご都合が悪くて奥様がおいでになったんです。その時から主人にお願いして、月忌参りはぜひ奥様にと…」

 (前号に引き続き、 住職の支持率低下…)

 ……今はコーラスグループの活動が一番とか。その時ばかりは、嫌な車の運転も忘れて参加。


「主人はお客さまに夢を売る仕事、皆さんの嬉しい顔を見るのが私はすきです」

 ……焼き上がった作品の中でさわやかな笑顔が輝きました。
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 吉 野 せ つ 子 さ ん(新飯田・横町)

 ……新飯田にお嫁にこられて、はや30有余年。今ではすっかり居着いて(?)しまった吉野さん。
 お2人の子供さんはご結婚をされ、お孫さんも3人。はなれて暮らしていてもまだまだ若い2人暮らしです。

 …どんなきっかけで  お正信偈を読むように?

「3年ほど前、若住職さんが、毎月8日の月経においでの際に、一緒に読んでみませんか?と声をかけていただきました。特に断る勇気もなかったので、その時からです」

 …たったそれだけのきっかけだったんですか?

「はい、それまで全然ご緑がありません。小さい時に母が読んでいたのを少し覚えていました。でもその日からは、毎日練習をしました。おかげさまで、今では実家に帰った時も、一人でも読めるようになりました。でも、8日が近づくとソワソワしたり、8日が過ぎると、ほっとしたりしています。おほほほ」

 …お寺さんのお講や、在家をお宿にしてのお講にはまだ参加をされたことはないですか?

「ええ、なにかお年寄りがいく所みたいな気がして…。でも私もその歳になっちゃいましたわ、アハハハ」
「お仲間がいたり、きっかけがあれば、ぜひ一度法話を聞いてみたいと思います」

 …ご縁があるように  期待いたします。

「お店があるので、ご住職さんがおいでの時はいつも私ばかり。年齢差もあって、すごく真面目そうな方なので、冗談も言えないんです。できれば奥様の方が…」

……そんな、ちゃめっけたっぷりに話をされる若奥様(?)でした。
最近では、最愛のだんなさまとの海外旅行が一番のたのしみ。それと百名山へのトレッキングがストレス解消と生きがいだそうです。

 そういえば、吉野さんご夫婦といえば、新飯田のナイトウォークのパイオニアでした。
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 山 崎 智 治  さ ん(新飯田・下中村)

  ……実りの秋を迎え、二十世紀梨のもぎ取りに忙しい山崎さんを、訪ねました。最愛のおばあさんに先だたれながらも、今では悠々自適、充実した毎日です。

 …最初に「お正信偈」に出会ったのは?

「私の兄がなくなってまもなく、母親の勧めもあり、今春になくなった前住職を中心に、仏教青年団が結成され、その時が最初でした。 それまでは全くお寺さんとはご縁がありません」

 ……懐かしそうに46、7年前の様子を語っていただきました。

 冬場に等運寺へ行って練習の日々。また当時数名いた仏青団員の家々でよんだ正信偈。秋には報恩講に向けての念仏和讃。昭和27年頃の思い出を、昨日の事のように語られる姿は、まだまだ青春、いや青秋まっただ中!

 「しかし、あの頃お正信偈をよんだ心と、残念だけれど、今の心とは全然違っています。本当はそうあってはいけないんでしょうけれど」

 …どんなふうに違っ  ているのです?

「若い時は切ないことがたくさん。その分、真剣味があったようです。今はあまりにも裕福すぎて反省しています」

 ……そんな言葉の中でも、前住職と共に歩んできた日々を楽しそうに語られました。

「私は前住職のおかげでいろいろな所につれていっていただきました。そして、真宗の幕の内側も見せてもらったような気がします」

 …さいごに、

「考えてみると、お寺の本堂が一番わがままが言えるところ、入学試験も無いかわりに卒業証書ももらえない。人生の最期の学校だね」 

 ……最近では老人会会長も勇退をされて、毎日の晩酌より(?)熱の入っているゲートボールが何よりの楽しみとか。

「お念珠と、このスティックは、何10年やってもさっぱり上手にならないね、あはは…」

 ……さっそく外に飛び出して練習が始まりました。
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  山 中 美 智 子 さ ん(新飯田・古町)

 ……栄町から、新飯田に嫁いだのが、ちょうど古町の現在地に住宅を新築された年と同じで、11年になる。すぐに一男一女にもめぐまれ、きわめて幸運なお嫁さんといえる。親子孫の6人家族になった。

 いいことばかりは続かなかった。6年前、突然、まだ若いおばあちゃんが病に冒され、還らぬ人となられた。義父と夫、それに幼子をかかえ、一家の主婦として悪戦苦闘が始まることになる。

 ようやく子供たちが小学生になって、一人の時間が持てるようになった3年前、住職の言葉に、ヤングママは面食らったことだろう。

「お正信偈を一緒に読みませんか?」

一瞬戸惑いながらも、
「家にいる者は、そうするものかなと思って、一緒に読み始めました」
と、美智子さん。

 ……以来3年間、ご命日には必ず勤行本を持って後ろに座ってくれる。小学校4年の智成君と、3年の成美ちゃんも、休みの日には、勤行本のふりがなを見てママの口まねをする。


「なかなか暗記することはできないけど、この字が出てくると、もうすぐ終りかなっていうくらいしかわかりません」
「今は読むことの抵抗感はありません。というよりも、ずーっと聞いているよりも、読んでいる方が退屈しないから……」(笑)

 ……お盆の前に、お墓の掃除に来られる方は大変多いが、反面、その後で、かたづけにいらっしゃる方は、ほんの数家族ほどしかいらっしゃらない。山中さんはそのお一人だ。

「おじいちゃんに言われて、必ずお盆の後片付けにいきます」

「それから、家の子供たちも、言われる前に、普段はともかく、命日だけはお内仏にお参りするようになりました。あっ、パパもです」

「ほかの皆さんも、もしチャンスがあれば、月に1回でも、一緒に読んでみることをおすすめしたいと思います」 

……もう少し余裕ができたら、『正信偈』には何が書いてあるのか聞いてみたいともおっしゃっていた。