珠玉のことば
 【今月の伝道掲示板、または寺報から】

                        (2018年3月)
 
  如何なるか是 奇特の事
       
 (この世で最も素晴らしい ことは何か?)

  独坐 大雄峰
       
 (私がここに座っているこ とだ)
 

         
ひゃくじょうざんえかい
 中国、唐の時代に、百丈山 懐海という禅僧がいた。
百丈山に住む「懐海和尚」という。
 当時の禅僧は、托鉢をして座禅をするのが日課だったが、懐海さんは鍬
(クワ)を持っては畑仕事に精を出された。自分にとって畑仕事は作務(さむ)であっていわゆる「動く座禅」なのだという。

 ある時、80歳を過ぎても炎天下に鍬を振るっていることを心配して、弟子たちが畑道具をかくしてしまった。これで畑仕事は出来ないだろうと弟子たちは安心した。
 ところが、懐海さんは食事を絶ってしまった。その理由が、
    

 
「一日作さざれば
  一日食らわず」


という有名な言葉だった。
 これは「働かざる者食うべからず」とは違う。後者は、他人が言う言葉であって、前者は自分が言う言葉である。

 作務を「動く座禅」として実践されていた禅僧といえば、200年以上前に新飯田の円通庵にいらっしゃった有願
(うがん)さんを思い出す。

 托鉢でいただいたお金で、自らは薄いおかゆをすすり、北前船の帰り船で、船のバランスととるために船底に積んできた「越前石」を買い求めた。相当な年月をかけて、泥でぬかるんだ新飯田の庵小路、渡し場小路、三条小路、宮小路に石を敷き詰めて、「自分の仕事だから」と言って、手伝いの申し出を断ったと伝えられている。
(逸話集『有願さま』有願会編より)
 

 ある日、懐海さんのところに禅僧が訪ねてきて「禅問答」を求めた。それが冒頭の問答だった。大雄峰とは百丈山のことで、その山が神聖であるとか、懐海自身が偉いと意味ではない。
 不思議なご縁で人間として生まれたこと、そのことが自分に限らず、すべての人において最も素晴らしいことなのだという意味だ。

 『正信偈』勤行集の裏表紙にある『三帰依文』の、「人身受け難し、今すでに受く…」という法語と同じで、仏教の基本中の基本であるといえる。


                        (2017年7月
    ぎょうこう
 「僥 倖と言わざるを得ません」

           中学生棋士 藤井4段


 今春、ハヤテのように現れた中学3年生の棋士・藤井4段の 20連勝した時のコメントです。
 激戦の3段グループを勝ち上がり、プロ棋士の仲間入りしたこと以上に、「僥倖」という言葉が、自然に発せられたことに衝撃を覚えました。僥倖とは「思いがけない幸い、偶然に得る幸運」と辞書にありました。

 いま私が人としての身を生きるのも、この歳まで生きて来られたのも、たまたまであって、まさしく「僥倖」と言わざるをえないことです。
 親鸞聖人の「遠く宿縁を慶べ」(『報恩』202号)というお言葉が思い返されました。

                        (2016年9月

         しわ         ほくろ

    皺がよる 黒子ができる

    腰曲がる 頭ははげる ひげ白くなる


         ふる
    手は震う 足はよろつく
                           うと
    歯は抜ける耳は聞こえず目は疎くなる


          そ     ずきん えりまき
    身に添うは 頭巾 襟巻
      つえ めがね       おんじゃく  しびん
    杖 眼鏡 たんぽ 温石  尿瓶 孫の手



    聞きたがる 死にともながる 淋しがる

    心は曲がる 欲深くなる



    くどくなる 気短くなる 愚痴になる

    出しゃばりたがる 世話焼きたがる


                            ほ
    またしても 同じ話に 子を褒める

    達者自慢に 人は嫌がる


                 【「老人六歌仙」 仙豪`梵】




  今年の敬老の日は9月19日(第3月曜)です。祝日が月曜日になったり、日曜日と重なると翌日が振替休日になったり、ずいぶん祝日が増えました。

 これも働き過ぎの日本人のために政府が気をつかってくれたのでしょう。
今年の祝日は15日、振替休日が1日、土日がお休みの方は101日で合計117日のお休みですね。その他に年次休暇に特別休暇ですか、うらやましい。



 いえ、そのことがテーマではありません。江戸後期にユニークな禅画で有名な臨済宗の仙豪`梵(せんがいぎぼん)という方がいらっしゃいました。
 新飯田の有願さんより一回り年下、また良寛さんとほぼ同世代を生きられた禅僧です。
有願さんの書画は、今でも新飯田を中心に近隣に多く遺されています。

 仙高ウんも奔放な生き方をし、書画のほか風刺のきいた狂歌も多くあります。
有名なものは、美濃国において新任の家老が悪政を行ったことに対して、
「よかろうと思う家老は悪かろう もとの家老がやはりよかろう」
という狂歌を詠み、後に美濃国を追放されたことと無縁ではないでしょう。
 
 さらに有名な話が、正月に仙高ウんを訪ねてきた人が、一筆おめでたいことを書いてくれと頼みますと、
「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」と書きます。依頼主は正月早々縁起でもないと怒りますが、仙高ウんは、
「これが一番めでたいことだ。これが逆ならばどうなる?」と答えます。

 確かに、かわいい孫が事故で亡くなり、頼りにしていた息子がガンで逝き、年寄りがだけ残されたことを考えると淋しい限りです。

 この仙高ウんが作った老人の(実は私自身の)偽らざる姿を詠んだ『老人六歌仙』(写真)という面白歌があります。
 特に後半の三首。老人になることと、老人臭くなることとは意味が違うということですね。

                        (2016年7月

 折々の言葉 No.140 「三度目の大往生」に関連して・・・。


 なぜお念仏を称えることが大事なのか、
  私は2人のお嫁さんたちに、分かりやすく
  説明することができません。
  その一点をお聞きしたいので
す」

            
ある老婦人

  「質問」にもいろいろあります。ちょいと疑問に思った質問。これは生活に大いに役立ちます。
 二つ目は、いやな質問で、自らの博識を自負し、困らせてやろうという質問。いわゆる「知らんだろう、わしゃー知っとるでー」(関西風ですが)という「ドヤ顔質問」。
 三つめは、これを知らなければやりきれないという本質的な質問です。

 30年前、新潟に帰ってきてから月忌参りの日々となりました。それ自体は難しくない仕事でしたが、月に1回かなり緊張して伺うお家がありました。
 お勤めの後に、必ず質問があるのです。
「お正信偈の、この言葉はどのようにいただけばいいのですか」
「はい、このように思いますが、来月にあらためてお答えします」
 翌月、「いろいろ調べましたら、こういうことでした」
「はい、ありがとうございました。ところで、その次の言葉はどういう意味なのでしょうか」
 まさに思った通りの回答を得た後、それに留まることなく、いつも次の質問を用意されていました。
 その10余年の「質問、宿題、回答」の繰り返しは、単に意地悪ではないことが次第にわかってきました。

 ある時こんな質問がありました。
「南無阿弥陀仏は、どのような意味で、どういただけばいいのでしょうか」
「2人の子どものお嫁さんが夏休みに帰省して、必ずお内仏にお参りしてくれるのを喜んでいます。 お念仏を称えることが大事だと小さい時から聞かされてきて、そのことは一点の疑いもなしに念仏を称えてきました。
 けれども、なぜお念仏を称えることが大事なのか、私は2人のお嫁さんたちに、分かりやすく説明することができません。その一点をお聞きしたいのです」と。 

 そのご婦人は、私たちをお浄土に導く諸仏さまとなられました。


                        (2016年3月−3

 僕にはコントロールできませんから

       
イチロー 、 松井秀喜

  超一流アスリートを取材していて生き方を教わることがある。例えばイチローと松井秀喜だ。全く違う個性の2人から同じ言葉を聞いたことがある。

 イチローが首位打者争いをしていた時、ライバルのその日の成績を伝えた。彼の言葉は「愚問ですね。彼の打率は僕にはコントロールできませんから」

 松井はヤンキース1年目、出だしでつまづいた。成績があがらない。ニューヨークのメディアは厳しい。「気にならないか」と松井に聞いた。「気にならないですよ。だって彼らの書くものは僕にコントロールできないもの」

 つまり、自分でコントロールできることとできないことを分ける。コントロールできないことに関心をもたない。これは日常生活にも採り入れられる生き方だと思った。
           【朝日新聞EYE 西村欣也】より転載


                        (2016年3月−2
   わたしたちの国は

   70年ちかくまえに、 

   「戦争をしない」と決めました。

  2004年、この国が戦争へと近づいていくのではないかと気づいた人たちによって製作された『絵本』があります。

 戦後70年を迎えた2015年、映像作家の丹下紘希さんの呼びかけで、映像作家など40人がリレー方式でアニメ化した7分半の短編がネットで公開されています。


『絵本』作製から12年、その内容がいま一種の「予言書」のように次々と実現されつつあることに恐怖をおぼえます。
是非ご覧ください。 
                 (URLです)  http://noddin.jp/war/ 




 わたしたちの国は70年ちかくまえに、「戦争をしない」と決めました。だからあなたは、戦争のためになにかをしたことがありません。

 でも、国のしくみやきまりをすこしずつ変えていけば、戦争をしないと決めた国も、戦争できる国になります…。

 戦争のことは、ほんの何人かの政府の人たちで決めていいというきまりを作ります。
ほかの人には、「戦争することにしたよ」といいます…。

 政府が、戦争するとか、戦争するかもしれないと決めると、テレビやラジオや新聞は、政府が発表したとおりのことを言うようになります。政府のつごうのわるいことは言わない、というきまりも作ります…。

