真宗門徒は靖国神社問題をどう考えるか

                     著 者  村 山 教 二


               発 行 真宗大谷派 三条教区 第18 教化委員会
                 (編集事務局 新潟市新飯田6634 等運寺 内)


目   次                                   

                 1 はじめに 
                 2 浄土真宗は大乗仏教の至極
                 3 自衛隊の問題
                 4 中曽根康弘元首相の靖国神社
                 5 仏教界の反対論
                 6 戦前の国家神道
                 7 真宗門徒は神祇不拝
                 8 霊の宗教の否定
                 9 「英霊」の問題点
                 10 靖国神社のA級戦犯合
                 11 靖国神社と教育勅語
                 12 国家神
                 13 戦後日本の歩みと拝金主義
                 14 浄土真宗と仏教の論理

 
                    【資  料】
          
                   抗議文(真宗大谷派宗務総長・小泉総理大臣宛)
                      抗議文(真宗教団連合・小泉総理大臣宛)
                      大日本帝国憲法(抄出)
                      宗教法人「靖国神社」規則(抄出)
                      詔 書(天皇の人間宣言)
                      ポツダム宣言(抄出)
                      あとがき

                      著者略歴


  1、はじめに

 本日は皆様ご出席くださって、まことにご苦労様なことでございます。過日、等運寺様から、今日のような学習会をこれから継続して行いたいというお話があり、それはとっても良いことではないかと思いまして、お引き受けしました。

 この前、等運寺様のご院さんから寺便り、「報恩」とバックナンバーが送られてきました。私は本当に感心いたしました。全国のあちこちのお寺で、寺便りは出てるんですが、こんなカラーコピーの綺麗な、木版画から、写真をたくさん入れ、そして、「私もお正信偈を読んでいます」という、インタビュー記事とか、今度は彼岸会がありますとか、送迎の車が下中村では何時何分とか、潟浦では何時何分とか、きちんとした手配がされています。

 私は、等運寺様にお礼の葉書を書いたときに、次の様に申し上げました。大阪の南冥寺というお寺に、戸次公正という宗議会の議員をなさっていた有名な方がいらっしゃいます。その方が出している「法蔵魂」という寺便りが大変優れていましてね、全国に読者がいるんですよ。戸次さんは南冥寺のお檀家さんに、ご同行衆に配るためにお創りになったのですが、「読みたい」という人が多く、全国に配っておられる。私も愛読者の一人なんです。

 戸次さんの技量は、大したものです。私は感服しています。その戸次さんの出している寺便りよりも、もっとこちらの「報恩」という寺便りが良い点は、戸次さんの「法蔵魂」は、戸次さん一人で全部原稿を書いて、編集して、やっていなさるんですね。こちらのはそうじゃないですね。拝見してみますと、推進員の方々やご同行衆が、みんな手伝って、皆さんの力でこれが出来ている、これはすごいなあというふうに思い、感心して、お礼の手紙を書いたのであります。


  2、浄土真宗は大乗仏教の至極

 私は大学生の時から、ほそぼそと「同和」問題に取りくんで参りました。「同和」問題に比べますと、今日の標題となっております「靖国神社問題」は、これはなかなか、お寺さんはこの話がしにくいのであります。「靖国神社問題」が、聞法会で取りあげられるのは、ある意味では浄土真宗のお寺だけですね。他宗では、こういうことはなかなか問題に出来ないだろうと思います。本当は仏教では霊の実在については言わないのに、三界萬霊などと、字を書いて霊の弔い、供養をやる宗旨がありますから。

 私ども浄土真宗は、釈尊のおっしゃられた原始仏教の精神をキチッと受け継いで、真宗寺院の中には加持木等祈祷ってものがない、まじないもない、お札もない、お守りもない。そういう、いわば本当の大乗仏教であります。親鸞聖人は浄土真宗は大乗仏教の至極≠ナある、一番極まったものであると書いておられます。『末燈鈔』という親鸞聖人のお手紙の残ったものを編集した本がございまして、その中に「真宗は大乗仏教の至極である、極まったものである、真宗こそが大乗仏教である」(真宗聖典601ページ要旨)。

 「大乗仏教」の大乗とはこれは大きな乗り物という意味です。大きな乗り物という以上、小さな乗り物もあるのです。ゴータマ・ブッダ、釈尊が亡くなられてから100年ぐらい経ちますと、(いま明治維新から今年まで130、40年ぐらいかかっています。)仏教教団は、二つの傾向に分かれていきます。ひとつは「上座部」仏教といいまして、仏教教団の長老たち、まあ要するに保守派です。それに対して若手の方は「大衆部」といいまして、大衆と共にある。一口に言えば、革新派であります。

 で、上座部という仏教は、釈尊が生きておられたころの、釈尊のお話しになったこと、戒律を決められたこと、それらをずっと守っていこう、きっちり守っていこうと、こういう立場ですね。それに対して大衆部の方々は、釈尊の時代と今の時代と随分変わっているのに、釈尊のおっしゃられた通りにやらなくてはだめだ、釈尊の時代と同じ通りにやらなくてはだめだというのは、それでは不都合が生じると。そうでなく、釈尊が教えを説かれた、その精神を引き継ぐべきであるということです。

 簡単に言いますと、昔はリヤカーを盛んに使ってましたよね。特に農家の方にはリヤカーは必需品でした。今でもリヤカーを作ってるところが日本にあるそうですが、もう一ヵ所ぐらいになってるそうです。リヤカーは、もう需要がなくなって、今は皆車をもってる。で、その車を皆が普通に使うようになった段階なのに、釈尊がおられたころはリヤカーだったんだから、リヤカーで行くべきだ、そういうのが「上座部」の方ですね。

 それに対して「大衆部」の方は、釈尊のときはリヤカーで、自動車はなかったけれども、自動車を使って品物を運ぶのも、リヤカーで運ぶのと同じならば、自動車を使えばよろしいのであって、そういう、勤勉に働くという精神さえ変わっていなければそれで良いんじゃないか、こういうのが、「大衆部」なんですね。

 こういう時代を「部派仏教」といゝ、二つに分かれるんですね、まあ分裂が起こったのです。この部派仏教の「大衆部」のほうが「大乗仏教」を発展させるんですね。そして「上座部」の人達の方を、「小乗仏教」だと批判するのです。小さな乗り物であると批判する。なぜ小さな乗り物であると批判するかといいますと、「上座部」の一部とは、まず自分が悟りをひらいて、完成されたならば、そのあと、その完成された、悟りをひらいた身で大衆を救おうというのです。まず自分の利益ですね。自分が完成されたら、利他行というものを実践したい、人々のために役に立つことをしたい。

 それに対して、「大衆部」から大乗仏教へと発展したこのグループは、自分が悟りを開いてから皆に完全に説明できる、救済をするってことになったら、私はいつ、悟りを開くか、見当がつかない。

 私は、今年で教員生活が終わりなんですが、40年近く教員やってきました。けれども、この前も生徒に言いましたが、私が教員として完成されているとはとても思えないし、私の私生活なんてものは、これはもう非常にでたらめなもので、もう怠惰そのものであります。生徒に向かっては勉強せい、勤勉であれなんて、努力、精進せよなんて言っておきながら、自分はさっぱりなのです。ただごろごろ寝てばっかり、特にここ3、4日ちょっと体調を壊しております。まあ自律神経の失調なんです。季節の変わり目に必ずこういうふうになります。時期が過ぎるのを待つばかりです。このときに非常に困りますのは、全身の脱力感がきついんですよね。ぐにゃーっと力が抜ける。で、今日もまいりますときに、サァ困ったな、今日は肝心要の第一回の靖国学習なのに、キチッとしたノートもとれないで、出なくてはならないのは困ったなと思いながらお伺いしたんであります。

 この、大乗仏教と小乗仏教ですが。小乗仏教というのは自分の悟りを開く。大乗仏教はそうじゃなくて、学校の教員の例でいえば、自分が不完全であるけれども、少なくとも生徒よりは早く学問しておる。生徒よりも長生きをして、人生の体験をしておる。そのことをまず生徒に打ち出すことによってですね、人々のためになること、せめて生徒に良かれと思うことをやることが、そういうふうな授業を積み重ねていくことが、私の新しい発見に次々と重なっていって、教師としての私が、少しはましなものになっていく、こういうのが大乗仏教であります。

 「利他行」をまず先にやって、自分の悟りよりも、人々のために尽くす。それが自分の自利、すなわち悟りの世界へ近づいていくのです。悟りの世界はすなわちこれ仏様です。だから、仏としてまだ完成されていないんだけれども利他行をやるということなのです。

 そういう、大乗仏教の理想的な人間像を「菩薩」というわけですね。「菩薩」というのはサンスクリット語という古代のインド語で、ボディーサットバといいます。それを中国人が、中国語読みをして、この「菩薩」という言葉にあててたのです。「菩薩」という理想的な人間像は、まず大衆のために尽くす。自分の悟りを開くということよりも、まず人々の苦悩を見逃していかないのです。そして男も女も、年寄りも子供も、日本人も外国人も、障害者も健常者も、ありとあらゆる人々が、みんな乗れる大きな乗り物です。みんなが助かる乗り物。そういうものを願ってこの大乗仏教が出来てきたのであります。

 ですから、仏教は、この大乗仏教は、親鸞聖人のみ教えが特にそうなのでございます。「なんまんだぶつ」ひとつで助かる、腹いっぱいになる。なぜ「なんまんだぶつ」と称えると、腹がいっぱいになって満足し、毎日怒ったり泣いたりはしてるのだけれども、大悲の願に照らされて生きる私どもの日常を保っていかれるようになるかということは、これはもう、毎月の聞法ですね、学習で、私たちが聞いていかなくてはならない事なんです。


  3、自衛隊の問題

 たまたま今日、テレビを見てましたら、いわゆる米国の同時多発テロの攻撃に対して、アメリカが報復の攻撃をいよいよ開始した。攻撃の様子は、まだ具体的に映像になって出てきてませんが、何百キロと、ながーい距離を飛んで、爆弾を落とす、巡行ミサイル、トマホークというのを、6つか7つの都市に50発打ちこんだということです。その他に爆撃機が15機、戦闘攻撃機が25機出て合計40機が、襲撃しているそうです。

 ここで問題となるのは、かつて湾岸戦争がありまして、イラクがクウェートという国を、無謀にも侵略したときに(1990年)、国連軍が多国籍軍を作って、実質アメリカ軍が中心でしたけれども、イラクをたたくということがありました(1991年)。イラクのフセイン大統領を完全には打ちのめすことが出来なくて、国連が多国籍軍を出しました。日本は憲法第9条により、戦争を再びしない、軍備を持たないという約束を国際社会にしてるのですから、自衛隊を出したりしないで、そういう多国籍軍のご苦労様に対してお金を出しました。何100億円とお金を出しました。

