特集 U
  葬 儀 を 考 え る
一番葬儀の場数を踏んでいるはずの住職が、いざ自分が喪主となったら、さっぱりわからない。それもそのはず、今まですべてセットされたところに座って、ありがたそうなお経を静々と読むだけだったのです。
葬儀のありかた・荘厳は、これでよいのか。それで、「亡き人は喜んでいた」のか? 私は納得できるのか? 見栄だけではなかったのか? 本当の「仏事」となったのか?

「真宗の葬儀」に必要なものは最低限整え、不必要なものは一切除く…。前住職の病床で、葬儀のあり方を相談し、そのとおり実行させていただきました。




  責任役員 ・ 同朋会員   瀧 澤 貞 一 さん
  南無の会 ・ 推進員   小 原 文 明 さん
  山野井 俊作 さん
  ゲスト 長願寺 住職   直 江 嘉 隆 さん
  聞 き 手    等運寺  住 職
                        

【住職】 前住職葬儀の折は、大変お世話になりました。
葬儀は真宗本来の在り方でという父の遺志に従って、必要なものはすべて整え不要なものは除きました。
 この機会ですから、近年の葬儀の在り方と、今回の葬儀について、ご感想を伺いたいと思います。
       【本来は質素なもの】

【小原】 私も、妻の親で葬儀を経験してますけど、忙しいというのが実感です。だから、まわりに言われるままになってしまう。
 本来いるものと、いらないものとが、わからないんですよね。
【直江】 だいたい真宗の「おかざり」というものがわからないですよね。
ただ、一般と違って、どこの寺の葬儀でも、華美なものは見られません。
ご本尊を中心にして「おかざり」されますから。
【山野井】 「お寺の葬儀」は、こんな簡素なものかと聞かれた(笑)
【瀧澤】 悪いという人はいなかった。いいもんだねと…。
【小原】 冠婚葬祭が、商業ベースに乗せられているってことかな。
【住職】 壇にしても、普通写真が中心になってますよね。小渕(総理)さんの時も、菊の壇に写真だけ。
【直江】 真宗は「告別式形式」をとることはあるが、単なる「告別式」はない。
実際忙しくて、故人の死の意味、浄土に還(か)えるということを全く考える暇がない。
【瀧澤】 今回の葬儀の在り方は、一つの指針となると思う。
というのは、近年人間の交流が希薄になって、単に「花輪」の多少によって人の評価が成されてしまうというような問題が起こってしまう。
【小原】 要するに、人並みに済ませようという考え方でしょう。
【瀧澤】 だから人並みに花を飾ってする方がよいのか、自分の考えでする方がよいのか……。それは「信心」に関わることだ。
【小原】 それには、すごいエネルギーを使わなければならない。
【直江】 そうしたいと思ったら、事前に、こういう事情で、こういう葬儀にしたいのでと、理解してもらわなければならない。
【小原】 そうしないと単に「不義理」だととられてしまいます。
【迷信いろいろ】

【住職】 「清めの塩」は、この辺の真宗門徒であれば、もう出さないようになったんでしょうね。
【直江】 以前は、いらないという人よりも、「塩」をという人が多かった。でも、今白根市内の葬儀屋さんは、どこも出していないでしょう。
【小原】 私も、「清めの塩」はいらないものだと言ったら、親戚から変な顔をされたことがある。
【直江】 たとえば「友引」に出したいと思っても、兄弟親戚にもいろんな考えがあるから、難しい。
【小原】 ほかに「土用に入ったら土をいじるな」とかね。
【直江】 我々の先祖たちは、「門徒もの知らず」(門徒は、日の善し悪しなどの物忌みをしない)というすばらしい伝統があったわけでしょう。
 そういう意味で、今では真宗の教えがなくなってしまった。浄土真宗の盛んなところでは、迷信とか、たたりとかの民俗学が成立しないと柳田邦男が言っている。
【小原】 かといって、伝統をないがしろにするわけじゃない。
【直江】 そう、伝統と習俗は違いますからね。だんだん豊かになって、昔の人が工夫してきた知恵が失われていることは事実だ。
【瀧澤】 同朋会に来ている人なら、勉強して少しずつわかってくるが、わからない人は全くわからない。それが今、一番考えなければならないところですね。
【お内仏とご先祖】

【山野井】 ものごとの常識を、どうもっているかなんだよね。
 たとえば「お内仏」(仏壇)の中のご先祖さまにあいさつをといって、お参りをする親戚がいた。
 初めのうちは「そんな中にはいない」と言っていたが、それでも子どもが「お内仏」に手を合わせるいい縁になると思って、言わないようになった。
【直江】 生きている時の延長線上の親父さんはいないけれども、「諸仏」となりたもうた親父さんはいるわけだ。
【山野井】 来ると、必ず子どもにお参りさせるから、一面すごい親だなと思っているが、同朋会のような会に出たことがない人だから、誤った理解は仕方がない。
【住職】 如来さまにおまいりするのか、ご先祖さまにおまいりしているのか、どっちなんでしょうね。やっぱり「先祖壇」になっているのかな。
【瀧澤】 お内仏の中に親の写真が入っていて、阿弥陀さまではなくて、写真にお灯明をあげて手を合わしている人が多いね。
【直江】 我々がすでに仏となられた人にしてあげられることは、ひとつもない。
 唯一できることは、仏の願いを聞いていくこと。願われ、生かされている私であることを「お内仏」の前で聞いていくことしかないんじゃないですか。 
【仏事としての葬儀】