 みんなで、ふだんから戦争のときのための練習をします。
 なんかへんだな、と思っても「どうして?」と聞けません。聞けるような感じじゃありません…。
 わたしたちの国の「憲法」は、「戦争しない」と決めています。

「憲法」は、政府がやるべきことと、やってはいけないことをわたしたちが決めた、国のおおもとのきまりです。

 戦争したい人たちには、つごうのわるいきまりです。
そこで、「わたしたちの国は、戦争に参加できる」と、「憲法」を読みかえます。

 さあ、これで、わたしたちの国は、戦争できる国になりました。

 政府が戦争すると決めたら、あなたは、国のために命を捨てることができます。
 政府が「これは国際貢献だ」と言えば、あなたは、そのために命を捨てることができます。戦争で人を殺すこともできます。

 おとうさんやおかあさんや、学校の友だちや先生や、近所の人たちが、戦争のために死んでも、悲しむことはありません。
 政府はほめてくれます。国や「国際貢献」のために、いいことをしたのですから…。

                          
                                            (抄出) 


                        (2016年3月

  もう、叱ってくれるお方が

  
おらんようになりました

       
桂 福団治 師匠

 先日亡くなった上方落語・四天王の最後の一人、桂 春団治 師匠の「お別れ会」に招待されましたので行ってきました。私は、春団治 師匠と個人的に親しかったのです。
 師匠の筆頭弟子である 桂 福団治 師匠の弔辞が心に残りました。
 福団治 師匠は、その中で「もう、叱ってくれるお方がおらんようになりました」

 そうだったんですね。叱ってくれる方がいるうちは幸せ者なんだと気づいた時には遅かったのですね。そうして肝心なことをわからないまま人と別れていくのだと思いました。

                              石川県津幡町 慶専寺  谷内正遠

   ※谷内さんは坊守の幼なじみで、毎号寺報の表紙の木版画を提供してくださっています。

 (2015年11月

   慶しいかな…、遇いがたくして今遇うことを
   得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり

                  『教行信証』 総序
 

【報恩講をお迎えするにあたり】

 宗祖親鸞聖人の報恩講、つまりご法事です。真宗本廟(東本願寺)では、11月28日の御命日を最終日として7昼夜勤められます。今年は等運寺から女性ばかり4人が参拝団に参加いたします。

 さて、真宗門徒として報恩講にお参りすることは尊いことですが、何のために毎年お勤めしているのか、その意味を親鸞聖人と蓮如上人の著述にたずねてみたいと思います。
 親鸞聖人の主著は『顕浄土真実教行証文類』、いわゆる『教行信証』です。私たちがいつもお勤めに読んでいる『正信偈』は、この中のほんの一部分です。

 ここに何が書かれてあるのか。実に難解で、生涯かかっても研究し尽くせと言われたら全く自信がありません。さらにそれを中学生が理解できる程度の言葉で(法話の基本はここだと思っています)伝えることができるのかとなると大変なことです。
 ただ『教行信証』全体として、聖人がどういうことを書き表したかったのかを知るヒントがあります。

 本文の前に「総序」、一番最後には「後序」といわれる文があります。これから本文に入る前のプロローグ「いとぐち」と、結びのエピローグです。芝居でいえば、「前口上」と「納め口上」でここに「慶哉」(よろこばしいかな)という同じ言葉が使われています。

「慶しいかな…、遇いがたくして今遇うことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり」 (総序)
「慶しいかな…、慶喜いよいよ至り、至考いよいよ重し」  (後序)

 「よろこばしいかな」で始まり「よろこばしいかな」で終わる『教行信証』は、「よくぞ人間として生まれたものだ。よくぞ仏法を聞くご縁があったものだ」という聖人の生命への歓喜の叫びが聞こえてくるようです。

 私たちは人間として生きていることに、感謝どころか愚痴や不満の言葉しか出てこないのが日ごろの生活です。
 しかし、人としての命をいただいたことも稀なことだが、さらにその中で仏法を聞かせていただくご縁に恵まれたことは、かさねて稀なことだと気づかなければ、終生安穏な生活はありません。

 蓮如上人の『御俗姓』には、ただ真面目な人だと思われたいとか、仁義としてお参りしているだけだとすれば、せっかく風呂に入ってもアカを落とさずに出てくるようなもので、お参りする甲斐がないとあります。 
 この報恩講中にこそ、本願の意義を十分に聞き開き、よくぞ人間に生まれたものだと真に目覚めた念仏者になることが、本来の報恩講の願いにかなった仏事であると述べられています。

 (2015年9月

   人身受け難し 

   いますでに受く
 

 ロシアの文豪トルストイの小説を読んだことはなくても、オードリー・ヘプバーン主演の映画『戦争と平和』を憶えている人は多いと思います。

 絶頂期のトルストイの真理とは「自分と家族が出来るだけ幸せになるように生きる」であったようです。その唯一無二の真理が、揺らぎ始め、完全に意味のないものとなってしまったことが、50歳のときに書き始めた『懺悔』で告白されています。

 その小説を読んだことはありませんが、トルストイの苦悩が語られている『懺悔』の抜粋を読んだことがあります。
「何故に私は生きているのか。私は何をなすべきであるか。いかに哲学の理論をひねくり回しても、私はどうしても解答らしい解答を何一つ受け取ることができない」
 そして、「人生は無意味なものである。いかなる西洋哲学をもってしても、この一行は改めることはできなかった」と自殺までほのめかして述べています。
 最後には、絶望のあまり、妻と子ども、巨額の印税と伯爵の地位を捨てて家出をして肺炎で亡くなってしまうのですが、これほどの不幸があるでしょうか。 

 その『懺悔』の中で、『仏説譬喩経』の「黒白二鼠のたとえ」が「古い東洋の寓話」として引用されています。
(以下概要)

 一人の旅人が悪ゾウに追いかけられ、木の根を伝って井戸の中に逃げます。ほっとするのもつかの間、目の前に黒と白のネズミが出てきて、代わる代わる木の根をかじります。
 下を見れば大きな毒蛇が口を開けて旅人が落ちてくるのを待ちかまえています。このままでは確実に根は切れて、大蛇に食べられてしまいます。
 そこに、木の根のミツバチの巣巣から甘い五滴の蜜が口の中に落ちてきます。その甘さに心が奪われ、もっと蜜をなめたいと思って、旅人は今にも切れそうな木の根をゆすります…。
(以上)


 ゾウとは時間の流れ、井戸の中の大蛇は私を待ち構える死の影、木の根は自分の寿命のこと、黒白のネズミは夜と昼のこと、すなわち私のいのちが一日一日と死に近づいていることのたとえです。
 五滴の蜜とは、そんなきわめて危機的な状況も忘れて、食欲、色欲、睡眠欲、名誉欲、財欲という日常的な欲望にうつつをぬかしていることをいいます。

 トルストイは、この話を、単に「人生の本質は苦」として引用したのかもしれません。ところが世間の「楽」に執着する愚かさに気づき生死を超える道を求めるべきことを喚起するたとえ話です。
 生きる目的は、金でもなければ財でも名誉でもない。「人身受け難し、今すでに受く」(よくぞ人間に生まれたものだ)と生命の尊厳と歓喜に目覚め生きる。
 この一点が、トルストイが絶望と自殺願望から脱却する最大のポイントだったと思います。

 (2015年3月

   錆は鉄から出て 鉄をむしばみ
   悪は人から出て 人をむしばむ 」
                  『法句経』より
 

「経があっても読まなければ経の垢。家があっても破れてつくろわなければ家の垢。身があっても怠るのは身の垢。行いの正しくないのは人の垢。もの惜しみは施しの垢。悪はこの世と後の世の垢である。
 しかし、これらの垢よりも激しい垢は、無明(迷い、愚痴)の垢である。この垢を落とさなければ、人は清らかになることはできない」

 親鸞聖人は「地獄は一定すみかぞかし」(地獄は定まれる住み家です)とおっっしゃっています。 ここでいう「地獄」とは、死後の世界ではなく、「自分は正しい、間違っていない」という我執を軸に、他を裁くことしかしない心のあり様、またはそういった日暮らしのことを言っています。「垢を落とす」とは、「迷っていることに気づく」と言い換えてもいいでしょう。 

 こんな言葉も貼りました。「気づき」が大事です。
         
     山は転ぜず 道転ずる。
     道は転ぜず 人転ずる。
     人転ぜず   心転ずる


                        (2013年3月
 
  アミダの国の扉は

  凡夫の泪をご縁として

  開かれる


      藤 井 理 統 さん (長崎教区 西光寺 住職)

 あれは、4年前の4月1日の“花まつり”のことでした。春休みとはいえ、午後になっても起きこない三女・慧(けい)のことが気になったのです。夫婦ともに、忙しさにかまけて忘れていたのでした。
 ほどなくして、今までに聞いたことのないような坊守の叫び声が、慧の部屋から聞こえてきたのです。私も急いで部屋に入ると、ベッドでぐったり横たわっている慧の姿がありました。すぐ救急車を呼び、冷たく硬直した身体に、必死になって人工呼吸と心臓マッサージをほどこしたのです。
 しかし、高校2年生になったばかりの16歳の娘は、ふたたび息を吹き返すことはありませんでした。