 日本には一応自衛隊がありますが、実質上は軍隊なのです。自衛隊がなぜ軍隊といえるかというと、アジアで最大級の火力を持っています。中国の民衆は、今、国民が13億位います。ものすごくでっかい国なのですが、その中国軍よりも、今の自衛隊の持ってる火力は強いです。これはすごいものですよ。で、防衛費は年間国民総予算の1%を超えないという決まりを前は作っていましたけど、日本の国家予算は何10兆、何100兆にわたる国家予算ですから、その1%だけでもものすごい金になる。大体全世界の軍備を持ってる国の中で、日本の軍備システムは3番目ぐらいです。世界から3番目ぐらい。火力ではアジア諸国第1位ですよ。これは凄い軍隊を日本人はもっているのです。

 それをアメリカは、今度は現地へ行って日本の旗を見せろといいます。こういうテロリズムと、テロリズムの集団に対して、アメリカは武力行為に出るから、日本も、ただ金を出すだけではなくて、具体的に武力で協力してくれ、こういうふうに言われてるわけですね。

 そうすると、ここが日本の非常に困ったところです。憲法第9条は武力を持たないことになっており、他国と交戦することも、やめると言ってるのです。しかし、自衛権ってのはどこの国にもあります。私たち個人だってですね、相手から殴られたり、暴漢におそわれたら、必死にそれを取り押さえるとか、少しぐらいやり返すぐらいの権利は、みんな持っています。日本には自衛権はありますが、政治で解決すべき問題を武力で解決するのはやめましたと、憲法第九条で謳っています。

 しかし湾岸戦争のときに、日本は金だけ出して人を出さなかったことが問題になり、外務省を中心として、何とか自衛隊を派遣しなくてはならない、使わなくてはならない、という形になってきました。

 今、パキスタンにいるアフガニスタンの難民たちに向けて、自衛隊機の輸送機が、6機ですか、5機ですか、飛んでいってます。自衛隊の輸送機は、民衆を支援するための食事や、水を配る仕事でなくて、兵員輸送機です。民間の輸送機1機あれば、あの5、6機分の荷物は全部納まるんですよ。それを無理矢理、分割して、自衛隊機を使って飛んでいく。日本も自衛隊という制度があり、組織があって、これを使っているのだということを国際社会に見てもらおうという、まあ苦肉の策ですね。

 ところが今度は、さらに進んで、そこまで法案が決まるかどうか分かりませんが、アメリカの軍艦が行っているインド洋まで派遣しようというのです。自衛艦は昔の軍艦と同じです。特にイージス艦はもう世界最新鋭の戦艦であり、世界各国でもアメリカと日本以外には、持ってない、最新鋭の軍備を持っております。インド洋まで派遣するとなると、日本の国の領海や領土や領空を防衛する以上のずっと先へ行くことになります。

 官僚は東大や京大を出た頭の良いといわれている人たちばかりがいますから、考えてですね、自衛隊法に、自衛隊はいろんな調査、観察をするという項目があるので、その項目を活かしたことにして、インド洋まで行くのは、今回のテロ対アメリカの戦争に情報収集するためについていくんだと、そういう口実を作って、インド洋まで自衛艦を派遣しても良いのだということを言い出しています。


  4、中曽根康弘元首相の靖国神社論

 1985(昭和62)年7月に、軽井沢で自民党議員のセミナーが行われたときに、当時の首相の中曽根安弘氏がおっしゃったことを思い出します。「国家機関が靖国に力を入れなかったら、誰が国に命を捧げるか」。こうおっしゃったのです。

 これは、はしなくも、支配階級というような言い方をするとちょっときつくなりますが、中曽根さんが靖国神社をどのように考えてるかということ、および靖国神社の特徴をよく表していますね。

 「靖国に、国家機関が力を入れなかったならば、さもなくして誰が国に命を捧げるか」ということは、靖国神社に祀ることによって、これからの戦争にも靖国神社を戦意高揚の施設として使いたいという支配階級の願望を、中曽根さんが代弁したということです。

 過去の15年戦争(1931〜45年)は、完全な日本の全面的侵略戦争です。私は近代史が専門ではありませんが、一応大学では日本史学専攻でありますから、これが侵略でないと言っている最近の「自由主義史観」などというグループの論は、まったく学問的に根拠がないと認識しております。

 そういう侵略戦争を行ったことに対して謝罪をしてですね、サンゲする。サンゲとは「懺悔」です。この文字は本当は「サンゲ」と読む仏教語です。この仏教語をですね、明治時代にキリスト教が日本に入ってきたときに、キリスト教の翻訳に、仏教語を借りたんです。そして「懺悔」という言葉を、キリスト教はそのまま取りこんで、「ザンゲ」という読み方に変えたんですね。だから今では私達は、「ザンゲ」という読み方のほうが普通のように思っておりますが、これは本当は「サンゲ」なのです。

 今日も出てくるときにテレビで、「モスクに集まって静かに信者たちが礼拝しております」などと言っていましたが、仏教語では、礼拝というのです。「ライハイ」という仏教語を、明治時代に、キリスト教が仏教から借りたのです。その代わり仏教とは意味が違うという点で、読み方を変えようというので「レイハイ」となったのです。ところが今の人は「レイハイ」とか「ザンゲ」という言葉のほうが、普通に浸透して、これが元々は仏教語からきていて「ライハイ」である、「サンゲ」であることを、ご存知ない方が段々増えてきています。

 靖国神社にお参りするということは、かつての侵略戦争の謝罪をして、そしてあなた方のような不幸を二度と繰り返しませんという懺悔をするというのであればいいのですが、靖国神社に死んだ人たちを祀り、褒めたたえ、そして後に続くものの士気を昂揚するという機能を、働きをもたせたことに靖国神社の問題があるのです。

 1985年ですから、昭和60年の段階で、中曽根首相はそのことを承知で、「靖国神社に国家機関が力を入れなかったら、さもなくして誰が国に命を捧げるか」、こういう事を言いました。中曽根首相としては、憲法を改正し、自衛隊を正式な軍隊となして、当然軍隊ですから戦闘行為に参加することができる。そうすれば当然死者は出る、負傷者も出る。その時に、靖国神社に英霊として祀らなかったならば、誰が戦場へ出て行こうかと、こういう意味で言ってるわけですよね。かつての靖国神社というものが、戦意昂揚の、士気昂揚のための、宗教的な軍事施設であったことがよく分かると思うのですね。


  5、仏教界の反対論

 ご存知のように、真宗大谷派、すなわち真宗本廟(東本願寺)の方もですね、浄土真宗本願寺派、すなわちお西の方もですね、このたびの、小泉純一郎首相の靖国参拝に対しては、公式に厳重な抗議声明を出しております。各宗派の連合している全日本仏教会も、小泉首相が「靖国神社だけを、特別扱いをする」というのは、政治と宗教の分離を定めた憲法第20条に違反するのであるから、すなわち違憲であるから、やめてもらいたいと云っておりますね。

 憲法20条というのは、政治が特定の宗教団体、宗教施設、そういうものを援助する活動をしないということであります。政治と宗教とを分離する。これは実は、戦前の苦い歴史を、過去の歴史を踏まえてできたものです。戦前は政治と宗教が合体していたわけです。そこに不幸があったのです。


  6、戦前の国家神道

 皆さんご存知のように、戦前は、学校で神棚を供え、たとえば剣道場とか柔道場とかですね、学校で神々を拝み、そして必勝祈願で、旧制中学や高等小学校が全部、行軍・行進したのです。例えば蒼紫神社へ必勝祈願にいく。こういう体制を国家神道と言いますが、「神社神道」は、「シントウ」と発音します。「シンドウ」とは言わないのです。

 私達が今、普通に、その辺にあるお宮さん、お宮さんを信仰するのは、これは「神社神道」です。なぜ「国家神道」といわれるようになったか、言ってみれば、天皇は人間ではない、生きた神である、人間であるけれども生きたまんまの神様であるとね、現人神である。人間の形をしているが、人間ではない。神である。

 その神であることを説明するのに、「皇国史観」が用いられるわけです。日本は天皇から成り立っている皇国である、皇国であるという歴史史観。これは具体的にはどういう事かといいますと、『日本書紀』『古事記』に書いてある日本の神話をそのまま事実として、現在の天皇家の祖先は天照大神であり、天照大神の直系の子孫としての、天皇であるから、これは畏れ多く拝み慎まなくてはならない、神様なんだ。その神様が、統治している日本の国を我々が命を捨てても守らなくてはならない国民の道徳であるというのが、戦前の教育ですね。

 「鴻毛よりも軽き」、鳥の羽の重さよりも軽い我々の命と、かつて言ったのです。それで戦争へ出て行けと。おまえ達は出て行けと。こういうことなのであります。1945(昭和20)年に敗戦になり、この前亡くなった、裕仁天皇、昭和天皇が、私が神であるという「架空な観念」にとらわれてはいけない、「私は神ではない、人間です」という、「天皇の人間宣言」をしたのです。あの当時はテレビがありませんから、先代の昭和天皇が直接NHKラジオのマイクの前で宣言したのです。これは今でも高等学校の日本史の資料集には載っております。私は神じゃない、人間であると。


  7、真宗門徒は神祇不拝

 私達、真宗門徒は神様はおがみません。仏教は、基本的には神を否定する宗教です。このことはお間違いのないようになさってください。宗教は、勘定すると全世界に何10万、何100万、その数は山ほどありますが、たったひとつ仏教だけがこの世界を創造し、この世界の運命を支配している、秩序を支配している「神」の存在を認めないのです。

 なぜですか。仏教は、釈尊の「縁起の法」の哲学によって、物事はすべて因と縁によって、因縁ですね、因と縁によって成り立っている。例えば植物の花の種、種は因です、種があれば草花が育って花に実がつくか?。そんなことはあり得ません。今年の夏のような猛暑の、かんかん照りのコンクリートの上に草花の種を置いたところで、その種は芽も出さないし葉も出さない。もちろん花も咲かせない。その種が土に埋められて、大地の中で、適度のお湿りと太陽の光と、そういう縁があって初めて草花は育ち、花をつけるのですね。

 だから、「因」だけでは何事も出来ない。「縁」というものがなくてはならないのです。私達は結婚式の時などに、このたびはよい「ご縁」をいただきましてといいますね。縁がなければ何事も出来ない。私達は逆に言うと、縁があれば何でもやってしまう存在なのです。「遇縁存在」なのです。 我々は縁があれば何でもやってしまいます。「私はとっても人一人殺せませんよ」といっても、徴兵されて軍隊に引っ張られて戦場に行けば、バンバンバン、機関銃を連射して、相手の敵を20人も30人も倒すこともやるんです。縁があればね。

 だから『歎異抄』の中に、「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず」(第13章、『真宗聖典』633ページ)と。殺人犯は、あれは悪いやつで、俺は人なんか殺さないんだ、そんなことはないんですよ。あなたもカッとなって人を殺すような縁にぶつかりますと、やってしまうこともあります。

 最近は、例えば児童虐待のお父さんやお母さん、若いお父さんやお母さんの報道がなされまして、子供を殺したとか何とか、大変な時代ですね。親が子を殺すかと思えば、今度は子が親を殺す時代。これはどうなっているのか、まさに末法濁世というのが現実です。ところが新聞など見ますと、その子供を殺したお父さんやお母さんは、「あまりにもいう事を聞かないので、カッとなって殴りつけた」と。私達はカッとなって殴りつけることがないですか? あるんじゃないんですか? 

