「伝道掲示」集
                                            【伝道掲示92

去年(こぞ)今年 つらぬく棒の如きもの(虚子)

 

 

食べ物様には仏がござる いつも拝んで食べなされ(宇野一正)

 

 

私は今日まで海の大地のたくさんの

生きものを食べてきたすみませんありがとう

 

 

蛇 穴を出て 幸せ? 不幸せ? (中谷きぬ)

 

 

思ったようにはなかなかいかぬ 成るようには必ず成る

 

 

私の身体はいつも精一杯生きていてくれる

私はなかなか素直になれないのです

 

 

自分勝手な間違いだらけの物差しで世の中を見てきた

傲慢(ごうまん)で愚かな私だった

 

 

コロリ観音ボケよけ地蔵 思ってみてもどうにもならぬ

もっと素直になれないものか

 

 

損か得か人間のものさし うそかまことか仏さまのものさし

 

 

コロリ観音ボケよけ地蔵思ってみてもどうにもならぬこの身体

精一杯生きていてくれるのに

 

 

燃え出ずる瞋恚の炎消しかねて われと乗りゆく火の車かな(蓮如上人) 

 

見ずや君 明日は散りなん花だにも力の限りひとときを咲く(九条武子)

 

この私を凡夫と知るのにながい月日がかかった

みれば周囲の人びと凡夫のままで光っている(榎本栄一)

 

 

欲と意地だけもって生きているただそれだけでよい筈はない

 

 

欲望という電車に乗って次は墓場− 終点でございま−す(藤井秀昭)

 

 

死は生をおびやかしつつも生の真相を写す鏡となる(草間法照)

 

 

あなたの生き甲斐は何ですかそれは本物ですか気休めですか 

 

ナムアミダブツとは 何? まことにすみません本当にありがとう

 

 

わが身が可愛いただそれだけのために頑張ってきた

 いや待て一番大事なことを忘れていた

 

 

わが身を見てはすみません

まわりを見てはありがとう ただそれだけナムアミダブツ

 

 

素直にいつでもゴメンナサイと言えますか

 素直にいつもありがとうと言えますか なかなか言えません

 

亡き人を案ずる私  亡き人から案じられている

 

 

いつの日にか死なんもよしや弥陀仏の み光の中のおん命なり(池山栄吉)

 

 

貪欲(とんよく)

瞋恚(しんに)よ愚痴(ぐち)よ驕慢(きょうまん)

  ああわが命なんぞ悲しき( )

 

なげられたところで起きる小法子かな

 

 

自分の人生 いやいや生きますか 

ぼんやり生きますか 両手でいただいて生きますか 


 

宗教の基本は自己を問い直すことから始まる

 

 

人間はいつも自分の思いと本当のことをすり替えている(野田風雪)

 

 

人間 思うようにならんもんだとわかったか( 〃 )

 

 

私の人生をいつも問い続けていくことを仏道という

 

 

みほとけのみ名を称える我が声は
       我が声ながら尊とかりける(甲斐和里子)
 

 

仏道とは私の人生が問われ続けることだ(高山別院)

 

 

自己顕示 自己嫌悪 私の心の裏表 (相田みつお)

 

 

あなたの心がきれいだから何でもきれいに見えるんだよ(同)

 

 

親切という名のお節介 そっとしておく思いやり(同)

 

 

けれどけれどで何もしない ひとつひとつかたづけていくんだよ(同)

 

 

自信がなくてうぬぼればかり ああはずかしいはずかしい(同)

 

 

人の為と書いていつわり()という

 いつも自分中心にものを考える私(高源寺)

 

 

自分の都合を第一とするように人間は造られている

 そして思うようにいかないと不平ばかり言っている

 

 

飲んで食って寝て起きて

 ああしてこうしてああしてこうして

 それは誰でもしていること

 

 

平生はみな善人なのです

 それがいざという間際に

急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです

 

 

死ぬのが情けないのではない

 むなしく終る人生がやりきれないのだ(浅田正作)

 

 

仏さまはどこにおいでになりますか

 仏さまを念ずる人の前においでになります(曽我量深)

 

 

仏法を聞き おのれの身勝手が思い知らされ

 下がらぬ頭が自然にさがる 

 

あれ聞けと 時雨くる夜の 鐘の声(基角)

 

 

(すす)はきて 心の煤は かえりみず(越人)

 

 

煩悩に馳せる使われて 走りまわってまた年新た

 

 

種もあり 土あり水あり光あり 春夏秋冬おみのりにあう

 

 

百八つ 煩悩をつく 除夜の鐘

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