 その日の夕方、死因はくも膜下出血で、慧は1万2〜3千人にひとりの先天的な病気をもっていたことが、法医学の先生から知らされました。我々家族は、悪い夢を見ているようで、どうしてもその現実を受け容れることができません。前日まで、あんなに明るく元気だった慧がなぜ…。

 ただ、通夜や葬儀の折に、たくさんのご門徒さんやお友だちの方々が、泪を流し、ともに悲しんでいただいたことが、とても有難かったのでした。
 あの時、“花まつり”の行事や春休みでなかったら、もっと早く部屋に入れたのにと、後悔の念が長く尾を引いたのでした。しかも、そう思えば思うほど、暗澹たる気持ちになったのです。そして、この深い泪(なみだ)はいつまで続くのだろうかと…。

 そんなある日、蓮如上人の『疫癘の御文』(第四帖目・九通)を思い出したのでした。

   
当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと 死去す。
  これさらに疫癘によりてはじめて死 するにはあらず。
  生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり。さのみ
  ふかくおどろくまじきことなり。


と認められています。以前より慣れ親しんでいた『御文』ではありましたが、その時、ハッと気づかされたのでした。
 あの時、私が何とかすれば、何とかなったのではと考えることは、傲慢なことだと、娘のいのちは、「生まれはじめしよりしてさだまれる定業」であったのだと、そう気づかされた時、アミダさまの無条件のお慈悲に、初めて娘をお任せできる心が起こったのでした。

 こうしてペンを執っている時も、思い出すと目頭が熱くなります。しかし、以前のように自分を責めたり、暗澹たる気持ちになることはありません。我々は、苦しい時はただ苦しいだけであり、悲しい時はただ悲しいだけであります。その泪の意味など、まったく受けとることができない無力な私であります。

 しかし、その苦しみや悲しみの泪の底に、アミダさまが用いてくださっているのだと気づかされると、人生の深い意味と、果たすべき課題があたえられるのではないでしょうか。
 桜の花が満開の三回忌を迎える頃、

   
アミダの国の扉は
   凡夫の泪をご縁として 開かれる


と、お寺の境内にある伝道掲示板に墨書させていただいたのであります。

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※『お彼岸』2013年(東本願寺)より転載させていただきました。
   当寺 坊守の友人です

             
 
(関連記事が下にもうひとつあります)

                        (2013年3月−2

   がんばらなくて

   いいんだよ



 上の記事(No.34)「悲しみの泪の…」は、『お彼岸』(東本願寺)から転載させていただきました。
 藤井さんは、学生時代に、同じ先生(坂東性純先生)から教えをうけた30数年来の友人であり、私にとっては、よき先達でもあります。
 先月、その彼から連絡をいただきました。お世話になったもう一人の京都の友人・近藤さんの死を知らされました。二男の京都での保証人をしてくださり、しかもその大谷高校のPTA会長でもありました。

 通夜、葬儀に二男と一緒にお参りさせていただきました。京都の冷たい雨の降りしきる中、あまりのお参りの方々の多さに、人望のあったその人柄に、あらためてふれた思いがしました。
 通夜の法話は、亡くなった近藤さん自身の言葉で、生前にテープにとったものが流されました。とても静かな声で、しかし、はっきりとした言葉で、生をいただき、今、死を迎える自身をしっかりとうけとめ、皆さんへのお礼の言葉が述べられていました。
 また、葬儀の弔辞に、幼稚園の園長をしていた近藤さんが、幼児教育の講師として出かけた時の話がありました。講演が終わり、夜、寝るとき、全身の痛みで横になって寝ることができず、座ったままで休んだという後日談が紹介されました。
 出棺に際しても、彼自身の歌が流され、深い慈愛にみちた歌声に、元気な彼がおもいだされ、以前聞いた「頑張らなくていいんだよ」という励ましの言葉が思い出されました。
 時を経て、あらためて、10代、20代のときに出会った彼らのすがたをみせていただきました。 (坊守)

            南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

                                     (2010年9月
  仏教は往生道です

 先月、安富信哉先生(村上市)の、大谷派学階の最高位「講師」授与の祝賀会がありました。
 先生とは今までご縁がなくて、欠席するつもりでいたところ、18組の組長さんから三条教区・高田教区主催でありながら、参加者が少ないと格好がつかないので是非にということで、坊守も誘って出かけました。(初めての日航ホテル30階に胸ドキドキでしたが、坊守は4回目だとか…)

 記念講演は、いいお話をいただいた記憶はあるのですが、メモもとらないまま、その後のお酒ですっかりどこかにいってしまいました。(失礼しました)
 鮮明に覚えているのが、お祝いのスピーチで里村専精師(新潟市最福寺)の「仏教は成仏道ではなく往生道です」の、ひと言でした。
(以下は、里村師のおっしゃったことではありません)

 仏教に関わる者として、その最終目的は何ですかと問われれば、「えっ、それは…、無理だろうけど、一応、仏になることかな…」などと、うっかり言ってしまうかもしれません。
 わかっていながらも、すぐ通仏教(一般仏教)に堕してしまう私のために、里村師はあらためてビシッと言ってくださったのでしょう。

 曽我量深師が「成仏は身にあり、往生は心にあり」とおっしゃったように、煩悩具足のこの身がある限り、仏になるということはありえません。しかし、往生となると違います。

 蓮如上人の御文に、
「平生業成」(へいぜいごうじょう)というお言葉があります。仏教宗派はたくさんありますが、私たち苦悩の凡夫を救済することを主眼とした浄土教で、特に「浄土の真宗」と名のっている一番の特徴がここにあります。
「平生」とは、日常、ここでは死んでからではなく、生きているうちにという意味です。
「業成」は、大事業が完成するということです。
 生きているうちに、人生の大事業が完成するというのはどういうことでしょう。それは、煩悩の身のままで往生することが定まるということです。

 先のロンドンオリンピック体操の跳馬で、内村航平選手が、足がマットに吸い付いたように着地をピタリと決めた瞬間は、感動モノでした。いったい何回転して何回ひねったのか、後でユーチューブを見てもわからないくらいの大技でした。
 それは天性の空中感覚と、努力の賜物と言わねばなりません。
 ところが、生きているうちに、しかも煩悩の身のままで往生が定まるというのは、金メダル何十個分以上の超大技です。

 三条教区の親鸞聖人750回御遠忌のサブテーマに「私を新発見」とありました。
 それがサブテーマとされた経緯はわかりませんけれども、いま私がここにあるのは、私の力や努力ではなく、私以外の、他のはたらきによるものだと「いのちの世界を新発見」し、感動した時に、老病死さえも拝んでいただくことが出来る身になれるのでしょう。 

「私自身のいのちを生きる」ことから、「いのちの世界を生きている私」の新発見が、「平生業成」を賜るヒントになるのかもしれません。

                        (2012年9月
  かんがい
  函 蓋 相称するがごとし

 このお言葉は、函と蓋がお互いにはたらきあって用をなしているという意味です(聖典170頁)。
 以前にも何回か曇鸞大師のユーモアあふれるたとえ話を引用したことがあります。これもその一つです。

先日、ちょっとよそ見をしていたら、友人からいただいた芋焼酎のビンを倒してしまい、一合ほどこぼれてしまいました。
 しっかりフタをしておけばよかったのに、どうせすぐ注ぎたすのだからと、まったくの油断でした。
 たとえば、そういうことですね。ビンにフタがなければ、ちょっとしたことでこぼれてしまいます。またフタだけあっても、それだけでは役にたちません。
 ビンがビンとして役に立ち、フタがフタとして役に立つのは、お互いが相対し、はたらきあって初めて用を成しています。

 これは、仏法とそれをいただく人間の関係を言いあらわした絶妙のたとえです。
 仏道を歩む人間がいることによって、初めて仏法が真実の教えとなり、仏法に照らされることによって、初めて人間として歩む道が明らかになる。そういう意味深い関係のたとえです。
 

 「破れ鍋に綴じ蓋」というよく似た言葉が連想されます。これは破損した鍋にも、それ相応の修繕した蓋があること。つまり、どんな人にもふさわしい伴侶があることのたとえです。グータラ亭主には性悪女がよく似合うというようなたとえでは決してありません。
 「ネコに小判」「馬の耳に念仏」なども、価値観の違いということで、これも全く意味が違います。

                                      (2012年8月
      ひ と  
  その女性 
光っちゃん

 その女性は、6人兄弟の末っ子として5人の兄と姉に愛されていた。5人の義兄、義姉、義弟と、その連れ合いにも愛されていた。15人の甥と姪には、第2の母、または姉のように慕われていた。

 その女性は、義姉がさびしいだろうと、四十九日まで毎日、隣市の義姉宅を訪れた。遠く岐阜県の義兄の容態が悪いからと、2か月もの間看病の手伝いに行った。
 お通夜の席で、甥っ子の代表が弔辞を読んだあとで、15人の甥と姪が一斉に「光っちゃ〜ん」と、大好きだったその女性の名を呼んだ。
 先週、その女性の一周忌の法要があった。いとこ同士の結婚だったので、約70人の出席者が、全員お互いをよく知っていて、全員がその女性に感謝し、突然の死を悼む思いは同じだった。