 みなさんはたいてい、子供さんをお育てになったと思いますが、子供を育てる過程で、かわいいかわいいばっかりでしたか?。けんかはしませんでしたか?、いまでもけんかするのではないですか?。あまりにも憎らしい子だと、自分の子でも手を振り上げたくなるような事もあるのではないでしょうか。我々は「遇縁存在」なんです。

 仏教は「縁起の法」で成り立っています。神がこの全世界、万物、宇宙を創った、神がこの宇宙の運命を支配していることになったならば、その神様は誰が創ったかということになります。その神様が出来る因縁を調べなくてはならない。ところが誰もこれを説明が出来ない。仏教は神をそもそも置かない宗教です。このような宗教は、全世界のどんな宗教、宗派と比較しても、他にありません。

 基本的に靖国神社は、真宗門徒には必要のないものなんです。元々、仏教とは神というものを、神信心というものは普通にはないということであります。今の人のほうが真宗信心が不純であります。明治時代に、国家神道の体制で、いわば「総氏子制」が打ち出されたためです(1871=明治4年)。どこの家も、必ず近くの神社の氏子にならなければなりません。この「総氏子制」を強制されて、すべての家々に神棚を置くということになるわけですね。それ以前に、真宗門徒のお同行衆の家には「神棚」はありませんでした。今でも比較的、お仏壇はあるけれども神棚はないお家は、真宗には多いのではないかと思います。明治以降、無理やり、神棚をまつるようにさせられたのです。

 戦時中、伊勢神宮の大麻をお受け取りなされといわれても、真宗人はみな抵抗して、憲兵につかまってる例が何回かあります。我々は伊勢神宮の大麻なんて要らないんだ。返上すると。そして憲兵に引っ張られていったのです。

 そもそも「神を祀る」という考えが仏教にはないのです。浄土真宗だけじゃない、仏教は基本的に、我々の宇宙を創り、その運命を支配している影の力、そういうものがあるという神秘主義や超能力の存在をぜんぜん考えてないのです。

 ですから、皆さん感心だと思いませんか? 仏教教団がこんなに乱れて、誰も仏法を大事にしないような末法の世の中になっても、真宗教団だけは少なくともご祈祷はやらないでしょう。お札を売っておりませんでしょう。絶対にしておりません。

 以前、私が東本願寺の本山にお参りし、待合室に居りましたら、ある中年のご婦人が、待合室のお坊さん、お衣を着た職員のお坊さんに「こちらのお札をください」って言ってるのを聞きました。どういう返事をするのかなーと思っていましたら、その若いお坊さんが、「うちは浄土真宗と申しまして、南無阿弥陀仏があれば、その他の神々に恐れおののくということはありませんので、お札は売ってございません」と返事してました。あぁ、なかなか感心です。ただ、「うちにはお札はありません」なんて言ったって、相手はわけがわからないことでしょう。

 そもそも、神を祀るってこと自体が、真宗門徒にはなかった風習です。奈倉哲三という宗教思想史の研究者がいらっしゃいます。奥さんは巻町の竹野町のご出身です。彼は、都立大学の大学院に在籍していたとき、同大学院で学んでおられた奥様と結婚されました。

 彼は夏休みになるといつもこの竹野町へおいでになっていたそうです。歴史家ですから、この辺に史料はないのかと、巻、弥彦界隈のお寺をずっと回られました。区有文書などを全部探したのです。そして浄土真宗の信仰の特質、特徴的な性質を解明します。『真宗信仰の思想的研究ー越後蒲原門徒の行動と足跡』(校倉書房、1990年)という厚い論文集が出ています。

 その論文を読みますと、巻町、弥彦村あたりの西蒲原の農村で、村祭りをしない真宗村落は普通であった、と書いてあります。そうすると、封建領主に怒られるわけです。「おまえ達は、何で日本の神々を拝まないんだ」と。そこでやむなく、10年に一遍だけ祭りを形式的にすることに決めたのです。これみな、近世文書に残ってます。昔のほうが信心は純粋だった。

 もう20年くらい前になりますが、栃尾市の椿沢に調査に行きました。日蓮宗の人たちでしたが、ここのお祭りには、日蓮宗の檀家がまったく参加しなかったと聞いたことがありました。「最近は、そういう日蓮宗の法義相続もいいかげんになって、若い夫婦は、祭りに普通にでてきます。」と、お年寄りからの聞き取りの中に出てきました。日蓮宗はなかなか潔癖でして、お寺以外のお祭りに参加しないのでした。しかし実際には日蓮宗は日本の神々を祀っているのです。そこへいくと浄土真宗とは、もともと「神祇不拝」といいまして、日本の神々を拝むことはいわない宗旨でした。「神」とは天の神々、「祇」とは地の神々です。つまり天地の神々を拝まないということです。

 ところが、日蓮宗はご本尊は阿弥陀様と違って「本尊曼陀羅」という掛け軸です。掛け軸には南無妙法蓮華経というお題目が書いてあります。その周りに上行菩薩とか、常不軽菩薩とか、いろんな菩薩方をずーっと書いてあるのです。日蓮聖人がつくられたご本尊の面白いところは、そのあと、本尊曼陀羅の下のほうに「天照大神」があるのですよ。日本の神々を、ちゃんと取り入れてるんですね。柏崎に番神堂ってありますね。三十番神といい、日毎に守護する神様がいるのです。

 要するに、仏教の仏様と日本の神様をドッキングさせる。こういう議論のことを「神仏習合」といいます。神仏習合の風習はだいたい奈良時代から始まり、平安時代には本地垂迹説になっていきます。日本の神社神道はほとんど教義がありませんので、思想的な深さの点では、仏教に負けますね。仏教は非常に深い真理と哲学をもっています。

 本来は仏様であったものが「本地」です。日本の国に姿を現して、日本人に分かりやすいように神となって形をかえたのが「垂迹」です。垂迹とはあとをたれる、足跡を残したのが、日本の神々なんです。だから八幡神を拝むと阿弥陀様を拝んだことになるのです。阿弥陀様を拝むと八幡神社をお参りしたことにもなるのです。こういう、うまいドッキングの理論が出るんですね。これが神仏習合説です。

 今でもそういうのを信じてる方、大勢いらっしゃいます。うちにお内仏もあり、神棚もあります。神棚に向かってパンパンって神道式のお参りをして、今度はお仏壇にお参りする。それをなんとも不思議に思わない。こういう習俗があるのです。


 8、霊の宗教の否定

 しかし本来、仏教は神をおかないのですね。それから大きな問題と思われるものに、靖国神社は「英霊」が祭られていることです。優れた霊だというのです。英霊をしのび、たたえて何が悪いと、こういわれると、もっともなようなのですが、「英霊」とは何でしょうかね。戦争中に軍部が作った新しい日本語です。こんな言葉はもともと無かった。日本の古代や中世にこんな言葉はありません。

 満州事変が始まったのが昭和6(1931)年。それから日中戦争が始まったのが昭和12(1937)年。昭和20(1945)年の敗戦までずっと戦争が続きました。満州事変から日中戦争まで、ちょっとした停戦期間がありますが、ほとんど日本は、昭和6年から昭和20年まで戦争し続けたのです。昭和6年から20年までは、15年間あります。15年間ずっと戦争ばっかりやってましたので、その当時の戦争のことを戦後の歴史学では「十五年戦争」と位置づけました。満州事変も上海事変も、日中戦争も太平洋戦争も全部ひっくるめて、十五年戦争と言っています。

 その十五年戦争の間に少年期、青年期をお過ごしになった方々が、今の高齢者の方々です。もう徹底的な「国家神道」の宣伝のもとに育てられているわけですから、「英霊」という言葉を聞いても不思議に思わない人もいらっしゃるかもしれませんが、仏教ではそもそも霊魂の不滅は言いません。

 霊魂が不滅である、ずっと滅びないということはどういうことかというと、例えば私なら、私の体の中にバレーボールの球みたいな、丸い霊魂があって、これは人間には見えないのです。私の肉体の命が枯れて、終わっていくと、みんなには見えないが、この霊魂がふわふわと出ていって、次の生を受ける。次の生を受けることを「輪廻転生」といいます。グルグル回っていって、生まれ変わり生まれ変わりしていくのです。楠木正成が、七度生まれ変わっても国に尽くす「七生報国」という話があります。

 「輪廻転生」とは、魂が不滅であるとされることから考えられるのです。ぐるぐる生き変わり、生まれ変わって生きていくというバラモン教の教えなんです。仏教はバラモン教の教えを否定するところから出発します。一方キリスト教の場合はそうじゃない。ユダヤ教という中から、イエスは出てきて、ユダヤ教の形式主義を批判し、改革しようとする中からキリスト教は生まれてくるのです。

 バラモン教の輪廻転生とか霊魂不滅をバラモン教ではアートマンといいます。アートマンという霊魂があり、私、「我」というものがあって、そのアートマンが絶対不滅であるということを信ずるのがバラモン教であります。お釈迦様はそんなことはないとおっしゃったのです。

 ただし、ここがちょっと面倒なところなのですが、死後の世界があるかないかといったときには、お釈迦様は「無記」とお答えになってらっしゃる。「無記」というのは、あるともないともおっしゃらなかった。なぜかというと、釈尊にとって一番大事なのはこの人生、この世界、この社会を生きていくのは、苦悩の道だということです。山坂です。その生きていく、生き方が問題なのであって、死後の世界があるとかないとかいう事を議論して、熱中しても、健康なあり方でない、ということですね。

 今のどんな最先端な科学者に聞いても無回答よりほかにないでしょう。死後の世界はあるんですか? わかりません。あるという確証はどこにもない。完全に死んでから何10日後に生きかえってきて、こういう世界に行ってきたなんて言った人は、誰もいない。絶対いない。