【住職】 通夜、葬儀、初七日が済むと「やっと終わった」という感じがするんじゃないかな。
【小原】 そうそう「らっくらした」という感じだった
【住職】 この前の葬儀、いわゆる仏壇のない新しい家でした。
ご主人が、初七日のおときの挨拶に「枕経から通夜、葬儀、初七日と、一日ごとに仏縁が深まってくるのを感じます」とおっしゃった。
【直江】 すばらしいですね。
【小原】 ふつう、仏縁というのは、騒ぎごとが一段落してから初めて感じるのが現実でしょう。
【瀧澤】 それとともに、家族のつながりもより深まってくる。
【直江】 この中で一番最近に葬儀を経験した人は、塚本さん ?
【住職】 はい。幸いに一ヵ月以上の準備期間がありました。当の本人とも葬儀の在り方を相談したこともあって、父が「よくやったな」と言ってくれるような真宗本来の葬儀をしたかった。
 『親の死は、子への最高の遺産である』という言葉がある。だから、葬儀は儀式ではあるけれども、よき仏縁に出会う場、また大事な教化の場でもあると思った。

【いい葬式とは】

【小原】 私は跡取りじゃないんですが、やっぱり長男としては立派に出したいという気持ちが大きいと思うんじゃないですか。
【住職】 いわゆる、まわりの人がほめてくれるようなね。
【小原】 そうそう、通夜に何人来たとか、花輪がいくつ並んだとか。そこですよね。そういうことを通じて、自分の評価がどうなるかというのが、こわいんじゃないのか。
【山野井】 喪主本人が「いい葬式」とは言わないんでしょうが、親戚が言うことがある。
【小原】 何をもって「いい葬式」というのかね。大勢来てくださるのはありがたいことですが…。
【直江】 生活に困っていたある方の葬儀で、今までないくらいの花輪が、ズラーッと並んだことがある。葬儀屋さんも「今まで見たこともないくらいの立派な葬儀でしたね」と、ほめてくれ、遺族がそれを喜んでおられるわけです。
 それを「そうじゃないんだ」とは、なかなか言いにくいわけ…。
【山野井】 そうですね。
【住職】 葬儀は、送り出して終わるものじゃなくて、むしろ「よき仏縁」としての始まりだと思う。
【瀧澤】 生花と花輪の問題では、やっぱり、たくさんの花に囲まれたいという感覚が多いですね。
【住職】 菊の壇、生花、花輪、写真、灯篭、白幕、弔電披露とか、葬儀に行くと一番目立つものが、本来いらないというと、ちょっと葬儀屋さんの営業妨害になるかもしれませんが…。
【山野井】 なくてもいいと言われると「ああ、そうか」となるが、どこへ行っても普通の葬儀しか見ていない。お棺に花を入れるのも当然と思っている。労働組合なんかでも、花輪一輪とか慶弔の規約にあるくらいです。
【直江】 花を断るにしても、自分の姿勢がはっきりしていないといけない。これこれこうだから、ありがたいですけど、ご辞退しますというふうに、その両方が相手に示されないと……。
【山野井】 「南無の会」に入って何年にもなるけど、葬儀の話題はなかったように思う。
【小原】 葬式不要論もある。
【直江】 生まれた意味、還(か)えっていく意味を考えると、それは肯定できません。
【瀧澤】 そのへんに、寺には大変な責任というものがあると思う。
【小原】 かといって、お寺さまが口うるさくいえないでしょう。
【瀧澤】 それは言えない。
【山野井】 だから、塚本さんが新潟に帰りがけにね、そのへんのところでだいぶ年寄りから苦情が出たという話がある(笑)
【直江】 誰かが真宗の葬儀はこれでいいんだと形を示して、そういうことが広まってくれば、じゃあ、自分もとなってくる。
【瀧澤】 今回は真宗の葬儀の基本だ。
【小原】 そういう意味では、いいきっかけだった。ああ、なるほどなと思うだけでも。
【直江】 そういう人が、ひとり生まれ、ふたり生まれることによって変わってくる。

【問題提起として】

【直江】 じゃあ、客観論ではなくて、具体的に自分が葬儀をだすとして、どういう形でできると思いますか。
【山野井】 どっちかでしょうね。今まで通り流されていくか、割り切って、全く違うかの……。
【直江】 たとえば私なら、親の葬式を出すときに、塚本さんのようにやれると思う。これはいらない、これはいると…。基本的に、どういうおかざりが必要かというイメージがあるから。
【瀧澤】 いろいろ考えましたか?
【住職】 もうひとつ、「友引」の日に出したかったんだけど、もう五日も延ばさなければならなかったので断念した。これも父には「死んだ後も大事な仕事がある。友引に堂々と出すから」って言ってあったんですが…。
【直江】 あえて友引を否定して、わざわざその日を選んで出すところに意義がある。
【瀧澤】 「友引」は、三条、燕火葬場などほとんどが休みで、白根は休みじゃないですよ。
【住職】 白根市の良識、それは誇るべきことと思う。
【小原】 葬儀を質素にということは、省略することとは違う。本来はどうなのかということですね。
【直江】 そうそう。単に「騒ぎ事」ではなくて、仏事としての葬儀と受け取らせていただくことが一番大事なんでしょう。
 その意味でも、すぐ出来るか、出来ないかは別として、今回、塚本さんが問題提起をされた葬儀の在り方は、非常に大事なことだと思うんです。

あとがき  この後も、対談が続きましたが、すでに編集能力を超え、対談時間の三分の一程度しか収録できませんでした。割愛させていただきます
 なお、葬儀のお世話をいただきました「山内葬祭」様には、住職および役員の意向を十二分にご理解くださり、ご協力くださいましたことを、感謝を込めて申し添えます。
(2000年7月収録、文責住職)
                                  【 根果餅 】