 おときが始まると、銀行員の甥のたくみな進行で、10人ほどが指名されて、その女性への感謝の思いを語った。ストップがかからなければ、翌朝まで続いていただろう。そして、その女性が、生前、ひとりの姪に送った、心のこもった励ましとも、人生訓ともいえる手紙 【下記】が朗読され、皆に披露された。

 その女性が多くの人たちから愛されたのは、それ以上に強く人を愛したから。 初めて法事に出席した私(住職)の長男が、「法事ってすごい」と言った。

・未来を作っているのはつねに今の自分だ。
・未来は変えられる。その力はみんな持っている。
・夢は苦しみながらかなえるものではないぞ。
・病気を治すのはあくまで本人の内にある力なのよ。

・シグナルは見落とさないようにしないといけないのよ。
・自分のいや な部分を見たとき、思いを変えれば自分の一番すぐれた可能性に触れることだってできる。
・自分らしく生きるとは自分を認めること。
・この世を去るとき、自分に金メダルをあげられるように生きることの方が大事なんだよ。
・ないものを数えるよりあるものを数える。
・自分が楽しいと思うことをしなくちゃ。
・イエスとノーをはっきり言うことって、結果的には自分にも相手のためにもなる。
・夢を口にすると、奇跡が起こって夢が本当に叶う。

・他人ではなく、自分がどう見るか、どう感じるか、それが肝心。
・運命は変えられるけれど、個人の力では変えることのできない法則がある。
・人間も一人ひとり大切な役割を持ってこの世に生まれてきているの。
・あらゆる生命には役割があって、その役割はみんなちがうのね。 全体はそれぞれうまくバランスがとれているの。どの生命も欠かせない大切なものなのよ。必要のない生命なんて一つもない。

・愛を行動の中心に置くためにまずしてほしいことは、自分を愛すること。自分自身をより深く理解し、敬うことからはじめるの。
・世の中の現象はすべて必然的であり、偶然はありえない。
・他人の未来に影響を与えることはできるけど、変えられるのは本人だけなのよ。
・答えは自分の中を探せば見つかることを知っていれば、何が起こってもうろたえることはない。

   ※ 手紙をもらった姪御さんと ご主人の了解を得て掲載 (一部割愛)

                        (20110年5月
  「人の生を受くるは難く
   やがて死すべきものの
   今、命あるは有り難し」     『法句経』

「折々のことば」からつづく)

 震災のあと、暴動、略奪行為はありませんでした。支援品を奪い合う光景が見られませんでした。 交通マヒした東京都内で、バスを待ちの列を乱す人もいませんでした。
 そのことを外国のメディアが、一様にほめたたえていました。国民総生産が日本を抜いて世界第二位となった中国も、「50年かけても、あのような国民性になれるかどうか…」というような趣旨の報道がありました。

 日本人のアイデンティティー、または日本人の国民性といっても、日本の国籍をもてば自然にそのように育つというものではありません。
 動物も植物も、育った環境に影響されます。親猫が犬を威嚇しなければ、仔猫は犬を怖がりません。身近に蛇を怖がらない友人がいれば、こどもは平気で「かわいい」と頬ずりさえします。これらは身近で見てきました。

 思い込みかもしれませんが、それは生活の中に溶け込んだ仏教の影響があると思われます。
 幼いころの記憶にありませんか。必ずお参りしてからご飯を食べなさい。「いただきます」と言いましたか。ご飯をこぼしたら拾いなさい、そもそも米という字は…と。
 そんな記憶のない、もっと若い世代のパパ、ママさえも、我が子には「ありがとう」という感謝の心を伝える言葉を必ず教えます。
 幼い子が「ありがとう」と言うと、まわりのすべての大人たちはニッコリします。「ありがとう」は一番すばらしい日本語だと思います。 

 「ありがとう」は、もともとは「有り難し」という言葉が語源でした。
  
   「人の生を受くるは難く
    やがて死すべきものの
    今、命あるは有り難し」     『法句経』

「命あるは有り難し」という言葉は、人として生きている事は奇跡的な事だという事が語られた言葉ですが、語源は知らずとも祖父から父へ、父から子へと、その心は伝えられてきたのでしょう。
 この、人として生きる事の有り難さを伝える『盲亀浮木の譬喩』があります。(譬喩=たとえ)

  ある時、お釈迦さまが阿難という弟子にこう尋ねられたそうです。
「たとえば大海の底に一匹の盲亀がいて百年に一度、波の上に浮かび上がるのだ。
 ところが、その海に一本の浮木が流れていて、その木の真ん中に一つの穴がある。
 百年に一度浮かぶこの亀が、ちょうどこの浮木の穴から頭を出すことが一度でもあるだろうか」
 阿難が「そんなことはほとんどあり得ません」と答えると、お釈迦さまは「誰でも、そんなことは全くあり得ないと思うだろう。しかし全くないとは言い切れぬ。
 人間に生まれるということは、今のたとえよりも更にありえぬ有り難いことなのだ」
                                        『雑阿含経』

 仏法は度重なる聴聞によってこの身に確かめられるものですが、親の生きざまが毛穴から浸透してくるものかもしれません。くれぐれも ご用心を。

                        (2010年8月
  自分から回っている気の風車

「就活」ということがそれほど深刻でなかったころのお話です。

 苦学して、ようやく就職の最終面接までたどりついた学生がいました。 めざすは、学生に人気のある企業でした。そこの社長は、いわゆるたたき上げの初代社長で苦労人、きわめて風通しがよく、社員の老若問わずやる気満々で、これから伸びる可能性大という会社です。
 面接日当日、普段は忙しい社長に、たまたま予定が入っていませんでした。今日は最終面接日と聞いて、どんな若者がこの会社を望んで来るのだろうと関心があって、面接会場の隅っこにイスを置いて、様子をながめることにしました。
 その学生の面接時に、人事担当の役員が、それまで、したこのなかった質問をしました。それは、「あなたは、小さい時にお父さんを亡くされているようですが、どのようにしてこの学校を出られたのですか?」
 その学生は、ビックリした。想定される問答は一応考えてはいたが、まさか、そんな質問をされるとは思っていなかった。 学生は、小さな声で答える。「実は、父が亡くなった後、母が行商をして育ててくれました」と。

 突然、今まで黙っていた社長が、横からとんでもない質問をしました。
「君は、今までお母さんの身体を洗ってあげたことがありますか?」と。「いえ、ありません」「そんなら、今から帰って洗ってきなさい。そしたら私が、明日もう一度君の面接をやり直します」と言ってその学生だけを帰します。
 なんのことかわからないまま、学生は「洗わせて欲しい」と母親に頼みます。「足だけならいいよ」と母は答え、イスに座って足を出しました。 まだ若い母の、白くてポッチャリとした足を洗いはじめた学生は、手に石鹸を泡立てて足の裏に手を触れました。そこでビックリしました。
 柔らかいと思った足の裏は、男以上の分厚い皮とヒビだらけだったのです。いつも見ているはずの母親の、見えていなかった真実が手に触れたのです。「そうだったんだ…」

 父を亡くしてから、母が行商を始めた。いつも一人さびしく食事をし、自分だけが苦労し、苦学してここまできたと思っていた。誰の世話にもならず、自分ひとりの力ですばらしい会社の最終面接まできたと思っていた。「僕は、とんでもない思い違いをしていた」。母の足を握りながら涙が止まらなかったといいます。
 翌日、超多忙のはずの社長が、たった一人の再面接試験のために待っていてくれました。
 学生は、面接の前に、「もし、昨日社長から、『母親の身体を洗ってこい』とおっしゃていただけなければ、私は、たとえ入社でき、将来出世したとしても、人間として、一番大事なことを気づかずにいたと思います。ありがとうございました」と礼を言ったといいます。

                        (2010年3月
  生は偶然   死は必然

  私たちは、どうしても「死」に目がいって、ため息が出てしまいます。そうではなくて前半に注目すると、「生」は、私の意志をはるかに超えて、数え切れないほどの偶然に偶然が重なっての「生」だと知らされます。

                        (2009年5月
  大丈夫だよ、私がついているからね。

  親鸞聖人は、『歎異抄』第四章に(原文は略しますが)、
「慈悲には、人間のおこす慈悲と、仏の慈悲とがあります。人間のおこす慈悲の心は、他をあわれみ、悲しむ心で、大変尊い心ではあるけれども、残念ながら、究極的に他人を救う事はできません」とおっしゃっています。
 困った時に、必要なものが手に入れば、とりあえず「助かった」と思います。けれども、所詮その場しのぎのことです。人は「物」だけでは満足が得られることはないのです。
 人間の最も深い苦悩は、「孤独」ということであると、いってもいいと思います。
源信僧都は、往生要集の中で、地獄のことを、「われ今、帰するところなく、孤独にして同伴するものなし」といわれています。つまり、自分の苦しみや悲しみを、共感してくれる人がいないということが、地獄の苦しみだというのです。

  カーラジオで、こんな話を聞いたことがあります。外国の小児がん病棟での話です。
 そこに勤めていた女性の先生は、何とかこの子どもたちを治してあげたいと思います。けれども、世界最高の名医を連れてきても、高額の薬をつかっても、現代医学では、治る可能性は極めて低いのです。
 この子どもたちを何とかしてあげたいけれども、どうすることもできません。その先生がしてやれることは、ただひとつのことでした。それは、子どもたちを、ひとりひとりしっかり抱きしめて、
「大丈夫だよ、私がついているからね」と言ってあげることでした。
 治してあげると、言うことはできませんが、「あなたの不安と苦しみは、私がわかっているからね。最後まで決して一人じゃないからね」としか、言えなかったのです。