 さりとて、「ない」ということは科学的には証明出来ないですね。だからこれを、有無の説、『正信偈』にあります。「ことごとく、よく有無の見を摧破せん」(真宗聖典205ページ)。あるということにも、ないという事にもこだわらない。「有無の見」、『正信偈』にあります。あるとかないとかいう見解に固執しない。「無記」といっているのです。仏教徒にとって霊魂を信ずるということは基本的にありません。

 ただし、さっきも言いましたように、他宗では三界万霊とか、何々の霊というのは、卒塔婆に書いてあります。あそこで言っているのは精神という意味でしょう。英語ではスピリットといいます。

 例えば、先日、私は母親の夢を見ました、明け方にですね。母親の夢は滅多に見たことが無いのですが、しかもその母親が若い、私が子供のころの若い、四十代ぐらいの顔でして、母の命は無くなったけれども、母の精神は私の中に生きているんでしょう。生きているんですよ。私にとって母親は死んでいないんですよ。そういう意味では、母親の霊は不滅であるとは言えるのです。ただしここで、霊魂不滅と言うとですね、これはもう仏教の基本から完全に離れたことになってしまいます。これは真宗教団だけがそういうことをいっているわけでなく、釈尊自身がおっしゃっているのですね。

 英霊っていうのは軍部が作った勝手な言葉ですが、「英」っていうのはどういう意味ですか、英雄という言葉があるでしょ。「英」っていうのは「優れた」という意味です。天皇のために尽くして死んだのは優れた霊魂である。優れた霊である。

 仏教では、優れた霊と、優れていない霊という差別はしないのです。仏教は平等思想ですから。釈尊はカースト制度に反対して、自分がクシャトリア階級という貴族階級で、お城の王子様に生まれていながら、バラモンとクシャトリアとバイシャ、シュードラの階級差別に反対されました。庶民階級(バイシャ)とシュードラ(奴隷)という階級を分けるものに反対するとおっしゃった。

 これは偉大なことですね。できませんよ、私だったら。私が王子様に生まれ、貴族階級に囲まれていて、そして父親が、シュッドーダナ王で、私の苦悩を慰めるために三つの別荘を作ってくださり、春夏秋冬に都合の良いところに住むようにしてくださった。その身分から抜け出て、こういう制度否定すると言えますか?

 イエスが、神の愛のもとに人類の平等を説かれたのは、意味がわかります。イエスは、ユダヤの極貧の最下層の家庭で生まれました。イエスのお母様のマリア様は、馬小屋の藁の中でイエスを産み落とされたのです。イエスに付き添った信者は、大体ユダヤ人の下層階級の人が多かった。

 仏教の場合は逆ですね。ゴータマ・シッダルタ太子、国の太子が城(家)から出ていったのです。初期仏教教団は主に青年貴族層です。学問のできる人がついていく。そういう意味では、難しいことを釈尊はおっしゃったのです。そもそもね、死者の魂に優れた魂と優れていない魂があるということはありえないことです。


  9、「英霊」の問題点

 私、この前も、長岡の願興寺さんで小泉首相の靖国参拝のことに関して話して欲しいといわれ、1時間ばかりお話しました。私も叔父がビルマで戦死しております。ほんとに、戦って、戦死したのか、それとも餓死したのか、人を殺さなくてすんだのなら良かったと思う一方、しかし旧日本軍の、7割以上は餓死しておるのですよ、兵士は。飢え死にしてるのです。

 ほんとに戦って敵とやりあって死んでるのではない。ほんとに、我々の先輩や先祖をこう言うては悪いと思いますが、悲しく哀れなことに、のたれ死にした兵隊がいっぱい、何万何10万人おるのです。私の叔父も、ビルマの密林の中で飢えて死んだのではないかというように思いますと、本当に切ないです。

 私の義理の父親は、31歳で、北千島に向かう輸送船が釧路沖で米軍の潜水艦に襲撃され亡くなったそうです。自分の家に3人の子どもと、母親を残して死にました。私は結婚したとき、ちょっと事情がありまして、家内の実家に住むことになりました。私の家内の母は戦争未亡人です。長男夫婦と、義母とがうまくいかない。嫁姑の問題です。それで義母は独りで住んでいました。ひとり暮らしはたいへんだろうと同居しました。どちらの親にしても親がいなくては私や妻は存在しないわけですからね。亡くなるまで14年間暮らしました。

 世間の人はあんたはえらいねえ、義理親の面倒を見て。婿でもないのにって。ちっとも偉くない。わたしはほとんど全部義母に面倒見てもらいました。皆面倒見ていただいた。その義母は、生まれて10日しか経っていない赤ちゃんと2人の子供をかかえて、自分は看護婦と助産婦の資格があり、助産婦となって生計を立ててきたのです。いざとなったら子供と共にあの信濃川に身を投じてしまおうと思っていたそうです。

 だから「岸壁の母」の歌(二葉百合子歌唱)をテレビで聴くと、痛いほど気持ちが重なるといっていました。夫の戦死した場所も、時刻もわからず、お骨もないのです。一銭五厘の葉書で連れていかれ、皇后から死をいたむ色紙が贈られて来ていました。たったそれだけです。そして仏間に亡き夫の写真が、例の如く日の丸のたすきをかけ、戦闘帽をかぶっているのが飾ってある。義母の死後、子供たちはあの写真だけは見たくない、やめようといってですね、背広姿の写真にかえました。君が代の歌を聴き、日の丸の旗の打ち振られるのを見るとほんとにぞっとするといっていました。。

 母の家は分水町地蔵堂でしたが、私の義父と一緒にその輸送船に乗って生きてかえってきた人がおるんです。若い妻としては切ないことだったでしょうねえ。ほとんど全滅したんですけどね。3000人位の人が死んだのです。日蓮丸という船に乗ってたらしいのですが、42人の人が生き残ったそうです。

 私の兄は海軍兵学校出ですから、君が代を聴いたり軍艦マーチを聞くと、一瞬懐かしいという思いがすると言うんです。思いがするけれども二度とああいうことはいやだと言います。

 この前も、長岡の願興寺さんで話をしたんですが、私達の年代になれば、たいてい兄とか父親とか、叔父さんとかが戦死して、靖国神社が勝手に祀っています。靖国神社に誰も祀ってくれと言ってないのを、靖国神社が祀ってるわけですね。

 戦後、厚生省はまったく無責任に、靖国神社に祀る事務を引きついでいくわけですけども、「霊璽簿」という名簿に載せるんですね。「霊璽」ということになると、それは神様だということになるのです。私の義理の母は、1回も靖国神社にお参りしたことはありません。あんなとこに行きたくない。皆天皇にだまされたんだ。そう言っていました。1回も行ったことがないです。

 だから、靖国神社は、実はさっき言いましたように、戦死したものを「英霊」と褒めたたえて、讃美する施設なのです。そして、後に続いていく士気を昂揚するための施設なのですね。あの靖国神社には天皇陛下がわざわざ御拝なされる。他の神社や何かに天皇は、まあ伊勢神宮以外はですね、天皇が拝むことはない。我々庶民が死んだところへ、それを神様だとしてかしこむ、現人神である天皇陛下がわざわざ春秋の臨時例大祭に御拝していた。

 何故春秋の臨時例大祭かというと、その時にそれまでの戦争で死んだ英霊が祀られていくわけです。靖国神社は非常に悲しい神社でありまして、戦死者が出ないと氏子が増えない神社なんです。だから靖国神社は今でも、虎視眈々と靖国神社を国営化して欲しい、公式参拝して欲しいと、思っているわけです。氏子が増えないんだから。

 長岡の願興寺さんで言いましたが、戦争で、私の叔父も義父も、苦労して戦闘で死んだ、そしてそれを英霊だといって下さるのは一応有難いようですけど、そのとき、国内で、広島や長崎の原爆で、広島の原爆は爆弾1発で20万人以上が死んでいます。長崎でも9万人以上。この死んだ人たちは、英霊じゃないのですか? 

 私の義理の母親のように、子供3人抱えて、姑仕えしながら、助産婦の仕事をし、あの当時、車などない、自転車で3里も4里も出かけたのです。お産は大体夜中になることが多い。懐中電灯ひとつ持って、呼びにくると、年老いた姑と幼い3人の子を家に残し、赤ちゃんをとりあげに行った。二世代に渡って何1000人もとりあげたといってました。1日に5人、生まれた日もあったということです。

 不本意で死んだ人たち、銃後を守った人たちは非国民なんですか? 英霊じゃないんですか? 全国で空襲があって、長岡にも空襲がありましたが、空襲で産業戦士と褒め称えられて、一所懸命弾薬を作ったり、武器や軍艦や飛行機の部品などを作った人たちは、空襲で死んだ人たちは英霊じゃないのですか? 国のために尽くしたのではなかったのですか?

 そうすると、ここで考えられることは、靖国神社で祀る「英霊」とは、天皇のための戦いで死んだ者、しかも官軍の軍人しか入れないという特徴があるわけです。

 皆さん西郷隆盛をご存知でしょう。私、とっても好きです。西郷隆盛は、最終的には西南戦争で、明治10(1877)年、薩摩の城山で切腹して死にます。西郷隆盛は大変優れた人であったので、国民的な人気は抜群なんです。だからあの上野の公園のところに西郷さんの銅像が立ってるでしょ? あの西郷さんは靖国神社に祀られてますか? 祀られていません。彼は逆賊なのです。

 ところが、私が日本史を高等学校の生徒に教えますと、まあ三条高校はほとんど4年制大学希望100%の、あんまり好きな言葉じゃないんですけれども、いわゆる進学校ですから、かなり高度なことも教えます。明治時代に、革新的な、画期的な版籍奉還とか、廃藩置県とか、徴兵制とか、革新的な壬申戸籍とか、ありとあらゆる革新的な政策。明治政府の骨格をつくる政策をやったのは実は西郷内閣なんです。

 「西郷内閣」については聞いたことがありますか? 西郷は、総理大臣にも何にもならなかった。日本は後進国で不平等条約を諸外国と結ばされた。その不平等条約を直すために外国と交渉するのですが、ヨーロッパに行って、「われわれ日本の国は…」などと言っても、「日本の国? そんな国はいったいどこにあるんですか」と、もう存在そのものも知られていない。

 これではとてもだめだから、日本はその不平等条約を改正するためには、まず外国に行って、勉強して、話さなくてはならない。そこで右大臣岩倉具視を中心として、伊藤博文、大久保利明、木戸孝允らを副使として、岩倉遣外使節(1871=明治4年〜73=明治6年)が欧米へ出かけて行ったのです。