 その後、先生自身にも癌が見つかって、治療のために他の病院に入院することになりました。お医者さんですから、早期の発見で心配ないと思いながらも、不安な入院生活をしていました。
 しばらくして、子どもたちから先生に手紙が届きました。子どもたちみんなで相談して、書いたものです。その手紙には、こう書かれていました。
「先生、大丈夫だよ。僕たちがついているからね」
 大好きな先生に、どんな手紙を書こうかと相談したら、子どもたちが一番うれしかったこと、同じ言葉を贈ろうとなったのです。
 もし、希望をもたせるためのウソと、誤魔化しばかりで接していたなら、手紙を書くどころか、すぐに子どもたちに忘れられていたと思います。

 歎異抄で、親鸞聖人は、さらに、次のように述べられています。
 「浄土の慈悲とは、苦悩するこの私が、まず感謝と懺悔の念仏申す身となることが、他をも救うことになる」
 つまり、仏さまの慈悲とは、「人間の苦悩を救う」のではなく、「苦悩の人間そのものを救う」という、徹底した慈悲のことです。 


                        (2009年3月

  遺産なき  母が唯一のものとして
   遺していく死を  子らよ受け取れ
                (岡本かの子)

 つい先日こんなことが、ありました。地元の山内葬祭さんから電話で、
 「急で悪いんですが、葬儀をしてもらえませんか?」
 「いつも葬儀は急なことですが、どういうことですか」
 聞けば、老人介護施設で亡くなったそうで、家族はいないけれども、親戚がいるとのことです。
 大変忙しい日でしたが、とりあえず装束をもってかけつけました。そこには会館と、健康福祉課職員の二人だけでした。
 「あれ、御親戚の方は?」
 「出棺の時間にはおいでになるようなことを…」と、自信なさそうに答えます。
「葬儀は葬儀だから、3人だけでもしっかりと勤めましょう」
 お勤めが終わっても、まだ親戚は一人もこない。
「お骨はどうなるんですか」
「たぶん引き取ってくれると思うんですが」と、これも不安な表情。

 今、首都圏では「直葬」といわれる葬儀が3割を超えているといいます。「直葬」とは、文字通り、病院や施設から直接火葬場に送り、葬儀をしないでお骨にする方法です。ひどいのは、その帰りに電車のアミ棚にわざと忘れてくる者もいるといいます。
 この大不況の時代、そうせざるを得ないほど、首都圏の葬儀と墓地にはお金がかかるということでしょう。友人葬、家族葬、散骨なども、もうけ主義の「葬式坊主」には関わりたくないという批判のあらわれだと思います。
 看護職が患者の死まで担当し、バトンタッチ。納棺師に引き継いで、少しお経を読んでもらってお骨になればすべて終了というのでは、「直葬」と大差はないように思います。何も意味が残らないからです。
 『納棺夫日記』第3章にあるように、身近な人の死が、これまでの自身の生きる方向性が修正される「縁」とならなければ、乱暴な言い方ですが、まさしく無駄死にとなってしまいます。

 そのことを、岡本かの子さんは、
「遺産なき
 母が唯一のものとして 遺していく死を
 子らよ受け取れ 」

 と、子どもたちにメッセージをのこされました。

 生前どのような事情があったのかわかりませんが、結局、前出の方のお骨は、親戚に引き取ってもらえなかったと聞き、複雑な思いがしました。
 ところが、怨憎の世界から解き放たれたお顔は、本当に安らかな表情をされていました。   

                        (2008年12月−2
  仏様とは どんな人か

  佛様とは

1、仏様とはどんな人か
  答、仏様は、われは南無阿弥陀仏と申すものであると名のっておいでになります。

2、その仏様はどこに居られるか
  われを南無阿弥陀仏と念じ称へる人の直前においでになります。

3、そんならその仏を私達が念ずるに はどのような方法がありますか。
  南無阿弥陀仏と、一念疑なく自力のはからひをすてヽ静なる心をもって、仏願くはこの罪深き私をたすけましませと念ずるのであります。
  これはだれでも、どこにゐても、いつでも、かなしい場合でも、うれしい場合でもたやすく自由に仏を念ずることができるのです。
  この念が現前する時いかなる煩悩妄念が襲ひ来っても内心の平和は絶對にやぶれません。是を真の救済と申します。     以 上
  日本国 昭和31年1月21日
        於 米国羅府  東本願寺    曽 我 量 深
 (伊東 令夫人)      誌 之


 この一文は、旧味方村出身で、大谷大学学長をされた曽我量深先生が、ロサンゼルス別院の伊東抱龍ご輪番の奥様の問いに対して、答えられたものです。
曽我先生は、父(前住職)の担任教授だった方で、その著書は、大変難解で、私などには手も足も出ません。父も何を言っているのか、さっぱりわからなかったと言っておりました。
その先生が、招きに応じてロサンゼルスへご出講された際に、夫人の素朴な問いに、平易にお答えされたものです。
 私も、聞いたことはあったのですが、たまたま本山に勤めている時に、2回ロサンゼルスに出張させていただき、ご夫人ともお会いしました。その時に、ご輪番の居間に額装されている実物を拝見させていただき感動を覚えたことがあります。
 (学生に対しても、このようにやさしく教 えてくださればとの遺恨の思いも、少し…)   


 (2008年12月
  癌をたまわる
 
 数年前から、親しくさせていただいている友人の住職が、春先から背中が痛いと言っていた。多忙な毎日の合間に病院に行っても、その原因がわからないまま、秋になってしまい、いくつか目の病院で、癌が見つかった。 
 こんな時、お見舞いに行くのは気が重いもの。どんな顔、どんな言葉を用いても、その事実が変わるものではないので、普段どおりに、
「よかったねー、とりあえず原因がわかって。後はお医者さんにおまかせだ。これ、ほんの気持ち」と、金一封。
「イヤー、この薬が一番効くんだ」と、彼は冗談で応えてくれた。
 この人となら、湿っぽい会話にはならないだろうと予想していたけれども、果たしてその通りだった。痛み止めを服用しないと、寝ることも出来ない様態なのに。

 彼は病床で、私の父の話を思い出したと言った。確か4年ほど前に、父の闘病の様子を話したことがあった。
 以前、父母と妻とは、もし誰かが癌になったら、そのことを伝えようと約束していた。その約束どおりに、医師から言われた病状と死期をも伝え、ベッドの横でノートをひろげて葬儀の準備をし、その相談も父とした。父は、寺の将来のあり方になど、いくつかの質問をし、私が答えると「それでいい」と言った。
 そして、「死ぬことは別にどうということはないから、心配することはない。ただ、人間だから痛みだけはどうにもならん。その時は何を口走るかわからんから、許してくれ」と言う。
 大勢の方から見舞っていただいた。その度に、記念にといって、看護師さんに撮ってもらった写真が多くのこされている。どの写真も見舞い客の方が沈鬱な表情で、癌の末期患者である父がニコニコ顔で、ピースさえしているのが笑えてくる。

 そのことを友人はベッドの中で思い出してくれたらしい。そして「私も、不思議なくらい気持ちがおだやかでいられるんだ」と言った。
 先日、一時退院したという礼状が届いた。その一部を紹介すると、

…入院中は考えさせられることが多くありました。ひとつには、健康であることの危うさ、言い換えれば、健康も継続しないモノのひとつという至極当たり前のこと。当てに出来ないモノを無意識に当てにしている我が身を、あらためて知らされました。
 そのほか、本当の意味で貴重な体験をさせていただきました。今後は、今まで以上に有限ないのちを実感し、死に逝く(それは同時に生きて往く)ことを、問い続ける機会を賜ったことに感謝しつつ、日暮らしを続けたいと考えております


 癌の身を直正面からしっかり受けとめ、よい機会だったと感謝さえしている言葉に、虚栄心は感じられない。この友人に出会ったことで、ただボーッと生きているだけだった私の生き方が変わるかもしれない。
 戸次義一さん(柏崎市西山町 超願寺前住職)は、父の大学時代の同級生だった。取っ組み合いのケンカもしたが、父の一番信頼している友人だった。その戸次さんが癌の闘病中の俳句で、「いのち問う癌賜りて去年今年」という短冊をいただき、父は大事にしていた。
 父も、病床で亡き親友の生きざまと俳句を思い出し、いのちを問い直し、おだやかに生ききることが出来たのだろうか。

    ※ 礼状の掲載は、ご本人の了解を得ました。
      「誰にでも言ってるから、名前を出していいですよ」とも。
   


 (2008年11月
  会えてよかったね

   今の時代は、働きながら子どもの世話をするのは、大変です。
 だから、無条件に子育てを手伝ってくれる、おじいちゃん、おばあちゃんの存在は、本当にありがたいものです。
 20年以上前に、週刊誌でディンクスという夫婦のあり方が、流行っているという記事がありました。ダブル・インカム・ノウ・キッズ。DINKSという英語の頭文字です。
 つまり、ダブルインカムは、夫婦二人にお互いの給料があるけれども、お互いに、その遣い方には絶対に口出しをしない。しかも、お互いに好き勝手に趣味を楽しむために、子どもが邪魔だから、ノウキッズ。子どもを持たないという、夫婦のあり方をいいます。
 単に、趣味を楽しむために、家族になったのでしょうか。そんなうわついた生活の中には、本当に「家族になってよかったなあ」という喜びは、仮に何百年の寿命があったとしても、絶対に、得られることはないと思います。
 それを地獄といいます。地獄の「獄」の字は、ケモノへんに、言葉、右側に犬を書きます。つまり、二匹のケモノが向き合っ
て吠えあっている姿が、地獄の状態だということです。
 一応、言葉があるんだけれども、お互いが言いたいことを言い合っているだけで、相手のことは全く聞こうとしない、言葉の通じない、心の通わない状態のことを地獄といいます。
 地獄とは、死んでから行く場所のことではなくて、今の生活のあり方のことをいいます。

 千田孝信さんという方が書かれた文章です。

 私の家では、毎年元旦の朝に、家族全員がそろったところで、「おめでとうございます」とあいさつして、お屠蘇をいただくことになっています。
 ある年、挨拶がすんだ後で、五歳になったお孫がこういいました。
「僕の家で、一番早く生まれたのはおじいちゃんだよね。その次がおばあちゃん。その次がお父さん。その次がお母さん。その次がお姉ちゃん」と、家族全員の誕生順を間違えずに、可愛い声で言いました。
 そして大きな声で「その次が僕なんだ」と言って、かわいい指で自分をさしたので、家族中が大笑いします。
 その笑いがおさまったとき、さらに孫が言います。「みんな、会えてよかったね」
 このひと言で、家中が、温かい気持ちになりました。


 南無阿弥陀仏というお念仏を、あえて現代語で言えば、「いのちは尊い、ということに、私はうなづいてゆく、その歩みをいたします」と言う方がいらっしゃいます。
 不思議にも同じ国、同時代に、人間としてのいのちを受け、偶然にも家族として生活することになったことに、あらためて感謝し、喜べる人となるということです。
「みんな、会えてよかったね」今まであたりまえのことと思っていたことが、あたりまえではなかったという事に気づいて、千田さんは、びっくりしたのでしょう。
 その言葉を、お孫さんのお念仏としていただかれたのです。       


 (2008年9月
  御本尊とは はたらき のこと

                   ( 池田勇諦)
 

  宗門ではお内仏中心の生活を勧めておられますが、よく「故人の写真を飾ってよいか?」とたずねられることがあります。そういうとき、「写真を飾るということは、偶像崇拝ですよ。それは、人間を神とするということです」と答えます。
 すると、「それは違う。俺は本物の親父を知っている」と、おっしゃるんですね。それは、神と崇めているわけじゃないのでしょうか。
「写真がいけないというんなら、御本尊だって人間が描いた絵であり、人間が刻んだ仏像ではないか」
「御本尊というけれども、人間の姿で描いてあるじゃないですか」といわれます。
 かけがえのない、よすがです。それが御本尊です。
 いうまでもなく、御本尊は、姿・形を超えたはたらきですが、どこまでも、姿・形の上にはたらいてくださってある。その代表が、姿・形をもった人間だから、人間の姿で描いてあり、刻んであるんです。

 暁烏 敏先生は、人さまが来られると、一緒に本堂へ行って御本尊にお参りをされたそうです。それから茶の間でお話をされたそうです。みなさん、お寺へ行くと、いつも御本尊にお参りしてますか? お寺の主は御本尊ですから、そこにご挨拶しなければ、お寺に行ったことになりません。
 暁烏先生は、全国を回ってお話しに行かれた方です。ある時、自坊の夏期講習に、九州から訪ねて来られた方が、「私は、あの人(御本尊)に会いたいのです。どうしても会いたいのです」と言われたそうです。
 そうしたら先生は、「ああ、あの人か。あの人は、ここまで訪ねてきたあなたの姿やぞ」と答えられました。
 そうですね、人間の姿で描き、刻んであるから、御本尊なのです。
「あなた、本当の主体に目覚めて生きてください」という呼びかけ、それが称名念仏です。

           (三条教区 750回御遠忌お待ち受け大会 記念講演より その2)

 (2008年8月
  私たちの方程式は
    「自分+非自分=救い」だが
  私は
    「自分ー非自分=無我」と受けとめたい

                   ( 池田勇諦)
 

  私たちの方程式は、「自分+仏法=救済」です。私たちは仏法を自分の方へ引き寄せてわかろうとするのであって、仏法をまったく聞こうとしていない。
 そうではなくて、「仏法が私に何を願ってくださっているのか」を聞かなくてはいけません。わかっても救われんのです。仏法をこちらに引き寄せてわかろうとしても。私たちの妄念妄想の身は、わかって救われようとします。本当はわかってもわからんでもチョボチョボなんです。

 私は、「自分ー非自分」という方程式で受けとめます。私たちは、自分に自分といえないものが判明したら、そこから引くんです。私たちは「自分というもの」「自分のもの」というふうに考えます。「私の財産」「私の体」「私のいのち」「私の心」と思っているが、それは果たして「自分のもの」といえるのか吟味する必要があります。

 私の自我意識によって支配し、作用できるのであれば、自分と自分のものといえます。しかし、因縁が整えば、望むこと望まないこともやってくる。いやな事でも遭わねばならない。
 たとえば、私の財産といっても、因縁によってやってきて、因縁によって出ていくんですね。すると、私の中から私の財産を引かねばならない。また、私の身体とは本当に私なのか。本当に私の身体といえるのか。自我意識によって支配できるのか。
 本山の近くのお寺の掲示板に「老病死、この当たり前のことが、ただごとでないと身体から教えてもらうこの頃」という言葉がありました。
 藤原正遠師は、「人間は鏡を見なけりゃいけない」といわれました。歳をとればとるほど、時々刻々、壊れつつあるんです。私の身体が私のものなら、壊れもしない。病にもならない。死にもしない。それが私のものではないという証拠です。

 すると私の中から「身体」を引かなくてはならない。「私のいのち」といっているが、それは私の自我意識を超えています。
 「自分ー非自分=無我」です。無我とは仏法のことです。「私のもの」とはいえない、「私のもの」といえるものはない。私の存在ではなく、私の所有ではない。
 私たちは、本来「無我」であるということに気づくことが大切です。信心は機と法という二つです。無我ということが、私という存在は、法身としての存在であると教えてくれるのです。 生き甲斐とか、生きる喜びとは、精神論ではなく、この存在そのものがもっていることに気づくこと。法身ということに気づくこと、それが無我の一つの意味です。
 それなのに、それを所有し、私している私の罪人としての存在を知らされる。私有化している罪人としての自我意識ですね。無我ということは、絶対他力の存在なんですね。

                   (三条教区 750回御遠忌お待ち受け大会 記念講演より)


 (2008年3月

   「寒いね」と
    話しかけて
   「寒いね」と
    答える人のいる
    あたたかさ
          ( 俵 万智)
 

 新潟は2年続きの小雪ですが、反面異常な寒波に襲われています。毎日「今日も寒いですね」が、挨拶なっています。

 ところが「寒いね」と言ったら、実際に暖めてくれるのではなく、「本当に寒いね」と同感する人がいてくれることの方が、ほんのりとした暖かさを感じるという不思議な短歌です。
 昔、「同情するなら金をくれ」という言葉が有名なドラマがありました。言葉よりも、形のある金銭で誠意を示せということですね。
 その時々に必要なものが満たされれば、とりあえず「助かった」と思うことでしょう。けれども、所詮その場しのぎのことです。人は「物」だけでは満足が得られることはないのです。

 親鸞聖人は、『歎異抄』第4章に、
「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし…」 
 と、おっしゃっています。
慈悲には、人間のおこす慈悲と、仏の慈悲とがあり、人間のおこす慈悲心は、他をあわれみ、悲しむ心で、大変尊い心ではあるけれども、残念ながら、究極的に他人を救う事はできないという意味です。

 私の父(前住職)が、骨髄癌の末期で、全身の痛みに耐えかねていたときがあります。私たち家族は、「痛み止めの薬が効いているはずだから、そんなに痛いはずはないんだとか、お医者さんを呼んでくるから」と、父の痛みに対応していました。それでも痛みは続きます。 

 ところが、ベテランの看護士さんは、何の対処をするわけでもなく、父が「痛い」と言うと、「そう、痛いよね、痛いよね」と言います。そのひと言で父は落ち着くのです。

 幼児が転んで大泣きした時に、新米のママさんは、「立ちなさい、そんなに痛いことないよ」とか、せいぜい「痛いの痛いの飛んでけー」ですが、ベテラン保育士さんは、「びっくりしたね、そうだよね、痛いよね」と、しっかり抱きしめ、幼児の不安と痛みを共感するのです。すると、すぐに泣き止んでしまうのだそうです。 

 つまり、一時しのぎの対処より、私たちの痛みや悲しみ、苦しみを理解し、共感してくれる人がいるという安心感があるのですね。

 聖道の慈悲とは、煩悩(苦悩)を断ち切るということですが、人間には出来ることではありません。 

 さらに聖人は次のように述べられています。
「浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり…」
 浄土の慈悲とは、苦悩するこの私が、まず感謝と懺悔の念仏申す身となることが、他をも救うことになる。「人間の苦悩を救う」のではなく、「苦悩の人間そのものを救う」という徹底した慈悲のことです。 



 (2007年11月
 如来の功徳の きわなく

  11月5日から8日まで、三条別院で報恩講が勤まりました。お勤めの後に必ず法話があります。その一部をご紹介します。(お話の後半しか聞けませんでした。メモもとらずに、後で思い出しながらのお話で失礼ですが)