 岩倉具視らは、西郷隆盛に、「おまえはただ留守を預かるだけなんだから勝手なことをしてはいかんよ」と、何遍も念を押していくんですが、その時に明治政府の骨格をつくる改革を全部やったのが西郷隆盛なんですよ。これは意外とね、中学校の歴史でも教わりません。高校の歴史でもね。それほど近代国家建設に功績があったあの西郷隆盛は、西南戦争(1877=明治10年)で新政府に反乱を起こし、城山で自刃して死んでいますから、これは「逆賊」ですから祀られていません。

 乃木希典大将はどうでしょうか。海の東郷平八郎、陸の乃木希典。二人は大将軍であったわけです。乃木希典大将のように戦争が下手で、しかも国民に人気があった大将は珍しいと言われてます。東郷平八郎は、あの有名な丁字形戦法で優勢なバルチック艦隊と日本の連合艦隊をぶつけて、圧倒的に勝つわけです。だからもう、東郷提督というのは全世界の海軍兵学校のお手本の提督なのです。

 ところが乃木希典は、あの旅順の戦いで、遮蔽物が何にも無いところへ、敵に向かって総攻撃を何遍も繰り返す。そうすると、日本が持っていなかった機関銃、チェコスロヴァキア製の機関銃をロシア軍が持っていて、バッタバッタと全部殺すわけです。何遍もたおれて前へ進まれない。ついに、あまりにも可哀相で、東郷平八郎海軍提督がですね、陸の乃木希典大将を訪問して、「元気出せ」って、励ましたような状態だったわけですね。しかも乃木希典将軍は、二人のかわいい息子が、やっぱり日露戦争で戦死していますよね。

 あの人はまったく忠勇無比な人でありましたから、明治天皇が死んだときに、ご夫妻で後を追って殉死しましたね。正式な軍服を着て、妻はおすべらかしの髪をして、記念写真を撮ってもらってから、明治大帝を追っかけて死にました。それだけ忠義な臣でありながら、乃木希典大将は靖国神社に祀られていません。なぜなら、天皇制国家のための戦闘で死んだわけじゃないからです。天皇制国家のために死んだものしか、納めないというのが靖国神社の特色なんです。


  10、靖国神社のA級戦犯合祀

 ところが、大変な問題が起きた。1978(昭和53)年に、靖国神社は密かにですね、密かに、サンフランシスコ平和条約、いわゆる1951年に調印された日本の独立の条約第11条により、死亡したもの、A級戦犯、A級は「平和に対する罪」ということですが、A級戦犯14名を密かに合祀した。靖国神社に祀ってしまった。

 あの人たちは絞首刑やその他の死刑で死んでいるのであって、戦争で死んでいるのじゃないのですね。靖国神社の伝統と歴史から言えば、あの人たちは神様として祀ってはおかしい存在なんですね。乃木希典大将でさえ靖国神社には祀られていないんだから。

 ところがA級戦犯については、サンフランシスコ平和条約に規定されています。日本国家はこの条文を受け入れたのです。受け入れたということは、東京裁判の結果を承知したということです。今ごろになって東京裁判はおかしいなどと言う人がいますが、それは矛盾しているのであって、そうだったら、あのときの片面の平和条約を廃棄して、全面講和でもやれば良かったのです。しかし、当時の吉田首相はやらなかった。だからサンフランシスコ平和条約第1条によって、A級戦犯を死刑にすることを受け入れているのです。東条英機大将以下をこっそり祀っているわけだ。

 そうすると、今年の小泉首相が、靖国神社に8月15日にお参りすることは、中国や韓国の人たちに対してどういう意味合いがあるか述べてみます。例えば、ドイツから出たナチス、ヒトラーのナチス。まあ日本ふうに言えば、ナチスのヒトラーの御霊に哀悼の意を尽くすというために、ドイツの首相が参拝するということです。ヨーロッパ中、世界中大変な騒ぎになりますよ。アウシュビッツの大虐殺をやったあのヒトラー。あのヒトラーが神として祀られているところへ、深甚なる哀悼の意を表明するために私はお参りするのだと、こういうことになったら大変です。

 あの小泉首相という人は頭の良い人ですね。皆さんもテレビで見ているとよくお分かりと思いますが、敗戦の日に、彼は「敗戦」とは言わない。「終戦」、あれも間違いですね。日本が始めた戦争は、蝋燭の火が自然と消えるように終わったのではないのです。敗れたんです。無条件降伏を勧告するポツダム宣言を受諾したのです。ですから「敗戦」と言わなくてはならないところを、今でもNHKは「敗戦」と言わない。「終戦」と、戦争が自然に終わったようなことを言っている。

 冗談じゃない。負けたのです。完敗したのです。完全武装解除して無条件降伏したのです。もしそういうことが疑わしい方がありましたら、すぐに「ポツダム宣言」のプリントでも持ってきてお見せしましょうか? 天皇の「人間宣言」でもお見せしましょうか? 

 小泉首相が8月15日の敗戦記念日に、内閣総理大臣として靖国神社に公式参拝するということは、外国の言葉に翻訳して言うならば、「ナチスやヒトラーの霊を英霊としてこの敗戦記念日の日に、哀悼のまことを捧げるためにお参りに行くんだ」ということになるわけです。

 これはねえ、中国や朝鮮、韓国の人達が指摘するばかりでなくても、おかしいに決まっています。ところが、中国や韓国から外交的に圧力をかけられると、それはおかしい、非常におかしい、という風になる。田中真紀子外務大臣は北京へ飛びましたけれども、向こう側の言うことが理にかなっていますからどうにもならない。帰って来て小泉首相にやっぱり参拝は止めたほうが良いと言うわけですね。

 ところが、日本遺族会がついていますから、日本遺族会は自民党議員の非常に大きな票田です。日本遺族会は、8月15日に参拝してくれとなります。義母は、遺族年金は夫が命をかけて自分に遺してくれたといっていましたが、遺族会の人に頼まれて選挙で投票することはありませんでした。今、「平和遺族会」というのがいくつか出来ています。「真宗平和遺族会」とか、「キリスト者平和遺族会」とか。

 あの、戦争を起こした人を拝み奉って、そういう旧軍人を、板垣正氏とか、ああいう人を参議院議員に送ったのが日本遺族会です。それはおかしいのではないか。自分たちの夫や恋人や親を戦争で亡くしたのに、その亡くした勢力にまた従って、それで軍人年金、遺族年金をもらう。そこですよ、一番弱いところはね。

 遺族年金を上げてもらいたい、遺族年金をもらうという形で、自民党とくっつく。それで自民党はそれを票田とする。そこで橋本派の親方の野中広務さんと、それからもう一人、青木幹事長がいましたね。その人と二人が日本遺族会に必死になって根回しに行ったのです。どうしても、田中外相が北京へ飛んであれだけ説得してもできない、ヒトラーの霊を褒めたたえるためにお参りするようなことは出来ないのだって事はわかっていたのです。

 しかし、小泉首相が8月15日に総理大臣として公式参拝するとマスコミを通していった以上は、遺族会をなだめることは出来ない。そこで遺族会に、野中さんと青木さんが二人で必死になって口説いてですね、日付を変えようと。15日をとにかく変えようということで手を打ったのが、今年の真相のようです。

 首相が参拝することが問題になっているときに、小泉首相は自分の議論が段々不利になってくると、小泉首相はどういうふうに言うかというと、「私は戦争であえなく倒れた先輩、同志たちのために哀悼の意を尽くすんだ、哀悼のまことを尽くすんだ」といいます。それはちっとも悪いことではありません。

 ところがこれは感情論ですよね。国家と神道とが結びついていて、国家神道のもとに、おまえ達の命は鳥の羽の毛よりも軽いんだから戦地へ赴け、「一旦緩急あらば義勇功に報じ」という、その教育をやったことの反省のために憲法20条があったはずなのですね。それには完全に違反するわけです。

 なぜならば、靖国神社というものを内閣総理大臣の肩書きで公式参拝するということは、他の神社や寺院仏閣をよそにして靖国神社だけを特別扱いするってことでしょ。特別扱いすると。それはもう違憲に決まっている。法学部の学生だって分かりますよ、こんな議論は。憲法違反に決まっています。

 ところが、今度はそこを突っ込まれていくと、小泉首相はどういうか。彼はなかなか頭の良い人だと思います。感情論は人に訴える力があるんですよ。それはそうでしょう。私の家内の父親が、弾1発も撃たないで死んでいったにしても、何らかの形でその死を合理化しなければ、美化しなければ、遺族ってものは納得できないですね。

 私の妻は、A高校に勤めておりました。A高校は面白い学校で、図書館主催の小講演会が時々ある。学校の先生が、学校の授業科目と無関係にいろんな、外国へ行った体験談とか、万葉集についてなどの話をするのだそうです。放課後、学年・職員の区別を超えて、図書館で講演会をやるのです。戦後50年の節めに妻は、「私は亡くなった父親の話をしたい」と申し出ました。そして、父の遺品や何かを持っていって話しているうちに、最後に泣き出したらしいです。

 その講演を聴いた同僚が感銘を受けて、そのテープを全部、自分で起こされて、そして、「村山さんこれを校正してください、私が本にします」と、薄いパンフレットを作りました。私の妻は、父の死をどのように正当付けたか。「私の父は軍人になって、あの冷たい北海道沖で撃沈されて死んだけれども、弾1発撃たなかったんだ。敵兵を殺すことが無かったんだ。それだけで良かったんだ」といって納得しているわけです。

 戦争を遂行する立場から言えば悔しいですね。敵を傷つけなくて、獅子奮迅の戦闘をやった上で戦死したっていうのならまだしも。こう思うのが普通の武士の考え方でしょう。妻は父の死を、悲しいけれども私の父は弾1発撃たなくて死んだだけ良かった。それは人間は死んだ人に対する合理化ね、あなたのお父さんやあなたの夫や恋人が死んだのは犬死だったなどと言われたら、面白い人は誰一人いません。妻は、犬死でよかったといいます。ただ殺人をするご縁がなかったのです。

 人は英霊だと褒めたたえてもらうことについては、感激するのです。英霊にお参りして、皆さんにこういう死に方をさせてすまなかった、そしてそのためにアジア民衆が2000万死んだ。日本人の軍部と民間で死んだ合計は300万人です。日本という国は卑怯なことに沖縄戦に至るまでは、自分の国土を戦場にしないで外を全部戦場にしたのです。特に沖縄での戦いは悲惨なもので、住民全てが戦争にまきこまれ、軍が住民を守るのではなく、軍のために住民が多数殺傷されるという事態になりました。最後には自分の国土も空襲という形で戦場になります。「あなた方に悪かった、申しわけなかったと謝罪して、二度とこのようなことはしません」と懺悔するのではなくて、英霊を褒めたたえ、後に続かんという士気を昂揚するための施設として靖国神社があったのです。


  11、靖国神社と教育勅語

 簡単に歴史の話をしますと、靖国神社の起源というのは慶應四年、慶應四年という年は明治元年ですが(1868年)、慶應4年の6月に、京都から東のほうへ攻め寄せてきた東征大総督有栖川宮熾仁親王によって、皇御軍、すなわち官軍が組織された。これが後に「皇軍」という言葉になっていきますが、皇御軍すなわち官軍の戦没者の魂を招く「招魂祭」というものが江戸城で行われた、これが起源です。

 そして明治2(1869)年に、東京九段に軍務省ができ、これは後に兵部省に変わるのですが、この兵部省が「招魂社」を設けたのです。そして、明治12(1879)年に別格官幣社として「靖国神社」という名前になるのです。その管轄はどこであったかというと、なんと、この管轄は内務省と陸軍省が担当したのです。明治20(1887)年以降は内務省が外れ、陸海軍二省が靖国神社の管理をするのです。

 ということはですね、戦争のための宗教施設として軍が管理した神社であったのです。すなわちその当時の神官は公務員であり、その人事権は内務省にあったのです。靖国神社は宗教的な軍事施設であったのです。

 明治15(1882)年に、年配の方はお分かりでしょうが「軍人勅諭」というものが出ます。

 「朕が国家を保護して、上天の恵に応じ祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得ざるも、汝等軍人が其職を尽すと尽さゞるとに由るぞかし…」

 こう言われてですね、要するにかつての軍隊は、天皇制のための軍隊だった。この軍人勅諭は、軍隊は天皇制のためのものであることをキチッと規定しているのです。

 実に、明治22(1889)年に「大日本帝国憲法」が発布されました。皆さんご存知のように第三条に、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」、神聖不可侵。さっき言ったように天皇は神様です。人間ではじゃないのです。「神聖であって侵すべから」ざるものである。そのことを規定して、第4条に、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」。

 だから、戦前には民主主義はありませんでした。民主主義は危険思想だった。大正デモクラシーが盛んになった時、民主主義の理論を国民に広めなくてはならないと考えた当時の東京帝国大学教授の吉野作造氏は、民主主義を翻訳すると、「民」が主だから「天皇」が主ということに違反して、不敬罪になりそうだと「民本主義」と名前を変えた。民衆本位の主義をやらなくてはならないと言ったわけです。今の時代と違って戦前は、民主主義は危険思想だったのです。

 そして第11条に、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」。天皇が統帥する。これがおっかないことになったのですね、歴史の話をするときりがないのですが、昔は「三軍」と言いましても、今お若い方は分からないと思いますが、陸海空という三軍の概念はなかったのです。航空隊は陸軍飛行隊・海軍飛行隊に分かれており、陸軍か海軍のどっちかに所属しているわけですね。これを天皇が統帥するのです。

 天皇のほかに総理大臣がおるのですが、総理大臣と内閣が軍隊のことに口出しすると、「おまえ達は天皇陛下の統帥権にたてつく気か」と言われるわけですよ。戦前は、憲法上、軍部の横暴というものを止められない仕組みになっていた。

 天皇が統帥権をもっていることは、陸軍、海軍は天皇の命令で動くのです。時の内閣や総理大臣の意向ではないのだ。もし文官が口出しをしようものなら「おまえ達は畏れ多くも天皇陛下の大御心に背いて、天皇陛下の統帥権を犯そうとするのか」と脅すわけです。もう誰も手が出ない。こういう仕組みになっていたということなのですね。

 戦前の憲法は、民主主義というものを否定して 国民は主権者ではありませんでした。日本の近代は、一応明治維新以降を近代というのですが、昭和20(1945)年の敗戦にいたるまでは、非常に「いびつな近代」です。本当のことを言うと近代社会と呼べないような社会でした。何故なら、天皇一人が主権者であって、国民はみんな家臣だったからです。そのことを明治憲法は「臣民」といっております。おまえ達は臣民である、いわば天皇家の家来だった。非常にいびつな日本の近代のあり方だったのです。

 明治3(1870)年の教育に関する勅語、いわゆる「教育勅語」に、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とあります。今でも、教育勅語というのは大事なんだ、戦後の日本は教育勅語を軽んじたものだから、子供たちの道徳がだめになったとおっしゃる方がいらっしゃるんですけれども…。

 教育勅語には、途中に良いことが書いてあるのですよ。「夫婦相和シ」とかね。兄弟がどうだ、とか、朋友は共に信じあいとかね。そこをとって、「教育勅語というのは立派な道徳を説いている…」とするのです。そうじゃない。教育勅語とは、そういうものを説いていて、最後に、この国は天皇制国家であるのだから、「一旦いざということがあれば、おまえ達は天皇のために率先して、自分たちの命を軽々と投げ出すのが、おまえ達の役目なんだ」ということを教育するための勅語だったのです。その主張を強制するのが主眼でした。

 戦後の教育が、あるいは今の青少年達が道徳的にまったくダメであるのは、日教組が悪いとか、今の学校の教員が悪いとか、家庭の親が悪いとかいいますが、そういう問題ではないのです。戦前、教育勅語が、全国民の道徳律になっていってしまったのです。


 12、国家神道

 「国家神道」というのは、いわば仏陀やイエスのように、明治天皇を「創始者」とし、「教育勅語」を「教義」とし、御真影を奉じたり、「教育勅語」を読み上げたりする学校行事等を「布教活動」とする、そして国家が祭祀を主催する宗教だから「国家神道」というんです。普通の私達が素朴にその辺の神社を、お参りするのとは、「神社神道」とは全くちがいます。

 近代の国家神道は、さっきも言いましたように、この国家神道を奉る靖国神社は、天皇のために戦ったものしか「英霊」として葬らない。ということは、新しい戦争が起こらないと、新しい氏子が増えない。こういうことなのです。

 小泉首相がですね、自分は初めに「内閣総理大臣として8月15日に公式参拝する」という重要な3点をいっていながら、段々不利になってくると、「私は、特攻隊で死んだ人々のことを思うと涙を禁じえない。それに対し哀悼の誠を尽くすために拝みに行くんだ」。これは理屈抜きの感情論でしょ? そういうことを言われれば、みんな感激しますよ。私だってそうですよ。

 私が子供のころは、太平洋戦争を描く映画がよくありました。あの、「おかあさーん」と叫びながら特攻機が海の中に落ちていく、敵艦にぶつかれないままです。神風特別攻撃機の七割くらいまではほとんど、敵の軍艦に当たっていません。「敵」っていう言葉を使っては差し障りがあるかもしれません。連合軍の弾幕のもとに、全部、ただ空中で爆発したり、海に落ちたりしているだけであったのです。本当に悲惨な最後を遂げているのです。私達はそういう先輩たちの犠牲を尊いと思い、そういう人たちを大事にしなくてはなりません。だからこそ平和を願う国民であるべきだと、思わないことはありません。

 小泉首相は議論が不利になってくると、そういう感情論に訴える。感情論に訴えるということは、国民に非常に受け入れられやすいということです。それでもなおかつ攻撃されますと、小泉首相は最後にどう言いましたか? 「これは私個人の問題で、心の問題だから…」、あれ、おかしいのではありませんか? 

 もし個人の問題で、心の問題だったら、黙って靖国神社にお参りに行けば良いではないですか。誰もそれは悪いなんていいません。個人の心の問題だから、「高野山にお参りに行きます」、「東本願寺にお参りに行きます」。どこに行ったって結構ですよ。

 そもそも、これが問題になったのは、「内閣総理大臣として、敗戦記念日に公式参拝をするという形で、靖国神社という一特定宗教法人を特別視する」、というところが憲法20条に違反してるのです。なぜなら、他のすべての神社よりも、靖国神社は特別な施設なのだということを国民に思わせることです。これは政教分離の憲法第20条に違反していることは明らかです。

 もし、ここで、1回公式参拝を認めるならば、すべての国会議員は年に一度公式参拝するべきである…。それから、日本人というのは集合して、ワーッとなる国民ですから、すべての地方公共団体の各級議員も、靖国神社に参拝すべきじゃないか…。今度はそのうちに、天皇陛下の参拝もなくては困る。こういうふうになっていくのではありませんか? それはまちがいです。

 小泉首相が個人的に、亡き方々に哀悼の意を表し、かってのご苦労に涙する気持という点では、私も同感です。誰も同じだと思います。だけど、私どもは仏教徒として、真宗門徒として、霊というものをいちいちもたないし、英霊と英霊でない霊というものを差別して考えないし、銃後の守りを、子供を抱えて必死に生き抜いた私の義理の母は、国のためにたたかったのではなかったのですか? 広島の原爆で、たった一発で非戦闘員が20万人も殺された。まぁ軍人もいましたけどね。その人たちは、国のために尽くしたのではなかったのですか? あの原爆の悲惨な結果により、あの方々の犠牲があったからこそ、戦争は敗れるという形で終わったのです。しかし、その方々を英霊として靖国神社は祀っていますか。

 靖国神社は、天皇とその国家のために死んだことを、他の死亡原因とは峻別して、戦争を美化し、気高いものとして讃美する役割を果たしているのだということを、私はあるところの論文に書きました(新潟仏教文化研究会編『なむの大地ー越佐 浄土真宗の歴史ー』考古堂書店、1988年)。国家主義的・軍国主義的な英雄崇拝、及び戦闘的国民精神涵養のための「国家主義神社」として靖国神社はあったのです。だから戦後、この国家神道が解体されたときに、1952(昭和27)年に、靖国神社は単立宗教法人として独立しました。一特定の民間の宗教法人としてです。

 靖国神社規則の第3条には、「本法人は、明治天皇の宣らせ給うた『安国』の聖旨に基づき殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行ひ…」と述べている。これはあたりまえなことです。

 小泉首相が、「私が靖国神社に参拝することが、そんなに中国や韓国に対して悪いことなのだろうか、私は、亡くなった人たちに哀悼のまことを尽くしたいだけなんだ。これは私の個人の心の問題だ」っていうと、もう一遍にみんないかれちゃうんですね。感情論はすぐパーっと、ああそうだなあってなっってしまうのです。

 小泉首相が最初におっしゃった、「敗戦記念日に、内閣総理大臣の肩書きをつけて、公式参拝する」というのはどうなったのですか? 一単立宗教法人である靖国神社を国家として特別視するということでしょ。 そのことを、テレビの取材で田中真紀子さんもおっしゃってたではないですか。「首相がああいうふうに言うってことは、国家の意志を示しているのではないか。それでは困るのだ。私は参拝しないでくれと言ってきました」と言っていますね。それで、逆に真紀子いじめが激しくなったのです。