                           石川県加賀市  光闡坊 佐野明弘

 大無量寿経の第十九願は臨終現前の願・来迎引接の願ともいい、浄土を願う人の臨終に、仏・菩薩が迎えにくると説かれています。 
    
「来迎」の「来」は、「浄土へ来たらしむるという、またかえるという」。「迎」は、「迎えたもうという、待つというこころなり」(『五会法事讃』)とあります。 
 本当におもしろいですね。お浄土は、私の帰るるところであり、私を待っていてくれるところという意味もあるのです。

 何があっても、必ず帰るところがあることは、安心感があります。朝出かける時に「行ってらっしゃい」という言葉は、考えてみるといい言葉ですね。「行って、また帰ってきてね」ですから、安心感があります。私の子どもは「お父さんバイバイ」です。これでは、出かけたきり、帰ってきていいのか不安です。

 真宗大谷派で唯一、里子を預かっている寺があります。結婚後、自分の子どもが生まれてから、父親がいない不安な幼児期を経験した住職が、そのことを思い出して始めたのです。

 いろんな事情があって実の親と一緒に暮らせない子どもを、自分の子どもとして育てるという大変な仕事です。子どもたちには、住職夫婦を「お父さん、お母さん」と呼ばせています。ところが、実の親のことを「パパ、ママ」といいます。子どもたちは、ちゃんと言葉を使い分けているのです。住職夫妻は仮のお父さん、お母さんであって、いつかはパパとママが迎えにきてくれるのを待っているのです。子どもたちに「帰るところがあって」「待っていてくれる人がいる」。そこが一番安心できる場所なのですね。

 釈尊が亡くなる直前に説法を請うたアーナンダに語られたお言葉に、「自燈明 法燈明」(なんじらは、ここに自からを燈明とし、自らを依所として、他人を依所とせず、法を燈明とし、法を依所として、他を依所とせずして住するがよい)    (『大般涅槃経』)

 サンスクリット経典が中国で翻訳されて「燈明」となりましたが、本来は「島」「洲」という言葉です。川の中の島や中州は、どんな濁流にも流されない足場、よりどころです。ところが、これは聖道門の立場です。 

  親鸞聖人は、いくら川の中洲がしっかりしていても、私自身が煩悩に満ち満ちた身であるから、中洲に取り付くことができない、法をより所として生きることができないのだと言われます。   そんな煩悩具足の私たちを見越して、阿弥陀さまは南無阿弥陀仏の名号を与えられました。煩悩の身のまま帰るところ、待っていてくれるところがあるのです。

 『尊号真像銘文』に「如来の功徳のきわなくひろくおほきにへだてなきことを、大海のみずのへだてなくみちみてるがごとしとたとへたてまつるなり」とあります。
 濁流に押し流されても、川は必ずすべてを浄化する海にそそぎます。必ず海に帰っていくのです。「功徳大宝海」と、名号の功徳を海にたとえておられます。      (文責 住)


 (2007年3月
 あったらもん (可惜物

 新潟県や石川県、どの程度の範囲か知らないが、新飯田では、「もったいない」ということを、「あったらもん」と言う。うっかりお酒をこぼして「アチャー、あったらもんだァ」と。たぶん若い人たちは、つかわないし、わからないだろう。

「新しき 年の初めの初春の 今日降る雪の いやしげ(重)吉事(よごと)」

 萬葉集の大伴家持の歌だが、「新しき」を「あらたしき」と読む。これを私のような素人が読むと「あたらしき」と読んでしまう。
 新しく新鮮だという意味の語は元々は「あらたし」であった。現在も「決意をあらたにする」と用いられている。

 ところが、この「あらたし」と音がよく似た語に「あたらし」というのがあった。漢字では「可惜し」または「惜(お)し」と書き、おしいとか、もったいないという意味をもつ語だ。
 どういうわけか二つの語がこんがらがって、平安時代から「あたらし」は、現在の新しいという意味でつかわれるようになったという。
 本来の意味のもったいない「あたらし」は、わずか「あたら若い命を無駄にする」というような言い方に残っているだけ。
 
 この地方でつかわれている「可惜物」(あたらもの)を、『大辞泉』で調べてみると、『古事記』か『萬葉集』の用例しかみつからない。これはすごいことだ。
 注目すべきは、「あたらもの」の意味が、@惜しい、というほかに、Aすばらしい、身に過ぎておそれ多い、かたじけないという意味があるということだ。

 その言葉が現代にまで伝承されてきた背景には、北陸の真宗門徒の存在ぬきには考えられないように思われる。
 なぜかというと、阿弥陀さまのご本願を「もったいない=すばらしい、身に過ぎておそれ多い、かたじけない」こととしていただいてきた越後門徒の信仰の後押しがなければ、生活の中では、単なる古語として、とっくに消え去ったことばになっていただろう。
 馬鹿げたこじつけだと笑われるかもしれないが、そこに、真宗門徒の深い信仰心を感じたい。

 十年ほど前のご法事で初めて出会ったおじいちゃん、「若いもんは、もったいないということを知らん。物がもったいない、上司から、何かをもらってもったいない、それが本当のもったいないということじゃないんだ」と嘆いておられた。すばらしい念仏者だった。         (住)


 (2006年11月
 お念仏は、阿弥陀さまへの
  請求書ではありません。   
  領収書
です。

  11月5日から8日まで、三条別院で報恩講が勤まりました。お勤めの後に必ず法話があります。その一部をご紹介します。(事務所で用を足している時に、スピーカーを通して、とぎれとぎれに聞いたお話で失礼ですが)
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 昔、ロサンゼルスに開教使として15年ほど駐在していました。当時すでに日系人相手でも日本語が通じない時代でした。だから、英語で布教することになるのですが、どうしても端的に英語に翻訳できない言葉がありました。それは、「ありがとう、ごくろうさま、おかげさま、もったいない、すみません」という五つの言葉です。

 ありがとうは、「有り難し」ということですから、ただのサンキュウという意味とは違います。すみませんも「未済度」ということで、単なるアイムソーリーではありません。
 直訳ならば、中学生でも知っている英単語で間に合うのでしょう。しかし、語源の仏教的な深い意味を表現できる英単語が見つからないのです。
 
長い解説をつけてその五つの言葉を説明した上で、すべての意味が含まれている言葉が「南無阿弥陀仏」ですと言いますと、お念仏はすばらしいと理解してくれました。

 お念仏を、みなさんはどう称えますか? 「お願いします」「頼みます」ですか? それでは、阿弥陀さまに請求書を突きつけるようなお念仏です。毎日拝んでいるんだから、何千、何万回も称えているんだから、何とかしてください。そんな思いがありませんか? 
 

 こんな話があります。小さな坊やが、不注意で買ってもらったばかりのボールをなくしてしまいました。もう一回買ってくれとは言えません。ある日、お留守番をたのまれたときに、八百屋さんが野菜を届けに来て、請求書をおいていきました。その請求書には、大根100円、じゃがいも200円、トマト100円……と書いてあります。それを見て思いついたのです。

 母親が帰ってきたときに、坊やは母親に「せいきゅうしょ」を渡します。そこには、幼い字で、「おるすばん一かい20円、やさいのうけとり10円、おきゃくさま二人20円……」と書いてありました。
 母親はその「せいきゅうしょ」をじっとみつめた後、何も言わず奥へ行ってしまいます。しばらくして、母親が坊やに「請求書」をもってきます。そこには、「せんたく代タダ。ごはん代タダ。そうじ代タダ。つくろいものタダ…」と書いてあったということです。


 医師であり、深く真宗に帰依された米沢英雄先生は、「お念仏は請求書ではなく、領収書です」とおっしゃいました。 智慧の光明に照らされて、自分が明るくなるのではありません。
 実験をしてみましょう。手を前に出してください。電灯の明かりで畳に影ができますね。この電灯の明るさがもっと強いとどうなりますか? 影がうすくならずに、手の影が濃くはっきりしてきますね。

 それと同じです。智慧の光明に照らされると、私の暗さが、貪欲のすがたが、よりはっきりとしてくるのです。そんな私でも、気がついてみれば、他力回向の大慈悲の中にいた。すでに功徳の中に生かされている自分であったということ。ですから報恩感謝の領収書を発行するのです。

 すでに他力回向の徳をこの身にいただきながら、それに気がつかないでいるから請求書を出すことになります。
「ありがとう、ごくろうさま、おかげさま、もったいない、すみません」のお念仏を申す身となりましょう。  (文責 住)

                       (新潟市新通  護念寺 住 職  細川好円 師)


 (2006年8月
 生死托如来

  以前、前住職の書いた伝道掲示板を見ていた方が、ふと感想を述べられました。それは、言葉の意味ではなく、「このごろ、少しは字が上手になったね」でした。それを伝えたら、当時70歳を過ぎていた父は大笑いしていました。

 その父が書きのこした書は、2枚しかありません。絶対に書かないと拒んでいたからです。
 1幅は、ご高齢のおばあちゃんにせがまれて書いた『南無阿弥陀仏』の名号です。墓石に刻んだ名号とは違って、我が父ながらいい書だと思います。できれば譲ってもらいたいのですが、そのご家族は、とても大事にしてくださっていて、折々に床の間に掛けてくださっています。

 目にするたびに、懐かしく思います。わがままだった父の字がというより、そんな父でさえも、額づくしかなかった『南無阿弥陀仏』の名号がありがたく、なんとも懐かしく思えるのです。

 もうひとつ、川向いのお宅に色紙が1枚あります。そこには『生死托如来』と書いてありました。
『生死』とは、ブレーキもアクセルもきかない暴走車に乗っているような自分ながらも、安心して自然のはたらきにおまかせ(如来に托)するということでしょうか。



 数年前の『同朋』誌に、こんな話が載っていました。(記憶のままですが…)
 ある大谷派の著名な先生が病床にあって、余命いくばくもないと噂されていました。その先生に、長年師事していた方が、お見舞いにうかがったときの話です。

 日頃、仏法を語ってくれた先生が、「その時」を迎えたときに、どうされるのだろうか。千載一遇のチャンスと思い、こう聞いたのです。
「先生、死ぬのは怖くないですか?」と。
その先生は、しばらく中空を見つめ、こうおっしゃいました。
「それ(生死)は、私の仕事ではありません」と。
 


 父の希望で、癌告知をし、余命1ヵ月の宣告も私からしました。まさしく千載一遇のチャンス。酷ですが、その時の父の反応を確かめずにいられなかったのです。その言葉が、
「ああ、そうか。以外に短かったな。まあ、心配するな、死ぬのは別にどうということはないから」でした。
 商業用語で「仏法」を語っていたのではなかった。そのことが、次代の住職として、ただありがたく、懐かしく、尊いことであったと喜んでいます。

              『 安楽浄土にいたるひと
               五濁悪世にかえりては
               釈迦牟尼仏のごとくにて
               利益衆生は、きわもなし 』   (親鸞聖人和讃)


 (2006年5月

  『親指を隠さずに』       作詞 槙原敬之


長いクラクションは
世界中に向けた最後のお別れを言うように街に響く
もう二度と
一緒には戻れない街の通りを
荼毘所に向かう車から見ていたら

通りに出てきた小さな子供達が
母親の前に並んで
いつまでも手を合わせていたんだ

どんな人生だったと
神様に尋ねられた時
彼らの姿を思い出して
亡き人も微笑むのだろう
だから僕はあの日から
黒い車を見つけても
親指を隠さず
手を合わせようと決めたんだ

親の死に目に会えないとか
不安な迷信を まだ幼い子供に
教えたりするその前に
もっと教えておくべき
大事なことがある
たとえば
誰の命も限りがあることとか

何にも持っていくことはできない
自分の体さえも置いて
心だけで旅に出たのは
誰にとっても
本当は大事な人なんだ

誰かの命が終わったと
知ったと少し心が傾くようで
名も知らぬ誰かにも
自分が支えられて生きていると知る

だからありがとうの気持ちと
つぎの旅先の無事を祈って
親指を隠さずに
手を合わせて見送りたい

そのあとゆっくり目を開けると
なぜか
さっきより世界が暖かく
愛おしく見えるんだ 


 (2006年3月
 タイ、タラ、ブリでは
 お浄土はいただけない

   おもしろい言葉です。昨年の三条別院報恩講法話で、石川県の佐野明弘師がおっしゃいました。
「生き物を殺して食べているようでは、地獄へ行き」という意味かと思いましたが、そうではありませんでした。

 タイは、ああしタイ、こうしタイ。タラは、もしあの時こうしていタラ。ブリは、知ったかブリという意味なのだそうです。

 まだ来ない先の事ばかりを妄想し、すでに過ぎてしまったことをくよくよする。さらに現実の問題を真正面から引き受けることがないため、生涯心安らかな生活を送ることができないということでしょう。

 今月の初めのご法事でこのお話をしたら、一番前に座っていた田中さんという40歳後半の方が、お斎の席になって、「ブリとは私のことを言い当てられたような言葉で、恥ずかしくて顔が上げられませんでした」とおっしゃいました。
 人の受け売りではあるものの、いい話だったのかなと、いい気になってお酒をたくさんいただいて帰りました。

 ところが、後になってとんでもないことに気がつきました。「タイ、タラ、ブリ…」は、他人のことを言い当てる言葉ではなかったのです。

 それを得意満面に話す私自身が「知ったかブリ」であり、心安らかな生活とは程遠いことに気がつかなかったのです。
 自身の事としてうなづかれた真摯な姿勢から、逆に私が教えられました。来年、三回忌でお会いしたら、お礼を申しあげるつもりです。


 (2005年12月
 道徳 いくつになるぞ
 道徳 念仏申さるべし

  蓮如上人は、年始の挨拶に参上した門弟の道徳にこう言われました。
 うかうかと流されて生きずに、わが身にこうむったはたらきに気づき、感謝と喜びを持って生きよとおっしゃったのです。
「道徳」のところに、私の名を置き換えてみるとドキッとさせられます。


 10年以上前に、新聞のコラムにあったというこんな話を聞き、印象深く今も覚えています。 

 日本の地下資源調査隊がある中南米の国に調査に行ったときのことです。 調査隊は、荷物の運搬と雑用に現地の先住民を雇い、ジャングルの中を転々と活動していました。

 ある日、今までよく働いてくれていた彼らが、リーダーを中心に座り込み、まったく動かなくなったのです。日当や食事に不満があったのかわかりませんが、とにかく話しかけても、まったく答えてくれないので、日本の調査隊は成すすべがありません。とにかく待ちました。

 待つこと3日、リーダーがすっと立ち上がってこう言いました。
「これでいいです。さあ次の調査地へ行きましょう」と。
 わけがわからない日本人は、何があったのかとたずねると、リーダーはこうこたえました。

「私たちは、今まで時計も不要で、自分の足で歩く以上の速さで移動したことはありませんでした。 ところが、あなたたちと一緒に行動したら、分単位の生活で、トラックで高スピードで移動させられました。ところが3日前に大変なことに気がつきました。自分たちの体はここにあるけれども、魂は前のキャンプ地にあることを。だから、魂が追いついてきて身体とひとつになるまで待っていたのです」と。
 この話を笑えるでしょうか。

 私たちは、どこに身を置いていても、その頭の中は、明日の仕事の心配をし、きのうの失敗を悔やんだりしています。まさしく身と心がバラバラです。今この瞬間も、さまざまなはたらきの中で生かされているありがたさに感謝することはありません。感謝どころか不平不満の毎日です。

 私たちは、そのことを指摘されて「そういえば、そうだったかな」と気づくのであって、先住民のすごいところは、誰にも指摘されないまま「身と心がバラバラ。これではいけない」と、自ら生活の中で気づいたということにあります。

 せまい日本
 そんなに急いでどこへ行く

 ずっと前にあった交通安全か何かの標語です。 私たちは皆、ガムシャラに走り続けてきました。お釈迦さまの時代にも、そんな物語があります。

 数1000万キロ遠くの星より、たった数1000メートルの海底の方が未知の世界だといわれています。その未知の海底より、私自身そのものがもっとも未知なる存在です。一度立ち止まって、私自身に心を向けてみたいものです。



 (2005年9月)
 人生はアミダくじと同じです
 あっちへぶつかり
 こっちへぶつかりしても
 行き止まりはありません
 いずれ どこかへ出ます
          (民謡研究家)

 つい先日、車でNHKラジオを聴きながら走っていました。ちょうど全国の民謡を紹介する番組でした。演歌と民謡は好きではないのですが、そのままつけておきました。民謡はおもしろくも何ともなかったのですが、合間に解説者のお話しが何とも味があって、聞き入ってしまいました。
 新潟バイパスの帰宅ラッシュ時のことで、停車してメモすることもできず残念でしたが、二つの言葉を掲示板に使いました。

 「人生はアミダくじと同じです」とまで聴いたときは、「当たるもはずれるも運まかせ、だからあきらめなさい」と言うのだと思いました。ところが、そういう意味ではなかったのです。現在つかわれているアミダくじは縦線の間にいくつかの横線がひかれ、必ずぶつかりながら進んでいきます。ちょうど私たちの、思うに任せない人生そのものです。

 けれども、決して行き止まるということはないのです。それが、思うところではなく、願うところでなく、望んだところではないにしても、曲がり曲がっても、たどり着くところは必ずあるから、安心して歩めということでしょう。

 今の若い人は
 一寸先は闇だというけど
 私の一寸先は
 バラ色です
       (105歳 翁)

 また、女性アナウンサーとのやりとりの中で、105歳の方からこんな話を聞いたとおっしゃいました。 
 これも、民謡研究家のお名前と同様に、105歳の方がどなたかを聞き漏らしましたが、それは問題ではありません。たぶんご高齢であろう民謡研究家の「一寸先」の人生もバラ色だから、この言葉に同調されたのだと思います。
 
 そういえば、味方村出身の曽我量深先生だったでしょうか(?)、晩年、高齢の方の年齢をたずねられ、その方が「もう80歳になります」と答えると、年下のその方に向かって、「80歳ですか、前途洋々ですね」とおしゃったということを聞いたことがあります。

 80歳で前途洋々、105歳でもバラ色の未来です。すごいですね。よく考えてみると、女性アナウンサーも、視聴者も、すべての人が、閉ざされた人生などはない、すなわち「バラ色」の人生を歩みながら、それに気がつかないで、不平不満を言っているような気がします。
 それに気づいたことで毎日が前途洋々、バラ色の人生としていただくことが出来たのでしょうね。

 いくら長う生きても 
 幸せのど真ん中にいても
 おかげさまが見えなけりゃ
 一生不幸

   (かみどころ じゅうすけ)
 
 関連して、こんな言葉も貼ってあります。