 天皇とその国民のために死ぬことが、臣民の道徳律になっていたのです。「教育勅語」が道徳になって、天皇のために死ぬことが国民の道徳律になってしまったから、結局戦前の宗教は、皆この靖国神社を特別扱いし、国家機関とするということのために他の宗教は全部弾圧されたのです。

 キリスト教徒のところへ憲兵が行く。カトリックの聖職者のことを神父、プロテスタントの聖職者のことを牧師というのですが、神父さんや牧師さんが出てきますと、「おまえのところが礼拝する神様と、天皇陛下と、どっちが偉いのか」と憲兵は聞くのです。本当の話ですよ。もちろんキリスト教徒にとってはゴッド(神)が最大最高なのです。ゴッドがこの世界を創ったのだから。「神であります」って言ったら、投獄されたのです。

 戦前は、真宗寺院へも憲兵が来たのですよ。浄土真宗宗は南無阿弥陀仏さえあれば、他の仏様や神様は必要ありません、南無阿弥陀仏ひとつで腹いっぱいに膨れて、この世の中を活き活きと過ごさせてもらえます。それに対し、「おまえ達の拝んでいる阿弥陀様と、天皇陛下とどっちが尊いんだ」と、こう言うわけです。そこでみな教団も軍部の圧力に屈していってしまう。その歴史については今日はもう話が出来ません。真宗寺院自体が、あるいは真宗寺院にかかわらず、仏教寺院自体が、こういう天皇の道、皇道を宣布する機関に成り下がってしまった。またそうせざるを得ない社会状況であったわけです。

 明治の45年、大正の15年、昭和の20年の間、結局、本当の意味での宗教教育や道徳教育が行われないで、「教育勅語」を教義とする国家神道だけを叩き込まれたから、こう言っては失礼ですが、それまでの戦前の世代の人は、戦後自由主義で、個人主義で、民主主義になったというときに、何を頼りにして子供をしつければ良いか分からなくなったのです。ご無礼でございますが。

 そうして育った子供たちが今度は親になって、問題が出てきています。侵略戦争の非道徳性のために戦前の日本は敗れたのではなくて、アメリカ軍の物量に負けたのだ。日本は強かったけどアメリカに負けたのだと、妙な原因を作りだしているのです。。

 そうではないのです。歴史を研究してみると、日本が負けた本当の原因は中国に負けたことです。中国大陸はもう点と線しか確保できない泥沼の大陸戦線になっている。どこまでいっても勝てない。仕方がない。そのうちに石油がなくなってくるから、南方を確保しなくてはならない。そうするとフランス領、ベルギー領等であった南方の植民地を日本軍が侵略して、全世界を敵に回していく。こういうことになっていったのです。戦前、日本軍は強かったのだが、アメリカの物量に負けたんだ、という反省(?)だけが残るから、中国に負けたとは思わない。


  13、戦後日本の歩みと拝金主義

 戦後の日本は何でやってきたのでしょうか? ただ経済成長一本槍でやってきたのでしょう。稼げ稼げ、働こう働こう。働くのは結構なことですが。アメリカ人のように、どこの家にも1台は自動車があるようにしよう。どこの家にもカラーテレビがあるようにしようと、皆今までがんばってやってきたのです。経済至上主義。言葉を変えて言えば「拝金主義」です。

 今の政治家や経済人が、中央官僚やあるいは学校の教員でさえも、冒されている一番の問題点は、この「拝金主義」にあるのです。今のおじいちゃんおばあちゃんが今のお父さんお母さんを育てられた。そのお父さんお母さんの世代を、私は教えているのです。今の三条高校生の親ごさんが、私の教え子の世代です。生徒の保護者会のとき、教え子である母親が挨拶においでになる。私は一人の教員としては非常に責任を感じています。私は、時々教育問題について話をするようにたのまれます。いろんな生徒の問題点、今の学校教育の荒廃した点を述べますが、実はそれは、私に責任があるんだと申し上げます。私も戦後教育を四十年近く担当してきましたが、ああいう親たちを育てたつもりはなかった。逆にいうと、ああいう親たちに私達が育ててしまった。そこには、私達に大きな責任があるのです。

 私は、私の加害者責任を十分認めます。しかし、社会的に説明するならば、日本は道徳でなくて物量で負けたんだ、だから物・金がいっぱいあったほうが良いのだということで、高度経済成長の路線をひた走りに走ってきたわけです。金さえあればなんでも出来る。命の次に大事なものは金だ。私達はその考え方に冒されていませんでしょうか?

 私はA高校とかB高校にいるときに、地区PТAがありました。私達、教員が地域へ行って保護者のみなさんと話し合いをするのです。私は次のような例を出したのです。例えばうちの娘が、親の知らない間に「援助交際」(その頃はまだ「援助交際」ということばはあまり使われませんでした)をやっていた。援助交際っていうのは「売春」です、そして捕まえてみたら自分の子がこんなふてぶてしい悪玉だとは思わなかった。すると娘は居直ってこう言ってくる。

「お父さんお母さん、私は何を悪い事をしましたか。相手は私と遊んで満足するのよ。その代償にお金をもらっただけなのよ。私もお金をもらいたいから相手に体を預けたの。それでお金をもらったの。どこが悪いの。誰も見ていないし、誰にも迷惑をかけていない。どうしてお母さん、これが悪いことなの?」って…。

 問題行動をおこした少女が居直ってきたらどう説得しますか。よく地区PТAで問うてきました。彼女たちは、拝金主義の親の生き方をみているのです。

 私は歴史専攻なのですが、毎年1年生の「倫理」という科目を担当してます。「倫理」の時間にこの話をします。生徒に宿題にするのです。「これを考えて下さい。答えが見つかった人は一人ずつ社会科準備室へ来て、私に説明して下さい」。生徒は一所懸命考えますよね。きちんと答えられる生徒はほとんどいません。

 一人非常に印象に残ったのは、ある女生徒がやってきて、「先生それは、あとで自分に本当に好きな人が出来たときに、そういう遊びをしていたことを後悔するからじゃないでしょうか」。どっちかっていうと、これが一番良心的な答えでしたね。ある男の子は、「どんなに考えても、私は売春が悪いっていう理屈は立てられない」と言ってきました。

 戦後の教育が全部間違っていたとか、教員が間違っていたとか、日教組が間違っていたとか、そんな問題じゃないのですよ。この社会全体に、どこか私達がうつつを抜かして、金ばっかり追いかけてきたのです。戦前、本当の意味の宗教や道徳教育がなされないで、国家神道に付随するための「臣民の道徳律」だけを叩き込まれたがゆえに、戦争が終わって、急に民主主義だ、男女平等だ、個人主義だとなった時、親たちは何を基準にして生きていくのか。この世に生まれた命の意義と、命の行き先はどこにあるのかということを説明できなかった。そういう説明できなかった親たちの子供が、今度は親になって子供を産んでいるのです。


  14、浄土真宗と仏教の論理

 かろうじて浄土真宗だけがですね、まじないや占いや超能力や神秘主義や加持祈祷に頼らない人生、命のまことを尽くしていける人生というものがあるのだ、そのように如来様の本願力によって我々は願われていることを示しています。その如来様の光の中に包まれている私達であると自覚して、「南無阿弥陀仏」と称えて、この苦悩の現実の中から立ち上がっていこうと示してきたのは、浄土真宗の教えだけでしょう。

 そういう意味では、「靖国神社問題」は、感情論で議論したのです。感情を訴える人には全部負けます。当たり前なのです。私も同感ですから。私の義理の父が、叔父が、むざむざと犬死したなんて思いたくないです。当然です。

 しかし小泉首相はうまく詭弁を使ってですね、最後の段階になると、「いやそれは、私個人の心の問題だ」と逃げます。個人の問題だったら靖国神社に黙って毎日参拝したって誰も悪く言いません。どんどん行けば良い。高野山でも東本願寺でもどこでも行けば良い。そうじゃないでしょうか。そうではないことを明確にしたいために、小泉首相は内閣総理大臣として8月15日に公式参拝したいと言っているわけです。その「政治的意図」を見抜かないと、私達の本当の善意、死者を悼み哀悼する善意がですね、また二重に政治のために使われる。

 現に、今、アメリカ軍が攻撃を開始した。それに対し、調査・偵察の任務があるとして自衛艦がインド洋に行っています。これは世界のテロリストたちとの戦いになりますから、自衛隊の支援は後方の支援だけですなどと言ってもだめです。ゲリラ戦は前線と後方の区別などありません。現に、アメリカの世界貿易センタービルがあんなふうにして攻撃されたではありませんか。あそこは戦場だったのですか、戦争の施設だったのですか、そうじゃないでしょう。ゲリラ戦は前線と後方の区別が無いのです。

 そうなった時に、靖国神社をもういっぺん国立にして、「戦争で死んでいった人を靖国に祀るってことがなければ、誰が国のために命を捧げるか」と、中曽根元首相が言ったような問題が出てくるのです。当然、自衛隊にも死者が出てくる可能性があります。その時、第2、第3の「軍神」を生まないように、我々が注意をしなくてはならない。ただし、私はテロを擁護しているわけではありませんからね。テロも戦争も反対です。

 最後に言えば、イスラム教の論理とキリスト教の論理が対立してるようですが、これはブッシュ大統領はイスラム教を敵にしているのではないと注意深くおっしゃってる。これは賢明だと思います。賢明ですが、イスラム教もキリスト教も、神がこの世界を創って、神がこの世界を支配しているとしています。「神よ我々を守ってください」、そういうふうにして、戦うわけです。

 私はこういうときこそ仏教徒が、仏教の論理を持って…。仏教の論理って何ですか。仏教徒の論理の最大一は「不殺生」、汝殺すことなかれ≠ナす。仏教は智慧と慈悲の宗教です。「殺すことなかれ、恨みを報いることに、恨みをもってするな」というわけです。こちらがやられたから仕返しをする、また仕返しをする。これがパレスチナ紛争でしょう。どこかでこれを切らないとだめだと思うのです。

 法然上人のお父さんは、漆間時国という地方の大豪族でしたが、部下に夜襲を受けて死んでいる。そのとき、昔の武士だったら「この仇はきっととってくれ、おまえよ」と、幼き法然上人に言うはずですが、仏教徒であったお父さんは、「おまえはこの仇をうつな」、「恨みを報いるに恨みをもってするなと釈尊はおおせられたことである。おまえは比叡山へ行って、勉強してくれ」、こうおっしゃった。その精神を私達は、今こそ噛み締めるべきではないでしょうか。

 オリンピックでもそうです。戦争でもそうですが、ショウビズム(SHOVISM)といいまして、いったん始まっていくと熱狂的になっていくのですよ。どこの国の民族も人種も。「やれやれ」というふうになっていくんです。そのとき私達は、不殺生戒を持っている仏教徒として、本当にそういうものに浮かれていてよいのかと、確かめていく必要があるのではありませんか。今日はまさにそういう象徴的な日だったと思います。

 ほんとはもうちょっと「霊」というものを、どのように考えるとか、日本人に「霊の宗教」はどんなふうに絡み合っているのかとか、もっと具体的なことを話したいこともあります。今日は私、ちょっと調子が悪くて、詳しいノートが出来ませんで、ただほんの思いつきだけを語りまして、不充分なところもあったかと思います。どうぞ、またあとで疑問を出していただくなり、議論をしていただくなり…。

 この間、「盆参会」で、西山町の祐光寺様へ招かれまして、私に説教してとのお話に、冗談ではない、私はまだ得度もしていない、帰敬式も受けていないのに、説教なんて出来ません。講演という形でならやりますとお返事しました。一応講演という形でしたのです。私はとても如来様を背にして説教できるような、まだそういう資格がありません。

 そのときにもこの話をチラッと出したのです。そのあと、私が控え室に引き返したのを追いかけてくる年輩の男の人がいて、オ、これはいよいよ始まるな。「おまえは靖国神社を悪く言ったな」と、私のところへおいでになったのではないかなと思ってね。どんなことおっしゃるのかと思ったら拍子抜けしました。「いやぁ先生、良いこと言ってくれた」ってね。やっぱり真宗門徒は、そういう意味では、すぐにわかるんだなぁと私は思いましたね。

 お互いに皆、戦没者を持ってるんです。特に「紀元節」の日(2月11日)なんてひどいのです。戦前の軍隊はもっとも非科学的で、「紀元節」を期して総攻撃を敢行する、という指令が何回も出るのです。戦況の如何を問わずにです。各市町村で、自分たちの町や村の、太平洋戦争で死んだ死者のご命日を調べてみると、2月の、その「紀元節」の日が非常に多いのです。そういう非科学的な戦闘指揮のもとに、我々の先輩は皆、殺されていったのです。しかし、あの人たちの死を、決して無駄にしないで、私達が二度と、ああいう道を歩かない、平和国家として生きていくためには、私達の中で、やっぱり理論的に思想的に頭の中を整理しておかないとだめですよね。

 私達は決して、天神鬼神に屈するものではない。念仏門徒は、天神や鬼神を奉るものではないんだ。そもそも真宗門徒の家には江戸時代、神棚が無かったのだということをどうぞご記憶いただいて、また問題が深まりましたら、等運寺様にお伝え願いまして、また、それを頼りにして、来年に話をするのも良いですね。

 こういう話を、お寺さんが「靖国問題の学習会をやろう」などということを、檀家さんに言えるような雰囲気が出来てるってことが、等運寺さんの、この「報恩」という寺便りの中に見られる、非常にすばらしいことですね。「おまえ、寺方が何言ってるのだ、寺だからって靖国神社反対だなんて言って、ただではおかんぞ」って、昔はそんな勢いだったわけでした。それを、等運寺様の同朋会や、役員会の中で、とにかく話を聞いてみよう。それで、「村山ならいい」と言われたことについては、非常に有難く存じます。「聞いてみよう」と言ってくださること、こういう状態がでてきたというのがお寺の集いだと思うのです。

 この話を種にして、自分の考えていることと、やっぱり違うなと思われたら、またお仲間と語り合い、また等運寺様に来て語り合い、18組の教化委員会のほうでこれを後援してくださいますことと思います。各お寺さんとも語り合ってですね、我々は、「神祇不拝」の真宗を戴いている大乗仏教の至極である。大乗仏教の至極であるということは、「怨親平等」ということです。

 敵も私も、常に往生浄土を願うていく仏教の道を我々は歩んでいるのであって、英霊だけを囲って他の者を敵視するような、差別の構図をもっているものではないということを最後に申しあげまして、このことが私がいつも問題にしております差別の問題と関係の深いことなのであるということを申しまして、終わりにしたいと思います。



 



 去る4月21日、貴職が唐突に靖国神社へ参拝されましたことは、まことに遺憾であり悲しみを覚えるものであります。

 これまでも私たちは長年にわたり、真宗教団連合として「首相・閣僚の靖国神社公式参拝の中止」を求めて要請を続けてまいりましたが、その声が聞き届けられることなく、このたびの参拝が行われたことに対して激しい怒りを感じます。

  靖国神社は、戦没者を「英霊」として祀ることをとおして、国家の目的遂行のための戦争を正当化する機能を持った特異な宗教施設として創建されたものであります。そのような性格を有する一宗教法人に、首相が参拝されることは、先の戦争への国家の責任を曖昧にし、政教分離という日本国憲法の精神を踏みにじる許されない行為といわざるをえません。

  昨年9月の米国での同時多発テロを契機に行われた報復戦争によって、多くの人々が不安と絶望の中に投げ出されている状況の中、わが国はいち早く米国支援の姿勢を打ち出し自衛隊派遣を行っています。そして、更には、近時「有事法制関連三法案」の制定へ向けての動きが活発化しようとしています。このような流れを見るとき、再び戦争を可能とする環境が整えられようとしているという強い危惧を感じるものであります。

  このような時期に首相の靖国神社への参拝が実施されたことは、「平和を守り、二度と悲惨な戦争を起こしてはならないとの不戦の誓いを堅持することが大切」とする首相の参拝所感とは裏腹に、多くの戦争犠牲者の存在やその平和への願いを無視し裏切ることに他なりません。

  私たちは、戦争を起こしてしまう人間の罪業をどこまでも見据えながら、全人類の平和への願いに立ち不戦の決意をあらたにするとともに、今回の貴職の靖国神社参拝に強く抗議し、今後の参拝に関しても引き続き中止を求めるものであります。

  2002年4月22日
                                      真宗大谷派 宗務総長  三      崇

内閣総理大臣 小 郎 殿



  このたび、4月21日小泉首相が靖国神社へ参拝されましたことに対し、強く遺憾の意を表明いたします。 私たち真宗教団連合は、これまで長年にわたり「首相・閣僚の靖国神社公式参拝中止」を求め、要請を続けてまいりました。

  申すまでもなく靖国神社は、明治政府の国家神道体制のもとで創設され、国家の目的遂行のための戦争を正当化し、その戦争責任を回避する機能を果たしてきた特異な宗教施設であります。また、戦後尊い犠牲と反省の上に制定された憲法では「戦争放棄・信教の自由・政教分離」の原則が確かめられ「恒久平和」への願いが表明されています。

  にもかかわらず、ふたたび行われたこのような政教分離の原則を侵す首相の明白な違憲行為を断じて認めることはできません。

  私たちは、平和を希求する全人類の願いと努力に心をよせることなく行われた、今回の首相の参拝行為に対して、強く抗議するとともに、今後の参拝に関しても引き続き中止を求めていく所存であります。

  平成14(2002)年4月25日

                真 宗 教 団 連 合 

                    浄土真宗本願寺派 総長   武 野 以 徳
                    真宗大谷派    宗務総長 三 浦   崇
                    真宗高田派    宗務総長 生 柳 光 壽
                    真宗佛光寺派   宗務総長 大 谷 義 博
                    真宗興正派    宗務総長 秦   正 静
                    真宗木辺派    宗務長  永 谷 真 龍
                    真宗出雲路派   宗務長  菅 原   弘
                    真宗誠照寺派   宗務長  波多野 淳 護
                    真宗山元派    宗務長  佛 木 道 宗

内閣総理大臣  小 泉 純 一 郎 殿



大日本帝国憲法(明治憲法)(抄出)    1889(明治22)年2月11日発布

 第1条  大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
 第3条  天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
 第4条  天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

 第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス



宗教法人「靖国神社」規則(抄出)     1952(昭和27)年9月30日制定

  第3条(目的)本法人は、明治天皇の宣らせ給うた「安国」の聖旨に基き、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行ひ、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者(以下「崇敬者」といふ)を教化育成し、社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための業務及び事業を行ふことを目的とする。


書(「天皇の人間宣言」)(抄出)    1946(昭和21年1月1日)

    然れども朕は爾等國民と共に在り、常に利害を同じうし休戚を
    分かたんと欲す。朕と爾等國民との間の紐帯は終始相互の信頼と
    敬愛とに依りて結ばれ、單なる神話と伝説とに依りて生ぜるもの
    に非ず。天皇を以て 現御神とし、且日本國民を以て他の民族に
    優越せる民族にして、延て世 界を支配すべき運命を有すとの
    架空なる觀念に基づくものに非ず。


ポツダム宣言(抄出)

  9、日本国軍隊は、完全に武装を解除せられたる後各自の家庭に復帰し、平和的且生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし。
 13、吾等は、日本国政府が直に全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、且右行動に於ける同政府の誠意に付適当且充分なる保障を提供せんことを同政府に対し要求す。右以外の日本国の選択は、迅速且完全なる壊滅あるのみとす。


      

 本書は、2001年10月8日に、等運寺で開催されました「靖国神社問題学習会」(等運寺役員会・同朋会・遺族会共催、18組教化委員会後援)での、村山教二先生の講演をまとめたものであります。

 18組教化委員会では、新潟県立三条高等学校教諭(当時)村山教二先生を固定講師として、毎年「同和研修会」を実施してきました。この研修会と並行して、真宗門徒として「靖国神社問題」を自己の課題として深めたいとのねらいで本書の出版が計画されました。一人でも多くの人々に味読されて、その願いの一端をお汲みとりいただければ幸甚であります。

 おわりに、出版をお許しくださり加筆訂正をしてくださった村山先生、テープ起こしを担当された若き山田圭・皇子姉妹、数次にわたる校正と出版の労をとられた塚本智光 組同朋会教導にお礼を申しあげます。

                          真宗大谷派 三条教区
                               第18組 教化委員長  関     


真宗門徒は靖国神社問題をどう考えるか(一)』
         2002(平成14)年6月30日 初版発行
                      (不許複製)


【著者略歴】

二(むらやま きょうじ)

1941(昭和16)年、佐渡市(旧 両津市)生まれ

新潟県西蒲区巻 在住

新潟県立三条高等学校教諭

現在、新潟県人権・同和センター(歴史・調査専門委員会、講師団、事務局幹事)

『なむの大地 ? 越佐浄土真宗の歴史』(新潟市 考古堂書店、1988年、共著)

『真宗再興』(新潟市 超願寺 刊、1999年)

市町村史